「最後のバテレン」の骨は語るか——切支丹屋敷跡の人骨、新井白石が尋問したシドッチとみられると発表
文京区の切支丹屋敷跡で出た人骨の1体が、新井白石の尋問で知られる宣教師シドッチとみられると発表された。DNA、身長、葬られ方。三つの手がかりはどこまで確かなのか。
三百年前の尋問相手が、マンション工事の土の下から出てきた。4月4日、東京都文京区などは、小日向の「切支丹屋敷」跡で見つかった人骨の1体が、イタリア人宣教師ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ(シドッティとも)とみられると発表した。 切支丹屋敷は、島原の乱のあと、宗門改役・井上政重の下屋敷に牢を建てて宣教師らを収めたのが始まりとされる。シドッチは1708年、禁教下の屋久島に上陸して捕らえられ、翌1709年にここへ移された。尋問にあたったのが幕府の実力者で儒学者の新井白石で、4回にわたるやりとりから『西洋紀聞』『采覧異言』が生まれた。白石は本国への送還を進言したが退けられ、シドッチは1714年、47歳で屋敷内に没している。 発掘は2014年7月、マンション建設に先立つ調査だった。3基の墓から3体分の骨が出て、国立科学博物館などが分析を続けてきた。手がかりは三つある。ミトコンドリアDNAが現在のトスカーナ地方のイタリア人の型に入ること。中年男性で身長170センチ台と推定され、文献の「身長5尺8寸9分」(175.5〜178.5センチ)とほぼ合うこと。そして、棺の中に体を伸ばした形で葬られていたことだ。屋敷に収容された記録のあるイタリア人はもう一人、ジュゼッペ・キアラがいるが、こちらは84歳で亡くなり、火葬されたと伝わる。 さて、これで「シドッチの骨」と言い切ってよいのだろうか。DNAが示すのはあくまで系統であって、個人の名札ではない。身長も年齢も、文献の数字と矛盾しない、というところまでだ。発表が「可能性が高い」という言い方にとどめているのは誠実だろう。とはいえ、収容の記録、葬られ方、系統、体格がこれだけ噛み合えば、別人を想定するほうが無理筋でもある。調査に携わった早稲田大の谷川章雄教授は「外国人宣教師の遺骨の身元が分かるのは初めてではないか」と語っている。 残る2体は、シドッチの身の回りの世話をしていた日本人らと推測されるが、特定には至っていない。文京区は、イタリアから返還の申し出があれば対応を協議したいとしている。 白石が書き留めたのは、この男の言葉だった。骨の側から確かめられるのは、系統と体格と葬られ方までである。その間を埋めるのは、やはり『西洋紀聞』のような文献の仕事だろう。
「最後のバテレン」の骨は語るか——切支丹屋敷跡の人骨、新井白石が尋問したシドッチとみられると発表
文京区の切支丹屋敷跡で出た人骨の1体が、新井白石の尋問で知られる宣教師シドッチとみられると発表された。DNA、身長、葬られ方。三つの手がかりはどこまで確かなのか。
三百年前の尋問相手が、マンション工事の土の下から出てきた。4月4日、東京都文京区などは、小日向の「切支丹屋敷」跡で見つかった人骨の1体が、イタリア人宣教師ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ(シドッティとも)とみられると発表した。 切支丹屋敷は、島原の乱のあと、宗門改役・井上政重の下屋敷に牢を建てて宣教師らを収めたのが始まりとされる。シドッチは1708年、禁教下の屋久島に上陸して捕らえられ、翌1709年にここへ移された。尋問にあたったのが幕府の実力者で儒学者の新井白石で、4回にわたるやりとりから『西洋紀聞』『采覧異言』が生まれた。白石は本国への送還を進言したが退けられ、シドッチは1714年、47歳で屋敷内に没している。 発掘は2014年7月、マンション建設に先立つ調査だった。3基の墓から3体分の骨が出て、国立科学博物館などが分析を続けてきた。手がかりは三つある。ミトコンドリアDNAが現在のトスカーナ地方のイタリア人の型に入ること。中年男性で身長170センチ台と推定され、文献の「身長5尺8寸9分」(175.5〜178.5センチ)とほぼ合うこと。そして、棺の中に体を伸ばした形で葬られていたことだ。屋敷に収容された記録のあるイタリア人はもう一人、ジュゼッペ・キアラがいるが、こちらは84歳で亡くなり、火葬されたと伝わる。 