曹操の墓の鏡と大分の鏡が「酷似」。卑弥呼がもらった鏡なのか——重文の鉄鏡をめぐる中国の研究者の発表
三国志の英雄・曹操の墓から出た鏡が、大分県日田市で戦前に見つかったとされる重要文化財の鉄鏡とそっくりだと、中国の研究者が発表した。卑弥呼が魏から贈られた鏡ではないか、という想像もふくらむ。
三国志の英雄と、邪馬台国の女王が、一枚の鏡で結ばれるのか。朝日新聞によれば、中国の研究者が、魏の曹操の墓から出土した鏡が、大分県日田市で見つかったとされる重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」と酷似していると発表した。 朝日新聞の別の記事によれば、この鉄鏡は、華やかさでは随一と多くの考古学者が太鼓判をおす鏡である。1933年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治が1963年に報告し、翌64年に重要文化財に指定された。記事は、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏から贈られた鏡との関わりにも触れている。 さて、ここは頭を冷やして読みたい。「酷似」とは、形や文様がよく似ているということであって、同じ工房で作られたことや、魏の皇帝から倭に贈られたことまでを示すものではない。しかもこの鉄鏡は、見つかったいきさつが「線路工事の際に見つかったといわれ」と伝聞で語られている。どこの、どんな遺構から、どういう状態で出たのか。出どころが確かでない品に、卑弥呼の名を重ねるのは、少々気が早いのではないか。 とはいえ、中国の側の研究者が、日本の鏡に注目して比べたことには大きな意味がある。『魏志倭人伝』は、魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を与えたと記す。その鏡がどれなのかは、長く論争の的になってきた。海の向こうの出土品と日本の鏡とを突き合わせる研究が進めば、いずれ手がかりが見えてくるかもしれない。 鏡は物を映すが、見る者の願いもまた映してしまう。卑弥呼の鏡であってほしいという願いと、確かめられる事実とを、取り違えないようにしたい。
曹操の墓の鏡と大分の鏡が「酷似」。卑弥呼がもらった鏡なのか——重文の鉄鏡をめぐる中国の研究者の発表
三国志の英雄・曹操の墓から出た鏡が、大分県日田市で戦前に見つかったとされる重要文化財の鉄鏡とそっくりだと、中国の研究者が発表した。卑弥呼が魏から贈られた鏡ではないか、という想像もふくらむ。
三国志の英雄と、邪馬台国の女王が、一枚の鏡で結ばれるのか。朝日新聞によれば、中国の研究者が、魏の曹操の墓から出土した鏡が、大分県日田市で見つかったとされる重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」と酷似していると発表した。 朝日新聞の別の記事によれば、この鉄鏡は、華やかさでは随一と多くの考古学者が太鼓判をおす鏡である。1933年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治が1963年に報告し、翌64年に重要文化財に指定された。記事は、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏から贈られた鏡との関わりにも触れている。 さて、ここは頭を冷やして読みたい。「酷似」とは、形や文様がよく似ているということであって、同じ工房で作られたことや、魏の皇帝から倭に贈られたことまでを示すものではない。しかもこの鉄鏡は、見つかったいきさつが「線路工事の際に見つかったといわれ」と伝聞で語られている。どこの、どんな遺構から、どういう状態で出たのか。出どころが確かでない品に、卑弥呼の名を重ねるのは、少々気が早いのではないか。 とはいえ、中国の側の研究者が、日本の鏡に注目して比べたことには大きな意味がある。『魏志倭人伝』は、魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を与えたと記す。その鏡がどれなのかは、長く論争の的になってきた。海の向こうの出土品と日本の鏡とを突き合わせる研究が進めば、いずれ手がかりが見えてくるかもしれない。 鏡は物を映すが、見る者の願いもまた映してしまう。卑弥呼の鏡であってほしいという願いと、確かめられる事実とを、取り違えないようにしたい。
