富雄丸山古墳は国内最大の円墳、小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳。相次ぐ「最大」と、決まらない被葬者
奈良で1月、古墳の「最大」の発表が続いた。富雄丸山古墳は直径約109メートルで国内最大の円墳、小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳だという。大きさは分かっても、誰の墓かは分からない。
「最大」という言葉は、どうしてこうも人の心を躍らせるのだろう。1月の奈良では、その言葉が二度続いた。 一つめは奈良市の富雄丸山古墳である。産経新聞によれば、奈良市教委は1月23日、4世紀後半のこの円墳の直径が約109メートルで、国内最大の円墳であることが発掘調査で裏付けられたと発表した。毎日放送によれば、市は2017年の航空レーザー測量で直径110メートル前後と見積もっていたという。墳丘の平らな面の幅は8.8メートルもあり、大王の墓に匹敵する広さだ。日本経済新聞によれば、頂上付近からは石製の副葬品の破片も出た。明治時代に盗掘されたとされる国の重要文化財の腕飾り「鍬形石」と合う可能性が高いという。 二つめは明日香村の小山田古墳だ。奈良新聞によれば、奈良県立橿原考古学研究所は1月31日、7世紀中ごろのこの古墳で墳丘の西の裾が初めて確かめられ、東西の幅が80メートルを超えると発表した。産経新聞は、飛鳥時代最大の方墳と判明したと伝えている。被葬者の候補は、舒明天皇(641年没)の最初の墓とする説と、蘇我蝦夷(645年没)の墓とする説がある。 さて、ここからが肝心なところである。大きさは測れば分かる。だが「誰の墓か」は、測っても分からない。富雄丸山古墳の主は名前すら伝わらず、小山田古墳も天皇か蘇我氏の実力者か、候補が並んだままだ。墓の大きさを、そのまま葬られた人の権力の大きさと読んでよいのかどうか。そこにも一度、疑いの目を向けておきたい。 とはいえ、数字が確かになることには意味がある。確かな数字の上にしか、確かな議論は立たない。「最大」の見出しに浮かれず、次の発掘の報告を待ちたい。
富雄丸山古墳は国内最大の円墳、小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳。相次ぐ「最大」と、決まらない被葬者
奈良で1月、古墳の「最大」の発表が続いた。富雄丸山古墳は直径約109メートルで国内最大の円墳、小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳だという。大きさは分かっても、誰の墓かは分からない。
「最大」という言葉は、どうしてこうも人の心を躍らせるのだろう。1月の奈良では、その言葉が二度続いた。 一つめは奈良市の富雄丸山古墳である。産経新聞によれば、奈良市教委は1月23日、4世紀後半のこの円墳の直径が約109メートルで、国内最大の円墳であることが発掘調査で裏付けられたと発表した。毎日放送によれば、市は2017年の航空レーザー測量で直径110メートル前後と見積もっていたという。墳丘の平らな面の幅は8.8メートルもあり、大王の墓に匹敵する広さだ。日本経済新聞によれば、頂上付近からは石製の副葬品の破片も出た。明治時代に盗掘されたとされる国の重要文化財の腕飾り「鍬形石」と合う可能性が高いという。 二つめは明日香村の小山田古墳だ。奈良新聞によれば、奈良県立橿原考古学研究所は1月31日、7世紀中ごろのこの古墳で墳丘の西の裾が初めて確かめられ、東西の幅が80メートルを超えると発表した。産経新聞は、飛鳥時代最大の方墳と判明したと伝えている。被葬者の候補は、舒明天皇(641年没)の最初の墓とする説と、蘇我蝦夷(645年没)の墓とする説がある。 さて、ここからが肝心なところである。大きさは測れば分かる。だが「誰の墓か」は、測っても分からない。富雄丸山古墳の主は名前すら伝わらず、小山田古墳も天皇か蘇我氏の実力者か、候補が並んだままだ。墓の大きさを、そのまま葬られた人の権力の大きさと読んでよいのかどうか。そこにも一度、疑いの目を向けておきたい。 とはいえ、数字が確かになることには意味がある。確かな数字の上にしか、確かな議論は立たない。「最大」の見出しに浮かれず、次の発掘の報告を待ちたい。
