オベリベリに鍬を入れた男 ― 依田勉三、没後100年の掘り起こし
十勝開拓の先駆者・依田勉三が没後100年を越え、故郷の伊豆と帯広の両方で掘り起こされている。新たな史料1455点に子ども向けの読本、そして「偉大なる失敗者」という呼び名。十勝川を歩いた者の目でたどる。
オベリベリ。十勝川のほとり、アイヌの人々がそう呼んでいた土地に、伊豆から来た一団が鍬を入れたのは明治16年(1883)のことと聞く。わたしが六度目の蝦夷地調査で十勝の内陸を歩いたのは安政5年(1858)。あの土地に、四半世紀ののち畑を拓こうとする者が現れるとは、当時は思いもしなかった。 その一団「晩成社」を率いたのが依田勉三(1853〜1925)である。2025年12月に没後100年を迎えるのを前に、11月15日には故郷の静岡県松崎町で記念式典が開かれ、晩成社にかかわる史料など1455点が新たに見つかったとして、その目録が発表されたという。勉三をモデルにした創作講談も、この日が初披露だったそうだ。 帯広の側も負けていない。地元の書店が企画した子ども向けの『とかち開拓読本 依田勉三のあゆみ』が世に出て、2026年2月1日には著者の吉田政勝さんによる出版記念の講演会が、帯広のとかちプラザで開かれた。5月21日には、勉三が暮らし最期を迎えた晩成社事務所(依田農具店)跡の案内板の前で、帯広小学校の4年生35人が課外授業を受けていたらしい。 面白いのは、北海道新聞の連載が勉三に付けた呼び名である。「偉大なる失敗者」。晩成社の開墾は、入植した年から野火と蝗の大群、天候不順に見舞われる苦難続きで、「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠まれたほどの暮らしだったと伝わる。事業としては実を結ばなかったものも多いのに、その人がなぜ十勝の人々をつなぐ「統合の象徴」として求められてきたのか。連載はそこに目を向け、故郷の松崎町と帯広との交流が深まっていることにも触れている。 ひとつだけ、蝦夷地を歩いた者として書き添えておきたい。帯広という地名がアイヌ語の川の名に由来し、入植地がオベリベリと呼ばれていたように、勉三たちが入った十勝は、人の暮らしのない荒野ではなかった。百年目の掘り起こしが、勉三の苦労とあわせて、その土地にもとから暮らしていた人々のことを思い出す機会にもなってほしいと願う。
オベリベリに鍬を入れた男 ― 依田勉三、没後100年の掘り起こし
十勝開拓の先駆者・依田勉三が没後100年を越え、故郷の伊豆と帯広の両方で掘り起こされている。新たな史料1455点に子ども向けの読本、そして「偉大なる失敗者」という呼び名。十勝川を歩いた者の目でたどる。
オベリベリ。十勝川のほとり、アイヌの人々がそう呼んでいた土地に、伊豆から来た一団が鍬を入れたのは明治16年(1883)のことと聞く。わたしが六度目の蝦夷地調査で十勝の内陸を歩いたのは安政5年(1858)。あの土地に、四半世紀ののち畑を拓こうとする者が現れるとは、当時は思いもしなかった。 その一団「晩成社」を率いたのが依田勉三(1853〜1925)である。2025年12月に没後100年を迎えるのを前に、11月15日には故郷の静岡県松崎町で記念式典が開かれ、晩成社にかかわる史料など1455点が新たに見つかったとして、その目録が発表されたという。勉三をモデルにした創作講談も、この日が初披露だったそうだ。 帯広の側も負けていない。地元の書店が企画した子ども向けの『とかち開拓読本 依田勉三のあゆみ』が世に出て、2026年2月1日には著者の吉田政勝さんによる出版記念の講演会が、帯広のとかちプラザで開かれた。5月21日には、勉三が暮らし最期を迎えた晩成社事務所(依田農具店)跡の案内板の前で、帯広小学校の4年生35人が課外授業を受けていたらしい。 面白いのは、北海道新聞の連載が勉三に付けた呼び名である。「偉大なる失敗者」。晩成社の開墾は、入植した年から野火と蝗の大群、天候不順に見舞われる苦難続きで、「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠まれたほどの暮らしだったと伝わる。