廃藩置県直後の下館藩「白木陣屋」カラー絵図発見——河内の飛地支配を伝える第一級史料
大阪大谷大学博物館で公開された常陸国下館藩の飛び地拠点「白木陣屋」のカラー絵図。幕末維新期の地方支配と陣屋の全貌を蒹葭堂が紐解く。
秋涼の風が吹き始めた2018年9月、郷土史・近世史を揺るがす貴重な絵図の発見が報じられた。産経新聞や四国新聞などの報道によると、常陸国(茨城県筑西市)に本城を置く下館藩石川家が、河内国石川郡白木村(現・大阪府南河内郡河南町)に設けていた出張陣屋「白木陣屋」の極めて精緻なカラー彩色絵図が発見され、大阪大谷大学博物館で一般公開されることになったという。 江戸時代の大名家においては、本国のほかに遠隔地に飛び地領を持つことが珍しくなかったが、この白木陣屋絵図は明治四年(1871年)の廃藩置県直後、一時的に設置された「下館県」の役人によって作成されたとみられる極めて稀有な史料である。御殿や長屋、代官詰所、土蔵、馬場などの配置のみならず、周囲の堀や竹垣、敷地境界に至るまで鮮やかな筆致で克明に描き分けられている。大坂の地で諸国の大名蔵屋敷や飛地支配のありようを長年見つめてきた蒹葭堂としても、幕藩体制の最末期における地方統治の実態をこれほど生々しく今に伝える図面に出会えるとは、胸が躍る思いである。 明治の世へと移り変わる激動のさなか、古き陣屋の姿を後世に書き留めようとした当時の役人たちの実直な筆遣い。近世から近代への結節点を物語る文化遺産として、地域の歴史愛好家にとっても掛け替えのない至宝といえよう。
廃藩置県直後の下館藩「白木陣屋」カラー絵図発見——河内の飛地支配を伝える第一級史料
大阪大谷大学博物館で公開された常陸国下館藩の飛び地拠点「白木陣屋」のカラー絵図。幕末維新期の地方支配と陣屋の全貌を蒹葭堂が紐解く。
秋涼の風が吹き始めた2018年9月、郷土史・近世史を揺るがす貴重な絵図の発見が報じられた。産経新聞や四国新聞などの報道によると、常陸国(茨城県筑西市)に本城を置く下館藩石川家が、河内国石川郡白木村(現・大阪府南河内郡河南町)に設けていた出張陣屋「白木陣屋」の極めて精緻なカラー彩色絵図が発見され、大阪大谷大学博物館で一般公開されることになったという。 江戸時代の大名家においては、本国のほかに遠隔地に飛び地領を持つことが珍しくなかったが、この白木陣屋絵図は明治四年(1871年)の廃藩置県直後、一時的に設置された「下館県」の役人によって作成されたとみられる極めて稀有な史料である。御殿や長屋、代官詰所、土蔵、馬場などの配置のみならず、周囲の堀や竹垣、敷地境界に至るまで鮮やかな筆致で克明に描き分けられている。大坂の地で諸国の大名蔵屋敷や飛地支配のありようを長年見つめてきた蒹葭堂としても、幕藩体制の最末期における地方統治の実態をこれほど生々しく今に伝える図面に出会えるとは、胸が躍る思いである。 明治の世へと移り変わる激動のさなか、古き陣屋の姿を後世に書き留めようとした当時の役人たちの実直な筆遣い。近世から近代への結節点を物語る文化遺産として、地域の歴史愛好家にとっても掛け替えのない至宝といえよう。
戊辰150年の会津に咲く熱気——「会津まつり」藩公行列と受け継がれる誇り
戊辰戦争終結から百五十年の節目を迎えた会津若松。五百名の武者行列が城下を練り歩く「会津まつり」の熱気と義理人情の底力を、井原西鶴が独自の視点で眺める。
秋風が心地よい九月、陸奥の会津若松がひときわの熱気に包まれた。明治維新から数えて百五十年、すなわち戊辰戦争で会津藩が涙をのんで開城してからちょうど百五十年の節目を迎えた2018年。恒例の「会津まつり」最大の呼び物である会津藩公行列が、過去最大級の賑わいを見せたという。NHK大河ドラマ『八重の桜』で新島八重を演じた綾瀬はるかさんが五年連続で特別参加し、歴代藩主や白虎隊に扮した約五百名の武者たちが、堂々たる隊列を組んで城下を行進した。 大坂の町人たる西鶴から見れば、祭礼や興行の類はまず「どれほど人が集まり、銭が落ちるか」という算盤勘定から眺めてしまうのが性分である。