愛する者を救えなかった天下人の業——『どうする家康』築山事件と瀬名・信康の散華
有村架純演じる瀬名と細田佳央太の信康。戦なき世を夢見た「慈愛の国」構想の崩壊と、信長の命に屈せざるを得なかった家康の慟哭。
徳川史最大の悲劇にして最大の謎とされる「築山事件(信康自刃事件)」が、大河ドラマ『どうする家康』第25回・第26回でついに描かれた。織田信長からの処刑命令という通説に対し、古沢良太脚本は、武田と密かに通じ「戦なき共存の国」を築こうとした瀬名(有村架純)の壮大な賭けと、その罪を一身に背負って死を選ぶ母子の愛の物語として再構築してみせた。 佐鳴湖の畔で家康(松本潤)に別れを告げ、自ら短刀を胸に突きたてた瀬名。そして二俣城で介錯人を前に静かに腹を切った嫡男・松平信康(細田佳央太)。信長への恐怖と三河・織田同盟の維持という政治力学の冷酷さに押し潰され、浜松城で狂乱のあまり涙を流す家康の姿は、視聴者の心をえぐり取った。 「悪女」として語り継がれてきた築山殿のイメージを覆し、乱世を終わらせるための理念を家康に託して逝った女性として描いた解釈には、賛否両論の議論が巻き起こっている。だが、最も愛する妻と子を殺さねば生き残れなかったという消えない悔恨こそが、のちに家康を二百六十年続く「泰平の世」の建設へと駆り立てる原動力になったのだとすれば、この悲劇はまさに神君の魂の形成期そのものであったと言えよう。
愛する者を救えなかった天下人の業——『どうする家康』築山事件と瀬名・信康の散華
有村架純演じる瀬名と細田佳央太の信康。戦なき世を夢見た「慈愛の国」構想の崩壊と、信長の命に屈せざるを得なかった家康の慟哭。
徳川史最大の悲劇にして最大の謎とされる「築山事件(信康自刃事件)」が、大河ドラマ『どうする家康』第25回・第26回でついに描かれた。織田信長からの処刑命令という通説に対し、古沢良太脚本は、武田と密かに通じ「戦なき共存の国」を築こうとした瀬名(有村架純)の壮大な賭けと、その罪を一身に背負って死を選ぶ母子の愛の物語として再構築してみせた。 佐鳴湖の畔で家康(松本潤)に別れを告げ、自ら短刀を胸に突きたてた瀬名。そして二俣城で介錯人を前に静かに腹を切った嫡男・松平信康(細田佳央太)。信長への恐怖と三河・織田同盟の維持という政治力学の冷酷さに押し潰され、浜松城で狂乱のあまり涙を流す家康の姿は、視聴者の心をえぐり取った。 「悪女」として語り継がれてきた築山殿のイメージを覆し、乱世を終わらせるための理念を家康に託して逝った女性として描いた解釈には、賛否両論の議論が巻き起こっている。だが、最も愛する妻と子を殺さねば生き残れなかったという消えない悔恨こそが、のちに家康を二百六十年続く「泰平の世」の建設へと駆り立てる原動力になったのだとすれば、この悲劇はまさに神君の魂の形成期そのものであったと言えよう。
少年が見つめた時代の黄昏——宮崎駿『君たちはどう生きるか』と吉野源三郎の思想史
事前告知一切なしで封切られた宮崎駿監督10年ぶりの長編アニメーション。戦時下の昭和を生きた少年と、昭和初期教養主義の記憶。
事前の予告編もあらすじも声優陣も一切明かさぬまま、一枚の鳥のポスターだけで劇場公開に踏み切ったスタジオジブリの新作映画『君たちはどう生きるか』。映画館に駆けつけた観客たちが目撃したのは、太平洋戦争下の日本と、生と死が混淆する幻想的な塔の世界を巡る、極めて私小説的で深遠な物語であった。 タイトルに掲げられた吉野源三郎の同名著作(昭和12年刊行、山本有三編「日本少国民文庫」の一冊)は、軍国主義の足音が近づく暗雲立ち込める時代にあって、自由主義的な精神と人間としての尊厳や倫理を次代の少年に託そうとした名著である。宮崎監督が描いたのは、その原作小説の直接の映画化ではなく、あの戦時下という暗い時代に少年期を過ごした自身の原風景と、戦後日本が歩んできた近代化への痛切な問いかけであった。軍需工場の煙、母を失った少年の喪失感、そして疎開先の大屋敷に聳える謎めいた洋館の塔。 青サギの導きで足を踏み入れる「下の世界」は、過去と未来、記憶と忘却が渦巻く無意識の迷宮であり、悪意に満ちた現実の世界から逃げ込む場所であると同時に、滅びゆく世界の重荷を誰が引き継ぐのかという厳粛な決断の場でもある。昭和という激動の時代を生きた知識人たちの苦悩と理想に思いを馳せつつ、閉塞した現代を生きる我々一人一人に「君自身は、いかに生きるのか」と静かに迫ってくる、映画史・思想史に残る重厚な到達点と言えよう。
