地獄も極楽も、扉はこの人がひらいた——奈良博で恵心僧都源信の千年忌特別展
平安中期の天台僧・源信の千年忌を記念した特別展「源信 地獄・極楽への扉」が、7月15日に奈良国立博物館で開幕。『往生要集』で日本人のあの世観を形づくった僧の足跡をたどる。
地獄と極楽、どちらへ行きたいかと聞かれて迷う人は、まずおらんでしょう。ところがこの夏の奈良には、その両方をじっくり見比べられる場所がある。 奈良国立博物館で7月15日に始まった特別展「源信 地獄・極楽への扉」。平安時代中期の天台僧、恵心僧都源信(942〜1017)の千年忌を記念した展覧会で、前日の開会式にはお笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さんも顔を見せたそうな。 源信は奈良の生まれ。若くして比叡山に入り、教学の研究に打ち込んだ人で、阿弥陀如来の来迎を受けて極楽浄土に生まれることを願う浄土信仰を説き、広く人々に広めたことで知られる。寛和元年(985)にまとめた『往生要集』は、経典のなかから地獄と極楽のありさまを集めて描き出した書物だ。責め苦の描写がやたらと具体的なもんやから、のちの地獄絵や来迎図に大きな影響を与えた、というのはよく聞く話。つまりこの展覧会は、千年ぶんの「あの世のイメージ」の源流をたどる企画なわけで。 月末の30日には、親子向けの講座に閻魔さまが登場したという話も伝わってきた。夏休みの子どもにとっては、宿題の山より閻魔帳のほうがよっぽど怖いかもしれん。 うちも書画を集める身として、地獄絵の一幅くらいは手元に置いてみたい気もする。ただ、床の間に掛けたら客が寄りつかんようになりそうで、そこが悩ましいところやなあ。千年前の坊さんが言葉で描いた地獄と極楽が、どんな絵になって並んでいるのか。奈良の町を歩くついでに、扉の向こうを覗いてみる値打ちは十分にありそうだ。
地獄も極楽も、扉はこの人がひらいた——奈良博で恵心僧都源信の千年忌特別展
平安中期の天台僧・源信の千年忌を記念した特別展「源信 地獄・極楽への扉」が、7月15日に奈良国立博物館で開幕。『往生要集』で日本人のあの世観を形づくった僧の足跡をたどる。
地獄と極楽、どちらへ行きたいかと聞かれて迷う人は、まずおらんでしょう。ところがこの夏の奈良には、その両方をじっくり見比べられる場所がある。 奈良国立博物館で7月15日に始まった特別展「源信 地獄・極楽への扉」。平安時代中期の天台僧、恵心僧都源信(942〜1017)の千年忌を記念した展覧会で、前日の開会式にはお笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さんも顔を見せたそうな。 源信は奈良の生まれ。若くして比叡山に入り、教学の研究に打ち込んだ人で、阿弥陀如来の来迎を受けて極楽浄土に生まれることを願う浄土信仰を説き、広く人々に広めたことで知られる。寛和元年(985)にまとめた『往生要集』は、経典のなかから地獄と極楽のありさまを集めて描き出した書物だ。責め苦の描写がやたらと具体的なもんやから、のちの地獄絵や来迎図に大きな影響を与えた、というのはよく聞く話。つまりこの展覧会は、千年ぶんの「あの世のイメージ」の源流をたどる企画なわけで。 月末の30日には、親子向けの講座に閻魔さまが登場したという話も伝わってきた。夏休みの子どもにとっては、宿題の山より閻魔帳のほうがよっぽど怖いかもしれん。 うちも書画を集める身として、地獄絵の一幅くらいは手元に置いてみたい気もする。ただ、床の間に掛けたら客が寄りつかんようになりそうで、そこが悩ましいところやなあ。千年前の坊さんが言葉で描いた地獄と極楽が、どんな絵になって並んでいるのか。奈良の町を歩くついでに、扉の向こうを覗いてみる値打ちは十分にありそうだ。
四人の少年が見たイタリア——天正遣欧少年使節の足跡、神戸から青森へ
九州のキリシタン大名が1582年にローマへ送り出した天正遣欧少年使節。彼らが目にしたルネサンス芸術を紹介する「遥かなるルネサンス」展が神戸と青森を巡り、使節の一人・伊東マンショの肖像画にも改めて注目が集まっている。
