百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が目前。仁徳陵への直通バス、古墳フード、お祝いTシャツと、大阪の商魂も全開
5月にユネスコの諮問機関が登録を勧告した「百舌鳥・古市古墳群」。6月30日に世界遺産委員会が開幕し、7月の登録決定が確実視されている。地元では、登録を待ちきれない商いが次々と動き出した。
大坂の商人が、この好機を黙って見とるはずがない。奈良新聞(共同通信)によれば、ユネスコの第43回世界遺産委員会が6月30日にアゼルバイジャンのバクーで開幕する。5月に諮問機関が登録を勧告した「百舌鳥・古市古墳群」は、7月の登録決定が確実視されている。Nippon.comによれば、古市古墳群だけでも東西2.5キロ、南北4キロの範囲に大小45基の古墳が散らばるという。 登録を前に、地元はもう祭りの支度だ。産経新聞によれば、堺市は仁徳天皇陵の拝所と、南海の堺駅・堺東駅を乗り換えなしで結ぶ直通バスを走らせる。毎日放送によれば、大阪・梅田の阪神百貨店では、前方後円墳の形をした食べ物を集めたフェアが開かれ、お堀の部分をネギで表したネギマグロまで並んだ。イザ!によれば、古市古墳群がある藤井寺市の市民らは、49の古墳を描いたお祝いのTシャツを作り、登録が決まったら着て町を歩こうと呼びかけている。 登録までの道のりは平坦ではなかった。イザ!の別の記事によれば、陵墓を管理する宮内庁の理解を得るまでには、堺市の担当者の粘り強い働きかけがあったという。MSNの記事は、前方後円墳が、常に人に見られることを意識した「公の芸術品」でもあったと解説している。 わしに言わせれば、古墳は千五百年寝かせた最高の商品や。バスも食べ物もTシャツも、登録という看板一枚でいくらでも売れる。ただし、看板に頼るだけでは長続きせん。観光客が帰り道に、また来たいと思う町になれるかどうか。そこが商いの腕の見せどころやで。 7月の吉報まで、あと少し。登録の知らせが届いたら、わしも一杯やらせてもらおう。
百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が目前。仁徳陵への直通バス、古墳フード、お祝いTシャツと、大阪の商魂も全開
5月にユネスコの諮問機関が登録を勧告した「百舌鳥・古市古墳群」。6月30日に世界遺産委員会が開幕し、7月の登録決定が確実視されている。地元では、登録を待ちきれない商いが次々と動き出した。
大坂の商人が、この好機を黙って見とるはずがない。奈良新聞(共同通信)によれば、ユネスコの第43回世界遺産委員会が6月30日にアゼルバイジャンのバクーで開幕する。5月に諮問機関が登録を勧告した「百舌鳥・古市古墳群」は、7月の登録決定が確実視されている。Nippon.comによれば、古市古墳群だけでも東西2.5キロ、南北4キロの範囲に大小45基の古墳が散らばるという。 登録を前に、地元はもう祭りの支度だ。産経新聞によれば、堺市は仁徳天皇陵の拝所と、南海の堺駅・堺東駅を乗り換えなしで結ぶ直通バスを走らせる。毎日放送によれば、大阪・梅田の阪神百貨店では、前方後円墳の形をした食べ物を集めたフェアが開かれ、お堀の部分をネギで表したネギマグロまで並んだ。イザ!によれば、古市古墳群がある藤井寺市の市民らは、49の古墳を描いたお祝いのTシャツを作り、登録が決まったら着て町を歩こうと呼びかけている。 登録までの道のりは平坦ではなかった。イザ!の別の記事によれば、陵墓を管理する宮内庁の理解を得るまでには、堺市の担当者の粘り強い働きかけがあったという。MSNの記事は、前方後円墳が、常に人に見られることを意識した「公の芸術品」でもあったと解説している。 わしに言わせれば、古墳は千五百年寝かせた最高の商品や。バスも食べ物もTシャツも、登録という看板一枚でいくらでも売れる。ただし、看板に頼るだけでは長続きせん。観光客が帰り道に、また来たいと思う町になれるかどうか。そこが商いの腕の見せどころやで。 7月の吉報まで、あと少し。登録の知らせが届いたら、わしも一杯やらせてもらおう。
日本遺産「北前船寄港地」に金沢も仲間入り。竹原、赤穂・坂越、洲本と、海の道の町々がつながっていく
江戸中期から明治にかけて日本海と瀬戸内を行き来した北前船。その寄港地や船主の集落を束ねた日本遺産に、金沢市などが追加で認定された。北前船の縁で結ばれた町々の動きを追う。