全国津々浦々から数万の観光客が押し寄せ、宿屋から茶屋、土産物屋に至るまで城下潤う様は、興行として文句なしの大当たりといえよう。だが、この会津まつりばかりは、単なる客寄せや経済効果の数字だけで片付けるわけにはいかない凄みが底に流れている。 百五十年前の秋、鶴ヶ城に籠もって熾烈な砲火を浴び、塗炭の苦しみを味わった会津の地。敗軍の将として辛酸を舐めた歴史を決して風化させず、先祖の誇りと忠義の心を町衆総出で受け継ぎ、こうして晴れがましい祭りの熱気へと昇華させてきたのだ。いくら銭金を積んでも買えない「意地」と「筋の通し方」。これぞ会津人の底力というべきもので、世知辛い浮世のそろばんを弾く手も、思わず止まろうというものである。
戊辰150年の会津に咲く熱気——「会津まつり」藩公行列と受け継がれる誇り
戊辰戦争終結から百五十年の節目を迎えた会津若松。五百名の武者行列が城下を練り歩く「会津まつり」の熱気と義理人情の底力を、井原西鶴が独自の視点で眺める。
秋風が心地よい九月、陸奥の会津若松がひときわの熱気に包まれた。明治維新から数えて百五十年、すなわち戊辰戦争で会津藩が涙をのんで開城してからちょうど百五十年の節目を迎えた2018年。恒例の「会津まつり」最大の呼び物である会津藩公行列が、過去最大級の賑わいを見せたという。NHK大河ドラマ『八重の桜』で新島八重を演じた綾瀬はるかさんが五年連続で特別参加し、歴代藩主や白虎隊に扮した約五百名の武者たちが、堂々たる隊列を組んで城下を行進した。 大坂の町人たる西鶴から見れば、祭礼や興行の類はまず「どれほど人が集まり、銭が落ちるか」という算盤勘定から眺めてしまうのが性分である。全国津々浦々から数万の観光客が押し寄せ、宿屋から茶屋、土産物屋に至るまで城下潤う様は、興行として文句なしの大当たりといえよう。だが、この会津まつりばかりは、単なる客寄せや経済効果の数字だけで片付けるわけにはいかない凄みが底に流れている。 百五十年前の秋、鶴ヶ城に籠もって熾烈な砲火を浴び、塗炭の苦しみを味わった会津の地。敗軍の将として辛酸を舐めた歴史を決して風化させず、先祖の誇りと忠義の心を町衆総出で受け継ぎ、こうして晴れがましい祭りの熱気へと昇華させてきたのだ。いくら銭金を積んでも買えない「意地」と「筋の通し方」。これぞ会津人の底力というべきもので、世知辛い浮世のそろばんを弾く手も、思わず止まろうというものである。
海を渡りし浮世絵の美学——ピエール・ボナール展が映す日本絵画の余白
国立新美術館で開幕したピエール・ボナール展。浮世絵の大胆な構図に魅せられ「日本かぶれのナビ」と呼ばれた画家のまなざしを、松尾芭蕉が辿る。
初秋の風が木々を揺らす頃、六本木の国立新美術館に歩みを運び、ピエール・ボナールの画境に触れる機会を得た。十九世紀末から二十世紀初頭のパリで活躍し、「ナビ派」の先駆者として知られた画家である。彼が同時代の仲間から「日本かぶれのナビ(預言者)」と呼ばれていたことは、美術史のなかでもひときわ興味深い逸話といえよう。 オルセー美術館の全面協力により開催された三十七年ぶりの大回顧展に並ぶ作品群を眺めていると、遠い異国の画家の筆先から、驚くほど親しみ深い「日本の風雅」が立ち現れてくる。ボナールが魅せられたのは、幕末から明治にかけて海を渡った浮世絵版画であった。葛飾北斎や歌川広重らが描いた大胆な鳥瞰図、極端な遠近法、あるいは陰影を排した平明な色面と輪郭線。西洋の伝統的な一点透視図法に縛られていた当時の画家たちにとって、浮世絵の構図はまさに視覚の革命であった。ボナールはその技法を単に模倣するにとどまらず、自らの暮らす室内風景や庭の草木、愛する女性や猫の姿へと見事に昇華させたのである。 旅の道すがら目にする野の草花や、ふと立ち止まった軒先の光景。名もなき日常の刹那を慈しみ、そこに永遠の美を見出すまなざしは、俳諧の心とも深く響き合う。浮世絵という一枚の紙片が大海を越え、異国の魂を震わせて新たな美を結実させた。文化の交わりが紡ぎ出す妙趣に、深く感じ入る旅立ちとなった。
海を渡りし浮世絵の美学——ピエール・ボナール展が映す日本絵画の余白