天正十年、西暦でいえば1582年。長崎の港から、四人の少年がはるかイタリアを目指して船に乗った。いわゆる天正遣欧少年使節である。送り出したのは九州のキリシタン大名、大友宗麟・有馬晴信・大村純忠の三人。使節に選ばれたのは伊東マンショら四人の少年だった。 この夏、その足跡をたどる特別展「遥かなるルネサンス」が各地を巡っている。東京富士美術館が企画した展覧会で、7月初めには神戸市立博物館での開催が報じられた。少年たちがヨーロッパを巡った約430年前の、イタリア・ルネサンスの美術を紹介する内容だ。7月28日には、青森県立美術館でも幕を開けた。 わたしが『おくのほそ道』の旅で杖を止めた平泉より、さらに北の地である。九州の少年たちがローマで見た絵画が、四百余年をへてみちのくの果てまで旅をしてきたわけで、これはなかなか味わい深い道行きではないか。 青森の地元紙のコラムは、この機会に伊東マンショの肖像画に触れていた。マンショは使節四人のうち筆頭の正使をつとめた人物。肖像画が描かれたことは文献で知られていたものの、長く行方が分からず、3年前にイタリアで存在が確認されたのだという。ヴェネツィアの画家ドメニコ・ティントレットの筆とされ、東洋から来た少年の面差しを今に伝えている。 使節はローマで教皇に謁見し、1590年に帰国した。ただ、その頃の日本はすでにバテレン追放令が出されたあとで、彼らを待っていたのはきびしい時代だった。展示室に並ぶ華やかなルネサンスの名品は、少年たちが見た光のほうの記憶である。夏草の匂いのする道を歩いて美術館へ向かえば、その光と、帰ってからの長い影の両方に思いが及ぶはずだ。
四人の少年が見たイタリア——天正遣欧少年使節の足跡、神戸から青森へ
九州のキリシタン大名が1582年にローマへ送り出した天正遣欧少年使節。彼らが目にしたルネサンス芸術を紹介する「遥かなるルネサンス」展が神戸と青森を巡り、使節の一人・伊東マンショの肖像画にも改めて注目が集まっている。
天正十年、西暦でいえば1582年。長崎の港から、四人の少年がはるかイタリアを目指して船に乗った。いわゆる天正遣欧少年使節である。送り出したのは九州のキリシタン大名、大友宗麟・有馬晴信・大村純忠の三人。使節に選ばれたのは伊東マンショら四人の少年だった。 この夏、その足跡をたどる特別展「遥かなるルネサンス」が各地を巡っている。東京富士美術館が企画した展覧会で、7月初めには神戸市立博物館での開催が報じられた。少年たちがヨーロッパを巡った約430年前の、イタリア・ルネサンスの美術を紹介する内容だ。7月28日には、青森県立美術館でも幕を開けた。 わたしが『おくのほそ道』の旅で杖を止めた平泉より、さらに北の地である。九州の少年たちがローマで見た絵画が、四百余年をへてみちのくの果てまで旅をしてきたわけで、これはなかなか味わい深い道行きではないか。 青森の地元紙のコラムは、この機会に伊東マンショの肖像画に触れていた。マンショは使節四人のうち筆頭の正使をつとめた人物。肖像画が描かれたことは文献で知られていたものの、長く行方が分からず、3年前にイタリアで存在が確認されたのだという。ヴェネツィアの画家ドメニコ・ティントレットの筆とされ、東洋から来た少年の面差しを今に伝えている。 使節はローマで教皇に謁見し、1590年に帰国した。ただ、その頃の日本はすでにバテレン追放令が出されたあとで、彼らを待っていたのはきびしい時代だった。展示室に並ぶ華やかなルネサンスの名品は、少年たちが見た光のほうの記憶である。夏草の匂いのする道を歩いて美術館へ向かえば、その光と、帰ってからの長い影の両方に思いが及ぶはずだ。
十六歳の女王は、本当にあの部屋で死んだのか——「怖い絵」展、兵庫県立美術館で開幕
中野京子さんのベストセラー『怖い絵』の刊行10周年を記念した「怖い絵」展が、7月22日に兵庫県立美術館で開幕した。目玉はドラローシュの大作『レディ・ジェーン・グレイの処刑』。絵に描かれた「史実」を少し疑いながら眺めてみる。
怪談を書いた身として言わせてもらうと、いちばん怖いのは幽霊ではなく人間である。その人間の怖さを、絵の背景にある歴史から読み解いてみせたのが、中野京子さんの『怖い絵』だ。刊行から10年を記念して、同じ名の展覧会が7月22日、兵庫県立美術館で幕を開けた。 目玉は、フランスの画家ポール・ドラローシュの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』。わずか16歳の女王の最期を描いた大作で、開幕前にはこの絵が無事に到着したことがわざわざ報じられたほどだ。ロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵品で、日本で見られる機会はめったにない。 ジェーン・グレイは16世紀のイングランドで王位に担ぎ上げられ、わずか9日ほどで退けられた女王である。翌1554年、反逆の罪で首を落とされた。絵の中の彼女は白いドレスに目隠しをされ、手探りで断頭台を探している。