大河『麒麟がくる』、4年ぶりの好発進からじわりと下降。光秀ゆかりの地では展示やスタンプラリーが花盛り
1月に始まった大河『麒麟がくる』は、初回19.1%と4年ぶりの好発進を切った。2月に入って数字はじわりと下がったが、ゆかりの地では光秀にちなんだ展示や催しが次々と動き出している。
興行は、出だしだけでは測れん。スポニチによれば、長谷川博己さんが明智光秀を演じる大河『麒麟がくる』は、初回の視聴率が19.1%で、大河の初回が19%を超えるのは2016年の『真田丸』以来4年ぶりだった。ところが第2話は17.9%、第3話は16.1%、第4話は13.5%、第5話は13.2%と、回を追うごとに少しずつ下がっている。一方で、BSでの先行放送「早麒麟」は番組最高の4.5%を記録したという。 わしに言わせれば、これは客が減ったというより、客の見方が変わったんや。地上波の夜8時に座って見る客は減っても、BSで早う見る客や、あとから見る客は増えとる。昔の芝居小屋で言えば、桟敷の客は減っても、立ち見の客が増えとるようなもんや。数字の出どころを分けて見んと、興行の勘定は見誤るで。 ゆかりの地の商いは、数字に関係なく動いている。東京新聞によれば、東京都文京区は、光秀とゆかりのある春日局と細川ガラシャをテーマにしたデジタルスタンプラリーを開いている。春日局は光秀の重臣・斎藤利三の娘、ガラシャは光秀の娘で、区内のゆかりの9か所をめぐる趣向だ。京都新聞によれば、京都では、光秀が本能寺へ至った道を、古文書や出土品でたどる合同展も開かれた。信長の上洛を促した朝廷の官人の文書などが並ぶという。 大河の一年は長い。初回の勢いが続かんでも、越前編、京編と舞台が移れば、また客は戻ってくる。ゆかりの町は、その波を上手に受け止められるかどうかや。 光秀は、本能寺の変まで知られざる前半生の多い人物である。空白の多い人物ほど、物語の作りようがある。これからどんな筋書きで客を引っぱるのか、じっくり見物させてもらおう。
大河『麒麟がくる』、4年ぶりの好発進からじわりと下降。光秀ゆかりの地では展示やスタンプラリーが花盛り
1月に始まった大河『麒麟がくる』は、初回19.1%と4年ぶりの好発進を切った。2月に入って数字はじわりと下がったが、ゆかりの地では光秀にちなんだ展示や催しが次々と動き出している。
興行は、出だしだけでは測れん。スポニチによれば、長谷川博己さんが明智光秀を演じる大河『麒麟がくる』は、初回の視聴率が19.1%で、大河の初回が19%を超えるのは2016年の『真田丸』以来4年ぶりだった。ところが第2話は17.9%、第3話は16.1%、第4話は13.5%、第5話は13.2%と、回を追うごとに少しずつ下がっている。一方で、BSでの先行放送「早麒麟」は番組最高の4.5%を記録したという。 わしに言わせれば、これは客が減ったというより、客の見方が変わったんや。地上波の夜8時に座って見る客は減っても、BSで早う見る客や、あとから見る客は増えとる。昔の芝居小屋で言えば、桟敷の客は減っても、立ち見の客が増えとるようなもんや。数字の出どころを分けて見んと、興行の勘定は見誤るで。 ゆかりの地の商いは、数字に関係なく動いている。東京新聞によれば、東京都文京区は、光秀とゆかりのある春日局と細川ガラシャをテーマにしたデジタルスタンプラリーを開いている。春日局は光秀の重臣・斎藤利三の娘、ガラシャは光秀の娘で、区内のゆかりの9か所をめぐる趣向だ。京都新聞によれば、京都では、光秀が本能寺へ至った道を、古文書や出土品でたどる合同展も開かれた。信長の上洛を促した朝廷の官人の文書などが並ぶという。 大河の一年は長い。初回の勢いが続かんでも、越前編、京編と舞台が移れば、また客は戻ってくる。ゆかりの町は、その波を上手に受け止められるかどうかや。 光秀は、本能寺の変まで知られざる前半生の多い人物である。空白の多い人物ほど、物語の作りようがある。これからどんな筋書きで客を引っぱるのか、じっくり見物させてもらおう。