かつて帆を張った船が、日本海の荒波を越えて北へ南へと行き交った。北前船である。日テレNEWS24によれば、文化庁が認定する日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に、金沢市が追加で認定された。町家や廻船問屋が残る金石の町並み、古くからの醤油造りなどが、構成する文化財になったという。 寄港地の輪は広がり続けている。広島ホームテレビ(Yahoo!ニュース)によれば、広島県竹原市でも日本遺産の記念式典が開かれた。神戸新聞によれば、昨年5月に追加認定された兵庫県赤穂市の坂越浦では、認定1周年を記念する催しが開かれ、獅子舞や餅まきでにぎわったそうだ。 淡路島の洲本市は、北前船で財を成した豪商・高田屋嘉兵衛の生まれ故郷である。MSNに載った記事によれば、今年は嘉兵衛の生誕250年にあたり、日本遺産に認定された洲本市と北前船にまつわる話題が紹介されている。47NEWSによれば、石川県加賀市の子どもたちは、北前船の交易でつながりの深い北海道小樽市を訪ねる洋上セミナーを前に、北前船の里資料館で事前の学習会を開いた。 北前船は、ただ荷を運んだだけではない。港から港へ、言葉や祭りや食べ物まで運んでいった。加賀の子どもたちが小樽を訪ねるのも、三百年前の船乗りたちが結んだ縁の続きである。 陸路の旅に生きた身には、海の道の広さがまぶしい。いつか北前船の航路をたどって、港町を一つずつ訪ね歩いてみたいものだ。
日本遺産「北前船寄港地」に金沢も仲間入り。竹原、赤穂・坂越、洲本と、海の道の町々がつながっていく
江戸中期から明治にかけて日本海と瀬戸内を行き来した北前船。その寄港地や船主の集落を束ねた日本遺産に、金沢市などが追加で認定された。北前船の縁で結ばれた町々の動きを追う。
かつて帆を張った船が、日本海の荒波を越えて北へ南へと行き交った。北前船である。日テレNEWS24によれば、文化庁が認定する日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に、金沢市が追加で認定された。町家や廻船問屋が残る金石の町並み、古くからの醤油造りなどが、構成する文化財になったという。 寄港地の輪は広がり続けている。広島ホームテレビ(Yahoo!ニュース)によれば、広島県竹原市でも日本遺産の記念式典が開かれた。神戸新聞によれば、昨年5月に追加認定された兵庫県赤穂市の坂越浦では、認定1周年を記念する催しが開かれ、獅子舞や餅まきでにぎわったそうだ。 淡路島の洲本市は、北前船で財を成した豪商・高田屋嘉兵衛の生まれ故郷である。MSNに載った記事によれば、今年は嘉兵衛の生誕250年にあたり、日本遺産に認定された洲本市と北前船にまつわる話題が紹介されている。47NEWSによれば、石川県加賀市の子どもたちは、北前船の交易でつながりの深い北海道小樽市を訪ねる洋上セミナーを前に、北前船の里資料館で事前の学習会を開いた。 北前船は、ただ荷を運んだだけではない。港から港へ、言葉や祭りや食べ物まで運んでいった。加賀の子どもたちが小樽を訪ねるのも、三百年前の船乗りたちが結んだ縁の続きである。 陸路の旅に生きた身には、海の道の広さがまぶしい。いつか北前船の航路をたどって、港町を一つずつ訪ね歩いてみたいものだ。
本能寺の変の月に、明智光秀の話題が続々。大河『麒麟がくる』が撮影開始、「神罰」を記した資料、湖水渡りの武者絵
本能寺の変が起きた旧暦6月。来年の大河『麒麟がくる』の撮影が始まり、主人公・明智光秀をめぐる話題が各地で相次いでいる。光秀の実像は、どこまで史料で確かめられるのだろうか。
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀は本能寺の織田信長を襲った。その6月に、光秀の話題があちこちで続いた。毎日新聞によれば、長谷川博己さんが光秀を演じる来年の大河ドラマ『麒麟がくる』が撮影を始めた。福井新聞によれば、光秀を祭る福井市の明智神社では、ドラマの放送を前に訪れる人が増え、今年の法要には過去最高の人が集まったという。 史料の話も出てきた。産経新聞の連載は、変の当日に光秀が美濃のある城主に宛てた書状の写しが、江戸時代前期の歴史書『武家事紀』に収められていることを取り上げている。冒頭には「父子悪逆天下之妨討果候」、つまり信長父子の悪逆は天下の妨げなので討ち果たした、とあるという。