付き添う者は顔を背け、侍女は泣き崩れる。暗い石の広間に白だけが浮かび上がる構図は、見る者の息を止めるに十分だ。 ただ、ここで少し意地の悪いことを言っておきたい。この場面は本当にこうだったのだろうか。処刑はロンドン塔の敷地内で行われたとされるが、屋外であったというのが通説で、絵のような薄暗い室内ではない。そもそもこの絵が描かれたのは1833年、事件から三百年近くのちのことだ。ドラローシュが描いたのは史実の記録というより、悲劇の少女として語り継がれた「物語のジェーン」だと考えたほうがよい。 もっとも、それで絵の値打ちが下がるわけではない。人がどんな物語を怖がり、どんな犠牲者を美しいと感じてきたのか。それを教えてくれる点で、この一枚は立派な歴史の史料でもある。怖さの正体を確かめに、一度は足を運んでおきたい。
十六歳の女王は、本当にあの部屋で死んだのか——「怖い絵」展、兵庫県立美術館で開幕
中野京子さんのベストセラー『怖い絵』の刊行10周年を記念した「怖い絵」展が、7月22日に兵庫県立美術館で開幕した。目玉はドラローシュの大作『レディ・ジェーン・グレイの処刑』。絵に描かれた「史実」を少し疑いながら眺めてみる。
怪談を書いた身として言わせてもらうと、いちばん怖いのは幽霊ではなく人間である。その人間の怖さを、絵の背景にある歴史から読み解いてみせたのが、中野京子さんの『怖い絵』だ。刊行から10年を記念して、同じ名の展覧会が7月22日、兵庫県立美術館で幕を開けた。 目玉は、フランスの画家ポール・ドラローシュの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』。わずか16歳の女王の最期を描いた大作で、開幕前にはこの絵が無事に到着したことがわざわざ報じられたほどだ。ロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵品で、日本で見られる機会はめったにない。 ジェーン・グレイは16世紀のイングランドで王位に担ぎ上げられ、わずか9日ほどで退けられた女王である。翌1554年、反逆の罪で首を落とされた。絵の中の彼女は白いドレスに目隠しをされ、手探りで断頭台を探している。付き添う者は顔を背け、侍女は泣き崩れる。暗い石の広間に白だけが浮かび上がる構図は、見る者の息を止めるに十分だ。 ただ、ここで少し意地の悪いことを言っておきたい。この場面は本当にこうだったのだろうか。処刑はロンドン塔の敷地内で行われたとされるが、屋外であったというのが通説で、絵のような薄暗い室内ではない。そもそもこの絵が描かれたのは1833年、事件から三百年近くのちのことだ。ドラローシュが描いたのは史実の記録というより、悲劇の少女として語り継がれた「物語のジェーン」だと考えたほうがよい。 もっとも、それで絵の値打ちが下がるわけではない。人がどんな物語を怖がり、どんな犠牲者を美しいと感じてきたのか。それを教えてくれる点で、この一枚は立派な歴史の史料でもある。怖さの正体を確かめに、一度は足を運んでおきたい。
極楽の 扉の前で ひと休み 地獄の絵にて 汗も引きけり
─ かき氷待ちの鹿 ─
極楽の 扉の前で ひと休み 地獄の絵にて 汗も引きけり
─ かき氷待ちの鹿 ─
2017年7月号をお届けします。今月の特集は三本。うちは奈良博の源信展を、芭蕉翁には天正遣欧少年使節の足跡を追う「遥かなるルネサンス」展を、秋成はんには神戸で始まった「怖い絵」展をお願いしました。地獄絵に、ローマへ渡った少年たちに、処刑される十六歳の女王。並べてみると、どれも「見えない世界」をどう絵にするかという話で、偶然とはいえおもろい取り合わせになりました。かわら版には、宗教改革500年のアイゼナハから、ノモンハン事件を語る99歳の元兵士、小城の山挽祇園まで、夏の便りを集めています。暑さ厳しき折、美術館の冷房を頼みに出かけるのも一興です。
2017年7月号をお届けします。今月の特集は三本。うちは奈良博の源信展を、芭蕉翁には天正遣欧少年使節の足跡を追う「遥かなるルネサンス」展を、秋成はんには神戸で始まった「怖い絵」展をお願いしました。地獄絵に、ローマへ渡った少年たちに、処刑される十六歳の女王。並べてみると、どれも「見えない世界」をどう絵にするかという話で、偶然とはいえおもろい取り合わせになりました。かわら版には、宗教改革500年のアイゼナハから、ノモンハン事件を語る99歳の元兵士、小城の山挽祇園まで、夏の便りを集めています。暑さ厳しき折、美術館の冷房を頼みに出かけるのも一興です。