令和の幕が開いた。即位後初の一般参賀に14万人、伊勢神宮には連休中88万人。改元のシステム障害も
5月1日、元号が令和に改まり、新しい天皇陛下が即位された。4日の一般参賀には14万人余りが集まり、伊勢神宮の参拝者は連休中に倍増した。一方で、改元に伴うシステムの不具合も各地で起きた。
平成から令和へ。5月1日、元号が改まった。日本経済新聞によれば、即位後初めての一般参賀が4日に皇居で開かれ、晴天のもと14万1130人が訪れた。陛下は「世界の平和と発展を願う」と述べられた。宮内庁は開門の時間を20分早めるほどだったという。 祝いの人波は各地に広がった。47NEWS(共同通信)によれば、伊勢神宮では連休中の参拝者が前年の倍の88万人に上った。神宮司庁は、譲位への感謝と即位のお祝いのために、皇室の祖神とされる天照大神を祭る神宮へ参る人が増えたとみている。NHKによれば、京都御所や奈良の正倉院事務所にも、即位を祝う記帳所が設けられた。産経新聞によれば、陛下は宮中三殿で、即位の儀式を終えたことを歴代の天皇に報告された。 もっとも、めでたいことばかりではない。日経クロステックによれば、改元に伴うシステムの改修で、自治体で不具合が相次いだ。官房長官が5月1日の朝に「支障の報告はない」と安全宣言を出したものの、その後、各地で小さな障害が見つかったという。 わたしが生きていた時代にも、改元のたびに暦や書付を改めるのに苦労したものだった。今は帳面の代わりに機械が年号を覚えている。機械の世の改元にも、昔と変わらぬ手間がかかるのやなあと、妙に感心してしまった。 新しい元号の最初の月。町のあちこちで「令和元年」の文字を見かけるたび、なんとも晴れやかな気持ちになる。この時代が、穏やかで実りのあるものになるよう願わずにはいられない。
令和の幕が開いた。即位後初の一般参賀に14万人、伊勢神宮には連休中88万人。改元のシステム障害も
5月1日、元号が令和に改まり、新しい天皇陛下が即位された。4日の一般参賀には14万人余りが集まり、伊勢神宮の参拝者は連休中に倍増した。一方で、改元に伴うシステムの不具合も各地で起きた。
平成から令和へ。5月1日、元号が改まった。日本経済新聞によれば、即位後初めての一般参賀が4日に皇居で開かれ、晴天のもと14万1130人が訪れた。陛下は「世界の平和と発展を願う」と述べられた。宮内庁は開門の時間を20分早めるほどだったという。 祝いの人波は各地に広がった。47NEWS(共同通信)によれば、伊勢神宮では連休中の参拝者が前年の倍の88万人に上った。神宮司庁は、譲位への感謝と即位のお祝いのために、皇室の祖神とされる天照大神を祭る神宮へ参る人が増えたとみている。NHKによれば、京都御所や奈良の正倉院事務所にも、即位を祝う記帳所が設けられた。産経新聞によれば、陛下は宮中三殿で、即位の儀式を終えたことを歴代の天皇に報告された。 もっとも、めでたいことばかりではない。日経クロステックによれば、改元に伴うシステムの改修で、自治体で不具合が相次いだ。官房長官が5月1日の朝に「支障の報告はない」と安全宣言を出したものの、その後、各地で小さな障害が見つかったという。 わたしが生きていた時代にも、改元のたびに暦や書付を改めるのに苦労したものだった。今は帳面の代わりに機械が年号を覚えている。機械の世の改元にも、昔と変わらぬ手間がかかるのやなあと、妙に感心してしまった。 新しい元号の最初の月。町のあちこちで「令和元年」の文字を見かけるたび、なんとも晴れやかな気持ちになる。この時代が、穏やかで実りのあるものになるよう願わずにはいられない。
百舌鳥・古市古墳群に世界遺産登録の勧告。号外が配られ、古墳こんにゃくがふるまわれた堺・羽曳野の喜び
ユネスコの諮問機関が、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。7月の世界遺産委員会での登録がほぼ確実になり、地元は喜びに包まれた。