事業としては実を結ばなかったものも多いのに、その人がなぜ十勝の人々をつなぐ「統合の象徴」として求められてきたのか。連載はそこに目を向け、故郷の松崎町と帯広との交流が深まっていることにも触れている。 ひとつだけ、蝦夷地を歩いた者として書き添えておきたい。帯広という地名がアイヌ語の川の名に由来し、入植地がオベリベリと呼ばれていたように、勉三たちが入った十勝は、人の暮らしのない荒野ではなかった。百年目の掘り起こしが、勉三の苦労とあわせて、その土地にもとから暮らしていた人々のことを思い出す機会にもなってほしいと願う。
火を越えて、壁画にふたたび灯り ― 王塚古墳、秋の特別公開へ
福岡県桂川町の装飾古墳・王塚古墳の石室が、10月17・18日に特別公開される。資料館の火災で三度見送られた公開が、1年半ぶりに照明を一新して戻ってくる。遠賀川流域の古墳一斉公開も同じ2日間だ。
諸国の陵を訪ね歩き、墳丘の形を書き留めては「前方後円」と言い表した身として、白状しておかねばならないことがある。わたしは石室の壁を色で飾った古墳というものを、ついに知らずに終わった。筑前の王塚古墳は、昭和9年(1934)に見つかった6世紀の前方後円墳で、石室の壁のほぼ全面に騎馬像や武具、幾何学文様が描かれているという。国の特別史跡である。 石室の扉が開くのは、春と秋に2日ずつだけ。その公開が、この1年半ほど止まっていた。2025年4月、隣の王塚装飾古墳館から火が出て事務室が焼け、館は休館、直後の春の公開は中止になった。秋の公開も見送られ、地元の郷土史会は早い復旧を願って募金を呼びかけたそうだ。 館はその間も、かけらから復元した高さ1mの円筒埴輪を披露する支度を進め、2026年8月25日、1年4カ月ぶりに再び開館した。九州最大級というその埴輪をはじめ、初めて公開する資料が並んだという。そしてこの10月17・18日、いよいよ古墳の特別公開も戻ってくる。チラシによれば、壁画を照らす照明をLEDにして増やし、石室を支える柱も新しくしたとのこと。館では再開を記念して、画家の田中千智さんが王塚古墳を描いた作品の企画展も開かれている。 同じ2日間、遠賀川流域の5市4町も古墳や横穴墓をそろって公開する。人物や龍を描いた宮若市の竹原古墳、70基以上の横穴墓が確かめられた直方市の水町遺跡群、九州最大級の横穴墓群という福智町の城山横穴群など、各地で文化財担当の職員が現地で解説するそうだ。 わたしは陵の荒れようを嘆きながら歩いたものだが、火に遭った館を立て直し、壁画に新しい灯りをともして人を迎えようという土地の心意気には頭が下がる。墳丘の外形ばかりを測っていた者としては、その内側に色があったと聞くだけで、旅支度をしたくなるのである。
火を越えて、壁画にふたたび灯り ― 王塚古墳、秋の特別公開へ
福岡県桂川町の装飾古墳・王塚古墳の石室が、10月17・18日に特別公開される。資料館の火災で三度見送られた公開が、1年半ぶりに照明を一新して戻ってくる。遠賀川流域の古墳一斉公開も同じ2日間だ。
諸国の陵を訪ね歩き、墳丘の形を書き留めては「前方後円」と言い表した身として、白状しておかねばならないことがある。わたしは石室の壁を色で飾った古墳というものを、ついに知らずに終わった。筑前の王塚古墳は、昭和9年(1934)に見つかった6世紀の前方後円墳で、石室の壁のほぼ全面に騎馬像や武具、幾何学文様が描かれているという。国の特別史跡である。 石室の扉が開くのは、春と秋に2日ずつだけ。その公開が、この1年半ほど止まっていた。2025年4月、隣の王塚装飾古墳館から火が出て事務室が焼け、館は休館、直後の春の公開は中止になった。秋の公開も見送られ、地元の郷土史会は早い復旧を願って募金を呼びかけたそうだ。 館はその間も、かけらから復元した高さ1mの円筒埴輪を披露する支度を進め、2026年8月25日、1年4カ月ぶりに再び開館した。