国立新美術館で開幕したピエール・ボナール展。浮世絵の大胆な構図に魅せられ「日本かぶれのナビ」と呼ばれた画家のまなざしを、松尾芭蕉が辿る。
初秋の風が木々を揺らす頃、六本木の国立新美術館に歩みを運び、ピエール・ボナールの画境に触れる機会を得た。十九世紀末から二十世紀初頭のパリで活躍し、「ナビ派」の先駆者として知られた画家である。彼が同時代の仲間から「日本かぶれのナビ(預言者)」と呼ばれていたことは、美術史のなかでもひときわ興味深い逸話といえよう。 オルセー美術館の全面協力により開催された三十七年ぶりの大回顧展に並ぶ作品群を眺めていると、遠い異国の画家の筆先から、驚くほど親しみ深い「日本の風雅」が立ち現れてくる。ボナールが魅せられたのは、幕末から明治にかけて海を渡った浮世絵版画であった。葛飾北斎や歌川広重らが描いた大胆な鳥瞰図、極端な遠近法、あるいは陰影を排した平明な色面と輪郭線。西洋の伝統的な一点透視図法に縛られていた当時の画家たちにとって、浮世絵の構図はまさに視覚の革命であった。ボナールはその技法を単に模倣するにとどまらず、自らの暮らす室内風景や庭の草木、愛する女性や猫の姿へと見事に昇華させたのである。 旅の道すがら目にする野の草花や、ふと立ち止まった軒先の光景。名もなき日常の刹那を慈しみ、そこに永遠の美を見出すまなざしは、俳諧の心とも深く響き合う。浮世絵という一枚の紙片が大海を越え、異国の魂を震わせて新たな美を結実させた。文化の交わりが紡ぎ出す妙趣に、深く感じ入る旅立ちとなった。
わずか三十数点の至宝を巡る美術紀行——朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』
世界中に散らばる現存三十数点の作品をすべてこの目で見たい。欧米の美術館を巡り、数奇な運命を辿った絵画の実像に迫る知的興奮に満ちた美術紀行。
集英社新書(ヴィジュアル版)より刊行されている朽木ゆり子氏の『フェルメール全点踏破の旅』は、十七世紀オランダが生んだ孤高の天才ヨハネス・フェルメールの全作品を巡る、情熱に満ちた美術ノンフィクションである。 現存する作品がわずか三十数点しか確認されていないフェルメール。著者はニューヨークを拠点とするジャーナリストのフットワークを活かし、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、そしてアメリカ各地の美術館へと足を運び、すべての作品を自らの眼で確かめる「巡礼の旅」を敢行する。 本書の面白さは、作品の精緻な解説にとどまらず、それぞれの絵画がたどった波乱万丈の来歴(贋作事件、ナチスによる略奪、盗難劇など)をスリリングに描き出している点にある。静謐な光に満ちた画面の裏に、どれほど過酷な歴史の荒波と人々の愛憎が渦巻いていたのか。旅人・芭蕉としても、美を求めて千里の道を歩む著者の執念と好奇心には、深く共鳴せざるを得ない。 秋の美術展シーズン、巨匠たちの傑作と向き合う前にぜひ一読をおすすめしたい、知的刺激に満ちた名著である。
わずか三十数点の至宝を巡る美術紀行——朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』
世界中に散らばる現存三十数点の作品をすべてこの目で見たい。欧米の美術館を巡り、数奇な運命を辿った絵画の実像に迫る知的興奮に満ちた美術紀行。
集英社新書(ヴィジュアル版)より刊行されている朽木ゆり子氏の『フェルメール全点踏破の旅』は、十七世紀オランダが生んだ孤高の天才ヨハネス・フェルメールの全作品を巡る、情熱に満ちた美術ノンフィクションである。 現存する作品がわずか三十数点しか確認されていないフェルメール。著者はニューヨークを拠点とするジャーナリストのフットワークを活かし、オランダ、イギリス、フランス、ドイツ、そしてアメリカ各地の美術館へと足を運び、すべての作品を自らの眼で確かめる「巡礼の旅」を敢行する。 本書の面白さは、作品の精緻な解説にとどまらず、それぞれの絵画がたどった波乱万丈の来歴(贋作事件、ナチスによる略奪、盗難劇など)をスリリングに描き出している点にある。静謐な光に満ちた画面の裏に、どれほど過酷な歴史の荒波と人々の愛憎が渦巻いていたのか。旅人・芭蕉としても、美を求めて千里の道を歩む著者の執念と好奇心には、深く共鳴せざるを得ない。 秋の美術展シーズン、巨匠たちの傑作と向き合う前にぜひ一読をおすすめしたい、知的刺激に満ちた名著である。
