一枚の貼り紙から五百年——ルターの「95カ条の論題」と、出島に来たオランダ人
1517年10月31日、マルティン・ルターが「95カ条の論題」を公にしてから、ちょうど500年。ドイツのウィッテンベルクで記念式典が開かれた。遠い欧州の話のようでいて、江戸の日本とも無縁ではない出来事をふりかえる。
10月31日といえば、近ごろはすっかりハロウィンの日になってしもた。けれど今年ばかりは、もう一つの記念日のほうに目を向けておきたい。 1517年のこの日、ドイツの修道士マルティン・ルター(1483〜1546)が「95カ条の論題」を公にした。宗教改革の発端となった出来事で、今年はそれからちょうど500年にあたる。当日はドイツ東部のウィッテンベルクで記念式典が開かれ、「信仰の自由」への願いがあらためて語られたという。 ルターが問題にしたのは、ローマ教会が発行していた贖宥状だ。日本では「免罪符」の名で知られているが、正しくは罪そのものを消す札ではなく、罪に科せられた罰を代わりに果たしたことを証す書き付けだった、という説明を今年あらためて読んで、なるほどと膝を打った。名前ひとつで、ずいぶん印象が変わるもんやなあ。 さて、ここからは大坂の物好きとしての寄り道。ルターに始まる流れは、やがてプロテスタントの諸派を生み、オランダもその側に立った。江戸幕府がキリスト教を禁じたあとも、オランダ人だけが長崎の出島で交易を許されたのは、布教より商売を優先したからだとよくいわれる。つまり、うちらが蘭書や舶来の珍品を手にできたのも、元をたどれば五百年前の一枚の論題に行き着く、と言えなくもない。 うちの書斎にもオランダ渡りの本が何冊か並んでいるが、その向こうにウィッテンベルクの教会の扉があったと思うと、ちょっと背筋が伸びる。この秋は宗教改革500年を機に、関連の本を紹介する書評も新聞に並んだ。ハロウィンのかぼちゃを片付けたら、ルターの伝記の一冊でも手に取ってみるのが、ええ秋の夜長の過ごし方かもしれん。
一枚の貼り紙から五百年——ルターの「95カ条の論題」と、出島に来たオランダ人
1517年10月31日、マルティン・ルターが「95カ条の論題」を公にしてから、ちょうど500年。ドイツのウィッテンベルクで記念式典が開かれた。遠い欧州の話のようでいて、江戸の日本とも無縁ではない出来事をふりかえる。
10月31日といえば、近ごろはすっかりハロウィンの日になってしもた。けれど今年ばかりは、もう一つの記念日のほうに目を向けておきたい。 1517年のこの日、ドイツの修道士マルティン・ルター(1483〜1546)が「95カ条の論題」を公にした。宗教改革の発端となった出来事で、今年はそれからちょうど500年にあたる。当日はドイツ東部のウィッテンベルクで記念式典が開かれ、「信仰の自由」への願いがあらためて語られたという。 ルターが問題にしたのは、ローマ教会が発行していた贖宥状だ。日本では「免罪符」の名で知られているが、正しくは罪そのものを消す札ではなく、罪に科せられた罰を代わりに果たしたことを証す書き付けだった、という説明を今年あらためて読んで、なるほどと膝を打った。名前ひとつで、ずいぶん印象が変わるもんやなあ。 さて、ここからは大坂の物好きとしての寄り道。ルターに始まる流れは、やがてプロテスタントの諸派を生み、オランダもその側に立った。江戸幕府がキリスト教を禁じたあとも、オランダ人だけが長崎の出島で交易を許されたのは、布教より商売を優先したからだとよくいわれる。つまり、うちらが蘭書や舶来の珍品を手にできたのも、元をたどれば五百年前の一枚の論題に行き着く、と言えなくもない。 うちの書斎にもオランダ渡りの本が何冊か並んでいるが、その向こうにウィッテンベルクの教会の扉があったと思うと、ちょっと背筋が伸びる。この秋は宗教改革500年を機に、関連の本を紹介する書評も新聞に並んだ。ハロウィンのかぼちゃを片付けたら、ルターの伝記の一冊でも手に取ってみるのが、ええ秋の夜長の過ごし方かもしれん。
原城の風はいまも吹く——島原の乱から380年、雲仙・島原・秋月をめぐる
寛永14年(1637)に始まった島原の乱から380年。原城跡のふもとの中学生による創作劇、白秋の足跡をたどる紀行、乱を描いた屏風を公開する新しい博物館と、この秋は九州各地で乱をふりかえる話題が相次いだ。