九州最大級というその埴輪をはじめ、初めて公開する資料が並んだという。そしてこの10月17・18日、いよいよ古墳の特別公開も戻ってくる。チラシによれば、壁画を照らす照明をLEDにして増やし、石室を支える柱も新しくしたとのこと。館では再開を記念して、画家の田中千智さんが王塚古墳を描いた作品の企画展も開かれている。 同じ2日間、遠賀川流域の5市4町も古墳や横穴墓をそろって公開する。人物や龍を描いた宮若市の竹原古墳、70基以上の横穴墓が確かめられた直方市の水町遺跡群、九州最大級の横穴墓群という福智町の城山横穴群など、各地で文化財担当の職員が現地で解説するそうだ。 わたしは陵の荒れようを嘆きながら歩いたものだが、火に遭った館を立て直し、壁画に新しい灯りをともして人を迎えようという土地の心意気には頭が下がる。墳丘の外形ばかりを測っていた者としては、その内側に色があったと聞くだけで、旅支度をしたくなるのである。
古都の迎賓館、重文の列へ ― 奈良ホテル本館と、明治・大正のホテルたち
明治42年開業の奈良ホテル本館が、国の重要文化財に指定される見通しとなった。営業を続けるホテル単独の建物としては全国初という。辰野金吾の和洋折衷を眺めつつ、各地の古いホテルにも杖を延ばしてみる。
菊の香や奈良には古き仏達。元禄7年(1694)の重陽に、わたしが奈良で詠んだ句である。三百年余りを経たその町で、明治生まれの宿が国の宝の列に加わるという。 10月16日、文化審議会が奈良ホテル本館(奈良市高畑町)を重要文化財に指定するよう答申した。所有するJR西日本によれば、ホテル単独の建物として今も営業している建造物が重文になるのは全国で初めてだそうだ。開業は明治42年(1909)10月17日。設計は辰野金吾と片岡安の辰野片岡建築事務所。 建物の見どころは、和と洋の混ぜ具合にある。吹き抜けのある大広間や大食堂を備え、両翼を中央から正面へ突き出した配置や縦に伸びる立面には西洋建築の手法と比例を取り入れつつ、軸組や内部の意匠は伝統的な木造建築を基調にしている。古都の景観に調和した和洋折衷という評価は、寺の屋根が連なる町に洋館を建てる難題への答えだったのだろう。19日には本館の内部が報道陣に公開された。「関西の迎賓館」と呼ばれ、皇族や国賓を迎えてきた宿で、アインシュタインやヘレン・ケラーも泊まったと伝わる。 「ホテル単独」という但し書きが気になって、少し道を逸れてみた。東京ステーションホテルは、重要文化財である東京駅丸の内駅舎の中で営業している。奈良ではこの6月25日、明治の監獄として重文になった旧奈良監獄が、星野リゾートの「星のや奈良監獄」(全48室)として開業した。どちらも重文の建物で泊まれる宿だが、ホテルとして建てられた建物がまるごと重文になるのは、奈良ホテルが初めてということになる。 奈良ホテルは、戦前創業のホテル9館がつくる「日本クラシックホテルの会」の一員でもある。日光金谷ホテル(1873年創業)、箱根の富士屋ホテル(1878年創業)、軽井沢の万平ホテル(1894年創業)はいずれも国の登録有形文化財で、ほかに横浜のホテルニューグランド、蒲郡クラシックホテル、雲仙観光ホテル、川奈ホテルが名を連ねる。登録と指定は格が違うが、奈良の一件はほかの宿を見直すきっかけにもなりそうだ。秋の奈良へ杖を向ける理由が、ひとつ増えた。
古都の迎賓館、重文の列へ ― 奈良ホテル本館と、明治・大正のホテルたち
明治42年開業の奈良ホテル本館が、国の重要文化財に指定される見通しとなった。営業を続けるホテル単独の建物としては全国初という。辰野金吾の和洋折衷を眺めつつ、各地の古いホテルにも杖を延ばしてみる。
