世界遺産登録から1か月、古墳の町は大忙し。周遊バスに古墳列車、ハニワ課長は部長に昇進、展望施設は白紙に
7月に世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群。1か月がたち、周遊バスや古墳のラッピング列車が走り出した。一方で、仁徳天皇陵の展望施設の計画は白紙に戻った。登録後の古墳の町の動きを追う。
祭りのあとが、商いの本番である。日本経済新聞によれば、大阪府は8月22日から、百舌鳥エリアの堺市博物館前と、古市エリアの土師ノ里駅前、羽曳野市役所前の3か所を55分で結ぶ周遊バスを走らせる。土日祝日に1日4往復するという。時事通信によれば、近鉄と南海電鉄は古墳をデザインしたラッピング列車の運行も始めた。 堺市の公式キャラクターも出世した。読売新聞によれば、堺市は8月28日、古墳群をPRしてきた「ハニワ課長」を同じ日付で「部長」に昇任させると発表した。本人いわく「土器だけに胸がドキドキ」だそうな。千六百歳にしての昇進とは、めでたい話や。 ただし、うまい話ばかりではない。朝日新聞によれば、堺市の永藤英機市長は22日、大山古墳(伝仁徳天皇陵)の西側に計画していた展望施設の建設を中止すると発表した。代わりに気球で空から眺める案を検討するという。日本経済新聞は、世界遺産になった地域では観光客が増えるが、その効果をどう長く保つかが問われると指摘している。ビジネスジャーナルも、登録をめぐって学界から懸念の声が出ていることを伝えている。 わしに言わせれば、世界遺産は看板であって、商品そのものではない。看板を掲げたら客は来る。けれども、見るものがない、休む場所がない、また来たいと思わん、となれば、客は二度と戻ってこん。古墳は外から眺めるしかない森やから、見せ方の工夫が肝心や。気球もええが、足元の町の味わいを磨くことも忘れんといてほしい。 ハニワ部長には、来年は局長を目指してがんばってもらいたい。堺の商人の腕の見せどころは、これからやで。
世界遺産登録から1か月、古墳の町は大忙し。周遊バスに古墳列車、ハニワ課長は部長に昇進、展望施設は白紙に
7月に世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群。1か月がたち、周遊バスや古墳のラッピング列車が走り出した。一方で、仁徳天皇陵の展望施設の計画は白紙に戻った。登録後の古墳の町の動きを追う。
祭りのあとが、商いの本番である。日本経済新聞によれば、大阪府は8月22日から、百舌鳥エリアの堺市博物館前と、古市エリアの土師ノ里駅前、羽曳野市役所前の3か所を55分で結ぶ周遊バスを走らせる。土日祝日に1日4往復するという。時事通信によれば、近鉄と南海電鉄は古墳をデザインしたラッピング列車の運行も始めた。 堺市の公式キャラクターも出世した。読売新聞によれば、堺市は8月28日、古墳群をPRしてきた「ハニワ課長」を同じ日付で「部長」に昇任させると発表した。本人いわく「土器だけに胸がドキドキ」だそうな。千六百歳にしての昇進とは、めでたい話や。 ただし、うまい話ばかりではない。朝日新聞によれば、堺市の永藤英機市長は22日、大山古墳(伝仁徳天皇陵)の西側に計画していた展望施設の建設を中止すると発表した。代わりに気球で空から眺める案を検討するという。日本経済新聞は、世界遺産になった地域では観光客が増えるが、その効果をどう長く保つかが問われると指摘している。ビジネスジャーナルも、登録をめぐって学界から懸念の声が出ていることを伝えている。 わしに言わせれば、世界遺産は看板であって、商品そのものではない。看板を掲げたら客は来る。けれども、見るものがない、休む場所がない、また来たいと思わん、となれば、客は二度と戻ってこん。古墳は外から眺めるしかない森やから、見せ方の工夫が肝心や。気球もええが、足元の町の味わいを磨くことも忘れんといてほしい。 ハニワ部長には、来年は局長を目指してがんばってもらいたい。堺の商人の腕の見せどころは、これからやで。
桜井茶臼山古墳の巨大木棺が初公開、飛鳥京跡苑池には「水のまつり」の跡か。夏の奈良で発掘成果が相次ぐ
初期ヤマト王権の大王墓級とされる桜井茶臼山古墳の木棺が、保存処理を終えて初めて一般公開された。飛鳥京跡苑池では、古墳時代から続く「水のまつり」の跡ではないかという流水施設も見つかった。
