645年7月号
飛鳥板蓋宮にて、入鹿殿討たれる——三韓の調の儀、その日のこと
皇極四年六月十二日、三韓よりの調を迎える儀の最中、大極殿にて蘇我入鹿殿が討たれた。上表文を読み上げる役を仰せつかっていた私は、あの日の様子を今も鮮明に覚えている。
皇極四年六月十二日、飛鳥板蓋宮の大極殿にて、高句麗・百済・新羅、三韓よりの調を迎える儀が執り行われた。この日、上表文を読み上げる役目を仰せつかっていたのは、私、蘇我倉山田石川麻呂である。あらかじめ中大兄皇子より事の次第を聞かされてはいたが、いざその場に立つと、手が震えて仕方がなかった。 儀の最中、私が上表文を読み進める傍らで、佐伯子麻呂・葛城稚犬養網田の両名が剣を取って入鹿殿に斬りかかる手はずであった。ところがこの二人、いざその場になると恐れをなして動きが鈍り、業を煮やした中大兄皇子御自らが剣を執って踏み込まれ、入鹿殿はその場に倒れられた。皇極天皇は驚かれて殿中深くへ退かれ、居合わせた誰もが、なす術なく立ち尽くすばかりであった。厳かなはずの儀の場が、一瞬にして修羅場に変わった、その光景は今も忘れられない。 翌十三日、入鹿殿の父・蝦夷殿は甘樫丘の御邸にて味方の離反に遭い、自ら火を放って命を絶たれたと聞く。邸には『天皇記』『国記』の類が伝わっていたが、その多くは火にまかれ、『国記』の一部のみ船史恵尺という者が火中より運び出したという。これをもって、蘇我氏の本宗家は滅びた。 正直に申せば、私自身も蘇我の一族に連なる身であり、この一件がいずれ我が身に何をもたらすか、今もって定かではない。ただ、あの日大極殿で見たものを、記録として書き留めておくことだけは、自らの務めと思い定めている。
飛鳥板蓋宮にて、入鹿殿討たれる——三韓の調の儀、その日のこと
皇極四年六月十二日、三韓よりの調を迎える儀の最中、大極殿にて蘇我入鹿殿が討たれた。上表文を読み上げる役を仰せつかっていた私は、あの日の様子を今も鮮明に覚えている。
皇極四年六月十二日、飛鳥板蓋宮の大極殿にて、高句麗・百済・新羅、三韓よりの調を迎える儀が執り行われた。この日、上表文を読み上げる役目を仰せつかっていたのは、私、蘇我倉山田石川麻呂である。あらかじめ中大兄皇子より事の次第を聞かされてはいたが、いざその場に立つと、手が震えて仕方がなかった。 儀の最中、私が上表文を読み進める傍らで、佐伯子麻呂・葛城稚犬養網田の両名が剣を取って入鹿殿に斬りかかる手はずであった。ところがこの二人、いざその場になると恐れをなして動きが鈍り、業を煮やした中大兄皇子御自らが剣を執って踏み込まれ、入鹿殿はその場に倒れられた。皇極天皇は驚かれて殿中深くへ退かれ、居合わせた誰もが、なす術なく立ち尽くすばかりであった。厳かなはずの儀の場が、一瞬にして修羅場に変わった、その光景は今も忘れられない。 翌十三日、入鹿殿の父・蝦夷殿は甘樫丘の御邸にて味方の離反に遭い、自ら火を放って命を絶たれたと聞く。邸には『天皇記』『国記』の類が伝わっていたが、その多くは火にまかれ、『国記』の一部のみ船史恵尺という者が火中より運び出したという。これをもって、蘇我氏の本宗家は滅びた。 正直に申せば、私自身も蘇我の一族に連なる身であり、この一件がいずれ我が身に何をもたらすか、今もって定かではない。ただ、あの日大極殿で見たものを、記録として書き留めておくことだけは、自らの務めと思い定めている。
板蓋の 宮に響きし 太刀の音 読みかけの文 いまだ終はらず
─ 飛鳥の宮人 ─
板蓋の 宮に響きし 太刀の音 読みかけの文 いまだ終はらず
─ 飛鳥の宮人 ─
蔵の奥から、また新しい号が出てきましたわ。皇極四年六月、乙巳の変その日の様子を、居合わせた蘇我倉山田石川麻呂はんご自身が書き残してくれた号どす。上表文を読み上げる役を仰せつかっとったというのやから、えらい際どい場所に立ち会うてはったんやなあ。 手が震えて仕方なかった、というくだりに、こっちまで手に汗握ってしまいました。入鹿殿を討つ役目の二人がひるんで動けず、結局中大兄皇子御自ら踏み込まれたという顛末も、石川麻呂はんの筆致やからこそ伝わってくる生々しさがありますなあ。 石川麻呂はんはこの後、右大臣として改新の政に加わっていくことになるんやが、その先の話はまた別の号が見つかった折にでも。……とだけ言うときますわ。
蔵の奥から、また新しい号が出てきましたわ。皇極四年六月、乙巳の変その日の様子を、居合わせた蘇我倉山田石川麻呂はんご自身が書き残してくれた号どす。上表文を読み上げる役を仰せつかっとったというのやから、えらい際どい場所に立ち会うてはったんやなあ。 手が震えて仕方なかった、というくだりに、こっちまで手に汗握ってしまいました。入鹿殿を討つ役目の二人がひるんで動けず、結局中大兄皇子御自ら踏み込まれたという顛末も、石川麻呂はんの筆致やからこそ伝わってくる生々しさがありますなあ。 石川麻呂はんはこの後、右大臣として改新の政に加わっていくことになるんやが、その先の話はまた別の号が見つかった折にでも。……とだけ言うときますわ。