秋の有明海は、光がやわらかい。その海を見下ろす台地に、原城跡がある。寛永14年(1637)に始まった島原の乱で、一揆勢が最後に立てこもった城だ。今年はその乱から380年の節目にあたる。 佐賀新聞のコラムは、乱の背景に、飢饉に苦しむ民への領主・松倉氏の非情な年貢の取り立てと、キリシタン弾圧への抵抗が重なった、とみる説が有力だと紹介していた。宗教の戦であり、同時に生き延びるための戦でもあったわけである。 原城跡のすぐ近く、南島原市の南有馬中学校では、3年生全員がこの乱を題材にした創作劇を、10月27日の文化学習発表会で上演するという。乱を題材にした劇の上演は11年ぶりの復活だそうだ。「学校近くの原城跡で起きた悲劇の犠牲者らに思いをはせ」たいという言葉がいい。足もとの土地の記憶を、自分たちの声で語り直す試みである。 西日本新聞は、北原白秋の足跡をたどる紀行のなかで雲仙と島原を訪ねていた。白秋は青年のころ、詩人仲間五人で九州を旅した紀行「五足の靴」で島原に立ち寄っている。記事は雲仙の老舗旅館で白秋の筆跡の掛け軸を拝見したあと、3万7千人のキリシタンが命を落としたとされる乱の「残像」をたどり、天草四郎をしのぶ鎮魂の地蔵に行き着く。わたしも旅を重ねた身として、詩人がこの地で何を見たのかは気にかかる。 福岡県朝倉市には10月21日、市秋月博物館が開館した。閉館した秋月郷土館の収蔵品を引き継ぎ、開館を記念して、島原の乱を描いた屏風などを11月5日まで特別に公開するそうだ。 夏草や兵どもが夢の跡、と詠んだのは平泉でのことだったが、原城の石垣の前に立っても、同じ思いがこみ上げてくるにちがいない。380年目の秋、海風に吹かれながら、あの城にこもった人々の祈りに耳を澄ませてみたい。
原城の風はいまも吹く——島原の乱から380年、雲仙・島原・秋月をめぐる
寛永14年(1637)に始まった島原の乱から380年。原城跡のふもとの中学生による創作劇、白秋の足跡をたどる紀行、乱を描いた屏風を公開する新しい博物館と、この秋は九州各地で乱をふりかえる話題が相次いだ。
秋の有明海は、光がやわらかい。その海を見下ろす台地に、原城跡がある。寛永14年(1637)に始まった島原の乱で、一揆勢が最後に立てこもった城だ。今年はその乱から380年の節目にあたる。 佐賀新聞のコラムは、乱の背景に、飢饉に苦しむ民への領主・松倉氏の非情な年貢の取り立てと、キリシタン弾圧への抵抗が重なった、とみる説が有力だと紹介していた。宗教の戦であり、同時に生き延びるための戦でもあったわけである。 原城跡のすぐ近く、南島原市の南有馬中学校では、3年生全員がこの乱を題材にした創作劇を、10月27日の文化学習発表会で上演するという。乱を題材にした劇の上演は11年ぶりの復活だそうだ。「学校近くの原城跡で起きた悲劇の犠牲者らに思いをはせ」たいという言葉がいい。足もとの土地の記憶を、自分たちの声で語り直す試みである。 西日本新聞は、北原白秋の足跡をたどる紀行のなかで雲仙と島原を訪ねていた。白秋は青年のころ、詩人仲間五人で九州を旅した紀行「五足の靴」で島原に立ち寄っている。記事は雲仙の老舗旅館で白秋の筆跡の掛け軸を拝見したあと、3万7千人のキリシタンが命を落としたとされる乱の「残像」をたどり、天草四郎をしのぶ鎮魂の地蔵に行き着く。わたしも旅を重ねた身として、詩人がこの地で何を見たのかは気にかかる。 福岡県朝倉市には10月21日、市秋月博物館が開館した。閉館した秋月郷土館の収蔵品を引き継ぎ、開館を記念して、島原の乱を描いた屏風などを11月5日まで特別に公開するそうだ。 夏草や兵どもが夢の跡、と詠んだのは平泉でのことだったが、原城の石垣の前に立っても、同じ思いがこみ上げてくるにちがいない。380年目の秋、海風に吹かれながら、あの城にこもった人々の祈りに耳を澄ませてみたい。
皇帝の恋は、なんぼの騒ぎになったか——ニコライ2世とバレリーナの映画にロシアが揺れる
ロシア最後の皇帝ニコライ2世の、即位前の恋を描いた映画が公開をめぐって大騒動になっている。皇帝を聖人とあがめる人々の反発で社会が割れた一件を、色恋と興行の両面からのぞいてみる。
色恋を書いて身を立てた者として、この話は見過ごせん。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の恋を描いた映画が、本国で大騒動になっているという。 映画の題は『マチルダ』。皇太子時代のニコライが、バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと恋仲だった、という史実を下敷きにしたものだ。ふたりの仲は皇帝の結婚前に終わっており、当時から知られた話でもある。ところが、この映画に猛反発した人たちがいた。 ニコライ2世は1917年の革命で退位し、翌年、家族とともに銃殺された。のちにロシア正教会はこの一家を聖人の列に加えている。つまり今のロシアでは、ニコライは「最後の皇帝」であると同時に「聖人」でもあるわけだ。