郡の是をもって社名とす——グンゼ創業者・波多野鶴吉、没後100年の寸劇に
肌着でおなじみのグンゼを京都・綾部で興した波多野鶴吉が、今年で没後100年。その半生を描く寸劇「波多野鶴吉物語」が2月17日に上演され、地元の市民やグンゼの社員有志が舞台に立つ。
会社の名前というのは、その会社の志が一番よう出るところや。そう思うて調べてみると、グンゼほど変わった名の会社もそうはない。 グンゼの創業者、波多野鶴吉(1858〜1918)が今年、没後100年を迎える。これを記念して、その半生を描いた寸劇「波多野鶴吉物語」が2月17日に上演されるという。地元・綾部の市民や、グンゼの社員有志が演じる手づくりの舞台らしい。 グンゼの前身は、明治29年(1896)に京都府の何鹿郡、いまの綾部市で鶴吉が興した郡是製糸である。「郡是」とは耳慣れない言葉だが、国に「国是」があるように、郡にも郡の進むべき道がある、という意味だ。養蚕と製糸で郡全体を豊かにする、それを会社の目的に据え、そのまま社名にしてしもうたのである。 わしが面白いと思うのは、この発想の商人らしからぬところや。ふつう商いは、まず自分の店の儲けを考える。ところが鶴吉は、郡の農家がよい繭を作れば会社もよい糸を作れる、会社が伸びれば郡も潤う、という順番で考えた。自分だけ儲けても、繭を納める村が貧しいままでは長続きせん。損して得取れ、を郡ぐるみでやったわけで、これは大坂の商人でもなかなか真似のできる芸当ではない。 鶴吉は熱心なキリスト教徒でもあり、工場で働く若い女工たちの教育にも心を砕いたと伝えられる。糸の品質は、それを引く人の心で決まる、という考えだったらしい。 その会社が、製糸から肌着、さらにさまざまな事業へと形を変えながら、百二十年あまり続いている。創業者の半生を、社員が自ら舞台で演じるというのも、なかなかええ話やないか。二月の綾部はまだ底冷えのする頃だろうが、客席はきっと温かいにちがいない。
郡の是をもって社名とす——グンゼ創業者・波多野鶴吉、没後100年の寸劇に
肌着でおなじみのグンゼを京都・綾部で興した波多野鶴吉が、今年で没後100年。その半生を描く寸劇「波多野鶴吉物語」が2月17日に上演され、地元の市民やグンゼの社員有志が舞台に立つ。
会社の名前というのは、その会社の志が一番よう出るところや。そう思うて調べてみると、グンゼほど変わった名の会社もそうはない。 グンゼの創業者、波多野鶴吉(1858〜1918)が今年、没後100年を迎える。これを記念して、その半生を描いた寸劇「波多野鶴吉物語」が2月17日に上演されるという。地元・綾部の市民や、グンゼの社員有志が演じる手づくりの舞台らしい。 グンゼの前身は、明治29年(1896)に京都府の何鹿郡、いまの綾部市で鶴吉が興した郡是製糸である。「郡是」とは耳慣れない言葉だが、国に「国是」があるように、郡にも郡の進むべき道がある、という意味だ。養蚕と製糸で郡全体を豊かにする、それを会社の目的に据え、そのまま社名にしてしもうたのである。 わしが面白いと思うのは、この発想の商人らしからぬところや。ふつう商いは、まず自分の店の儲けを考える。ところが鶴吉は、郡の農家がよい繭を作れば会社もよい糸を作れる、会社が伸びれば郡も潤う、という順番で考えた。自分だけ儲けても、繭を納める村が貧しいままでは長続きせん。損して得取れ、を郡ぐるみでやったわけで、これは大坂の商人でもなかなか真似のできる芸当ではない。 鶴吉は熱心なキリスト教徒でもあり、工場で働く若い女工たちの教育にも心を砕いたと伝えられる。糸の品質は、それを引く人の心で決まる、という考えだったらしい。 その会社が、製糸から肌着、さらにさまざまな事業へと形を変えながら、百二十年あまり続いている。創業者の半生を、社員が自ら舞台で演じるというのも、なかなかええ話やないか。二月の綾部はまだ底冷えのする頃だろうが、客席はきっと温かいにちがいない。
天草四郎は何度でも甦る——『沈黙』の窪塚洋介、舞台『魔界転生』、そして史実の乱
映画『沈黙』に出演した窪塚洋介さんは、かつて『魔界転生』で天草四郎を演じた。その『魔界転生』が秋に博多座で舞台化される。物語のなかで甦り続ける四郎と、史料に残る島原の乱とのあいだを考える。
