山林の奥に、海の向こうの島に——潜伏キリシタンが守った信仰の村を訪ねる
長崎市の大籠町では、江戸時代に仏教徒を装って信仰を守った潜伏キリシタンの子孫が今も暮らす。佐賀県唐津市の馬渡島には、長崎から逃れた信徒が開いた「新村」がある。世界遺産への登録を目指す潜伏キリシタンの足跡を、二つの集落にたどる。
春の五島灘は、光がやわらかく海面に揺れている。その海に面して、うっそうとした山林が広がる長崎市の大籠町。長崎の中心部から長崎半島を南へ、車でおよそ40分の土地である。 毎日新聞によれば、この大籠町では江戸時代、仏教徒を装った「潜伏キリシタン」がひっそりと信仰を守ってきた。海岸沿いの県道から細い道を上った先に集落があり、今もその子孫たちが暮らしているという。禁教の時代、表向きは寺の檀家となり、家の奥では祈りを受け継ぐ。見つかれば命のない暮らしを、二百年以上も続けた人々がいたのだ。 一方、海を渡った佐賀県唐津市の馬渡島にも、潜伏キリシタンの足跡が残っている。西日本新聞によれば、長崎から逃れてきた信徒たちが、この島に「新村」を開いた。海沿いの道から15分ほどの坂道を上ると、森を切り開いたような一画に、真っ白な木造の教会が現れる。1885年の建築と推定される馬渡島教会で、長崎県平戸市の紐差教会の建物を、1929年ごろに移して建て直したものだという。 一つの教会が海を渡って、別の島で第二の生涯を送る。人も建物も、信仰を抱えて海を越えてきたわけである。 わたしの時代は、まさに禁教のさなかだった。旅の途中で、こうした村の前を知らずに通り過ぎていたのかもしれない。そう思うと、山道の一本、坂の一つが違って見えてくる。 長崎と天草地方の潜伏キリシタンにまつわる史跡は、いま世界遺産への登録を目指している。大きな教会や城跡に目が向きがちだが、その背後には、名もない人々が暮らしてきた山の集落や島の村がある。杖を止めて、その静けさに耳を澄ませたい。
山林の奥に、海の向こうの島に——潜伏キリシタンが守った信仰の村を訪ねる
長崎市の大籠町では、江戸時代に仏教徒を装って信仰を守った潜伏キリシタンの子孫が今も暮らす。佐賀県唐津市の馬渡島には、長崎から逃れた信徒が開いた「新村」がある。世界遺産への登録を目指す潜伏キリシタンの足跡を、二つの集落にたどる。
春の五島灘は、光がやわらかく海面に揺れている。その海に面して、うっそうとした山林が広がる長崎市の大籠町。長崎の中心部から長崎半島を南へ、車でおよそ40分の土地である。 毎日新聞によれば、この大籠町では江戸時代、仏教徒を装った「潜伏キリシタン」がひっそりと信仰を守ってきた。海岸沿いの県道から細い道を上った先に集落があり、今もその子孫たちが暮らしているという。禁教の時代、表向きは寺の檀家となり、家の奥では祈りを受け継ぐ。見つかれば命のない暮らしを、二百年以上も続けた人々がいたのだ。 一方、海を渡った佐賀県唐津市の馬渡島にも、潜伏キリシタンの足跡が残っている。西日本新聞によれば、長崎から逃れてきた信徒たちが、この島に「新村」を開いた。海沿いの道から15分ほどの坂道を上ると、森を切り開いたような一画に、真っ白な木造の教会が現れる。1885年の建築と推定される馬渡島教会で、長崎県平戸市の紐差教会の建物を、1929年ごろに移して建て直したものだという。 一つの教会が海を渡って、別の島で第二の生涯を送る。人も建物も、信仰を抱えて海を越えてきたわけである。 わたしの時代は、まさに禁教のさなかだった。旅の途中で、こうした村の前を知らずに通り過ぎていたのかもしれない。そう思うと、山道の一本、坂の一つが違って見えてくる。 長崎と天草地方の潜伏キリシタンにまつわる史跡は、いま世界遺産への登録を目指している。大きな教会や城跡に目が向きがちだが、その背後には、名もない人々が暮らしてきた山の集落や島の村がある。杖を止めて、その静けさに耳を澄ませたい。
天まで届け、と人は積み上げた——ブリューゲル「バベルの塔」展と、春の西洋美術
オランダ・ロッテルダムのボイマンス美術館が所蔵するブリューゲルの「バベルの塔」を紹介する展覧会が開幕した。北海道では大原美術館の名品展、夏にはベルギー奇想の系譜展も控え、春から西洋美術の話題が続く。
