大政奉還から150年、京都で記念シンポ。徳川・山内両家の当主が登壇、「山内容堂、実は古風」の声も
1867年の大政奉還から150年。京都市で記念のシンポジウムが開かれ、徳川宗家と土佐山内家の当主が並んで語った。「平和な政権返上」という通説は、どこまでそのとおりなのか。
慶応3年(1867年)、最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返した大政奉還から、今年で150年になる。朝日新聞によれば、1月22日、京都市中京区で記念のシンポジウムが開かれ、市民ら約400人が集まった。登壇したのは、徳川宗家18代当主の徳川恒孝さんと、土佐山内家19代当主の山内豊功さんだ。 産経新聞によれば、冒頭の講演で青山教授は、慶喜が政権を返す際に諸藩の代表を集めて了解を得ていたことを挙げ、大政奉還は「全国規模での出来事だった」と説明した。読売新聞も、大政奉還の2日前に慶喜が二条城に諸藩の重臣ら50人を集め、土佐藩から建白された案を示して意見を聞いたことを紹介している。朝日新聞によれば、山内さんは、大政奉還を建白した山内容堂が福井藩主・松平春嶽に宛てた書状で、大事に臨む心構えとして「閑」の字を挙げていたことを紹介したという。神戸新聞(共同通信)の見出しは、容堂を「実は古風」と伝えている。 ここで少し立ち止まりたい。大政奉還は、しばしば「血を流さずに政権を返した」美談として語られる。だが実際には、その翌年から鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争が起きている。政権を返した一幕は平和的でも、その後の道のりまで平和だったわけではない。産経新聞の連載「大政奉還を歩く」が、八月十八日の政変や蛤御門の変から薩長同盟へと続く主導権争いをたどっているのも、その前後の緊張を抜きにして大政奉還を語れないからだろう。 舞台となった二条城では、NHKによれば、大政奉還が発表された大広間のふすまが特別に公開されている。150年の節目に、美談を美談のままにせず、その前後を含めて見直す一年にしたい。
大政奉還から150年、京都で記念シンポ。徳川・山内両家の当主が登壇、「山内容堂、実は古風」の声も
1867年の大政奉還から150年。京都市で記念のシンポジウムが開かれ、徳川宗家と土佐山内家の当主が並んで語った。「平和な政権返上」という通説は、どこまでそのとおりなのか。
慶応3年(1867年)、最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返した大政奉還から、今年で150年になる。朝日新聞によれば、1月22日、京都市中京区で記念のシンポジウムが開かれ、市民ら約400人が集まった。登壇したのは、徳川宗家18代当主の徳川恒孝さんと、土佐山内家19代当主の山内豊功さんだ。 産経新聞によれば、冒頭の講演で青山教授は、慶喜が政権を返す際に諸藩の代表を集めて了解を得ていたことを挙げ、大政奉還は「全国規模での出来事だった」と説明した。読売新聞も、大政奉還の2日前に慶喜が二条城に諸藩の重臣ら50人を集め、土佐藩から建白された案を示して意見を聞いたことを紹介している。朝日新聞によれば、山内さんは、大政奉還を建白した山内容堂が福井藩主・松平春嶽に宛てた書状で、大事に臨む心構えとして「閑」の字を挙げていたことを紹介したという。神戸新聞(共同通信)の見出しは、容堂を「実は古風」と伝えている。 ここで少し立ち止まりたい。大政奉還は、しばしば「血を流さずに政権を返した」美談として語られる。だが実際には、その翌年から鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争が起きている。政権を返した一幕は平和的でも、その後の道のりまで平和だったわけではない。産経新聞の連載「大政奉還を歩く」が、八月十八日の政変や蛤御門の変から薩長同盟へと続く主導権争いをたどっているのも、その前後の緊張を抜きにして大政奉還を語れないからだろう。 舞台となった二条城では、NHKによれば、大政奉還が発表された大広間のふすまが特別に公開されている。150年の節目に、美談を美談のままにせず、その前後を含めて見直す一年にしたい。
地味な大乱の新書がまさかの30万部。『応仁の乱』ブームと、西陣の名が生まれて550年
呉座勇一さんの中公新書『応仁の乱』が、異例のベストセラーになっている。教科書では地味な扱いの大乱が、なぜ売れるのか。乱から生まれた西陣も、今年で550年の節目を迎えた。