菊の香や奈良には古き仏達。元禄7年(1694)の重陽に、わたしが奈良で詠んだ句である。三百年余りを経たその町で、明治生まれの宿が国の宝の列に加わるという。 10月16日、文化審議会が奈良ホテル本館(奈良市高畑町)を重要文化財に指定するよう答申した。所有するJR西日本によれば、ホテル単独の建物として今も営業している建造物が重文になるのは全国で初めてだそうだ。開業は明治42年(1909)10月17日。設計は辰野金吾と片岡安の辰野片岡建築事務所。 建物の見どころは、和と洋の混ぜ具合にある。吹き抜けのある大広間や大食堂を備え、両翼を中央から正面へ突き出した配置や縦に伸びる立面には西洋建築の手法と比例を取り入れつつ、軸組や内部の意匠は伝統的な木造建築を基調にしている。古都の景観に調和した和洋折衷という評価は、寺の屋根が連なる町に洋館を建てる難題への答えだったのだろう。19日には本館の内部が報道陣に公開された。「関西の迎賓館」と呼ばれ、皇族や国賓を迎えてきた宿で、アインシュタインやヘレン・ケラーも泊まったと伝わる。 「ホテル単独」という但し書きが気になって、少し道を逸れてみた。東京ステーションホテルは、重要文化財である東京駅丸の内駅舎の中で営業している。奈良ではこの6月25日、明治の監獄として重文になった旧奈良監獄が、星野リゾートの「星のや奈良監獄」(全48室)として開業した。どちらも重文の建物で泊まれる宿だが、ホテルとして建てられた建物がまるごと重文になるのは、奈良ホテルが初めてということになる。 奈良ホテルは、戦前創業のホテル9館がつくる「日本クラシックホテルの会」の一員でもある。日光金谷ホテル(1873年創業)、箱根の富士屋ホテル(1878年創業)、軽井沢の万平ホテル(1894年創業)はいずれも国の登録有形文化財で、ほかに横浜のホテルニューグランド、蒲郡クラシックホテル、雲仙観光ホテル、川奈ホテルが名を連ねる。登録と指定は格が違うが、奈良の一件はほかの宿を見直すきっかけにもなりそうだ。秋の奈良へ杖を向ける理由が、ひとつ増えた。
成富兵庫茂安
龍造寺・鍋島に仕えた武将にして、佐賀の川を治めた「治水の神様」
暴れ川の流れを、石を積んだ突堤でいったん受け止め、向きを変え、勢いを殺してから取り込む。佐賀の嘉瀬川に残る「石井樋(いしいび)」は、そんな仕掛けで城下へ水を引いた取水施設で、日本最古ともいわれる。造ったのが成富兵庫茂安(1560〜1634)である。 佐賀の生まれで、若くして龍造寺家に仕え、のち鍋島家に仕えた。戦国の世をくぐり抜けた武将でありながら、後半生の仕事はもっぱら川と水。慶長年間には嘉瀬川(当時の川上川)の改修に取り組み、元和年間に石井樋を築いて多布施川へ水を分け、佐賀城下と田畑を潤した。寛永年間には筑後川の千栗(ちりく)堤防を築き、吉野ヶ里町には蛤水道の名も残る。手がけた堤防・井樋・用水路・ため池は百数カ所にのぼるそうで、地元では「治水の神様」と呼ばれているらしい。 「象の鼻」「天狗の鼻」と名付けられた突堤など、名前を聞くだけで現物を見てみとうなる。かわら版で同じ肥前の海に眠る元寇船の話が出たついでに、陸の側で川と格闘し続けた肥前のお侍のことも、覚えておいてもらえたらと思う。
成富兵庫茂安
龍造寺・鍋島に仕えた武将にして、佐賀の川を治めた「治水の神様」
暴れ川の流れを、石を積んだ突堤でいったん受け止め、向きを変え、勢いを殺してから取り込む。佐賀の嘉瀬川に残る「石井樋(いしいび)」は、そんな仕掛けで城下へ水を引いた取水施設で、日本最古ともいわれる。造ったのが成富兵庫茂安(1560〜1634)である。 佐賀の生まれで、若くして龍造寺家に仕え、のち鍋島家に仕えた。戦国の世をくぐり抜けた武将でありながら、後半生の仕事はもっぱら川と水。慶長年間には嘉瀬川(当時の川上川)の改修に取り組み、元和年間に石井樋を築いて多布施川へ水を分け、佐賀城下と田畑を潤した。寛永年間には筑後川の千栗(ちりく)堤防を築き、吉野ヶ里町には蛤水道の名も残る。手がけた堤防・井樋・用水路・ため池は百数カ所にのぼるそうで、地元では「治水の神様」と呼ばれているらしい。 「象の鼻」「天狗の鼻」と名付けられた突堤など、名前を聞くだけで現物を見てみとうなる。かわら版で同じ肥前の海に眠る元寇船の話が出たついでに、陸の側で川と格闘し続けた肥前のお侍のことも、覚えておいてもらえたらと思う。
盗掘犯の物証からベニバナの花粉まで——『古墳探偵がゆく』
