国宝「金印」のニセモノ疑惑に新見解、九州では紀元前のすずりの石片。弥生の倭人は文字を書いたのか
志賀島で見つかった国宝「金印」の真贋をめぐる論争に、新しい見解が出た。同じ2月、九州北部の弥生時代の遺跡から、紀元前のすずりとみられる石片が出ていたことも発表された。
「漢委奴国王」。教科書でおなじみの金印ほど、疑いをかけられ続けた国宝も珍しい。朝日新聞によれば、福岡市の志賀島で出土したこの金印をめぐっては、ニセモノではないかという真贋論争が今もやかましく、そこに新しい見解が加わったという。記事によれば、見つかった当時、福岡藩の学者・亀井南冥は、これこそ中国の史書『後漢書』に記された印だと考えた。 金印が志賀島で見つかったのは天明4年(1784年)。わたしが五十の坂を越えたころのことで、京や大坂の学者仲間のあいだでも、ずいぶんと話の種になったものだ。とはいえ、出てきたいきさつがはっきりしない、形や文字の彫り方が当時の印と合わない、と疑う声は、この二百数十年のあいだ絶えることがなかった。本物と言うにも、偽物と言うにも、決め手がないのである。 同じころ、別の角度から弥生の世に光を当てる発表もあった。日本経済新聞や佐賀新聞によれば、國學院大學の柳田康雄客員教授は、福岡・佐賀両県の弥生時代の遺跡から、紀元前1世紀ごろに作られたすずりの一部とみられる石片3点が出土していたと発表した。すずりがあったとなれば、倭人の中に墨で文字を書いた者がいた可能性が出てくる。 さて、ここは一歩引いて見ておきたい。石片がすずりだというのは、形や使った跡からの見立てである。すずりがあったからといって、そこで何がどれだけ書かれたのかまでは分からない。金印も、すずりも、文字の時代の入り口をうかがわせる手がかりにはなるが、それだけで倭の国の姿を言い切ることはできない。 疑いを持ち続けることは、否定することではない。確かめられることを一つずつ積み上げていけば、いつか金印の真贋にも決着がつく日が来るかもしれない。その日を気長に待ちたい。
国宝「金印」のニセモノ疑惑に新見解、九州では紀元前のすずりの石片。弥生の倭人は文字を書いたのか
志賀島で見つかった国宝「金印」の真贋をめぐる論争に、新しい見解が出た。同じ2月、九州北部の弥生時代の遺跡から、紀元前のすずりとみられる石片が出ていたことも発表された。
「漢委奴国王」。教科書でおなじみの金印ほど、疑いをかけられ続けた国宝も珍しい。朝日新聞によれば、福岡市の志賀島で出土したこの金印をめぐっては、ニセモノではないかという真贋論争が今もやかましく、そこに新しい見解が加わったという。記事によれば、見つかった当時、福岡藩の学者・亀井南冥は、これこそ中国の史書『後漢書』に記された印だと考えた。 金印が志賀島で見つかったのは天明4年(1784年)。わたしが五十の坂を越えたころのことで、京や大坂の学者仲間のあいだでも、ずいぶんと話の種になったものだ。とはいえ、出てきたいきさつがはっきりしない、形や文字の彫り方が当時の印と合わない、と疑う声は、この二百数十年のあいだ絶えることがなかった。本物と言うにも、偽物と言うにも、決め手がないのである。 同じころ、別の角度から弥生の世に光を当てる発表もあった。日本経済新聞や佐賀新聞によれば、國學院大學の柳田康雄客員教授は、福岡・佐賀両県の弥生時代の遺跡から、紀元前1世紀ごろに作られたすずりの一部とみられる石片3点が出土していたと発表した。すずりがあったとなれば、倭人の中に墨で文字を書いた者がいた可能性が出てくる。 さて、ここは一歩引いて見ておきたい。石片がすずりだというのは、形や使った跡からの見立てである。すずりがあったからといって、そこで何がどれだけ書かれたのかまでは分からない。金印も、すずりも、文字の時代の入り口をうかがわせる手がかりにはなるが、それだけで倭の国の姿を言い切ることはできない。 疑いを持ち続けることは、否定することではない。確かめられることを一つずつ積み上げていけば、いつか金印の真贋にも決着がつく日が来るかもしれない。その日を気長に待ちたい。
戦艦「比叡」と米空母「ホーネット」、太平洋戦争で沈んだ艦が相次ぎ海底で見つかる。故ポール・アレン氏の調査チーム
太平洋戦争中に沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」と、米海軍の空母「ホーネット」が、南太平洋の海底で相次いで見つかった。いずれも、昨年亡くなった米マイクロソフト共同創業者ポール・アレン氏が設立した調査チームによる発見だ。