討ち入りにはいくらかかったのか。映画『決算!忠臣蔵』の予告が公開、大石内蔵助の帳簿をもとにした「お金の忠臣蔵」
堤真一さんと岡村隆史さんがダブル主演する映画『決算!忠臣蔵』の予告映像と場面写真が公開された。赤穂浪士の討ち入りを、お金の面から描く異色の時代劇だ。原作は、大石内蔵助が残した帳簿を読み解いた歴史学者の本である。
仇討ちにも、銭がかかる。これほど腑に落ちる話はない。Yahoo!ニュース(映画ナタリー)によれば、堤真一さんと岡村隆史さんがダブル主演する映画『決算!忠臣蔵』の本予告映像が公開された。見出しは「仇討ちに金がこんな掛かるって…なんでやねん!」である。Yahoo!ニュース(CDジャーナル)によれば、公開は11月だという。 楽天 Woman(マイナビニュース)によれば、この映画は歴史学者・山本博文さんの『「忠臣蔵」の決算書』が原作で、赤穂浪士たちの場面写真も公開された。堤さんが大石内蔵助、岡村さんが藩の勘定方を演じ、濱田岳さんや横山裕さんらも浪士として並ぶ。 原作のもとになったのは、大石内蔵助が討ち入りの直前にまとめた、藩の残りの金の使い道を記した帳簿である。お家断絶のあと、浪士たちは限られた軍資金で江戸と上方を行き来し、同志の暮らしを支え、武具をそろえた。その出入りが、一文単位で書き留められていたわけや。 わしに言わせれば、これこそ忠臣蔵のいちばんおもろいところや。美談の裏には、必ず勘定がある。旅費、宿代、武具代、同志への手当て。いくら忠義の心があっても、銭がなければ江戸まで行けん。予算が尽きかけて、それでも討ち入りを果たす。そこに、人の知恵と意地が詰まっとるんや。 赤穂浪士の討ち入りは、元禄の世の出来事。わしが浮世草子を書いとった時代のすぐあとの話やから、どうにも他人事とは思えん。11月の公開を楽しみに待つとしよう。
討ち入りにはいくらかかったのか。映画『決算!忠臣蔵』の予告が公開、大石内蔵助の帳簿をもとにした「お金の忠臣蔵」
堤真一さんと岡村隆史さんがダブル主演する映画『決算!忠臣蔵』の予告映像と場面写真が公開された。赤穂浪士の討ち入りを、お金の面から描く異色の時代劇だ。原作は、大石内蔵助が残した帳簿を読み解いた歴史学者の本である。
仇討ちにも、銭がかかる。これほど腑に落ちる話はない。Yahoo!ニュース(映画ナタリー)によれば、堤真一さんと岡村隆史さんがダブル主演する映画『決算!忠臣蔵』の本予告映像が公開された。見出しは「仇討ちに金がこんな掛かるって…なんでやねん!」である。Yahoo!ニュース(CDジャーナル)によれば、公開は11月だという。 楽天 Woman(マイナビニュース)によれば、この映画は歴史学者・山本博文さんの『「忠臣蔵」の決算書』が原作で、赤穂浪士たちの場面写真も公開された。堤さんが大石内蔵助、岡村さんが藩の勘定方を演じ、濱田岳さんや横山裕さんらも浪士として並ぶ。 原作のもとになったのは、大石内蔵助が討ち入りの直前にまとめた、藩の残りの金の使い道を記した帳簿である。お家断絶のあと、浪士たちは限られた軍資金で江戸と上方を行き来し、同志の暮らしを支え、武具をそろえた。その出入りが、一文単位で書き留められていたわけや。 わしに言わせれば、これこそ忠臣蔵のいちばんおもろいところや。美談の裏には、必ず勘定がある。旅費、宿代、武具代、同志への手当て。いくら忠義の心があっても、銭がなければ江戸まで行けん。予算が尽きかけて、それでも討ち入りを果たす。そこに、人の知恵と意地が詰まっとるんや。 赤穂浪士の討ち入りは、元禄の世の出来事。わしが浮世草子を書いとった時代のすぐあとの話やから、どうにも他人事とは思えん。11月の公開を楽しみに待つとしよう。