高山右近の高槻城から「障子堀」。堀の底に泥を仕込んだ、西日本最古級の守り
キリシタン大名・高山右近が城主を務めた大阪府高槻市の高槻城跡で、堀の底を格子状に仕切った「障子堀」が見つかった。西日本では最古級の例で、幻の城の中心部に迫る手がかりになりそうだ。
堀の底に、泥の落とし穴が並んでいた。四国新聞(共同通信)によれば、キリシタン大名・高山右近が1573年に城主となった大阪府高槻市の高槻城跡で、堀の底を格子状に掘り分けて敵の侵入を遅らせる「障子堀」と、石垣の一部が見つかった。高槻市教育委員会が1月30日に発表した。堀の底を泥で覆って穴を隠し、落とし穴のように使っていたという。 産経新聞によれば、石垣は木で補強されていた。毎日新聞は、この障子堀を西日本で最古級のものと伝えている。障子堀は関東の城でよく知られる造りで、朝日新聞は見出しで「信長に教わった?」と問いかけている。右近が当時の最先端の守りの技をどこで身につけたのか、想像がふくらむ話だ。 高槻城は、建物がほとんど残っていない「幻の城」でもある。毎日新聞によれば、見つかった場所や堀の形から、これまで確かめられていない城の中心部分、主郭の位置に迫る手がかりになるかもしれないという。400年の時を越えて、右近が手がけた城の守りが姿を現したことになる。 右近といえば、信仰を貫いて国外へ追われた人として語られることが多い。だがこの堀は、「築城の名手」とうたわれたもう一つの顔を思い出させてくれる。祈りの人と、戦の人。どちらも同じ右近である。 まだ高槻の地に杖を向けたことはないが、泥の底に眠っていた格子の跡を思い浮かべると、冬の堀端を吹く風の冷たさまで感じられるようだ。
高山右近の高槻城から「障子堀」。堀の底に泥を仕込んだ、西日本最古級の守り
キリシタン大名・高山右近が城主を務めた大阪府高槻市の高槻城跡で、堀の底を格子状に仕切った「障子堀」が見つかった。西日本では最古級の例で、幻の城の中心部に迫る手がかりになりそうだ。
堀の底に、泥の落とし穴が並んでいた。四国新聞(共同通信)によれば、キリシタン大名・高山右近が1573年に城主となった大阪府高槻市の高槻城跡で、堀の底を格子状に掘り分けて敵の侵入を遅らせる「障子堀」と、石垣の一部が見つかった。高槻市教育委員会が1月30日に発表した。堀の底を泥で覆って穴を隠し、落とし穴のように使っていたという。 産経新聞によれば、石垣は木で補強されていた。毎日新聞は、この障子堀を西日本で最古級のものと伝えている。障子堀は関東の城でよく知られる造りで、朝日新聞は見出しで「信長に教わった?」と問いかけている。右近が当時の最先端の守りの技をどこで身につけたのか、想像がふくらむ話だ。 高槻城は、建物がほとんど残っていない「幻の城」でもある。毎日新聞によれば、見つかった場所や堀の形から、これまで確かめられていない城の中心部分、主郭の位置に迫る手がかりになるかもしれないという。400年の時を越えて、右近が手がけた城の守りが姿を現したことになる。 右近といえば、信仰を貫いて国外へ追われた人として語られることが多い。だがこの堀は、「築城の名手」とうたわれたもう一つの顔を思い出させてくれる。祈りの人と、戦の人。どちらも同じ右近である。 まだ高槻の地に杖を向けたことはないが、泥の底に眠っていた格子の跡を思い浮かべると、冬の堀端を吹く風の冷たさまで感じられるようだ。
平成の次の元号を待つ正月に。信長が迫った「天正」、幕末の幻の元号「令徳」、「昭和」選定の記録
5月の改元を控え、元号の歴史をふりかえる記事が相次いでいる。信長が朝廷に迫った改元、幕末に退けられた幻の元号、昭和を選んだ記録。元号は、いつの時代も権力と無縁ではなかった。