七十余年のあいだ、深い海の底で眠っていた艦がある。時事通信によれば、太平洋戦争中に沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」の船体の一部が、1月31日に南太平洋ソロモン諸島のサボ島沖の海底で見つかった。サンケイスポーツによれば、比叡が眠っていたのは水深985メートルの海底だった。 見つけたのは、米マイクロソフトの共同創業者で、昨年10月に亡くなった資産家ポール・アレン氏が設立した財団の調査チームである。サンケイスポーツによれば、このチームはこれまでにも、フィリピン沖で戦艦武蔵とみられる船体を見つけるなど、多くの艦を海底から探し出してきた。ねとらぼは、公開された写真から比叡のどこに注目すべきかを紹介している。 敵味方の区別なく、調査は続く。財経新聞によれば、同じチームは今度はソロモン海で、米空母「ホーネット」を見つけた。ホーネットは、太平洋戦争の序盤に日本本土を初めて空襲した爆撃機を積んで出撃したことで知られる空母である。MSNによれば、発見は沈没から76年ぶりのことだという。 海の底は、陸よりも長く記憶をとどめるのかもしれない。錆びた砲身や甲板の上には、そこで命を落とした多くの人々の最期の時間が、そのまま沈んでいる。 わたしは「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだが、この戦の跡は草ではなく、深い海に覆われている。遠い南の海の底に眠る日米の人々に、静かに手を合わせたい。
戦艦「比叡」と米空母「ホーネット」、太平洋戦争で沈んだ艦が相次ぎ海底で見つかる。故ポール・アレン氏の調査チーム
太平洋戦争中に沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」と、米海軍の空母「ホーネット」が、南太平洋の海底で相次いで見つかった。いずれも、昨年亡くなった米マイクロソフト共同創業者ポール・アレン氏が設立した調査チームによる発見だ。
七十余年のあいだ、深い海の底で眠っていた艦がある。時事通信によれば、太平洋戦争中に沈んだ旧日本海軍の戦艦「比叡」の船体の一部が、1月31日に南太平洋ソロモン諸島のサボ島沖の海底で見つかった。サンケイスポーツによれば、比叡が眠っていたのは水深985メートルの海底だった。 見つけたのは、米マイクロソフトの共同創業者で、昨年10月に亡くなった資産家ポール・アレン氏が設立した財団の調査チームである。サンケイスポーツによれば、このチームはこれまでにも、フィリピン沖で戦艦武蔵とみられる船体を見つけるなど、多くの艦を海底から探し出してきた。ねとらぼは、公開された写真から比叡のどこに注目すべきかを紹介している。 敵味方の区別なく、調査は続く。財経新聞によれば、同じチームは今度はソロモン海で、米空母「ホーネット」を見つけた。ホーネットは、太平洋戦争の序盤に日本本土を初めて空襲した爆撃機を積んで出撃したことで知られる空母である。MSNによれば、発見は沈没から76年ぶりのことだという。 海の底は、陸よりも長く記憶をとどめるのかもしれない。錆びた砲身や甲板の上には、そこで命を落とした多くの人々の最期の時間が、そのまま沈んでいる。 わたしは「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだが、この戦の跡は草ではなく、深い海に覆われている。遠い南の海の底に眠る日米の人々に、静かに手を合わせたい。
土方歳三は没後150年、北条早雲は没後500年、木喰上人は生誕300年。2019年は「節目の年」で町おこし
2019年は、歴史上の人物の節目の年が重なる。新選組の土方歳三が没後150年、戦国大名の北条早雲が没後500年、仏像を彫り歩いた木喰上人が生誕300年。ゆかりの地では、この節目を町おこしに生かそうとしている。