長さ5メートル近い丸太の棺である。産経新聞(イザ!)によれば、奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳で出土した木棺(長さ4.89メートル、幅75センチ、厚さ27センチ)の保存処理が終わり、8月21日から奈良県立橿原考古学研究所で初めて一般に公開された。奈良新聞によれば、この古墳は3世紀末から4世紀初めの、初期ヤマト王権の大王墓級とされる国史跡である。 明日香村でも発見があった。朝日新聞によれば、橿原考古学研究所は8月8日、飛鳥京跡苑池で、7世紀後半にわき水を流す施設として造られたとみられる流水施設が見つかったと発表した。古墳時代から続く「水のまつり」の宮廷儀式を行っていた可能性が高まったという。 さて、ここで一歩引いておきたい。流水施設があったことと、そこで「水のまつり」が行われていたこととは、同じではない。水を引いた庭の設備を、どこまで儀式と結びつけて読めるのか。可能性が「高まった」という言い方には、まだ確かめるべき余地が残っていると読むべきだろう。 京都府城陽市でも調査が進む。朝日新聞によれば、山城地域で最大の前方後円墳・久津川車塚古墳(5世紀前半、全長272メートル)で、これまで推定でしかなかった後円部の構造と大きさが確かめられ、直径は110メートルだった。産経新聞によれば、文化庁は修復中の国宝・高松塚古墳壁画を、9つの学会の専門家16人に4年ぶりに公開した。 発掘の報告は、見出しより本文を、本文より報告書を読むにかぎる。夏の暑さに浮かれず、確かな数字を一つずつ積み上げていきたい。
桜井茶臼山古墳の巨大木棺が初公開、飛鳥京跡苑池には「水のまつり」の跡か。夏の奈良で発掘成果が相次ぐ
初期ヤマト王権の大王墓級とされる桜井茶臼山古墳の木棺が、保存処理を終えて初めて一般公開された。飛鳥京跡苑池では、古墳時代から続く「水のまつり」の跡ではないかという流水施設も見つかった。
長さ5メートル近い丸太の棺である。産経新聞(イザ!)によれば、奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳で出土した木棺(長さ4.89メートル、幅75センチ、厚さ27センチ)の保存処理が終わり、8月21日から奈良県立橿原考古学研究所で初めて一般に公開された。奈良新聞によれば、この古墳は3世紀末から4世紀初めの、初期ヤマト王権の大王墓級とされる国史跡である。 明日香村でも発見があった。朝日新聞によれば、橿原考古学研究所は8月8日、飛鳥京跡苑池で、7世紀後半にわき水を流す施設として造られたとみられる流水施設が見つかったと発表した。古墳時代から続く「水のまつり」の宮廷儀式を行っていた可能性が高まったという。 さて、ここで一歩引いておきたい。流水施設があったことと、そこで「水のまつり」が行われていたこととは、同じではない。水を引いた庭の設備を、どこまで儀式と結びつけて読めるのか。可能性が「高まった」という言い方には、まだ確かめるべき余地が残っていると読むべきだろう。 京都府城陽市でも調査が進む。朝日新聞によれば、山城地域で最大の前方後円墳・久津川車塚古墳(5世紀前半、全長272メートル)で、これまで推定でしかなかった後円部の構造と大きさが確かめられ、直径は110メートルだった。産経新聞によれば、文化庁は修復中の国宝・高松塚古墳壁画を、9つの学会の専門家16人に4年ぶりに公開した。 発掘の報告は、見出しより本文を、本文より報告書を読むにかぎる。夏の暑さに浮かれず、確かな数字を一つずつ積み上げていきたい。
戦後74年の夏、沖縄戦の記憶を誰が受け継ぐか。ひめゆりの資料館、戦跡の発掘、慰霊の塔から
終戦から74年の夏。沖縄戦を体験した世代が少なくなるなか、その記憶を戦後の世代が受け継ごうとしている。平和祈念資料館の取り組み、戦跡を考古学の目で掘る試み、慰霊の場の声を拾う。