長い道のりの先に、ようやく光が見えた。東京新聞によれば、ユネスコの諮問機関は、仁徳天皇陵を含む大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。TBSによれば、古墳群は4世紀後半から5世紀後半にかけて造られた、堺市の仁徳天皇陵古墳や羽曳野市の応神天皇陵古墳などからなる。7月の世界遺産委員会で登録されることが、ほぼ確実になった。 地元は喜びに沸いた。産経新聞(イザ!)によれば、「百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を応援する堺市民の会」は、勧告を喜ぶ号外を出し、仁徳天皇陵の周りで開いた催しで配った。Yahoo!ニュース(産経新聞)によれば、応神天皇を祭る羽曳野市の誉田八幡宮の周辺でも、清掃を続けてきた人々が喜び、「古墳こんにゃく」がふるまわれたという。 空から古墳を眺めようという動きもある。Yahoo!ニュース(スポーツ報知)によれば、仁徳天皇陵を上空から見るヘリコプターの遊覧飛行が注目を集めている。巨大な前方後円墳は、地上からでは森にしか見えない。その形を目で確かめるには、空に上がるのがいちばんというわけだ。 古墳は、千五百年ものあいだ、大阪平野の暮らしのすぐそばにあった。田畑の中に、町の中に、森のように静かにたたずんでいた。それが今、世界の宝として認められようとしている。 旅の身として、古墳の森のほとりを歩いてみたいものだ。初夏の風に木々がざわめく中で、はるか昔の大王たちの眠りに、そっと思いを寄せてみたい。
百舌鳥・古市古墳群に世界遺産登録の勧告。号外が配られ、古墳こんにゃくがふるまわれた堺・羽曳野の喜び
ユネスコの諮問機関が、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。7月の世界遺産委員会での登録がほぼ確実になり、地元は喜びに包まれた。
長い道のりの先に、ようやく光が見えた。東京新聞によれば、ユネスコの諮問機関は、仁徳天皇陵を含む大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録するよう勧告した。TBSによれば、古墳群は4世紀後半から5世紀後半にかけて造られた、堺市の仁徳天皇陵古墳や羽曳野市の応神天皇陵古墳などからなる。7月の世界遺産委員会で登録されることが、ほぼ確実になった。 地元は喜びに沸いた。産経新聞(イザ!)によれば、「百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を応援する堺市民の会」は、勧告を喜ぶ号外を出し、仁徳天皇陵の周りで開いた催しで配った。Yahoo!ニュース(産経新聞)によれば、応神天皇を祭る羽曳野市の誉田八幡宮の周辺でも、清掃を続けてきた人々が喜び、「古墳こんにゃく」がふるまわれたという。 空から古墳を眺めようという動きもある。Yahoo!ニュース(スポーツ報知)によれば、仁徳天皇陵を上空から見るヘリコプターの遊覧飛行が注目を集めている。巨大な前方後円墳は、地上からでは森にしか見えない。その形を目で確かめるには、空に上がるのがいちばんというわけだ。 古墳は、千五百年ものあいだ、大阪平野の暮らしのすぐそばにあった。田畑の中に、町の中に、森のように静かにたたずんでいた。それが今、世界の宝として認められようとしている。 旅の身として、古墳の森のほとりを歩いてみたいものだ。初夏の風に木々がざわめく中で、はるか昔の大王たちの眠りに、そっと思いを寄せてみたい。
「画鬼」河鍋暁斎の没後130年展、神戸で3万人突破。狩野派も戯画もこなした鬼才は、明治の売れっ子絵師
幕末から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎の没後130年展が、兵庫県立美術館で開かれ、来場者が3万人を超えた。狩野派の本格の画から、ユーモラスな戯画まで描き分けた鬼才の人気は衰えない。