平成も残り4か月を切った。新しい元号が何になるのか、町の噂はそればかりである。そんな正月に、元号の歴史をふりかえる記事がいくつも出た。 iRONNAの記事によれば、改元は古代から基本的に天皇の権限だったが、鎌倉時代の後半から幕府が口を出すようになり、江戸時代には将軍が元号を内定し、天皇がそれを認めるという形になった。戦国の世には、織田信長が「元亀」から「天正」への改元を朝廷に迫った話も伝わる。元号ひとつにも、権力の綱引きがあったわけだ。 同じくiRONNAは、幕末の幻の元号「令徳」を取り上げている。明治に一世一元の制度ができる前は、辛酉や甲子といった変事が起こるとされる年にも改元した。「令徳」はそうした改元の候補に挙がりながら、採られなかった元号である。徳川に令する、と読めるとして幕府が嫌ったと伝わる。毎日新聞は、公文書館に残る記録から、大正の教訓を踏まえて「昭和」が選ばれた過程を克明にたどっている。第1案には「神化」「元化」「昭和」「同和」などが並んでいたという。 わたしが生まれたのは元文の世やった。それから世を去るまでに、寛保、延享、寛延、宝暦、明和、安永、天明、寛政、享和と、九度も元号が変わった。改元のたびに、暦も書付も書き改めるのはひと苦労やったが、新しい年号の字面を眺めるのは、ちょっとした楽しみでもあった。 朝日新聞の論考は、「平成最後」という言葉があふれる今の日本人と元号の関わりを見つめている。次の元号は、どんな字になるのか。書き初めの筆を置いて、あれこれ想像をめぐらせている。
平成の次の元号を待つ正月に。信長が迫った「天正」、幕末の幻の元号「令徳」、「昭和」選定の記録
5月の改元を控え、元号の歴史をふりかえる記事が相次いでいる。信長が朝廷に迫った改元、幕末に退けられた幻の元号、昭和を選んだ記録。元号は、いつの時代も権力と無縁ではなかった。
平成も残り4か月を切った。新しい元号が何になるのか、町の噂はそればかりである。そんな正月に、元号の歴史をふりかえる記事がいくつも出た。 iRONNAの記事によれば、改元は古代から基本的に天皇の権限だったが、鎌倉時代の後半から幕府が口を出すようになり、江戸時代には将軍が元号を内定し、天皇がそれを認めるという形になった。戦国の世には、織田信長が「元亀」から「天正」への改元を朝廷に迫った話も伝わる。元号ひとつにも、権力の綱引きがあったわけだ。 同じくiRONNAは、幕末の幻の元号「令徳」を取り上げている。明治に一世一元の制度ができる前は、辛酉や甲子といった変事が起こるとされる年にも改元した。「令徳」はそうした改元の候補に挙がりながら、採られなかった元号である。徳川に令する、と読めるとして幕府が嫌ったと伝わる。毎日新聞は、公文書館に残る記録から、大正の教訓を踏まえて「昭和」が選ばれた過程を克明にたどっている。第1案には「神化」「元化」「昭和」「同和」などが並んでいたという。 わたしが生まれたのは元文の世やった。それから世を去るまでに、寛保、延享、寛延、宝暦、明和、安永、天明、寛政、享和と、九度も元号が変わった。改元のたびに、暦も書付も書き改めるのはひと苦労やったが、新しい年号の字面を眺めるのは、ちょっとした楽しみでもあった。 朝日新聞の論考は、「平成最後」という言葉があふれる今の日本人と元号の関わりを見つめている。次の元号は、どんな字になるのか。書き初めの筆を置いて、あれこれ想像をめぐらせている。
大河『いだてん』が始まった。明治のオリンピック挑戦に天狗倶楽部、視聴率は2話で3.5ポイント減
2019年の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が1月6日に始まった。明治の末、日本が初めてオリンピックに挑んだ時代を描く異色の大河だ。話題は十分、ただし視聴率はいきなり下がった。
戦国武将も幕末の志士も出てこない大河である。1月6日、宮藤官九郎さんの脚本による大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が始まった。ニコニコニュースによれば、第1話は東京オリンピックの開催決定から時をさかのぼり、明治の末、日本がオリンピックに初めて出るまでの話を描いた。語り手の古今亭志ん生をめぐる演出も、史実を踏まえたものだという。 Yahoo!ニュース(スポニチ)によれば、1912年のストックホルム大会への参加を目指す柔道の創始者・嘉納治五郎を役所広司さんが演じ、早稲田大学総長の大隈重信らも顔をそろえる。明治のスポーツ好きの若者たちが集まった「天狗倶楽部」は、放送直後にネットのトレンド入りを果たした。Yahoo!ニュースの別の記事は、オープンセットも含めた美術の豪華さを伝えている。 