少年が見つめた時代の黄昏——宮崎駿『君たちはどう生きるか』と吉野源三郎の思想史
事前告知一切なしで封切られた宮崎駿監督10年ぶりの長編アニメーション。戦時下の昭和を生きた少年と、昭和初期教養主義の記憶。
事前の予告編もあらすじも声優陣も一切明かさぬまま、一枚の鳥のポスターだけで劇場公開に踏み切ったスタジオジブリの新作映画『君たちはどう生きるか』。映画館に駆けつけた観客たちが目撃したのは、太平洋戦争下の日本と、生と死が混淆する幻想的な塔の世界を巡る、極めて私小説的で深遠な物語であった。 タイトルに掲げられた吉野源三郎の同名著作(昭和12年刊行、山本有三編「日本少国民文庫」の一冊)は、軍国主義の足音が近づく暗雲立ち込める時代にあって、自由主義的な精神と人間としての尊厳や倫理を次代の少年に託そうとした名著である。宮崎監督が描いたのは、その原作小説の直接の映画化ではなく、あの戦時下という暗い時代に少年期を過ごした自身の原風景と、戦後日本が歩んできた近代化への痛切な問いかけであった。軍需工場の煙、母を失った少年の喪失感、そして疎開先の大屋敷に聳える謎めいた洋館の塔。 青サギの導きで足を踏み入れる「下の世界」は、過去と未来、記憶と忘却が渦巻く無意識の迷宮であり、悪意に満ちた現実の世界から逃げ込む場所であると同時に、滅びゆく世界の重荷を誰が引き継ぐのかという厳粛な決断の場でもある。昭和という激動の時代を生きた知識人たちの苦悩と理想に思いを馳せつつ、閉塞した現代を生きる我々一人一人に「君自身は、いかに生きるのか」と静かに迫ってくる、映画史・思想史に残る重厚な到達点と言えよう。
松平信康
英邁剛勇ゆえに信長に警戒され、二十一歳で散った神君の悲運の嫡男
徳川家康の長男。母は今川義元の姪にあたる築山殿(瀬名)。織田信長の長女・徳姫を正室に迎えて岡崎城主となった。若年より武勇に長け、長篠設楽原の合戦や遠江での武田勝頼との激戦において常に先陣を切って武功を重ね、三河武士団からも将来の名君として絶大な信望を集めていた。 しかしその軍才の鋭さと三河武士の強固な結束は、盟主である信長に強く警戒されることとなる。徳姫との不和や武田との内通疑惑を記した十二箇条の訴状が信長に届き、詰問を受けた使者・酒井忠次が適切に弁明できなかったことも災いして、信長から切腹を命じられた。天正7年(1579)、父・家康の断腸の命により遠江二俣城にてわずか二十一歳で自刃。介錯を命じられた服部半蔵が涙して刀を落とした逸話はあまりに痛切である。のちに関ヶ原合戦で苦戦した家康は「信康が生きていれば」と落涙したと伝えられる。
松平信康
英邁剛勇ゆえに信長に警戒され、二十一歳で散った神君の悲運の嫡男
徳川家康の長男。母は今川義元の姪にあたる築山殿(瀬名)。織田信長の長女・徳姫を正室に迎えて岡崎城主となった。若年より武勇に長け、長篠設楽原の合戦や遠江での武田勝頼との激戦において常に先陣を切って武功を重ね、三河武士団からも将来の名君として絶大な信望を集めていた。 しかしその軍才の鋭さと三河武士の強固な結束は、盟主である信長に強く警戒されることとなる。徳姫との不和や武田との内通疑惑を記した十二箇条の訴状が信長に届き、詰問を受けた使者・酒井忠次が適切に弁明できなかったことも災いして、信長から切腹を命じられた。天正7年(1579)、父・家康の断腸の命により遠江二俣城にてわずか二十一歳で自刃。介錯を命じられた服部半蔵が涙して刀を落とした逸話はあまりに痛切である。のちに関ヶ原合戦で苦戦した家康は「信康が生きていれば」と落涙したと伝えられる。
暗雲立ち込める時代に灯された知性の光——吉野源三郎『君たちはどう生きるか』
昭和12年、軍国主義の跫音が近づく暗い世相の中で刊行された教養小説の金字塔。コペル君と叔父さんの対話を通して問う、人間としての尊厳と社会科学的認識。