「画鬼」と呼ばれた男の展覧会が、人を集めている。神戸新聞によれば、兵庫県立美術館で開かれている展覧会「没後130年 河鍋暁斎」の来場者が、5月10日に3万人を突破した。 暁斎は、幕末から明治にかけて活躍した絵師である。日本経済新聞の展覧会評は、筋肉の盛り上がった手足に力を込めて刀を抜こうとする武士と、その背中に取りついて頭をわしづかみにする鬼女を描いた作品を取り上げている。南北朝時代の伊予の武士・大森彦七が、背負った美女が鬼女に変わったという話を描いたものだ。多彩な制作と、みなぎる気迫。評はそう結んでいる。 毎日新聞によれば、若き日の暁斎を描いたマンガ「狂斎」の作者、ちさかあやさんも会場を訪れた。作家の澤田瞳子さんは、暁斎の娘を主人公にした小説を書いている。暁斎の人となりは、今も物語の書き手たちを引きつけてやまないらしい。 わしに言わせれば、暁斎は明治の売れっ子や。狩野派で修業した本格の画も描けば、酒の席で頼まれればさらさらと戯画も描く。注文があれば何でもこなす。これほど商売上手な絵師はそうはおらん。西洋人の客もついたというから、今で言う輸出の商いまで手がけとったわけや。 腕があって、客の求めを読める。そういう職人は、いつの時代も強い。没後130年たっても3万人を集めるんやから、暁斎の商いはまだまだ続いとるということやな。
「画鬼」河鍋暁斎の没後130年展、神戸で3万人突破。狩野派も戯画もこなした鬼才は、明治の売れっ子絵師
幕末から明治にかけて活躍した絵師・河鍋暁斎の没後130年展が、兵庫県立美術館で開かれ、来場者が3万人を超えた。狩野派の本格の画から、ユーモラスな戯画まで描き分けた鬼才の人気は衰えない。
「画鬼」と呼ばれた男の展覧会が、人を集めている。神戸新聞によれば、兵庫県立美術館で開かれている展覧会「没後130年 河鍋暁斎」の来場者が、5月10日に3万人を突破した。 暁斎は、幕末から明治にかけて活躍した絵師である。日本経済新聞の展覧会評は、筋肉の盛り上がった手足に力を込めて刀を抜こうとする武士と、その背中に取りついて頭をわしづかみにする鬼女を描いた作品を取り上げている。南北朝時代の伊予の武士・大森彦七が、背負った美女が鬼女に変わったという話を描いたものだ。多彩な制作と、みなぎる気迫。評はそう結んでいる。 毎日新聞によれば、若き日の暁斎を描いたマンガ「狂斎」の作者、ちさかあやさんも会場を訪れた。作家の澤田瞳子さんは、暁斎の娘を主人公にした小説を書いている。暁斎の人となりは、今も物語の書き手たちを引きつけてやまないらしい。 わしに言わせれば、暁斎は明治の売れっ子や。狩野派で修業した本格の画も描けば、酒の席で頼まれればさらさらと戯画も描く。注文があれば何でもこなす。これほど商売上手な絵師はそうはおらん。西洋人の客もついたというから、今で言う輸出の商いまで手がけとったわけや。 腕があって、客の求めを読める。そういう職人は、いつの時代も強い。没後130年たっても3万人を集めるんやから、暁斎の商いはまだまだ続いとるということやな。
清盛ら平氏の拠点「六波羅邸」の堀跡か。京都の地面の下から平安末期の遺構、大久保利通の茶室も見つかる
平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた京都・六波羅で、平安時代末期の堀跡が見つかった。六波羅邸に関わる遺構が確かめられたのは初めてだという。京都ではほかにも、地中や家の中から歴史の手がかりが相次いで出ている。
平家物語の舞台が、京の地面の下から顔を出した。京都新聞によれば、平安時代末期に平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた「六波羅邸」の堀跡が京都市東山区で見つかったと、民間の調査会社・文化財サービスが5月16日に発表した。清盛が活躍した時代の遺構とみられ、六波羅邸に関わる屋敷跡が確かめられたのは初めてだという。 朝日新聞は、見つかった場所が、のちに鎌倉幕府が西国の御家人や朝廷を見張るために置いた六波羅政庁(探題)の跡でもあることを伝えている。平安時代後期とみられる堀跡や石垣などが出たという。産経新聞も、平家一門の堀跡の出土として報じている。 さて、ここは見出しの勢いに流されずに読みたい。平氏の六波羅邸は、平家都落ちの際に自ら火を放ったと伝わり、その後この地には六波羅探題が置かれた。同じ土地に、時代の違う屋敷が重なっているのである。見つかった堀が、清盛の時代のものか、それとも後の時代のものか。「とみられる」の言葉の重みを忘れずに、続く調べを待ちたい。 京都では、ほかにも手がかりが出ている。産経新聞(イザ!)によれば、京都市中京区では貴族の邸宅の門と塀の跡が出土し、室町時代にほぼ同じ場所に再び門と塀が設けられたことも確かめられた。京都新聞によれば、京都市上京区で解体工事中の住宅の敷地に、大久保利通の茶室「有待庵」が残っていたことも分かった。幕末に薩摩藩の要人たちが密談を交わした場所とされる。 千年の都は、掘れば何かが出る土地である。だからこそ、出たものを慌てて誰かに結びつけず、層の重なりを一枚ずつ確かめる手間を惜しんではならない。