地味な大乱が、なんと銭になった。日経ビジネスオンラインによれば、呉座勇一さんの新書『応仁の乱』(中央公論新社)が、昨年10月末の発売からぐんぐん部数を伸ばし、30万部を軽く超えたという。芥川賞や直木賞の受賞作でもなかなか届かない数字だそうだ。 何が受けたのか。J-CASTニュースによれば、この本は応仁の乱を、奈良の興福寺の塔頭・大乗院の門跡だった僧侶2人が書き残した日記をもとに、大和の国の政情からひもといている。教科書で習う「東軍と西軍の戦い」とは違う角度で、乱の中身に迫っているわけだ。ライブドアニュースによれば、読者からは「畠山義就が好きになった」といった声も寄せられているとのこと。登場人物が多すぎて分かりにくい、という乱の欠点が、逆に「推し」を見つける楽しみになっているのかもしれない。 もう一つ、応仁の乱から生まれた商いの話もある。京都新聞によれば、西陣という呼び名は、1467年に始まった応仁の乱で西軍の陣が置かれたことに由来する。今年は発祥から550年の節目で、京都では江戸期から昭和期の名品を並べた所蔵品展が開かれている。戦の陣地の名が、550年後には織物の名として世界に通じている。焼け野原からでも、商いは立ち上がるもんや。 本も織物も、地味なものほど長う売れる。ブームは一冬で終わっても、筋の良い品は残る。この新書がどこまで部数を伸ばすか。版元の勘定がうらやましい限りやで。
地味な大乱の新書がまさかの30万部。『応仁の乱』ブームと、西陣の名が生まれて550年
呉座勇一さんの中公新書『応仁の乱』が、異例のベストセラーになっている。教科書では地味な扱いの大乱が、なぜ売れるのか。乱から生まれた西陣も、今年で550年の節目を迎えた。
地味な大乱が、なんと銭になった。日経ビジネスオンラインによれば、呉座勇一さんの新書『応仁の乱』(中央公論新社)が、昨年10月末の発売からぐんぐん部数を伸ばし、30万部を軽く超えたという。芥川賞や直木賞の受賞作でもなかなか届かない数字だそうだ。 何が受けたのか。J-CASTニュースによれば、この本は応仁の乱を、奈良の興福寺の塔頭・大乗院の門跡だった僧侶2人が書き残した日記をもとに、大和の国の政情からひもといている。教科書で習う「東軍と西軍の戦い」とは違う角度で、乱の中身に迫っているわけだ。ライブドアニュースによれば、読者からは「畠山義就が好きになった」といった声も寄せられているとのこと。登場人物が多すぎて分かりにくい、という乱の欠点が、逆に「推し」を見つける楽しみになっているのかもしれない。 もう一つ、応仁の乱から生まれた商いの話もある。京都新聞によれば、西陣という呼び名は、1467年に始まった応仁の乱で西軍の陣が置かれたことに由来する。今年は発祥から550年の節目で、京都では江戸期から昭和期の名品を並べた所蔵品展が開かれている。戦の陣地の名が、550年後には織物の名として世界に通じている。焼け野原からでも、商いは立ち上がるもんや。 本も織物も、地味なものほど長う売れる。ブームは一冬で終わっても、筋の良い品は残る。この新書がどこまで部数を伸ばすか。版元の勘定がうらやましい限りやで。
大河『おんな城主 直虎』が始まる。史料の少ない「謎の女性」に、放送直前の男性説まで
2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』が1月8日に始まった。主人公の井伊直虎は、史料がほとんど残っていない人物だ。放送直前には「男性説」も飛び出し、話題に事欠かない。
今年の大河の主人公は、名前は知っていても中身はよく分からない、という人が多いのではないか。1月8日、柴咲コウさんが主演する大河ドラマ『おんな城主 直虎』が始まった。産経新聞によれば、井伊直虎は資料がほとんど残っていない「謎の女性」だ。柴咲さん自身も、よく知られていない人物だからこそ、逆に作り上げていける、と語っている。 そこへ放送直前に飛び込んだのが「男性説」である。アメーバニュースによれば、2016年12月、京都の井伊美術館の館長が、彦根藩の筆頭家老・木俣守安の聞き書きをまとめた記録の一冊『雑秘説写記』をもとに、直虎は男性だったとする説を発表した。一方、AERA dot.の対談で、直虎を小説に書いた安部龍太郎さんは、女性なのに直虎と名乗ったのは、井伊家の正統であることを内外に示すためだったのでは、と語っている。史料が少ないぶん、説が分かれるのも無理はない。 地元では、ゆかりの人たちの思いも熱い。産経新聞の地方版によれば、井伊家の菩提寺・龍潭寺の20代住職が、直虎への思いを語っている。面白いのは「直虎」の名をめぐる話だ。朝日新聞によれば、「直虎」の商標をめぐって、井伊直虎の地元・浜松市と、幕末の須坂藩主・堀直虎ゆかりの長野県須坂市との間で摩擦が起きた。ところがアットエスによれば、その後は両市の商工会議所が「直虎」を縁に交流を始めたという。同じ名の縁で手を結ぶとは、なかなか粋な落としどころや。 史料の少ない人物ほど、あれこれ想像する楽しみがある。知り合いの誰それに聞けば、きっとまた別の説が出てくるに違いない。一年かけて、ドラマと史料の両方を楽しませてもらうとしよう。
大河『おんな城主 直虎』が始まる。史料の少ない「謎の女性」に、放送直前の男性説まで
2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』が1月8日に始まった。主人公の井伊直虎は、史料がほとんど残っていない人物だ。放送直前には「男性説」も飛び出し、話題に事欠かない。