岩波文庫に収められている吉野源三郎氏の『君たちはどう生きるか』は、日中戦争の勃発した昭和十二年(1937年)、言論統制と軍国主義の嵐が吹き荒れる中で、次代を担う少年少女に向けて人間愛と自由の精神を託した不朽の名著である。 主人公の旧制中学生「コペル君」が日常の出来事から抱く疑問に対し、教養ある叔父さんがノートを通じて真摯に語りかける構成をとる。ニュートンの引力の発見から、銀座の雑踏を見下ろして気づいた「人間分子の関係(生産と消費の社会構造)」、そして過ちを犯したときの悔恨と勇気に至るまで、自らの頭で考え、社会の中でいかに誠実に生きるべきかという問いが丹念に深められていく。 編集長・木村蒹葭堂としても、時代の重圧に屈することなく、若者に向けて科学的認識と倫理的良心の灯火を掲げ続けた著者の強靭な知性に、深い敬服の念を禁じ得ない。文庫版の巻末に付された丸山真男の回想録「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」も、昭和初期の知識人たちの苦闘を伝える第一級の思想史証言である。 映画の公開を機に再び脚光を浴びた今、混迷の現代を生きる大人にとっても、自らの立ち位置を厳しく問い直すための生涯の伴侶となる一冊である。
暗雲立ち込める時代に灯された知性の光——吉野源三郎『君たちはどう生きるか』
昭和12年、軍国主義の跫音が近づく暗い世相の中で刊行された教養小説の金字塔。コペル君と叔父さんの対話を通して問う、人間としての尊厳と社会科学的認識。
岩波文庫に収められている吉野源三郎氏の『君たちはどう生きるか』は、日中戦争の勃発した昭和十二年(1937年)、言論統制と軍国主義の嵐が吹き荒れる中で、次代を担う少年少女に向けて人間愛と自由の精神を託した不朽の名著である。 主人公の旧制中学生「コペル君」が日常の出来事から抱く疑問に対し、教養ある叔父さんがノートを通じて真摯に語りかける構成をとる。ニュートンの引力の発見から、銀座の雑踏を見下ろして気づいた「人間分子の関係(生産と消費の社会構造)」、そして過ちを犯したときの悔恨と勇気に至るまで、自らの頭で考え、社会の中でいかに誠実に生きるべきかという問いが丹念に深められていく。 編集長・木村蒹葭堂としても、時代の重圧に屈することなく、若者に向けて科学的認識と倫理的良心の灯火を掲げ続けた著者の強靭な知性に、深い敬服の念を禁じ得ない。文庫版の巻末に付された丸山真男の回想録「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」も、昭和初期の知識人たちの苦闘を伝える第一級の思想史証言である。 映画の公開を機に再び脚光を浴びた今、混迷の現代を生きる大人にとっても、自らの立ち位置を厳しく問い直すための生涯の伴侶となる一冊である。
佐鳴湖の 岸辺に残る 露の身に 乱世を呪う 殿の叫びよ
─ 遠江の旅鴉 ─
佐鳴湖の 岸辺に残る 露の身に 乱世を呪う 殿の叫びよ
─ 遠江の旅鴉 ─
相川の 割戸仰ぎて 掘り出せし 小判の輝き 海を照らして
─ 相川の金掘り衆 ─
相川の 割戸仰ぎて 掘り出せし 小判の輝き 海を照らして
─ 相川の金掘り衆 ─
築山事件の胸引き裂かれるようなドラマ放映後は、しばらく胸中に冷たい風が吹き抜ける思いのまま過ごしました。京の街では四年ぶりに祇園祭の山鉾巡行が本来の熱気を取り戻し、一方で映画館の暗がりではジブリの新作『君たちはどう生きるか』を鑑賞して昭和初期の思想史に深く浸るなど、過去の様々な時代の記憶が万華鏡のように交錯した文月でした。酷暑の盛りを迎えますが、皆さまも歴史散歩や読書の折には十分な水分補給をお忘れなく、健やかにお過ごしください。
築山事件の胸引き裂かれるようなドラマ放映後は、しばらく胸中に冷たい風が吹き抜ける思いのまま過ごしました。京の街では四年ぶりに祇園祭の山鉾巡行が本来の熱気を取り戻し、一方で映画館の暗がりではジブリの新作『君たちはどう生きるか』を鑑賞して昭和初期の思想史に深く浸るなど、過去の様々な時代の記憶が万華鏡のように交錯した文月でした。酷暑の盛りを迎えますが、皆さまも歴史散歩や読書の折には十分な水分補給をお忘れなく、健やかにお過ごしください。