漱石が「電話のかけ方」を先輩に尋ねていた。没後100年の年、我孫子で未公表の書簡2通が見つかる
没後100年を迎えた夏目漱石が、東京朝日新聞の先輩・杉村楚人冠に宛てた未公表の手紙2通が、千葉県我孫子市で見つかった。電話のかけ方を尋ねる文豪の素顔がのぞく。
あの漱石が、電話の前でまごついていた。千葉日報や日本経済新聞によれば、千葉県我孫子市は8月29日、夏目漱石(1867〜1916)が、勤め先の東京朝日新聞社の先輩だったジャーナリスト・杉村楚人冠に宛てた未公表の手紙2通を見つけたと発表した。その中で漱石は、電話の使い方を楚人冠に問い合わせているという。NHKも、当時まだ珍しかった電話のかけ方に戸惑う様子がうかがえると伝えている。 もう一通には、苦い事情もにじむ。朝日新聞によれば、漱石が東京朝日に作った「文芸欄」が社内の対立で廃止され、出社しなくなった後、心配する楚人冠に宛てて「社へ出ぬ事は無精にて怒つてるにあらず」と書いている。怒っているわけではない、と言いながら、この言い訳の丁寧さがかえって本音を語っているようで面白い。千葉日報によれば、書簡は10月に公開される予定だ。 今年は漱石の没後100年にあたる。産経新聞によれば、命日の12月9日に向けて、各出版社が解説本や講演録を相次いで出し、ゆかりの地でも記念行事が予定されている。一方で寂しい知らせもある。日本経済新聞(共同通信)によれば、漱石の英国留学に関する資料を展示してきたロンドンの「ロンドン漱石記念館」が、この9月で閉館することになった。32年にわたり手弁当で運営してきた恒松郁生さんが明らかにしたという。読売新聞によれば、恒松さんは約40年前に東京で手に入れた、漱石の直筆とされる短冊を熊本県玉名市に寄贈している。 書簡の一枚、短冊の一枚に、人の暮らしと心の動きが残る。だからこそ、紙の品は手放さずに伝えていきたい。手紙の文字をこの目で見られる日を、今から楽しみにしとります。
漱石が「電話のかけ方」を先輩に尋ねていた。没後100年の年、我孫子で未公表の書簡2通が見つかる
没後100年を迎えた夏目漱石が、東京朝日新聞の先輩・杉村楚人冠に宛てた未公表の手紙2通が、千葉県我孫子市で見つかった。電話のかけ方を尋ねる文豪の素顔がのぞく。
あの漱石が、電話の前でまごついていた。千葉日報や日本経済新聞によれば、千葉県我孫子市は8月29日、夏目漱石(1867〜1916)が、勤め先の東京朝日新聞社の先輩だったジャーナリスト・杉村楚人冠に宛てた未公表の手紙2通を見つけたと発表した。その中で漱石は、電話の使い方を楚人冠に問い合わせているという。NHKも、当時まだ珍しかった電話のかけ方に戸惑う様子がうかがえると伝えている。 もう一通には、苦い事情もにじむ。朝日新聞によれば、漱石が東京朝日に作った「文芸欄」が社内の対立で廃止され、出社しなくなった後、心配する楚人冠に宛てて「社へ出ぬ事は無精にて怒つてるにあらず」と書いている。怒っているわけではない、と言いながら、この言い訳の丁寧さがかえって本音を語っているようで面白い。千葉日報によれば、書簡は10月に公開される予定だ。 今年は漱石の没後100年にあたる。産経新聞によれば、命日の12月9日に向けて、各出版社が解説本や講演録を相次いで出し、ゆかりの地でも記念行事が予定されている。一方で寂しい知らせもある。日本経済新聞(共同通信)によれば、漱石の英国留学に関する資料を展示してきたロンドンの「ロンドン漱石記念館」が、この9月で閉館することになった。32年にわたり手弁当で運営してきた恒松郁生さんが明らかにしたという。読売新聞によれば、恒松さんは約40年前に東京で手に入れた、漱石の直筆とされる短冊を熊本県玉名市に寄贈している。 書簡の一枚、短冊の一枚に、人の暮らしと心の動きが残る。だからこそ、紙の品は手放さずに伝えていきたい。手紙の文字をこの目で見られる日を、今から楽しみにしとります。
天正遣欧少年使節を描いたフレスコ画、ローマの法王の子孫宅で発見。千々石ミゲルの墓でも墓穴らしき反応
1585年にローマ法王グレゴリウス13世に謁見した天正遣欧少年使節の姿を描いたとみられるフレスコ画が、ローマにある法王の子孫の邸宅で見つかった。長崎では使節の一人、千々石ミゲルの墓の調査も進む。