さて、これで「シドッチの骨」と言い切ってよいのだろうか。DNAが示すのはあくまで系統であって、個人の名札ではない。身長も年齢も、文献の数字と矛盾しない、というところまでだ。発表が「可能性が高い」という言い方にとどめているのは誠実だろう。とはいえ、収容の記録、葬られ方、系統、体格がこれだけ噛み合えば、別人を想定するほうが無理筋でもある。調査に携わった早稲田大の谷川章雄教授は「外国人宣教師の遺骨の身元が分かるのは初めてではないか」と語っている。 残る2体は、シドッチの身の回りの世話をしていた日本人らと推測されるが、特定には至っていない。文京区は、イタリアから返還の申し出があれば対応を協議したいとしている。 白石が書き留めたのは、この男の言葉だった。骨の側から確かめられるのは、系統と体格と葬られ方までである。その間を埋めるのは、やはり『西洋紀聞』のような文献の仕事だろう。
熊本地震で熊本城が被災。石垣崩落、重要文化財の櫓も倒壊——四百年の城を直す長い道のり
4月の熊本地震で、熊本城は石垣が崩れ、国の重要文化財の長塀や櫓が倒れた。阿蘇神社の楼門など、県内の文化財の被害も広がっている。城はどう直されていくのか。
まず、この度の地震で亡くなられた方々に哀悼の意を表し、被災されたすべての方にお見舞いを申し上げたい。 4月14日の夜、熊本を大きな揺れが襲った。NHKの記事によれば、熊本市中央区の熊本城では、国の重要文化財の長塀がおよそ100メートルにわたって倒れ、優美な反りで知られる石垣も6か所以上で崩れた。天守の屋根からは、しゃちほこが消えていたという。 16日未明には、さらに大きな揺れが来た。朝日新聞によれば、城の東側にある東十八間櫓と北十八間櫓が倒壊した。どちらも築城当初から残る、国の重要文化財である。一方で、西南戦争の戦火も越えてきた宇土櫓は持ちこたえ、ネットでは加藤清正の築城技術をたたえる声が上がったそうだ。スポニチの記事によれば、阿蘇市の阿蘇神社でも、国の重要文化財の楼門が倒れた。 被害はなお広がっている。くまにちコムによれば、21日までに県内の国の文化財301件のうち45件が、倒壊や崩落、亀裂などの被害を受けた。22日に熊本城を視察した文化庁は、城内の重要文化財13か所すべてで被害を確かめ、担当者は「熊本城の修理としては過去最大規模になる」と語っている。 朝日新聞の記事では、市熊本城総合事務所の所長が「10年か20年か」と、復旧にかかる年月の長さを口にしている。頼りになるのは、先に被災した城の経験だ。読売新聞によれば、東日本大震災で石垣が崩れた福島県白河市の小峰城から、修復のノウハウが提供されることになった。くまにちコムは、石垣を元どおりに積み直すカギは「図面と技術者」だと伝えている。 崩れた石の一つひとつにも、それを積んだ人の手の跡が残っている。四百年前に人が積んだものは、人がまた積み直すほかない。道のりは長いが、いつの日か、あの反りのある石垣の下をふたたび歩ける日を待ちたい。
熊本地震で熊本城が被災。石垣崩落、重要文化財の櫓も倒壊——四百年の城を直す長い道のり
4月の熊本地震で、熊本城は石垣が崩れ、国の重要文化財の長塀や櫓が倒れた。阿蘇神社の楼門など、県内の文化財の被害も広がっている。城はどう直されていくのか。
まず、この度の地震で亡くなられた方々に哀悼の意を表し、被災されたすべての方にお見舞いを申し上げたい。 4月14日の夜、熊本を大きな揺れが襲った。NHKの記事によれば、熊本市中央区の熊本城では、国の重要文化財の長塀がおよそ100メートルにわたって倒れ、優美な反りで知られる石垣も6か所以上で崩れた。天守の屋根からは、しゃちほこが消えていたという。 16日未明には、さらに大きな揺れが来た。朝日新聞によれば、城の東側にある東十八間櫓と北十八間櫓が倒壊した。どちらも築城当初から残る、国の重要文化財である。一方で、西南戦争の戦火も越えてきた宇土櫓は持ちこたえ、ネットでは加藤清正の築城技術をたたえる声が上がったそうだ。スポニチの記事によれば、阿蘇市の阿蘇神社でも、国の重要文化財の楼門が倒れた。 被害はなお広がっている。くまにちコムによれば、21日までに県内の国の文化財301件のうち45件が、倒壊や崩落、亀裂などの被害を受けた。