天まで届く塔を建てようとして、神の怒りに触れ、言葉をばらばらにされた人々。旧約聖書の「バベルの塔」の物語は、人間の思い上がりを戒める話としてよく知られている。その塔を描いた一枚が、海を渡ってやってきた。 オランダ・ロッテルダムのボイマンス美術館が所蔵する、ピーテル・ブリューゲル(父)の「バベルの塔」。その展覧会が、東京都美術館で始まった。ブリューゲルは十六世紀のネーデルラントの画家で、農民の暮らしや寓意を、細密な筆で描き込んだことで知られる。この「バベルの塔」も、雲を突き抜ける巨大な塔の周りに、豆粒のような職人たちが何百人も働く姿が描き込まれているという。 うちのような蒐集家は、こういう絵に弱い。遠目には堂々たる塔、近寄れば一人ひとりの職人の手元まで見えてくる。絵の前で虫眼鏡を構えたくなるのは、うちだけやあるまい。神の怒りの物語でありながら、実のところ、描かれているのは石を運び、滑車を回す人間の営みそのものだ。 春の西洋美術の話題は、これだけではない。北海道立近代美術館では、倉敷の大原美術館の名品を紹介する「大原美術館展Ⅱ」が開かれている。日本で最初期の西洋美術館として知られる大原のコレクションが、北の大地で見られるわけだ。さらに7月からは、ボスからマグリットまで、ベルギー美術の500年を「皮肉」と「ユーモア」の目でたどる「ベルギー奇想の系譜」展も始まるという。 塔を積み上げた人々は言葉を乱されたが、絵のほうは、言葉が違っても誰の胸にも届く。そう考えると、美術館こそ、現代のバベルの塔の反対側にある場所なのかもしれん。この春は、絵の前でゆっくり言葉を失ってみたい。
天まで届け、と人は積み上げた——ブリューゲル「バベルの塔」展と、春の西洋美術
オランダ・ロッテルダムのボイマンス美術館が所蔵するブリューゲルの「バベルの塔」を紹介する展覧会が開幕した。北海道では大原美術館の名品展、夏にはベルギー奇想の系譜展も控え、春から西洋美術の話題が続く。
天まで届く塔を建てようとして、神の怒りに触れ、言葉をばらばらにされた人々。旧約聖書の「バベルの塔」の物語は、人間の思い上がりを戒める話としてよく知られている。その塔を描いた一枚が、海を渡ってやってきた。 オランダ・ロッテルダムのボイマンス美術館が所蔵する、ピーテル・ブリューゲル(父)の「バベルの塔」。その展覧会が、東京都美術館で始まった。ブリューゲルは十六世紀のネーデルラントの画家で、農民の暮らしや寓意を、細密な筆で描き込んだことで知られる。この「バベルの塔」も、雲を突き抜ける巨大な塔の周りに、豆粒のような職人たちが何百人も働く姿が描き込まれているという。 うちのような蒐集家は、こういう絵に弱い。遠目には堂々たる塔、近寄れば一人ひとりの職人の手元まで見えてくる。絵の前で虫眼鏡を構えたくなるのは、うちだけやあるまい。神の怒りの物語でありながら、実のところ、描かれているのは石を運び、滑車を回す人間の営みそのものだ。 春の西洋美術の話題は、これだけではない。北海道立近代美術館では、倉敷の大原美術館の名品を紹介する「大原美術館展Ⅱ」が開かれている。日本で最初期の西洋美術館として知られる大原のコレクションが、北の大地で見られるわけだ。さらに7月からは、ボスからマグリットまで、ベルギー美術の500年を「皮肉」と「ユーモア」の目でたどる「ベルギー奇想の系譜」展も始まるという。 塔を積み上げた人々は言葉を乱されたが、絵のほうは、言葉が違っても誰の胸にも届く。そう考えると、美術館こそ、現代のバベルの塔の反対側にある場所なのかもしれん。この春は、絵の前でゆっくり言葉を失ってみたい。
天までと 積んだ塔より 気にかかる 豆粒ほどの 職人の数
─ 虫眼鏡の隠居 ─
天までと 積んだ塔より 気にかかる 豆粒ほどの 職人の数
─ 虫眼鏡の隠居 ─
2017年4月号をお届けします。今月の特集は二本。芭蕉翁には長崎の大籠町と唐津の馬渡島に残る潜伏キリシタンの村を、うちはブリューゲルの「バベルの塔」を中心に春の西洋美術展を受け持ちました。山の奥で祈りを守った人々と、天まで塔を積み上げようとした人々。信じるものの形は違えど、どちらも人の営みの重さを感じさせます。かわら版には、大政奉還150年の藤堂藩、没後200年の杉田玄白、松本城の鉄砲隊まで並べました。花見のついでに、近くの美術館や資料館にも足を延ばしてみてください。桜の下とはまた違う春が見つかるはずです。
2017年4月号をお届けします。今月の特集は二本。芭蕉翁には長崎の大籠町と唐津の馬渡島に残る潜伏キリシタンの村を、うちはブリューゲルの「バベルの塔」を中心に春の西洋美術展を受け持ちました。山の奥で祈りを守った人々と、天まで塔を積み上げようとした人々。信じるものの形は違えど、どちらも人の営みの重さを感じさせます。かわら版には、大政奉還150年の藤堂藩、没後200年の杉田玄白、松本城の鉄砲隊まで並べました。花見のついでに、近くの美術館や資料館にも足を延ばしてみてください。桜の下とはまた違う春が見つかるはずです。