死んだはずの人間が甦って、幕府に仇をなす。怪異譚を書いてきた者として言えば、これほど魅力のある筋立てもない。その主役に、天草四郎ほどふさわしい人物はいないだろう。 年の初め、朝日新聞は俳優の窪塚洋介さんを取り上げていた。遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシ監督が映画にした『沈黙』に出演した窪塚さんは、実は2003年公開の映画『魔界転生』で、島原の乱の総大将・天草四郎を演じていた。あの世から甦った四郎が妖術で江戸幕府への復讐を企てる、というフィクションだったが、撮影の前には一揆の舞台となった原城跡を訪ねたという。 その『魔界転生』が、今年10月に博多座で舞台になる。上川隆也さんが柳生十兵衛、溝端淳平さんが天草四郎を演じ、演出は堤幸彦さん。原作は山田風太郎の伝奇小説で、1981年には映画化されて大ヒットした。甦った四郎が宮本武蔵や荒木又右衛門ら名だたる剣豪を次々に魔界から呼び戻し、十兵衛がこれに立ち向かう、という筋だ。 さて、ここで少し水を差しておく。舞台の紹介記事では、島原でキリシタン弾圧のために「10万人の信者が虐殺された」という設定になっている。だが、史実の島原の乱で命を落としたのは、一般に3万7千人ほどとされる。物語の数字は、物語の迫力のために膨らまされるものだ。それを承知で楽しむのが大人の見方というものだろう。 史実のほうにも、物語に劣らぬ場面はある。農業協同組合新聞のコラムによれば、幕府は当初この乱を農民一揆と軽く見て、一万石の大名・板倉重昌を総大将に、旗本の石谷十蔵貞清を副将に送り込んだ。これには大目付の柳生宗矩や大久保彦左衛門が異を唱えたという。そう、十兵衛の父・宗矩は、実際の乱でも幕府の采配に口を出していたのである。 物語は史実を膨らませ、史実はときに物語よりも奇である。四郎が何度甦ろうと、その両方を見比べる楽しみは尽きない。
天草四郎は何度でも甦る——『沈黙』の窪塚洋介、舞台『魔界転生』、そして史実の乱
映画『沈黙』に出演した窪塚洋介さんは、かつて『魔界転生』で天草四郎を演じた。その『魔界転生』が秋に博多座で舞台化される。物語のなかで甦り続ける四郎と、史料に残る島原の乱とのあいだを考える。
死んだはずの人間が甦って、幕府に仇をなす。怪異譚を書いてきた者として言えば、これほど魅力のある筋立てもない。その主役に、天草四郎ほどふさわしい人物はいないだろう。 年の初め、朝日新聞は俳優の窪塚洋介さんを取り上げていた。遠藤周作の原作をマーティン・スコセッシ監督が映画にした『沈黙』に出演した窪塚さんは、実は2003年公開の映画『魔界転生』で、島原の乱の総大将・天草四郎を演じていた。あの世から甦った四郎が妖術で江戸幕府への復讐を企てる、というフィクションだったが、撮影の前には一揆の舞台となった原城跡を訪ねたという。 その『魔界転生』が、今年10月に博多座で舞台になる。上川隆也さんが柳生十兵衛、溝端淳平さんが天草四郎を演じ、演出は堤幸彦さん。原作は山田風太郎の伝奇小説で、1981年には映画化されて大ヒットした。甦った四郎が宮本武蔵や荒木又右衛門ら名だたる剣豪を次々に魔界から呼び戻し、十兵衛がこれに立ち向かう、という筋だ。 さて、ここで少し水を差しておく。舞台の紹介記事では、島原でキリシタン弾圧のために「10万人の信者が虐殺された」という設定になっている。だが、史実の島原の乱で命を落としたのは、一般に3万7千人ほどとされる。物語の数字は、物語の迫力のために膨らまされるものだ。それを承知で楽しむのが大人の見方というものだろう。 史実のほうにも、物語に劣らぬ場面はある。農業協同組合新聞のコラムによれば、幕府は当初この乱を農民一揆と軽く見て、一万石の大名・板倉重昌を総大将に、旗本の石谷十蔵貞清を副将に送り込んだ。これには大目付の柳生宗矩や大久保彦左衛門が異を唱えたという。そう、十兵衛の父・宗矩は、実際の乱でも幕府の采配に口を出していたのである。 物語は史実を膨らませ、史実はときに物語よりも奇である。四郎が何度甦ろうと、その両方を見比べる楽しみは尽きない。
維新の英傑を生んだ町を歩く——鹿児島・加治屋町と、城山の最後の戦い
明治維新から150年、大河ドラマ『西郷どん』が始まった年明け、西郷隆盛のふるさと鹿児島・加治屋町では今も西郷への思いが燃え続けている。城山で終わった最後の戦いの話題とあわせて、西郷の足跡をたどる。
