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2022年5月号

バックナンバー
編集長: 木村蒹葭堂(大坂)

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【特集】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」壇ノ浦から義経の最期まで ・ 初出: 2022年5月

『鎌倉殿の13人』壇ノ浦から衣川へ。義経の「伝説」はどこまで史料で確かめられるか

5月の『鎌倉殿の13人』は、壇ノ浦での平家滅亡から義経の最期までを一気に描いた。潮の流れ、水夫への矢、腰越状。名場面のもとになった話を、史料からたどり直してみる。

「潮の流れが変わったから源氏が勝った」。学校でそう習った覚えのある人は多いだろう。5月8日放送の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第18回「壇ノ浦で舞った男」で、菅田将暉さん演じる源義経がついに平家を滅ぼした。デイリースポーツの記事によれば、二位尼が宝剣を抱いて海に身を投げ、女官が安徳天皇を抱えて静かに波間へ消える場面は、源氏の側から淡々と描かれたぶん、かえって恐ろしかったという。 では、勝敗を分けたのは本当に潮だったのか。渡邊大門氏はYahoo!ニュースの連載「深読み『鎌倉殿の13人』」で、この点を掘り下げている。潮流説は、後世の研究者が当日の潮の流れを推算して唱えたものだ。『平家物語』は合戦の初めに潮が源氏に不利だったことを記すが、潮が変わって形勢が逆転したとまでは書いていない。近年はこの説を疑う見方もある。筋の通った説明ほど、一度は疑ってかかりたい。 義経が平家方の水夫を射させた、という「掟破り」の逸話も同じである。Japaaanの記事は、これを濡れ衣ではないかと論じている。天才ゆえの非情、という人物像に都合のよい話ほど、出どころを確かめないまま広まりやすい。 壇ノ浦のあと、義経は兄の頼朝と決裂する。nippon.comが取り上げる「腰越状」は、鎌倉に入ることを許されなかった義経が、兄に無実を訴えた書状として名高い。ただしその文面は『吾妻鏡』などに引かれて伝わるもので、原本は残っていない。後世に作られたのではないか、という議論があることも覚えておきたい。 そして5月22日の第20回「帰ってきた義経」で、義経は奥州・衣川に散った。ドラマでは、届いた首桶を前に頼朝が弟に語りかける場面が描かれ、渡邊氏も首を見た頼朝の胸の内に踏み込んでいる。だが『吾妻鏡』によれば、首実検をしたのは腰越に遣わされた和田義盛と梶原景時だ。しかもその『吾妻鏡』自体、鎌倉幕府の側が後にまとめた記録である。そこに描かれる頼朝も義経も、勝った側の筆を通っていることを忘れてはならない。 負けた者に肩入れする心の動きを、判官びいきという。その心がどれだけの伝説を生んだのか。一つずつ数えながら観るのも、この大河の楽しみ方だろう。

#鎌倉殿の13人#源義経#壇ノ浦の戦い#腰越状#吾妻鏡#大河ドラマ
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【特集】松尾芭蕉『野ざらし紀行』自筆稿の再発見 ・ 初出: 2022年5月

芭蕉『野ざらし紀行』の挿絵入り自筆稿が再発見。京都・福田美術館が発表

松尾芭蕉の最初の紀行文『野ざらし紀行』の、挿絵入りの自筆稿が見つかった。長く行方の分からなかった一冊を手に入れたと、京都の福田美術館が発表した。

野ざらしを心に風のしむ身かな。旅の途中で行き倒れ、骨を野にさらす覚悟で出かける、という物騒な句で始まる紀行文がある。松尾芭蕉の『野ざらし紀行』だ。その挿絵入りの自筆稿が見つかったと、京都市の福田美術館が5月24日に発表した。 NHKや中日新聞の記事によれば、『野ざらし紀行』の芭蕉自筆の稿本は2冊あるとされてきた。1冊は天理大学附属天理図書館が所蔵する、挿絵のない「天理本」。もう1冊が今回の挿絵入りの本で、写真が残っていたため存在は知られていたものの、長く所在が分からなかった。読売新聞によれば、昭和17年(1942年)に大阪で展示されたのを最後に行方知れずになっていたという。専門家の鑑定で本物と確かめられ、福田美術館が買い入れた。 面白いのは、挿絵まで芭蕉自身の筆だという点だ。芭蕉のほかの紀行文には見られない挿絵で、読売新聞は「俳聖の絵心を知る上でも貴重」と伝えている。句と文と絵を一つの帖に収めて、俳諧の師匠が自分の旅をどう見せたかったのか。そこが透けて見えるようで、ほんまに興味が尽きない。 『野ざらし紀行』は、貞享元年(1684年)に江戸を発ち、故郷の伊賀をはじめ大和、美濃、尾張などを巡った旅の記録である。芭蕉の俳風が固まるきっかけになった作品とされ、のちの『おくのほそ道』へ続く道の、いわば第一歩にあたる。 中日新聞によれば、同館などが10月から開く企画展で公開される予定だという。書画を集めるのを道楽にしてきた身としては、手に取って紙の風合いまで確かめたいところだが、それはかなわぬ夢。せめてガラス越しに、筆の運びをじっくり拝ませてもらうつもりでいる。ちなみに当編集部の芭蕉翁にこの話をしたところ、「絵のほうはあまり見んといてほしい」と、珍しく照れていた。