今年の大河の主人公は、名前は知っていても中身はよく分からない、という人が多いのではないか。1月8日、柴咲コウさんが主演する大河ドラマ『おんな城主 直虎』が始まった。産経新聞によれば、井伊直虎は資料がほとんど残っていない「謎の女性」だ。柴咲さん自身も、よく知られていない人物だからこそ、逆に作り上げていける、と語っている。 そこへ放送直前に飛び込んだのが「男性説」である。アメーバニュースによれば、2016年12月、京都の井伊美術館の館長が、彦根藩の筆頭家老・木俣守安の聞き書きをまとめた記録の一冊『雑秘説写記』をもとに、直虎は男性だったとする説を発表した。一方、AERA dot.の対談で、直虎を小説に書いた安部龍太郎さんは、女性なのに直虎と名乗ったのは、井伊家の正統であることを内外に示すためだったのでは、と語っている。史料が少ないぶん、説が分かれるのも無理はない。 地元では、ゆかりの人たちの思いも熱い。産経新聞の地方版によれば、井伊家の菩提寺・龍潭寺の20代住職が、直虎への思いを語っている。面白いのは「直虎」の名をめぐる話だ。朝日新聞によれば、「直虎」の商標をめぐって、井伊直虎の地元・浜松市と、幕末の須坂藩主・堀直虎ゆかりの長野県須坂市との間で摩擦が起きた。ところがアットエスによれば、その後は両市の商工会議所が「直虎」を縁に交流を始めたという。同じ名の縁で手を結ぶとは、なかなか粋な落としどころや。 史料の少ない人物ほど、あれこれ想像する楽しみがある。知り合いの誰それに聞けば、きっとまた別の説が出てくるに違いない。一年かけて、ドラマと史料の両方を楽しませてもらうとしよう。
スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』が公開。遠藤周作の原作は200万部、小説の舞台を歩く記事も
遠藤周作の小説『沈黙』を、マーティン・スコセッシ監督が映画にした『沈黙-サイレンス-』が1月21日に公開された。江戸初期のキリシタン弾圧を描いた原作にも、改めて光が当たっている。
踏むか、踏まぬか。江戸初期の長崎で、信仰と命のあいだに立たされた人々を描いた遠藤周作の小説『沈黙』が、海を渡って映画になった。マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』が、1月21日に日本で公開された。 佐賀新聞(共同通信)によれば、公開を前に東京で記者会見したスコセッシ監督は、日本の文化やキリシタンの勇気を損なうことのないよう、忠実に、誠意を持って、共感と慈悲の心で描こうと力を尽くした、と語った。日刊スポーツによれば、会見にはかくれキリシタンの帳方を務める村上茂則さんも招かれ、「先祖たちを思うと涙が出る」と話したという。 原作の小説も読まれている。日本経済新聞によれば、新潮社は、新潮文庫の『沈黙』の発行部数が累計200万部を超えたと発表した。映画の公開前に4万部を増刷したそうだ。琉球新報によれば、映画は米アカデミー賞の撮影賞にもノミネートされた。 産経新聞は、小説が世に出てから半世紀たった今、その舞台となった土地を歩き、「受け入れる」人間の弱さや、異文化との向き合い方を見つめ直す記事を載せている。記事を読みながら、長崎の海沿いの坂道と、冬の潮風を思い浮かべた。 旅の身ながら、長崎の外海のあたりにはまだ杖を向けたことがない。いつか、あの海を見下ろす丘に立って、祈りを守り通した人々のことを静かに思ってみたい。
スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』が公開。遠藤周作の原作は200万部、小説の舞台を歩く記事も
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応仁の 乱を買うたが 十一年 続いたごとく 読み終わらへん
─ 積読の足軽 ─
応仁の 乱を買うたが 十一年 続いたごとく 読み終わらへん
─ 積読の足軽 ─
2017年1月号をお届けします。明けましておめでとうございます。今年は大政奉還から150年。秋成はんは京都の記念シンポを取り上げつつ、「平和な政権返上」という美談にさっそく釘を刺しております。 新しい大河『おんな城主 直虎』は、わたしが担当しました。史料の少ない人物に、放送直前の男性説まで加わって、書きながらあれこれ想像がふくらみました。西鶴はんは新書『応仁の乱』の売れ行きに目を丸くし、芭蕉翁は映画『沈黙』の公開にあわせて、長崎の祈りの歴史に思いを寄せてくれています。 かわら版には、興福寺の仏頭の里帰り、藤沢周平の一茶の草稿、キトラ古墳の玄武の公開などを並べました。今年もぼちぼち、気になる話を拾い集めていきます。
2017年1月号をお届けします。明けましておめでとうございます。今年は大政奉還から150年。秋成はんは京都の記念シンポを取り上げつつ、「平和な政権返上」という美談にさっそく釘を刺しております。 新しい大河『おんな城主 直虎』は、わたしが担当しました。史料の少ない人物に、放送直前の男性説まで加わって、書きながらあれこれ想像がふくらみました。西鶴はんは新書『応仁の乱』の売れ行きに目を丸くし、芭蕉翁は映画『沈黙』の公開にあわせて、長崎の祈りの歴史に思いを寄せてくれています。 かわら版には、興福寺の仏頭の里帰り、藤沢周平の一茶の草稿、キトラ古墳の玄武の公開などを並べました。今年もぼちぼち、気になる話を拾い集めていきます。