四百年以上、天井裏で眠っていた絵である。朝日新聞や佐賀新聞(共同通信)によれば、九州のキリシタン大名が16世紀後半にローマへ送った天正遣欧少年使節が、1585年に当時のローマ法王グレゴリウス13世に謁見した様子を描いたとみられるフレスコ画が、ローマにある同法王の子孫の邸宅で見つかった。 使節は、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として1582年に長崎を出た伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4人の少年である。ローマで法王に会ったことは、日本側・ヨーロッパ側の記録に残る。それが絵として残っていたとなれば、確かに大きな発見だ。 ただし、一歩引いて見ておきたい。絵に描かれた人物が使節その人であると、何をもって確かめるのか。服装、構図、邸宅の来歴、描かれた時期。記事が伝えるのは発見の第一報であって、今後の研究で詰めるべき点は多いはずだ。「見つかった」という見出しと、「確かめられた」という結論とのあいだには、まだ距離がある。 日本側でも調査が進む。長崎新聞によれば、使節の一人・千々石ミゲルの墓とみられる長崎県諫早市多良見町の墓石の周りを地中レーダーで探ったところ、遺体を埋めた墓穴とみられる反応が確認された。9月から発掘する予定だという。ミゲルは帰国後に信仰を捨てたと伝わる人物で、その墓からどんな手がかりが出るのかも気になるところだ。 ローマの天井と、諫早の土の下。遠く離れた二か所から、同じ少年たちの足跡が浮かび上がろうとしている。答えを急がず、続報を待ちたい。
天正遣欧少年使節を描いたフレスコ画、ローマの法王の子孫宅で発見。千々石ミゲルの墓でも墓穴らしき反応
1585年にローマ法王グレゴリウス13世に謁見した天正遣欧少年使節の姿を描いたとみられるフレスコ画が、ローマにある法王の子孫の邸宅で見つかった。長崎では使節の一人、千々石ミゲルの墓の調査も進む。
四百年以上、天井裏で眠っていた絵である。朝日新聞や佐賀新聞(共同通信)によれば、九州のキリシタン大名が16世紀後半にローマへ送った天正遣欧少年使節が、1585年に当時のローマ法王グレゴリウス13世に謁見した様子を描いたとみられるフレスコ画が、ローマにある同法王の子孫の邸宅で見つかった。 使節は、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代として1582年に長崎を出た伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4人の少年である。ローマで法王に会ったことは、日本側・ヨーロッパ側の記録に残る。それが絵として残っていたとなれば、確かに大きな発見だ。 ただし、一歩引いて見ておきたい。絵に描かれた人物が使節その人であると、何をもって確かめるのか。服装、構図、邸宅の来歴、描かれた時期。記事が伝えるのは発見の第一報であって、今後の研究で詰めるべき点は多いはずだ。「見つかった」という見出しと、「確かめられた」という結論とのあいだには、まだ距離がある。 日本側でも調査が進む。長崎新聞によれば、使節の一人・千々石ミゲルの墓とみられる長崎県諫早市多良見町の墓石の周りを地中レーダーで探ったところ、遺体を埋めた墓穴とみられる反応が確認された。9月から発掘する予定だという。ミゲルは帰国後に信仰を捨てたと伝わる人物で、その墓からどんな手がかりが出るのかも気になるところだ。 ローマの天井と、諫早の土の下。遠く離れた二か所から、同じ少年たちの足跡が浮かび上がろうとしている。答えを急がず、続報を待ちたい。
八王子の盆踊りが2130人でギネス記録、道頓堀の記録は一年で抜かれた。盆踊りの今を勘定する
東京・八王子で2130人の盆踊りがギネス世界記録に認定された。前の記録は去年の大阪・道頓堀。記録争いの一方で、やぐらが消える町や、25年ぶりに踊りが戻った町もある。