さて、気になるのはそろばんのほうだ。日刊スポーツによれば、1月13日放送の第2話の視聴率は関東地区で12.0%。初回の15.5%から3.5ポイントも下がった。大河としては異例の下がり方だという。 わしに言わせれば、無理もない話や。大河の客は、刀と鎧と天下取りを見に来とる。そこへいきなり明治の運動会を出されても、戸惑うのは当然やろう。ただ、客は慣れる。慣れたら化けることもある。一年の興行は長い。初日の入りだけで勝ち負けを決めるのは早計というもんや。 明治の若者が海の向こうの大舞台を目指した話が、令和を前にした日本でどう受け止められるか。視聴率の帳面を、しばらく見守らせてもらおう。
大河『いだてん』が始まった。明治のオリンピック挑戦に天狗倶楽部、視聴率は2話で3.5ポイント減
2019年の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が1月6日に始まった。明治の末、日本が初めてオリンピックに挑んだ時代を描く異色の大河だ。話題は十分、ただし視聴率はいきなり下がった。
戦国武将も幕末の志士も出てこない大河である。1月6日、宮藤官九郎さんの脚本による大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が始まった。ニコニコニュースによれば、第1話は東京オリンピックの開催決定から時をさかのぼり、明治の末、日本がオリンピックに初めて出るまでの話を描いた。語り手の古今亭志ん生をめぐる演出も、史実を踏まえたものだという。 Yahoo!ニュース(スポニチ)によれば、1912年のストックホルム大会への参加を目指す柔道の創始者・嘉納治五郎を役所広司さんが演じ、早稲田大学総長の大隈重信らも顔をそろえる。明治のスポーツ好きの若者たちが集まった「天狗倶楽部」は、放送直後にネットのトレンド入りを果たした。Yahoo!ニュースの別の記事は、オープンセットも含めた美術の豪華さを伝えている。 さて、気になるのはそろばんのほうだ。日刊スポーツによれば、1月13日放送の第2話の視聴率は関東地区で12.0%。初回の15.5%から3.5ポイントも下がった。大河としては異例の下がり方だという。 わしに言わせれば、無理もない話や。大河の客は、刀と鎧と天下取りを見に来とる。そこへいきなり明治の運動会を出されても、戸惑うのは当然やろう。ただ、客は慣れる。慣れたら化けることもある。一年の興行は長い。初日の入りだけで勝ち負けを決めるのは早計というもんや。 明治の若者が海の向こうの大舞台を目指した話が、令和を前にした日本でどう受け止められるか。視聴率の帳面を、しばらく見守らせてもらおう。
新元号 当てたら何か もらえるか 外れた札が 机に積もる
─ 新元号予想屋 ─
新元号 当てたら何か もらえるか 外れた札が 机に積もる
─ 新元号予想屋 ─
2019年1月号をお届けします。明けましておめでとうございます。平成最後の正月、奈良では古墳の「最大」の発表が続き、秋成はんは「大きさは分かっても、誰の墓かは分からん」と、さっそく冷や水を浴びせております。 わたしは改元の歴史を担当しました。自分が生きた時代だけで九度も元号が変わったことを思い出して、次の元号の予想にもつい熱が入りました。芭蕉翁は高槻城の高山右近の障子堀を、西鶴はんは新しい大河『いだてん』の視聴率を、それぞれの持ち場から見てくれています。 かわら版には、子を背負った石人、若草山焼き、名古屋城の欄間の復元などを並べました。新しい年も、ぼちぼちよろしゅうお頼み申します。
2019年1月号をお届けします。明けましておめでとうございます。平成最後の正月、奈良では古墳の「最大」の発表が続き、秋成はんは「大きさは分かっても、誰の墓かは分からん」と、さっそく冷や水を浴びせております。 わたしは改元の歴史を担当しました。自分が生きた時代だけで九度も元号が変わったことを思い出して、次の元号の予想にもつい熱が入りました。芭蕉翁は高槻城の高山右近の障子堀を、西鶴はんは新しい大河『いだてん』の視聴率を、それぞれの持ち場から見てくれています。 かわら版には、子を背負った石人、若草山焼き、名古屋城の欄間の復元などを並べました。新しい年も、ぼちぼちよろしゅうお頼み申します。