節目の年は、商いの好機である。日本経済新聞によれば、新選組の土方歳三が生まれ育った東京都日野市は、土方が戊辰戦争で箱館で亡くなってから150年となる今年、年末まで市内の各地で関連の催しを開くなどして町をPRしている。全国に名の知れた郷土の英雄を、放っておく手はない。 戦国の世の始まりを告げた男も、節目を迎えた。産経新聞に載った告知によれば、北条早雲は2019年で没後500年。戦略と知謀で下克上を果たした早雲を再評価し、ゆかりの地を歩く「早雲歩き」を呼びかけている。応仁の乱の京へのぼったのはなぜか、駿河へ向かったのはなぜか、と、早雲の足取りをたどる趣向である。 仏像を彫り歩いた旅の僧も、生誕300年を迎えた。関門経済新聞(日向経済新聞)によれば、宮崎県日向市の平岩地蔵尊の祭りでは、木喰上人の生誕300年を記念する式典も開かれた。木喰は江戸時代の1788年に全国を行脚する途中で宮崎を訪れ、この地蔵尊に祭られる「勝軍地蔵尊坐像」を彫ったという。 わしに言わせれば、節目の年というのは、看板の塗り直しみたいなもんや。もともと町にあった宝に、もう一度光を当て直す。土方も早雲も木喰も、もとから町の宝やった。それを「150年」「500年」「300年」という数字でくるんで、改めて売り出すわけや。 ただし、節目の年は一年で終わる。祭りのあとにも客が来てくれる町になれるかどうか。そこが本当の勝負やで。
土方歳三は没後150年、北条早雲は没後500年、木喰上人は生誕300年。2019年は「節目の年」で町おこし
2019年は、歴史上の人物の節目の年が重なる。新選組の土方歳三が没後150年、戦国大名の北条早雲が没後500年、仏像を彫り歩いた木喰上人が生誕300年。ゆかりの地では、この節目を町おこしに生かそうとしている。
節目の年は、商いの好機である。日本経済新聞によれば、新選組の土方歳三が生まれ育った東京都日野市は、土方が戊辰戦争で箱館で亡くなってから150年となる今年、年末まで市内の各地で関連の催しを開くなどして町をPRしている。全国に名の知れた郷土の英雄を、放っておく手はない。 戦国の世の始まりを告げた男も、節目を迎えた。産経新聞に載った告知によれば、北条早雲は2019年で没後500年。戦略と知謀で下克上を果たした早雲を再評価し、ゆかりの地を歩く「早雲歩き」を呼びかけている。応仁の乱の京へのぼったのはなぜか、駿河へ向かったのはなぜか、と、早雲の足取りをたどる趣向である。 仏像を彫り歩いた旅の僧も、生誕300年を迎えた。関門経済新聞(日向経済新聞)によれば、宮崎県日向市の平岩地蔵尊の祭りでは、木喰上人の生誕300年を記念する式典も開かれた。木喰は江戸時代の1788年に全国を行脚する途中で宮崎を訪れ、この地蔵尊に祭られる「勝軍地蔵尊坐像」を彫ったという。 わしに言わせれば、節目の年というのは、看板の塗り直しみたいなもんや。もともと町にあった宝に、もう一度光を当て直す。土方も早雲も木喰も、もとから町の宝やった。それを「150年」「500年」「300年」という数字でくるんで、改めて売り出すわけや。 ただし、節目の年は一年で終わる。祭りのあとにも客が来てくれる町になれるかどうか。そこが本当の勝負やで。
金印は 本物なりや 偽物か 二百年経て まだ判定中
─ 志賀島の釣り人 ─
金印は 本物なりや 偽物か 二百年経て まだ判定中
─ 志賀島の釣り人 ─
2019年2月号をお届けします。寒さの厳しい月ですが、各地から熱い話題が届きました。秋成はんは、志賀島の金印の真贋論争に新しい見解が出たと聞いて、自分が生きていたころに見つかった金印の話やと、いつになく身を乗り出しておりました。 芭蕉翁は、南の海の底で見つかった戦艦比叡と空母ホーネットに手を合わせ、西鶴はんは土方歳三や北条早雲の節目の年を使った町おこしを、そろばん片手に眺めております。 かわら版には、縄文の朱、シーボルト事件の新史料、菅江真澄の和歌、東寺の持国天の上京などを並べました。梅のつぼみもふくらんできました。春はもうすぐです。
2019年2月号をお届けします。寒さの厳しい月ですが、各地から熱い話題が届きました。秋成はんは、志賀島の金印の真贋論争に新しい見解が出たと聞いて、自分が生きていたころに見つかった金印の話やと、いつになく身を乗り出しておりました。 芭蕉翁は、南の海の底で見つかった戦艦比叡と空母ホーネットに手を合わせ、西鶴はんは土方歳三や北条早雲の節目の年を使った町おこしを、そろばん片手に眺めております。 かわら版には、縄文の朱、シーボルト事件の新史料、菅江真澄の和歌、東寺の持国天の上京などを並べました。梅のつぼみもふくらんできました。春はもうすぐです。