大坂の記録が、たった一年で抜かれてしもうた。朝日新聞によれば、東京都八王子市で8月6日、世界で最も多い人数で踊る盆踊りのギネス記録に市民らが挑み、2130人で新記録を達成した。前の記録は、去年の夏に大阪・道頓堀で2025人が踊ったものだった。産経新聞によれば、大阪府泉佐野市でも同じ記録に挑んだが、こちらは達成できなかったという。記録は逃しても、300年の歴史があるとされる「佐野踊り」を幅広い世代で楽しんだそうだから、損をしたわけではない。 盆踊りには、記録よりも長い歴史を持つものが多い。産経新聞によれば、大分県姫島村の姫島盆踊りは鎌倉時代の念仏踊りが起源とされ、平成24年(2012年)に国の選択無形民俗文化財になった。愛らしい「キツネ踊り」のほか、地区ごとに40種類もの踊りが受け継がれているという。 とはいえ、明るい話ばかりではない。NHKによれば、住民の高齢化や住宅事情の変化で、盆踊りの開催そのものが難しくなり、町内会の盆踊りからやぐらが消えつつあるという。一方、中日新聞によれば、滋賀県野洲市の大篠原街道町では、定年退職した住民有志が集まって、25年ぶりに盆踊りを復活させた。江州音頭の軽快な調子に合わせて、会場に笑顔が広がったそうだ。 わしに言わせれば、盆踊りは町の元気を測るそろばんのようなもんや。人が集まれば屋台が出て、屋台が出れば銭が回る。やぐら一つ立てるのにも手間と銭がかかるが、それで町がひと晩にぎわうなら安いもの。ギネスの記録より、来年も踊りの輪が続くかどうか。そっちのほうが、よっぽど大事な勘定やで。
八王子の盆踊りが2130人でギネス記録、道頓堀の記録は一年で抜かれた。盆踊りの今を勘定する
東京・八王子で2130人の盆踊りがギネス世界記録に認定された。前の記録は去年の大阪・道頓堀。記録争いの一方で、やぐらが消える町や、25年ぶりに踊りが戻った町もある。
大坂の記録が、たった一年で抜かれてしもうた。朝日新聞によれば、東京都八王子市で8月6日、世界で最も多い人数で踊る盆踊りのギネス記録に市民らが挑み、2130人で新記録を達成した。前の記録は、去年の夏に大阪・道頓堀で2025人が踊ったものだった。産経新聞によれば、大阪府泉佐野市でも同じ記録に挑んだが、こちらは達成できなかったという。記録は逃しても、300年の歴史があるとされる「佐野踊り」を幅広い世代で楽しんだそうだから、損をしたわけではない。 盆踊りには、記録よりも長い歴史を持つものが多い。産経新聞によれば、大分県姫島村の姫島盆踊りは鎌倉時代の念仏踊りが起源とされ、平成24年(2012年)に国の選択無形民俗文化財になった。愛らしい「キツネ踊り」のほか、地区ごとに40種類もの踊りが受け継がれているという。 とはいえ、明るい話ばかりではない。NHKによれば、住民の高齢化や住宅事情の変化で、盆踊りの開催そのものが難しくなり、町内会の盆踊りからやぐらが消えつつあるという。一方、中日新聞によれば、滋賀県野洲市の大篠原街道町では、定年退職した住民有志が集まって、25年ぶりに盆踊りを復活させた。江州音頭の軽快な調子に合わせて、会場に笑顔が広がったそうだ。 わしに言わせれば、盆踊りは町の元気を測るそろばんのようなもんや。人が集まれば屋台が出て、屋台が出れば銭が回る。やぐら一つ立てるのにも手間と銭がかかるが、それで町がひと晩にぎわうなら安いもの。ギネスの記録より、来年も踊りの輪が続くかどうか。そっちのほうが、よっぽど大事な勘定やで。
去年の夏 浪花で決めた 世界一 八王子にて 盆と散りけり
─ 道頓堀の踊り残り ─
去年の夏 浪花で決めた 世界一 八王子にて 盆と散りけり
─ 道頓堀の踊り残り ─
2016年8月号をお届けします。今月の目玉は、没後100年の夏目漱石が先輩の杉村楚人冠に宛てた未公表の手紙です。あの漱石が電話のかけ方を尋ねていたと知って、紙の手紙を大事にしてきた身としては、なんやほっとする話でした。 秋成はんはローマで見つかった天正遣欧少年使節のフレスコ画に「見つかった、と、確かめられた、は違う」と釘を刺し、西鶴はんは八王子の盆踊りに道頓堀の記録を抜かれて、ちょっと悔しそうに勘定をはじいております。 かわら版には、金閣寺の幻の七重塔の破片、真田信繁の娘・阿梅の入れ歯、氷川丸の重要文化財指定などを並べました。盆の送り火を眺めつつ、残りの夏もぼちぼち過ごしていきます。
2016年8月号をお届けします。今月の目玉は、没後100年の夏目漱石が先輩の杉村楚人冠に宛てた未公表の手紙です。あの漱石が電話のかけ方を尋ねていたと知って、紙の手紙を大事にしてきた身としては、なんやほっとする話でした。 秋成はんはローマで見つかった天正遣欧少年使節のフレスコ画に「見つかった、と、確かめられた、は違う」と釘を刺し、西鶴はんは八王子の盆踊りに道頓堀の記録を抜かれて、ちょっと悔しそうに勘定をはじいております。 かわら版には、金閣寺の幻の七重塔の破片、真田信繁の娘・阿梅の入れ歯、氷川丸の重要文化財指定などを並べました。盆の送り火を眺めつつ、残りの夏もぼちぼち過ごしていきます。