清盛ら平氏の拠点「六波羅邸」の堀跡か。京都の地面の下から平安末期の遺構、大久保利通の茶室も見つかる
平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた京都・六波羅で、平安時代末期の堀跡が見つかった。六波羅邸に関わる遺構が確かめられたのは初めてだという。京都ではほかにも、地中や家の中から歴史の手がかりが相次いで出ている。
平家物語の舞台が、京の地面の下から顔を出した。京都新聞によれば、平安時代末期に平清盛ら平氏一族が屋敷を構えた「六波羅邸」の堀跡が京都市東山区で見つかったと、民間の調査会社・文化財サービスが5月16日に発表した。清盛が活躍した時代の遺構とみられ、六波羅邸に関わる屋敷跡が確かめられたのは初めてだという。 朝日新聞は、見つかった場所が、のちに鎌倉幕府が西国の御家人や朝廷を見張るために置いた六波羅政庁(探題)の跡でもあることを伝えている。平安時代後期とみられる堀跡や石垣などが出たという。産経新聞も、平家一門の堀跡の出土として報じている。 さて、ここは見出しの勢いに流されずに読みたい。平氏の六波羅邸は、平家都落ちの際に自ら火を放ったと伝わり、その後この地には六波羅探題が置かれた。同じ土地に、時代の違う屋敷が重なっているのである。見つかった堀が、清盛の時代のものか、それとも後の時代のものか。「とみられる」の言葉の重みを忘れずに、続く調べを待ちたい。 京都では、ほかにも手がかりが出ている。産経新聞(イザ!)によれば、京都市中京区では貴族の邸宅の門と塀の跡が出土し、室町時代にほぼ同じ場所に再び門と塀が設けられたことも確かめられた。京都新聞によれば、京都市上京区で解体工事中の住宅の敷地に、大久保利通の茶室「有待庵」が残っていたことも分かった。幕末に薩摩藩の要人たちが密談を交わした場所とされる。 千年の都は、掘れば何かが出る土地である。だからこそ、出たものを慌てて誰かに結びつけず、層の重なりを一枚ずつ確かめる手間を惜しんではならない。
令和元年 孫の産声 聞きながら 祝いの酒は 二本目となる
─ 令和元年生まれの孫を持つ隠居 ─
令和元年 孫の産声 聞きながら 祝いの酒は 二本目となる
─ 令和元年生まれの孫を持つ隠居 ─
2019年5月号をお届けします。令和の幕が開きました。わたしは改元と即位の知らせを、昔の改元の思い出と重ねながら書きました。機械の世の改元にも手間がかかると知って、妙に親しみを覚えております。 芭蕉翁は百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録の勧告を、古墳の森を思い浮かべながら喜び、西鶴はんは河鍋暁斎を「明治の売れっ子」と見立てました。秋成はんは六波羅で見つかった平氏の堀跡に、「同じ土地に時代の違う屋敷が重なっている」と念を押しております。 かわら版には、旧開智学校の国宝指定、永平寺の重文指定、三つの曜変天目の同時公開などを並べました。新しい時代の初夏、どうぞ健やかにお過ごしくださいませ。
2019年5月号をお届けします。令和の幕が開きました。わたしは改元と即位の知らせを、昔の改元の思い出と重ねながら書きました。機械の世の改元にも手間がかかると知って、妙に親しみを覚えております。 芭蕉翁は百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録の勧告を、古墳の森を思い浮かべながら喜び、西鶴はんは河鍋暁斎を「明治の売れっ子」と見立てました。秋成はんは六波羅で見つかった平氏の堀跡に、「同じ土地に時代の違う屋敷が重なっている」と念を押しております。 かわら版には、旧開智学校の国宝指定、永平寺の重文指定、三つの曜変天目の同時公開などを並べました。新しい時代の初夏、どうぞ健やかにお過ごしくださいませ。