日本最古の天守は安土ではなく岐阜城か。信長時代の石垣が見つかり、秀吉の「筆まめ」な書状33通も
岐阜市教育委員会が、岐阜城周辺の調査で信長時代の工法の石垣などを見つけ、日本最古の天守が安土城ではなく岐阜城にあった可能性がさらに高まったと発表した。兵庫では、秀吉が家臣に送った書状33通も見つかった。
天守の始まりは、どこだったのか。日テレNEWS24によれば、岐阜市教育委員会は2月18日の会見で、岐阜城周辺の調査で信長時代の工法による石垣などが見つかり、日本最古の天守閣が滋賀県の安土城ではなく岐阜城にあった可能性が、さらに高まったと発表した。 さて、ここは言葉を丁寧に読みたい。天守の始まりは、信長が築いた安土城とするのが長く通説だった。岐阜城にそれより前の天守があったとなれば、通説を書き換えることになる。ただし、発表は「可能性がさらに高まった」である。石垣が信長の時代の工法だということと、その上に天守と呼べる高い建物があったこととは、また別の問題だ。何をもって「天守」と呼ぶのかという定義の問題も、あわせて考えねばなるまい。 信長の後を継いだ秀吉の手紙も出てきた。ハザードラボによれば、兵庫県たつの市立龍野歴史文化資料館と東京大学は2月21日、秀吉が家臣の武将・脇坂安治に宛てた書状33通が見つかったと発表した。見出しは秀吉を「筆まめ」「しつこいくらい細かい」と伝えている。天下人が家臣にこまごまと指図する姿が、文面から浮かび上がるという。 城の守りの工夫も公開された。時事通信によれば、兵庫県姫路市の姫路城では、ふだん見られない太鼓櫓が初めて公開された。城の東側を守るために、どれだけの手間をかけたかがよく分かる建物だという。産経新聞によれば、京都市の平安京跡では、戦国時代の16世紀前半に守りのために設けられたとみられる湾曲した堀の跡が出土した。 城も手紙も、見つかるたびに通説が揺さぶられる。揺さぶられるのは結構なことだが、揺れに乗じて新説に飛びつくのは早い。確かな手がかりの積み重ねを待ちたい。
日本最古の天守は安土ではなく岐阜城か。信長時代の石垣が見つかり、秀吉の「筆まめ」な書状33通も
岐阜市教育委員会が、岐阜城周辺の調査で信長時代の工法の石垣などを見つけ、日本最古の天守が安土城ではなく岐阜城にあった可能性がさらに高まったと発表した。兵庫では、秀吉が家臣に送った書状33通も見つかった。
天守の始まりは、どこだったのか。日テレNEWS24によれば、岐阜市教育委員会は2月18日の会見で、岐阜城周辺の調査で信長時代の工法による石垣などが見つかり、日本最古の天守閣が滋賀県の安土城ではなく岐阜城にあった可能性が、さらに高まったと発表した。 さて、ここは言葉を丁寧に読みたい。天守の始まりは、信長が築いた安土城とするのが長く通説だった。岐阜城にそれより前の天守があったとなれば、通説を書き換えることになる。ただし、発表は「可能性がさらに高まった」である。石垣が信長の時代の工法だということと、その上に天守と呼べる高い建物があったこととは、また別の問題だ。何をもって「天守」と呼ぶのかという定義の問題も、あわせて考えねばなるまい。 信長の後を継いだ秀吉の手紙も出てきた。ハザードラボによれば、兵庫県たつの市立龍野歴史文化資料館と東京大学は2月21日、秀吉が家臣の武将・脇坂安治に宛てた書状33通が見つかったと発表した。