産経新聞夕刊の連載「THE 古墳」が一冊に。取材歴30年以上の記者が、高松塚から仁徳天皇陵まで、関西の名だたる古墳の知られざる秘話を足で集めた。
今号のかわら版にさきたま古墳公園の新しい愛称の話が出て、先月号では「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産決定のその後を特集した。古墳の話題が続くついでに、手元に置いておきたい一冊を挙げておく。産経新聞出版から9月28日に出た『古墳探偵がゆく~発掘現場のリアルすぎる秘話~』である。 版元の紹介によれば、もとは産経新聞夕刊の人気連載「THE 古墳」。文化財の取材歴30年以上という大阪本社の小畑三秋編集委員が、“足で稼ぐ”を信条に、関西各地の有名な墳墓の知られざる話を集めたものだという。紹介に並ぶ項目がまた細かい。高松塚古墳では、鎌倉時代に急増した盗掘犯が残した“動かぬ物証”。仁徳天皇陵古墳は戦時中に焼夷弾を300発以上浴びながら、なぜ燃えなかったのか。藤ノ木古墳では、大量のベニバナの花粉が1400年前の貴公子の暗殺時期を割り出した。太安萬侶の墓誌に残る毛筆の跡は、銘文を彫るための下書きだったのか、という話まであるらしい。 墳丘を外から眺めるだけでは分からん話ばかりで、四六判254ページと持ち歩きやすいのもありがたい。秋の古墳めぐりの予習に、まずはこの一冊を棚に並べておくのがよさそうや。
盗掘犯の物証からベニバナの花粉まで——『古墳探偵がゆく』
産経新聞夕刊の連載「THE 古墳」が一冊に。取材歴30年以上の記者が、高松塚から仁徳天皇陵まで、関西の名だたる古墳の知られざる秘話を足で集めた。
今号のかわら版にさきたま古墳公園の新しい愛称の話が出て、先月号では「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産決定のその後を特集した。古墳の話題が続くついでに、手元に置いておきたい一冊を挙げておく。産経新聞出版から9月28日に出た『古墳探偵がゆく~発掘現場のリアルすぎる秘話~』である。 版元の紹介によれば、もとは産経新聞夕刊の人気連載「THE 古墳」。文化財の取材歴30年以上という大阪本社の小畑三秋編集委員が、“足で稼ぐ”を信条に、関西各地の有名な墳墓の知られざる話を集めたものだという。紹介に並ぶ項目がまた細かい。高松塚古墳では、鎌倉時代に急増した盗掘犯が残した“動かぬ物証”。仁徳天皇陵古墳は戦時中に焼夷弾を300発以上浴びながら、なぜ燃えなかったのか。藤ノ木古墳では、大量のベニバナの花粉が1400年前の貴公子の暗殺時期を割り出した。太安萬侶の墓誌に残る毛筆の跡は、銘文を彫るための下書きだったのか、という話まであるらしい。 墳丘を外から眺めるだけでは分からん話ばかりで、四六判254ページと持ち歩きやすいのもありがたい。秋の古墳めぐりの予習に、まずはこの一冊を棚に並べておくのがよさそうや。
秋も深まり、各地から史跡や特別公開の便りが続々と届く季節となりました。今号では十勝開拓の依田勉三の掘り起こしに、1年半ぶりに石室が照らされる筑前の王塚古墳、さらに肥前の「治水の神様」成富兵庫茂安の足跡などを並べております。展示の秋らしく、奈良でのハンセン病回復者を追う写真展や、岡山藩と朝鮮通信使の絵図展、手元に置きたい『古墳探偵がゆく』まで、古今の人々の営みを多角的に集めました。大坂の書斎にて古書を開きつつ、読者の皆様とともに秋の歴史散歩を楽しめれば幸甚に存じます。(木村蒹葭堂)
秋も深まり、各地から史跡や特別公開の便りが続々と届く季節となりました。今号では十勝開拓の依田勉三の掘り起こしに、1年半ぶりに石室が照らされる筑前の王塚古墳、さらに肥前の「治水の神様」成富兵庫茂安の足跡などを並べております。展示の秋らしく、奈良でのハンセン病回復者を追う写真展や、岡山藩と朝鮮通信使の絵図展、手元に置きたい『古墳探偵がゆく』まで、古今の人々の営みを多角的に集めました。大坂の書斎にて古書を開きつつ、読者の皆様とともに秋の歴史散歩を楽しめれば幸甚に存じます。(木村蒹葭堂)