蝉しぐれが降りそそぐ南の島で、74回目の夏が来た。47NEWS(共同通信)によれば、沖縄本島の南端に近い糸満市のひめゆり平和祈念資料館では、戦争を体験した世代から戦後の世代へと、沖縄戦の記憶を語り継ぐ担い手を移していくため、展示のリニューアルに向けた準備が進んでいる。 戦争の跡を、考古学の対象として掘り起こそうという動きもある。毎日新聞によれば、沖縄戦では西原村の住民の約47%が亡くなった。戦場となった土地に残る壕や陣地の跡を、戦争遺跡として調べ、記録していく必要性が語られている。遺跡というと古代のものを思い浮かべがちだが、七十余年前の戦の跡もまた、土の中に眠る歴史である。 琉球新報によれば、沖縄県立農林学校の生徒たちの慰霊塔「農林健児之塔」では、同窓生らが慰霊祭を開き、亡き友のみ霊を悼んだ。二度と愚かな戦争を起こさないためにも、沖縄戦を風化させることなく後輩に語り継ぐ、という言葉が述べられたという。東京新聞によれば、茨城県常陸大宮市でも、高校生の朗読を通じて、ひめゆり学徒隊の歩みから沖縄戦を考える催しが開かれた。 わたしは生涯を旅に過ごしたが、南の島までは足を延ばせなかった。だが、戦で散った人々の跡を訪ね、その土地に立って思いを寄せることの大切さは、平泉で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだとき以来、身にしみて知っている。 体験した人の声が聞けなくなっても、土地は記憶を残し、言葉は受け継がれていく。この夏、南の空に静かに手を合わせたい。
戦後74年の夏、沖縄戦の記憶を誰が受け継ぐか。ひめゆりの資料館、戦跡の発掘、慰霊の塔から
終戦から74年の夏。沖縄戦を体験した世代が少なくなるなか、その記憶を戦後の世代が受け継ごうとしている。平和祈念資料館の取り組み、戦跡を考古学の目で掘る試み、慰霊の場の声を拾う。
蝉しぐれが降りそそぐ南の島で、74回目の夏が来た。47NEWS(共同通信)によれば、沖縄本島の南端に近い糸満市のひめゆり平和祈念資料館では、戦争を体験した世代から戦後の世代へと、沖縄戦の記憶を語り継ぐ担い手を移していくため、展示のリニューアルに向けた準備が進んでいる。 戦争の跡を、考古学の対象として掘り起こそうという動きもある。毎日新聞によれば、沖縄戦では西原村の住民の約47%が亡くなった。戦場となった土地に残る壕や陣地の跡を、戦争遺跡として調べ、記録していく必要性が語られている。遺跡というと古代のものを思い浮かべがちだが、七十余年前の戦の跡もまた、土の中に眠る歴史である。 琉球新報によれば、沖縄県立農林学校の生徒たちの慰霊塔「農林健児之塔」では、同窓生らが慰霊祭を開き、亡き友のみ霊を悼んだ。二度と愚かな戦争を起こさないためにも、沖縄戦を風化させることなく後輩に語り継ぐ、という言葉が述べられたという。東京新聞によれば、茨城県常陸大宮市でも、高校生の朗読を通じて、ひめゆり学徒隊の歩みから沖縄戦を考える催しが開かれた。 わたしは生涯を旅に過ごしたが、南の島までは足を延ばせなかった。だが、戦で散った人々の跡を訪ね、その土地に立って思いを寄せることの大切さは、平泉で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだとき以来、身にしみて知っている。 体験した人の声が聞けなくなっても、土地は記憶を残し、言葉は受け継がれていく。この夏、南の空に静かに手を合わせたい。
千六百 歳で部長に 昇進す わしの出世は まだ土の中
─ 百舌鳥の昇進待ち ─
千六百 歳で部長に 昇進す わしの出世は まだ土の中
─ 百舌鳥の昇進待ち ─
2019年8月号をお届けします。世界遺産の登録から1か月、西鶴はんは周遊バスやハニワ部長の昇進を面白がりつつ、「看板だけでは客は戻ってこん」と、堺の商人に発破をかけております。 秋成はんは桜井茶臼山古墳の木棺や飛鳥京跡苑池の流水施設に、「可能性が高まった、は、確かめられた、ではない」と釘を刺しました。芭蕉翁は戦後74年の夏に、沖縄戦の記憶を受け継ぐ人々の姿を拾い上げてくれました。 かわら版には、キトラ古墳の天文図の公開予定、和水町の古墳祭、豊後の南蛮文化などを並べました。残暑の折、どうぞご自愛くださいませ。
2019年8月号をお届けします。世界遺産の登録から1か月、西鶴はんは周遊バスやハニワ部長の昇進を面白がりつつ、「看板だけでは客は戻ってこん」と、堺の商人に発破をかけております。 秋成はんは桜井茶臼山古墳の木棺や飛鳥京跡苑池の流水施設に、「可能性が高まった、は、確かめられた、ではない」と釘を刺しました。芭蕉翁は戦後74年の夏に、沖縄戦の記憶を受け継ぐ人々の姿を拾い上げてくれました。 かわら版には、キトラ古墳の天文図の公開予定、和水町の古墳祭、豊後の南蛮文化などを並べました。残暑の折、どうぞご自愛くださいませ。