政宗の実子をうかがわせる書状、涌谷伊達家の武具。秋の東北で、伊達と会津の歴史をたどる催しが続く
秋の東北で、伊達家や会津藩ゆかりの話題が相次いだ。仙台藩の家臣・佐沼亘理家の初代が伊達政宗の実子だったことをうかがわせる書状が見つかり、会津まつりの藩公行列には、ゆかりの藩の人々も加わった。
秋風が吹き始めた奥羽の地から、便りが届いた。河北新報によれば、藩制時代に宮城県登米市の一帯を治めた仙台藩の家臣・佐沼亘理家の初代・亘理宗根(1600〜69)が、藩主伊達政宗の実子であることをうかがわせる書状が、登米市歴史博物館で初めて見つかった。 河北新報によれば、宮城県涌谷町の町立史料館では、藩制時代に涌谷を治めた涌谷伊達家ゆかりの甲冑や刀などを紹介する「涌谷にのこる武具展」が開かれている。仙台藩のお抱えの刀工・国包の刀も並ぶという。 会津でも、歴史をつなぐ催しがあった。河北新報によれば、会津地方を築いた先人に感謝する「会津まつり」のメインの藩公行列が9月22日、会津若松市の中心部で行われた。鎌倉から江戸時代の歴代領主が並ぶ総勢約500人の行列には、奥羽越列藩同盟を組んだ仙台藩の遠藤家花山鉄砲組や、会津藩が再興した地・斗南藩(むつ市)の人々も加わった。女優の綾瀬はるかさんも今年も参加し、沿道からは「ありがとなし」の声援が飛んだ。 河北新報によれば、戊辰戦争で仙台藩の最後の激戦地となった駒ケ嶺や旗巻峠、そして二本松を訪ねるツアーも計画されている。百五十年前、同盟を結んで戦った藩と藩の縁が、今も祭りや旅の形で続いているのである。 わたしが『おくのほそ道』の旅で奥羽を歩いたのは、伊達の殿様が治めていたころのことだった。松島の月、塩竈の浦。あの土地の人々が、今も先祖の歴史を大切にしていると聞くと、旅の日々が懐かしく思い出される。
政宗の実子をうかがわせる書状、涌谷伊達家の武具。秋の東北で、伊達と会津の歴史をたどる催しが続く
秋の東北で、伊達家や会津藩ゆかりの話題が相次いだ。仙台藩の家臣・佐沼亘理家の初代が伊達政宗の実子だったことをうかがわせる書状が見つかり、会津まつりの藩公行列には、ゆかりの藩の人々も加わった。
秋風が吹き始めた奥羽の地から、便りが届いた。河北新報によれば、藩制時代に宮城県登米市の一帯を治めた仙台藩の家臣・佐沼亘理家の初代・亘理宗根(1600〜69)が、藩主伊達政宗の実子であることをうかがわせる書状が、登米市歴史博物館で初めて見つかった。 河北新報によれば、宮城県涌谷町の町立史料館では、藩制時代に涌谷を治めた涌谷伊達家ゆかりの甲冑や刀などを紹介する「涌谷にのこる武具展」が開かれている。仙台藩のお抱えの刀工・国包の刀も並ぶという。 会津でも、歴史をつなぐ催しがあった。河北新報によれば、会津地方を築いた先人に感謝する「会津まつり」のメインの藩公行列が9月22日、会津若松市の中心部で行われた。鎌倉から江戸時代の歴代領主が並ぶ総勢約500人の行列には、奥羽越列藩同盟を組んだ仙台藩の遠藤家花山鉄砲組や、会津藩が再興した地・斗南藩(むつ市)の人々も加わった。女優の綾瀬はるかさんも今年も参加し、沿道からは「ありがとなし」の声援が飛んだ。 河北新報によれば、戊辰戦争で仙台藩の最後の激戦地となった駒ケ嶺や旗巻峠、そして二本松を訪ねるツアーも計画されている。百五十年前、同盟を結んで戦った藩と藩の縁が、今も祭りや旅の形で続いているのである。 わたしが『おくのほそ道』の旅で奥羽を歩いたのは、伊達の殿様が治めていたころのことだった。松島の月、塩竈の浦。あの土地の人々が、今も先祖の歴史を大切にしていると聞くと、旅の日々が懐かしく思い出される。
全国初の勝海舟記念館が、別荘のあった洗足池のほとりに開館。江戸無血開城の立役者の素顔を伝える
江戸城の無血開城を西郷隆盛とともに成し遂げた幕臣・勝海舟の、全国で初めての記念館が、東京都大田区の洗足池のほとりに開館した。海舟が別荘を構えた地である。