#松尾芭蕉#野ざらし紀行#福田美術館#自筆稿#紀行文
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【特集】高松塚古墳壁画発見50年とキトラ古墳天文図の新説 ・ 初出: 2022年5月

高松塚古墳の壁画発見から50年。「飛鳥美人」の一般公開と、キトラ古墳の天文図の新説

極彩色の壁画が見つかって50年になる高松塚古墳で、壁画の一般公開が始まった。すぐ南のキトラ古墳でも、天文図の「間違い」をめぐる新しい説が出ている。

5月の明日香の丘は、草いきれが立ちのぼり、棚田の水面に若葉の色が映る。その緑の下で千三百年眠っていた色が、ふたたび人の目に触れている。 朝日新聞の記事によれば、今年3月で発見から50年を迎えた高松塚古墳(奈良県明日香村)の極彩色壁画(国宝)の一般公開が、5月21日に村内の仮設修理施設で始まった。NHKの記事によれば、事前に申し込んだ見学者が5人ほどのグループに分かれて施設に入り、窓ガラス越しに「飛鳥美人」の名で親しまれる女子群像や、東の守り神「青龍」に見入ったという。読売新聞によると、オペラグラスを手に西壁の女子群像を眺める人もいたそうだ。 壁画が見つかったのは昭和47年(1972年)。日本経済新聞の記事は、当時の研究者たちが石室に開いた盗掘穴から狭い室内をのぞき込み、保存の方法を探っていた様子を振り返っている。古代史ブームに沸いた発見の裏で、壁画はその後カビに侵され、ついには石室を解体して修理する道が選ばれた。産経新聞の記事は、壁画の今後について「密閉するしかない」という声を伝えている。見せることと守ることは、いつも綱引きである。 一方、キトラ古墳からも話題が届いた。壁画の天文図(7〜8世紀、国宝)では、太陽の通り道を示す「黄道」などの位置がずれている。沖縄タイムスなどが報じた京都大学の斉藤昭則准教授の研究によれば、これは天文図の私有を禁じた当時の法を意識し、わざと正確に描かなかった可能性が高いという。間違いが実は配慮だったとすれば、千年越しの謎解きとしてなかなか洒落ている。 「月日は百代の過客」と書いた身としては、石室の天井に描かれた星々もまた、長い旅の途中にいるように思えてならない。

#高松塚古墳#キトラ古墳#飛鳥美人#壁画#明日香村#古墳
かわら版
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歴史かわら版 ・ 2022年05月

近藤勇の甲冑?なぜ富山に 徳川ゆかりの国泰寺で発見

新選組局長・近藤勇が身に着けたと伝わる甲冑が、富山県高岡市の国泰寺で見つかったらしい。新選組と縁の薄い富山になぜ、という謎には、ある幕臣が関わったという寺の記録が手がかりになるとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

3度公開延期の映画「峠」、東京で完成披露試写会

長岡藩家老・河井継之助を描く映画『峠 最後のサムライ』の完成披露試写会が、5月2日に都内で開かれた。コロナ禍で当初の2020年9月公開から3度延び、6月17日にようやく全国公開となる。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

長岡藩家老「河井継之助」に迫る 会津民俗研究会の滝沢さん出版

会津民俗研究会の滝沢洋之会長が『河井継之助と会津』を自費出版した。継之助の人物像と、会津との関わりを描いた一冊とのこと。映画『峠』の公開を前に、ゆかりの地でも継之助熱が高まっている。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

中井貴一、映画「大河への道」公開でしみじみ 「娘を届ける気持ち ...

立川志の輔さんの新作落語「大河への道—伊能忠敬物語—」を映画化した『大河への道』が公開された。企画も担った主演の中井貴一さんは、初日の舞台あいさつで「育ててきた娘を届けるような気持ち」と語ったとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

特別展「北斎 百鬼見参」すみだ北斎美術館で - 北斎らの浮世絵に ...

すみだ北斎美術館で、6月21日から8月28日まで特別展「北斎 百鬼見参」が開かれる。北斎と門人たちが鬼をどう捉え、どう描いたかを、鬼にまつわる浮世絵で4章に分けて紹介するそうだ。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

江戸時代から大坂オモロイなぁ! 大阪歴博で特別展 名所絵に見る ...