22日に熊本城を視察した文化庁は、城内の重要文化財13か所すべてで被害を確かめ、担当者は「熊本城の修理としては過去最大規模になる」と語っている。 朝日新聞の記事では、市熊本城総合事務所の所長が「10年か20年か」と、復旧にかかる年月の長さを口にしている。頼りになるのは、先に被災した城の経験だ。読売新聞によれば、東日本大震災で石垣が崩れた福島県白河市の小峰城から、修復のノウハウが提供されることになった。くまにちコムは、石垣を元どおりに積み直すカギは「図面と技術者」だと伝えている。 崩れた石の一つひとつにも、それを積んだ人の手の跡が残っている。四百年前に人が積んだものは、人がまた積み直すほかない。道のりは長いが、いつの日か、あの反りのある石垣の下をふたたび歩ける日を待ちたい。
生誕300年の「若冲展」が上野で開幕。「動植綵絵」30幅が一堂に、80年ぶりの「孔雀鳳凰図」も
伊藤若冲の生誕300年を記念する「若冲展」が、4月22日に東京都美術館で始まった。代表作約80点に、昨年見つかったばかりの「孔雀鳳凰図」も並ぶ。
鶏の羽根一枚、魚の鱗一枚まで、よくもまあここまで描き込んだものだ。京の青物問屋の主から絵師になった伊藤若冲(1716〜1800年)の生誕300年を記念する「若冲展」が、4月22日に東京・上野の東京都美術館で開幕した。 日本経済新聞によれば、会場には初期から晩年までの代表作約80点が集まった。目玉は、代表作「動植綵絵」30幅と「釈迦三尊像」3幅が一つの部屋に並ぶ展示だろう。若冲がもともと京都の相国寺に寄進した一揃いで、ニュースウォーカーの記事は、これを「奇跡の展示空間」と呼んでいる。 もう一つの話題が「孔雀鳳凰図」だ。NHKによれば、昨年およそ80年ぶりに見つかった双幅で、開幕を前に関係者に公開された。白い孔雀の羽の細やかさは、写真で見るだけでも息をのむ。会期は5月24日まで。28日には秋篠宮ご夫妻も会場を訪れている。 若冲と同じ時代の上方では、ほかにも花鳥画に新しい風が吹いていた。毎日新聞は、長崎出身の画家・鶴亭(1722〜85年)の初めての回顧展「我が名は鶴亭」を取り上げている。中国由来のめでたい花鳥画で上方に新風を起こし、若冲や池大雅にも影響を与えた人物だ。実はわたしも子どもの時分、鶴亭さんに花鳥画の手ほどきを受けたことがある。ほんまに懐かしい名前を新聞で見かけて、思わず背筋が伸びた。 若冲の一枚をもし手元に置けるなら、蔵の品と引き換えにしても惜しくない。とはいえ、それは夢のまた夢。上野の長い行列に並んで、せめて目に焼き付けてくるとしよう。
生誕300年の「若冲展」が上野で開幕。「動植綵絵」30幅が一堂に、80年ぶりの「孔雀鳳凰図」も
伊藤若冲の生誕300年を記念する「若冲展」が、4月22日に東京都美術館で始まった。代表作約80点に、昨年見つかったばかりの「孔雀鳳凰図」も並ぶ。
鶏の羽根一枚、魚の鱗一枚まで、よくもまあここまで描き込んだものだ。京の青物問屋の主から絵師になった伊藤若冲(1716〜1800年)の生誕300年を記念する「若冲展」が、4月22日に東京・上野の東京都美術館で開幕した。 日本経済新聞によれば、会場には初期から晩年までの代表作約80点が集まった。目玉は、代表作「動植綵絵」30幅と「釈迦三尊像」3幅が一つの部屋に並ぶ展示だろう。若冲がもともと京都の相国寺に寄進した一揃いで、ニュースウォーカーの記事は、これを「奇跡の展示空間」と呼んでいる。 もう一つの話題が「孔雀鳳凰図」だ。NHKによれば、昨年およそ80年ぶりに見つかった双幅で、開幕を前に関係者に公開された。白い孔雀の羽の細やかさは、写真で見るだけでも息をのむ。会期は5月24日まで。28日には秋篠宮ご夫妻も会場を訪れている。 若冲と同じ時代の上方では、ほかにも花鳥画に新しい風が吹いていた。毎日新聞は、長崎出身の画家・鶴亭(1722〜85年)の初めての回顧展「我が名は鶴亭」を取り上げている。中国由来のめでたい花鳥画で上方に新風を起こし、若冲や池大雅にも影響を与えた人物だ。実はわたしも子どもの時分、鶴亭さんに花鳥画の手ほどきを受けたことがある。ほんまに懐かしい名前を新聞で見かけて、思わず背筋が伸びた。 若冲の一枚をもし手元に置けるなら、蔵の品と引き換えにしても惜しくない。とはいえ、それは夢のまた夢。上野の長い行列に並んで、せめて目に焼き付けてくるとしよう。