丹波新聞は、光秀が討たれた日と、光秀が神社を焼き討ちした日がともに6月13日で、それを「神罰」と記した資料があることを紹介している。 さて、ここは一歩引いて読みたい。『武家事紀』は変から百年近くのちにまとめられた書物で、そこに載る書状は写しである。光秀自身の言葉がそのまま伝わっているのかどうかは、慎重に考えたほうがよい。「神罰」の話も、後の世の人々が光秀の最期に意味を与えようとした縁起の類と読むのが素直だろう。 両丹日日新聞によれば、福知山城では「天正十年六月〜明智一族激動」と題した展示が開かれ、光秀の重臣・明智左馬之助が琵琶湖を馬で渡ったという「湖水渡り」の武者絵が初めて公開された。これも江戸以降に広まった伝説を描いたものである。 光秀の人物像は、史料と伝説と物語が何重にも重なってできている。来年の大河を観る前に、どの層がどれなのかを見分けておくのも悪くない。
本能寺の変の月に、明智光秀の話題が続々。大河『麒麟がくる』が撮影開始、「神罰」を記した資料、湖水渡りの武者絵
本能寺の変が起きた旧暦6月。来年の大河『麒麟がくる』の撮影が始まり、主人公・明智光秀をめぐる話題が各地で相次いでいる。光秀の実像は、どこまで史料で確かめられるのだろうか。
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀は本能寺の織田信長を襲った。その6月に、光秀の話題があちこちで続いた。毎日新聞によれば、長谷川博己さんが光秀を演じる来年の大河ドラマ『麒麟がくる』が撮影を始めた。福井新聞によれば、光秀を祭る福井市の明智神社では、ドラマの放送を前に訪れる人が増え、今年の法要には過去最高の人が集まったという。 史料の話も出てきた。産経新聞の連載は、変の当日に光秀が美濃のある城主に宛てた書状の写しが、江戸時代前期の歴史書『武家事紀』に収められていることを取り上げている。冒頭には「父子悪逆天下之妨討果候」、つまり信長父子の悪逆は天下の妨げなので討ち果たした、とあるという。丹波新聞は、光秀が討たれた日と、光秀が神社を焼き討ちした日がともに6月13日で、それを「神罰」と記した資料があることを紹介している。 さて、ここは一歩引いて読みたい。『武家事紀』は変から百年近くのちにまとめられた書物で、そこに載る書状は写しである。光秀自身の言葉がそのまま伝わっているのかどうかは、慎重に考えたほうがよい。「神罰」の話も、後の世の人々が光秀の最期に意味を与えようとした縁起の類と読むのが素直だろう。 両丹日日新聞によれば、福知山城では「天正十年六月〜明智一族激動」と題した展示が開かれ、光秀の重臣・明智左馬之助が琵琶湖を馬で渡ったという「湖水渡り」の武者絵が初めて公開された。これも江戸以降に広まった伝説を描いたものである。 光秀の人物像は、史料と伝説と物語が何重にも重なってできている。来年の大河を観る前に、どの層がどれなのかを見分けておくのも悪くない。
アメリカの女性コレクターが集めた浮世絵が里帰り。静岡市美術館で「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」展
百年あまり前に来日して浮世絵に魅せられ、1500点以上を集めたアメリカの女性がいた。そのコレクションが、静岡市美術館で紹介されている。北斎の浮世絵は、世界最小の1ミリの印刷にもなった。
海を渡った浮世絵が、百年ぶりに日本へ帰ってきた。中日新聞によれば、静岡市美術館で「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」展が始まった。エインズワース(1867〜1950)は、1906年に初めて日本を訪れて浮世絵に魅せられ、当時は珍しい女性の浮世絵コレクターとして、25年間で1500点以上を集めたという。 アットエスによれば、コレクションの半分以上を歌川広重が占め、葛飾北斎のほか、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽といった名だたる浮世絵師がそろう。初期の浮世絵も多く、世界に1点しか知られていない作品も含まれているそうだ。浮世絵の歴史を、はじめから終わりまでたどれるわけである。 浮世絵は、今も新しい形で生まれ変わっている。日本経済新聞によれば、京都大学などが、インクを使わない技術で、大きさ1ミリの北斎「神奈川沖浪裏」を作った。