江戸の町を戦火から救った男の記念館が、ようやくできた。愛媛新聞(共同通信)によれば、西郷隆盛とともに江戸城の無血開城を成し遂げたことで知られる幕臣・勝海舟の、全国で初めての記念館が、ゆかりの洗足池のほとりにオープンした。東京都大田区が開いたものである。 中日スポーツによれば、洗足池は海舟の別荘があった景勝地で、記念館は海舟の偉業を後世に伝えるために建てられた。開館の式典に出た女優の高橋ひとみさんは、海舟の胸像を眺めて「彫りが深くてイケメン」と笑顔でたたえたという。近所に住み、いつも犬の散歩をしている場所にこんな施設ができてうれしい、とも話したそうだ。 海舟は、若いころ蘭学を学び、咸臨丸で太平洋を渡った。幕臣でありながら、幕府の側だけにとらわれずに国の行く末を考えた人物である。江戸城の明け渡しにあたって、西郷と向き合い、百万の町人の命を救ったことは、今も語り継がれている。 わたしのころの大坂には、海舟のような人はおらなんだが、身分や立場を越えて人と交わり、知恵を集めることの大切さは、同じように思う。蘭学の知恵が、やがて国を動かすほどの力になった。書物を集め、人と語り合ってきた身としては、なんとも嬉しい話や。 洗足池のほとりで、海舟は何を思って水面を眺めていたのだろう。いつか記念館を訪ねて、その胸の内を想像してみたい。
全国初の勝海舟記念館が、別荘のあった洗足池のほとりに開館。江戸無血開城の立役者の素顔を伝える
江戸城の無血開城を西郷隆盛とともに成し遂げた幕臣・勝海舟の、全国で初めての記念館が、東京都大田区の洗足池のほとりに開館した。海舟が別荘を構えた地である。
江戸の町を戦火から救った男の記念館が、ようやくできた。愛媛新聞(共同通信)によれば、西郷隆盛とともに江戸城の無血開城を成し遂げたことで知られる幕臣・勝海舟の、全国で初めての記念館が、ゆかりの洗足池のほとりにオープンした。東京都大田区が開いたものである。 中日スポーツによれば、洗足池は海舟の別荘があった景勝地で、記念館は海舟の偉業を後世に伝えるために建てられた。開館の式典に出た女優の高橋ひとみさんは、海舟の胸像を眺めて「彫りが深くてイケメン」と笑顔でたたえたという。近所に住み、いつも犬の散歩をしている場所にこんな施設ができてうれしい、とも話したそうだ。 海舟は、若いころ蘭学を学び、咸臨丸で太平洋を渡った。幕臣でありながら、幕府の側だけにとらわれずに国の行く末を考えた人物である。江戸城の明け渡しにあたって、西郷と向き合い、百万の町人の命を救ったことは、今も語り継がれている。 わたしのころの大坂には、海舟のような人はおらなんだが、身分や立場を越えて人と交わり、知恵を集めることの大切さは、同じように思う。蘭学の知恵が、やがて国を動かすほどの力になった。書物を集め、人と語り合ってきた身としては、なんとも嬉しい話や。 洗足池のほとりで、海舟は何を思って水面を眺めていたのだろう。いつか記念館を訪ねて、その胸の内を想像してみたい。
討ち入りの 銭の出入りを 記したる 内蔵助殿 几帳面なり
─ 赤穂の勘定方見習い ─
討ち入りの 銭の出入りを 記したる 内蔵助殿 几帳面なり
─ 赤穂の勘定方見習い ─
2019年9月号をお届けします。秋の風が立ち始めました。秋成はんは曹操の墓の鏡と大分の鉄鏡のそっくりぶりに、「卑弥呼の名を重ねるのは気が早い」と冷や水を浴びせております。 西鶴はんは映画『決算!忠臣蔵』の予告に大喜びで、「美談の裏には必ず勘定がある」と力説。芭蕉翁は伊達と会津の縁をたどりながら、奥羽を歩いた昔を懐かしんでくれました。わたしは、全国初の勝海舟記念館の開館を担当しました。 かわら版には、本居宣長の京都旅、上田城の堀の瓦、辰野金吾の没後100年などを並べました。秋の夜長、読書のお供にどうぞ。
2019年9月号をお届けします。秋の風が立ち始めました。秋成はんは曹操の墓の鏡と大分の鉄鏡のそっくりぶりに、「卑弥呼の名を重ねるのは気が早い」と冷や水を浴びせております。 西鶴はんは映画『決算!忠臣蔵』の予告に大喜びで、「美談の裏には必ず勘定がある」と力説。芭蕉翁は伊達と会津の縁をたどりながら、奥羽を歩いた昔を懐かしんでくれました。わたしは、全国初の勝海舟記念館の開館を担当しました。 かわら版には、本居宣長の京都旅、上田城の堀の瓦、辰野金吾の没後100年などを並べました。秋の夜長、読書のお供にどうぞ。