大河『真田丸』で信州も大坂も大にぎわい。線香に五月人形、上野の特別展まで、真田人気のそろばん勘定
大河ドラマ『真田丸』の人気で、ゆかりの地にも商いの現場にも真田の旗が立っている。アンズの線香、幸村の五月人形、東京の特別展。ブームの広がりを、そろばん片手にのぞいてみる。
六文銭は、三途の川の渡し賃だという。死を覚悟した旗印が、四百年後にこれほど人を呼び、銭を回すとは、真田の殿様も思わなかったろう。 堺雅人さんが真田信繁を演じる大河ドラマ『真田丸』は好調だ。信濃毎日新聞によれば、長野県内では官民の周遊スタンプラリーが始まるなど、観光客を呼び込む動きが広がっている。川中島の八幡原史跡公園にも、信玄と謙信の一騎打ちの像の前で写真を撮る人が絶えないという。 商売のほうも抜かりがない。高崎経済新聞によれば、前橋市のお香専門店「日野屋」では、アンズの香りの線香「真田丸」が売れている。真田氏ゆかりの長野県千曲市にアンズの林が広がることにちなんだ品で、見出しによれば前年の大河『花燃ゆ』にちなんだ品より売れているらしい。大坂の松屋町では、産経新聞によれば、端午の節句を前に真田幸村モデルの五月人形が並んだ。人形の町が、大坂の陣の主役を放っておくはずがない。 展示も花盛りだ。西日本新聞によれば、東京・渋谷のNHKスタジオパークでは、撮影で使った衣装や小道具を並べる「大河ドラマ『真田丸』の世界展」が開かれている。4月29日からは、江戸東京博物館で特別展「真田丸」が始まった。NHKによれば、信繁が愛用した品など144件が並び、まんたんWEBによれば、信繁所有と伝わる兜も見られるという。 学問の世界も負けていない。朝日新聞は、大坂冬の陣で信繁が築いた出城「真田丸」を、地中レーダーで探る調査を取り上げている。絵図では半円形に描かれることの多いこの出城、実は四角だったのではないか、というのだ。 ドラマが当たれば、地元も商店も博物館も潤う。それ自体は結構なことや。ただ、ブームは大河の放送とともに去るのが世の常でもある。年が明けても客足を保てるか。本当の勝負はそこからだろう。
大河『真田丸』で信州も大坂も大にぎわい。線香に五月人形、上野の特別展まで、真田人気のそろばん勘定
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六文銭 渡し賃ほど 安からず 線香人形 ついでに兜
─ 上田の杏売り ─
六文銭 渡し賃ほど 安からず 線香人形 ついでに兜
─ 上田の杏売り ─
2016年4月号をお届けします。今月は、どうしても熊本の話から始めなあきません。地震で熊本城の石垣が崩れ、櫓が倒れた様子を知らせる記事を、芭蕉翁が一つひとつ拾い上げてまとめてくれました。被災された皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。 小日向の切支丹屋敷跡からは、新井白石が問いただした宣教師シドッチの骨かもしれない人骨が出ました。秋成はんは例によって「それで言い切ってよいのか」と一歩引いております。上野では生誕300年の若冲展が開幕。わたしは子どもの時分の師匠・鶴亭さんの名前を新聞に見つけて、それだけで一日そわそわしておりました。西鶴はんは真田丸ブームの勘定に余念がありません。 直すにも、確かめるにも、長い時間がかかる話が多い月でした。慌てずに、ひとつずつ見届けていきたいと思います。
2016年4月号をお届けします。今月は、どうしても熊本の話から始めなあきません。地震で熊本城の石垣が崩れ、櫓が倒れた様子を知らせる記事を、芭蕉翁が一つひとつ拾い上げてまとめてくれました。被災された皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。 小日向の切支丹屋敷跡からは、新井白石が問いただした宣教師シドッチの骨かもしれない人骨が出ました。秋成はんは例によって「それで言い切ってよいのか」と一歩引いております。上野では生誕300年の若冲展が開幕。わたしは子どもの時分の師匠・鶴亭さんの名前を新聞に見つけて、それだけで一日そわそわしておりました。西鶴はんは真田丸ブームの勘定に余念がありません。 直すにも、確かめるにも、長い時間がかかる話が多い月でした。慌てずに、ひとつずつ見届けていきたいと思います。