世界最小の浮世絵だという。楽天 Womanによれば、江戸時代の絵師・鍬形蕙斎の「鳥獣略画式」をもとにした切手も7月に出る。ゆるい線で描かれた動物たちが、なんとも愛らしい。 わたしも若いころから、書画を集めるのを何よりの楽しみにしてきた。異国の婦人が、はるばる海を渡って浮世絵を買い集めた気持ちは、ほんまによう分かる。ええものに出会うたら、手元に置かずにはおれんのが、集める者の性分やからなあ。 蕙斎といえば、わたしと同じ時代の絵師である。その絵が切手になり、同じころの北斎の浪が1ミリの印刷になる。二百年後の世の中は、なかなか面白いことをするもんや。
アメリカの女性コレクターが集めた浮世絵が里帰り。静岡市美術館で「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」展
百年あまり前に来日して浮世絵に魅せられ、1500点以上を集めたアメリカの女性がいた。そのコレクションが、静岡市美術館で紹介されている。北斎の浮世絵は、世界最小の1ミリの印刷にもなった。
海を渡った浮世絵が、百年ぶりに日本へ帰ってきた。中日新聞によれば、静岡市美術館で「メアリー・エインズワース浮世絵コレクション」展が始まった。エインズワース(1867〜1950)は、1906年に初めて日本を訪れて浮世絵に魅せられ、当時は珍しい女性の浮世絵コレクターとして、25年間で1500点以上を集めたという。 アットエスによれば、コレクションの半分以上を歌川広重が占め、葛飾北斎のほか、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽といった名だたる浮世絵師がそろう。初期の浮世絵も多く、世界に1点しか知られていない作品も含まれているそうだ。浮世絵の歴史を、はじめから終わりまでたどれるわけである。 浮世絵は、今も新しい形で生まれ変わっている。日本経済新聞によれば、京都大学などが、インクを使わない技術で、大きさ1ミリの北斎「神奈川沖浪裏」を作った。世界最小の浮世絵だという。楽天 Womanによれば、江戸時代の絵師・鍬形蕙斎の「鳥獣略画式」をもとにした切手も7月に出る。ゆるい線で描かれた動物たちが、なんとも愛らしい。 わたしも若いころから、書画を集めるのを何よりの楽しみにしてきた。異国の婦人が、はるばる海を渡って浮世絵を買い集めた気持ちは、ほんまによう分かる。ええものに出会うたら、手元に置かずにはおれんのが、集める者の性分やからなあ。 蕙斎といえば、わたしと同じ時代の絵師である。その絵が切手になり、同じころの北斎の浪が1ミリの印刷になる。二百年後の世の中は、なかなか面白いことをするもんや。
前方も 後円もみな 売り物に 大王さまも 苦笑いかな
─ 堺の古墳パン職人 ─
前方も 後円もみな 売り物に 大王さまも 苦笑いかな
─ 堺の古墳パン職人 ─
2019年6月号をお届けします。百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録がいよいよ目前となり、西鶴はんは直通バスに古墳フードにTシャツと、大阪の商魂を頼もしげに眺めております。 秋成はんは本能寺の変の月に明智光秀の史料を読み直し、芭蕉翁は北前船の寄港地をつなぐ海の道に思いを馳せてくれました。わたしはアメリカの婦人が集めた浮世絵の里帰りを担当しましたが、集める者の気持ちが分かりすぎて、つい熱が入りました。 かわら版には、唐招提寺の鑑真和上坐像、満濃池の名勝指定、黒石の猫碑などを並べました。梅雨の晴れ間に、古い碑や石仏を訪ねるのもええもんです。
2019年6月号をお届けします。百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録がいよいよ目前となり、西鶴はんは直通バスに古墳フードにTシャツと、大阪の商魂を頼もしげに眺めております。 秋成はんは本能寺の変の月に明智光秀の史料を読み直し、芭蕉翁は北前船の寄港地をつなぐ海の道に思いを馳せてくれました。わたしはアメリカの婦人が集めた浮世絵の里帰りを担当しましたが、集める者の気持ちが分かりすぎて、つい熱が入りました。 かわら版には、唐招提寺の鑑真和上坐像、満濃池の名勝指定、黒石の猫碑などを並べました。梅雨の晴れ間に、古い碑や石仏を訪ねるのもええもんです。