大阪歴史博物館で、江戸時代の大坂を描いた名所絵を集めた特別展「浮世絵師たちが描く絶景!滑稽!なにわ百景!」が開かれている。6月5日まで。地元の名所がどう描かれたか、大坂の者としては見逃せん。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

新居関所の大御門や女改之長屋 復元工事報告書が完成

静岡県湖西市の新居関所で進められてきた、大御門や女改之長屋などの復元工事の報告書がまとまった。浮世絵や図面、修繕記録、発掘調査の成果を突き合わせて江戸時代の姿に近づけた過程を、図表たっぷりに記録しているとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

「鬼の副長」土方を熱演、函館 3年ぶり五稜郭祭

戊辰戦争最後の舞台となった函館で、5月21日に「箱館五稜郭祭」が始まった。3年ぶりの開催で、市芸術ホールでは土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストも開かれたらしい。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

白浜町 南方熊楠が少年時代に事典を模写 直筆資料集め特別展

南方熊楠が少年時代に事典などを書き写し、膨大な知識を身につけていった跡をたどる特別展が、和歌山県白浜町で開かれている。直筆の模写資料が並ぶそうで、知の巨人の原点は「書き写すこと」にあったらしい。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

初夏告げる伝統の薪御能 奈良、3年ぶり一般公開

奈良に初夏を告げる「薪御能」が5月20日、春日大社と興福寺で始まった。コロナ禍で一昨年は中止、昨年は非公開だったが、今年は3年ぶりに一般公開され、かがり火の中で能が舞われたとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

「2歳の聖徳太子」見に来て、29日公開 700年前の像、廃仏毀釈逃れ ...

滋賀県大津市の国分聖徳太子堂で、聖徳太子2歳の姿を表したとされる本尊「南無仏太子像」(県指定文化財)が5月29日に公開される。約700年前の像で、廃仏毀釈を逃れて伝わってきたものらしい。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

通説疑い実像に迫る 没後1400年迎えた聖徳太子を研究 石井公成さん ...

没後1400年の聖徳太子をめぐっては、「国造りを進めた摂政」から「平凡な皇子」まで議論がかまびすしい。仏教学者の石井公成さんは両極端の説から距離を置き、文献を地道に読み解いて実像に迫っているそうだ。

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歴史かわら版 ・ 2022年05月

国政改革者 信西

2012年の大河『平清盛』のころに人気を集めた童門冬二さんの歴史コラムが特別掲載されている。今回は保元の乱のあと国政改革に辣腕をふるった信西の回で、死刑を王命による公法とし、僧兵の乱暴を禁じた手腕を紹介している。

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取材コーナー ・ ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)・兵庫県芦屋市

新シリーズ「建物探訪」第1回 ― 大谷石と幾何学模様の異人館、ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)を訪ねて

道すがら石碑や社ばかりを訪ねてきたが、今号からは建物そのものを巡る新シリーズを始めたい。第一回は芦屋の丘、大谷石と幾何学模様が織りなすフランク・ロイド・ライトの異人館。

道すがら石碑や社ばかりを訪ねてきたが、今号より建物そのものを巡る新シリーズ「建物探訪」を始めたい。杖を止めた先の第一回は、令和4年(2022年)5月、新緑の頃に訪ねた芦屋の丘に立つヨドコウ迎賓館、旧名を山邑家住宅という。 灘五郷の造り酒屋・山邑太左衛門の別邸として大正7年(1918年)、帝国ホテル建設で来日していたフランク・ロイド・ライトが原設計を手がけ、帰国後は弟子の遠藤新と南信が実施設計・監理を引き継いで大正13年(1924年)に竣工したという。鉄筋コンクリート4階建の邸は斜面に沿って階段状に組み上げられ、大谷石の幾何学彫刻とマホガニーの木組み、植物をかたどった銅板の意匠が随所に息づく。居間の巨大な暖炉の前に立てば、石の量塊と光の陰影だけでこれほど心が静まるものかと驚かされる。 昭和22年(1947年)に淀川製鋼所が買い取って社長邸とし、平成元年(1989年)より「ヨドコウ迎賓館」として一般に開かれた。大正の建物として、また鉄筋コンクリート造の住宅としても初めて国の重要文化財に指定されたのは昭和49年(1974年)のこと。屋上のテラスに出れば、六甲の緑と大阪湾までが一望に開ける。異国の匠が遺した意匠が、百年余りを経てなお街を見下ろしている。

#建物探訪#ヨドコウ迎賓館#旧山邑家住宅#フランク・ロイド・ライト#重要文化財#芦屋
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投稿狂歌コーナー ・ お題「近藤勇」

局長の 鎧はるばる 越中へ 着たのは一度 あとは蔵住まい

─ 壬生の古道具屋 ─

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2022年5月号をお届けします。芭蕉翁の新シリーズ「建物探訪」が、芦屋のヨドコウ迎賓館から始まった号でもあります。 大河『鎌倉殿の13人』は、壇ノ浦から衣川まで、ひと月で義経の後半生を駆け抜けました。秋成はんは潮の流れも腰越状も、いちいち史料に当たり直さんと気が済まん様子。わたしは芭蕉翁の『野ざらし紀行』の自筆稿が京都で見つかった話を書きましたが、当の本人の顔をちらちら見ながらでは、どうにも落ち着きませんでした。その翁は、発見50年の高松塚とキトラの星空を、旅人らしい目で書いてくれています。 かわら版には、富山で見つかった近藤勇の甲冑、3年ぶりの薪御能、没後1400年の聖徳太子などを並べました。あちこちで祭りや公開が戻ってきた月やったなあと、新茶をすすりながら振り返っております。