その聖人の若き日の色恋を、よりによってスクリーンで見せるとは何ごとか——というのが反対する側の言い分らしい。上映をやめさせようとする動きは脅しや放火騒ぎにまで及び、公開をためらう映画館も出たと伝えられる。 日経ビジネスは、この一件が社会を分断していると報じていた。革命からちょうど100年の年に、革命で倒れた皇帝の恋が国を割っている。歴史というのは、終わったあとも暴れるもんやな。 わしが面白いと思うのは、そろばんのほうや。これだけ騒がれたら、見に行かんつもりだった客まで気になって劇場に足を運ぶ。騒動そのものが、何よりの宣伝になってしもうとる。『好色一代男』を出したときも、けしからんと言う人ほどこっそり読んでおったもんだ。 もっとも、笑ってばかりもいられない。史実の人物を描くとき、どこまでが自由で、どこからが冒涜になるのか。その線引きは、国や時代によってまるで違う。遠いロシアの騒ぎは、大河ドラマの配役ひとつで盛り上がる我々にとっても、案外ひとごとではないのかもしれない。
皇帝の恋は、なんぼの騒ぎになったか——ニコライ2世とバレリーナの映画にロシアが揺れる
ロシア最後の皇帝ニコライ2世の、即位前の恋を描いた映画が公開をめぐって大騒動になっている。皇帝を聖人とあがめる人々の反発で社会が割れた一件を、色恋と興行の両面からのぞいてみる。
色恋を書いて身を立てた者として、この話は見過ごせん。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の恋を描いた映画が、本国で大騒動になっているという。 映画の題は『マチルダ』。皇太子時代のニコライが、バレリーナのマチルダ・クシェシンスカヤと恋仲だった、という史実を下敷きにしたものだ。ふたりの仲は皇帝の結婚前に終わっており、当時から知られた話でもある。ところが、この映画に猛反発した人たちがいた。 ニコライ2世は1917年の革命で退位し、翌年、家族とともに銃殺された。のちにロシア正教会はこの一家を聖人の列に加えている。つまり今のロシアでは、ニコライは「最後の皇帝」であると同時に「聖人」でもあるわけだ。その聖人の若き日の色恋を、よりによってスクリーンで見せるとは何ごとか——というのが反対する側の言い分らしい。上映をやめさせようとする動きは脅しや放火騒ぎにまで及び、公開をためらう映画館も出たと伝えられる。 日経ビジネスは、この一件が社会を分断していると報じていた。革命からちょうど100年の年に、革命で倒れた皇帝の恋が国を割っている。歴史というのは、終わったあとも暴れるもんやな。 わしが面白いと思うのは、そろばんのほうや。これだけ騒がれたら、見に行かんつもりだった客まで気になって劇場に足を運ぶ。騒動そのものが、何よりの宣伝になってしもうとる。『好色一代男』を出したときも、けしからんと言う人ほどこっそり読んでおったもんだ。 もっとも、笑ってばかりもいられない。史実の人物を描くとき、どこまでが自由で、どこからが冒涜になるのか。その線引きは、国や時代によってまるで違う。遠いロシアの騒ぎは、大河ドラマの配役ひとつで盛り上がる我々にとっても、案外ひとごとではないのかもしれない。
ハロウィンの 仮装の列の その脇で 五百年目の 論題ひとつ
─ かぼちゃ頭の改革派 ─
ハロウィンの 仮装の列の その脇で 五百年目の 論題ひとつ
─ かぼちゃ頭の改革派 ─
2017年10月号をお届けします。今月は、うちが宗教改革500年を、芭蕉翁が島原の乱から380年の九州を、西鶴はんがロシア最後の皇帝の恋をめぐる映画騒動を担当しました。五百年前の論題、三百八十年前の籠城、百年前の革命と、今月はやけに「節目」の多い号になりました。かわら版には、炭鉱王と白蓮の旧邸、帝国ホテルでチップ代わりに渡されたアインシュタインのメモ、来年に迫った《叫び》の来日まで並べています。神戸で20万人を集めた「怖い絵」展が上野に移ったと聞いて、うちの蔵の珍品もたまには虫干しがてら並べてみたくなりました。来月はいよいよ近江屋事件から150年。夜長のお供に、どうぞ。
2017年10月号をお届けします。今月は、うちが宗教改革500年を、芭蕉翁が島原の乱から380年の九州を、西鶴はんがロシア最後の皇帝の恋をめぐる映画騒動を担当しました。五百年前の論題、三百八十年前の籠城、百年前の革命と、今月はやけに「節目」の多い号になりました。かわら版には、炭鉱王と白蓮の旧邸、帝国ホテルでチップ代わりに渡されたアインシュタインのメモ、来年に迫った《叫び》の来日まで並べています。神戸で20万人を集めた「怖い絵」展が上野に移ったと聞いて、うちの蔵の珍品もたまには虫干しがてら並べてみたくなりました。来月はいよいよ近江屋事件から150年。夜長のお供に、どうぞ。