林忠正
パリの画人たちに浮世絵を手渡し、世紀末ジャポニスムを牽引した伝説の美術商
今号の「こんな人、知っていますか」は林忠正(1853〜1906)。越中高岡の出身で、明治十一年のパリ万博に通訳として渡仏したのを機に、そのままセーヌの河畔に留まって日本美術店を開いた人物です。 当時のヨーロッパでは日本の文物が大流行しておりましたが、忠正は単なる珍奇な骨董としてではなく、北斎や広重らの浮世絵に宿る構図の大胆さや色彩の妙を、流暢なフランス語と該博な知識で熱狂的に語り聞かせました。エドモン・ド・ゴンクールをはじめ、モネやドガ、そして今号特集のボナールらナビ派の画家たちも、忠正のサロンに足を運んでは浮世絵の真髄に触れ、新たな美の創造へと突き動かされたのです。 古今東西の書画を愛し、サロンを開いて文人墨客と語り合ったわたくし(木村蒹葭堂)にとっても、異国の都で自国の至宝を誇り高く伝え、東西の美の架け橋となったこの男の目利きと情熱には、深い敬意を抱かずにはいられません。日本美術が世界を揺るがした熱い時代の、知られざる立役者でございます。
林忠正
パリの画人たちに浮世絵を手渡し、世紀末ジャポニスムを牽引した伝説の美術商
今号の「こんな人、知っていますか」は林忠正(1853〜1906)。越中高岡の出身で、明治十一年のパリ万博に通訳として渡仏したのを機に、そのままセーヌの河畔に留まって日本美術店を開いた人物です。 当時のヨーロッパでは日本の文物が大流行しておりましたが、忠正は単なる珍奇な骨董としてではなく、北斎や広重らの浮世絵に宿る構図の大胆さや色彩の妙を、流暢なフランス語と該博な知識で熱狂的に語り聞かせました。エドモン・ド・ゴンクールをはじめ、モネやドガ、そして今号特集のボナールらナビ派の画家たちも、忠正のサロンに足を運んでは浮世絵の真髄に触れ、新たな美の創造へと突き動かされたのです。 古今東西の書画を愛し、サロンを開いて文人墨客と語り合ったわたくし(木村蒹葭堂)にとっても、異国の都で自国の至宝を誇り高く伝え、東西の美の架け橋となったこの男の目利きと情熱には、深い敬意を抱かずにはいられません。日本美術が世界を揺るがした熱い時代の、知られざる立役者でございます。
秋風に 旗打ち靡く 若松の 城下に響く 百年の声
─ 木村蒹葭堂 ─
秋風に 旗打ち靡く 若松の 城下に響く 百年の声
─ 木村蒹葭堂 ─
朝夕の風にめっきりと秋の深まりを感じる時候となりました。今月は地元・河内に残された下館藩白木陣屋の美しい彩色絵図をはじめ、戊辰百五十年の節目を迎えて誇り高く城下を練り歩いた会津まつりの熱気、そして遠く海を渡って西洋の画人を熱狂させた浮世絵の美学まで、それぞれの土地と人々が守り伝えてきた記憶の数々を特集いたしました。一通の古文書や一枚の絵図、あるいは町衆の晴れ姿から、かつて生きた人々の息遣いが鮮やかに立ち上がってくる瞬間は、いつの世も胸が熱くなるものでございます。知と美の遺産に学びつつ、今宵も読書に耽りたいと思います。(木村蒹葭堂)
朝夕の風にめっきりと秋の深まりを感じる時候となりました。今月は地元・河内に残された下館藩白木陣屋の美しい彩色絵図をはじめ、戊辰百五十年の節目を迎えて誇り高く城下を練り歩いた会津まつりの熱気、そして遠く海を渡って西洋の画人を熱狂させた浮世絵の美学まで、それぞれの土地と人々が守り伝えてきた記憶の数々を特集いたしました。一通の古文書や一枚の絵図、あるいは町衆の晴れ姿から、かつて生きた人々の息遣いが鮮やかに立ち上がってくる瞬間は、いつの世も胸が熱くなるものでございます。知と美の遺産に学びつつ、今宵も読書に耽りたいと思います。(木村蒹葭堂)