年が明けて、大河ドラマ『西郷どん』が始まった。今年は明治維新から150年の節目でもある。わたしは生前、九州の南までは足を延ばせなかったが、この機会に西郷隆盛のふるさとを訪ねた記事を読んで、旅心をくすぐられた。 朝日新聞が訪ねたのは、鹿児島市の加治屋町。甲突川のほとりのこの小さな町から、西郷隆盛や大久保利通をはじめ、維新と明治の日本を動かした人物が何人も出ている。下級武士の家が並んでいた一角から、これほどの顔ぶれがそろったのは、郷中教育と呼ばれる若者どうしの鍛え合いのたまものだとよくいわれる。記事は、維新150年を迎えた今も、町の人々の「西郷どん」への思いが燃え続けている様子を伝えていた。 一方、サライ.jpは、西郷の最後の戦いを取り上げていた。明治10年(1877)の西南戦争で、追いつめられた西郷軍が故郷の城山に立てこもったとき、その数は372人。これを取り囲んだ政府軍は5万人にのぼったという。勝ち目のない戦いであることは、誰の目にも明らかだった。 加治屋町で生まれた少年が、維新の英傑となり、やがて故郷の山で果てる。その生涯の始まりと終わりの場所が、同じ鹿児島の町の中に、ほんの数キロの距離で並んでいるのだから、歩いてたどるにはこれ以上の道行きはない。 夏草や兵どもが夢の跡、と平泉で詠んだことがあるが、城山の頂から桜島を望めば、同じ思いがこみ上げてくるにちがいない。ドラマで西郷の一生を追う一年、その舞台となった土地にも、一度は杖を向けてみたいものである。
維新の英傑を生んだ町を歩く——鹿児島・加治屋町と、城山の最後の戦い
明治維新から150年、大河ドラマ『西郷どん』が始まった年明け、西郷隆盛のふるさと鹿児島・加治屋町では今も西郷への思いが燃え続けている。城山で終わった最後の戦いの話題とあわせて、西郷の足跡をたどる。
年が明けて、大河ドラマ『西郷どん』が始まった。今年は明治維新から150年の節目でもある。わたしは生前、九州の南までは足を延ばせなかったが、この機会に西郷隆盛のふるさとを訪ねた記事を読んで、旅心をくすぐられた。 朝日新聞が訪ねたのは、鹿児島市の加治屋町。甲突川のほとりのこの小さな町から、西郷隆盛や大久保利通をはじめ、維新と明治の日本を動かした人物が何人も出ている。下級武士の家が並んでいた一角から、これほどの顔ぶれがそろったのは、郷中教育と呼ばれる若者どうしの鍛え合いのたまものだとよくいわれる。記事は、維新150年を迎えた今も、町の人々の「西郷どん」への思いが燃え続けている様子を伝えていた。 一方、サライ.jpは、西郷の最後の戦いを取り上げていた。明治10年(1877)の西南戦争で、追いつめられた西郷軍が故郷の城山に立てこもったとき、その数は372人。これを取り囲んだ政府軍は5万人にのぼったという。勝ち目のない戦いであることは、誰の目にも明らかだった。 加治屋町で生まれた少年が、維新の英傑となり、やがて故郷の山で果てる。その生涯の始まりと終わりの場所が、同じ鹿児島の町の中に、ほんの数キロの距離で並んでいるのだから、歩いてたどるにはこれ以上の道行きはない。 夏草や兵どもが夢の跡、と平泉で詠んだことがあるが、城山の頂から桜島を望めば、同じ思いがこみ上げてくるにちがいない。ドラマで西郷の一生を追う一年、その舞台となった土地にも、一度は杖を向けてみたいものである。
甦り またも甦る 四郎殿 たまには城で お休みなされ
─ 博多座の二階席 ─
甦り またも甦る 四郎殿 たまには城で お休みなされ
─ 博多座の二階席 ─
新年あけましておめでとうございます。2018年1月号をお届けします。今月は、西鶴はんにグンゼの創業者・波多野鶴吉を、秋成はんに物語のなかで甦り続ける天草四郎を、芭蕉翁に西郷どんのふるさと加治屋町をお願いしました。郡の是を社名にした商人、何度も甦る少年、故郷の山で果てた英傑と、今月もなかなか濃い顔ぶれです。かわら版には、ルドルフ2世の驚異の世界展にボナール、ブリューゲル一族まで、年明けから美術展の話題が目白押しでした。蒐集家の大先輩ルドルフ帝には、うちもぜひ一度ご挨拶に伺わねばなりません。本年もどうぞご贔屓に。
新年あけましておめでとうございます。2018年1月号をお届けします。今月は、西鶴はんにグンゼの創業者・波多野鶴吉を、秋成はんに物語のなかで甦り続ける天草四郎を、芭蕉翁に西郷どんのふるさと加治屋町をお願いしました。郡の是を社名にした商人、何度も甦る少年、故郷の山で果てた英傑と、今月もなかなか濃い顔ぶれです。かわら版には、ルドルフ2世の驚異の世界展にボナール、ブリューゲル一族まで、年明けから美術展の話題が目白押しでした。蒐集家の大先輩ルドルフ帝には、うちもぜひ一度ご挨拶に伺わねばなりません。本年もどうぞご贔屓に。