見出しは秀吉を「筆まめ」「しつこいくらい細かい」と伝えている。天下人が家臣にこまごまと指図する姿が、文面から浮かび上がるという。 城の守りの工夫も公開された。時事通信によれば、兵庫県姫路市の姫路城では、ふだん見られない太鼓櫓が初めて公開された。城の東側を守るために、どれだけの手間をかけたかがよく分かる建物だという。産経新聞によれば、京都市の平安京跡では、戦国時代の16世紀前半に守りのために設けられたとみられる湾曲した堀の跡が出土した。 城も手紙も、見つかるたびに通説が揺さぶられる。揺さぶられるのは結構なことだが、揺れに乗じて新説に飛びつくのは早い。確かな手がかりの積み重ねを待ちたい。
幅9メートルの「古代山陰道」が鳥取で見つかる。榛名山の噴火に埋もれた遺構、古墳時代の鍛冶やガラスの工房跡も
鳥取市青谷町で、古代の官道「山陰道」とみられる幅9メートルの道路の跡が見つかった。群馬では榛名山の噴火に埋もれた6世紀の遺構が初公開され、滋賀と長崎では古墳時代の工房の跡が出土した。
千三百年前、この道を都の使いが行き来したのだろうか。日本海新聞によれば、鳥取市青谷町の丘陵地帯で、古代山陰道とみられる大規模な道路の遺構が見つかった。幅は9メートル。2015年に同じような道路の遺構が見つかった青谷横木遺跡の延長線上にあたり、丘を削って平らにした「切り通し」の跡も確かめられたという。 古代の官道は、都と地方を結ぶために、驚くほどまっすぐ、広く造られた。丘があれば削り、谷があれば埋める。その道を、税を運ぶ人や役人、旅の者が行き交った。道の跡に立てば、古代の国づくりの意気込みが、今も足元から伝わってくるにちがいない。 火山に埋もれた暮らしの跡もある。読売新聞によれば、群馬県では、6世紀の榛名山二ツ岳の噴火で埋もれた遺構が初公開された。屏風のように切り取られた資料には、古墳時代の地層の上に大小の軽石が積み重なっている様子が見て取れるという。 ものづくりの跡も相次いだ。ライブドアニュース(共同通信)によれば、滋賀県栗東市の辻遺跡から、5世紀前半ごろの工房とみられる建物跡が見つかり、ガラス玉を作る鋳型の破片や鍛冶炉の跡が出た。FNNによれば、長崎県大村市の帯取遺跡では、約1700年前の弥生時代末から古墳時代の初めの鍛冶工房の跡が見つかり、現地の見学会が開かれた。 道をつくり、火を扱い、玉を作る。古代の人々の手の働きが、冬の土の下から次々と姿を現している。わたしも杖を手に、古い道の跡をたどって歩いてみたいものだ。
幅9メートルの「古代山陰道」が鳥取で見つかる。榛名山の噴火に埋もれた遺構、古墳時代の鍛冶やガラスの工房跡も
鳥取市青谷町で、古代の官道「山陰道」とみられる幅9メートルの道路の跡が見つかった。群馬では榛名山の噴火に埋もれた6世紀の遺構が初公開され、滋賀と長崎では古墳時代の工房の跡が出土した。
千三百年前、この道を都の使いが行き来したのだろうか。日本海新聞によれば、鳥取市青谷町の丘陵地帯で、古代山陰道とみられる大規模な道路の遺構が見つかった。幅は9メートル。2015年に同じような道路の遺構が見つかった青谷横木遺跡の延長線上にあたり、丘を削って平らにした「切り通し」の跡も確かめられたという。 古代の官道は、都と地方を結ぶために、驚くほどまっすぐ、広く造られた。丘があれば削り、谷があれば埋める。その道を、税を運ぶ人や役人、旅の者が行き交った。道の跡に立てば、古代の国づくりの意気込みが、今も足元から伝わってくるにちがいない。 火山に埋もれた暮らしの跡もある。読売新聞によれば、群馬県では、6世紀の榛名山二ツ岳の噴火で埋もれた遺構が初公開された。屏風のように切り取られた資料には、古墳時代の地層の上に大小の軽石が積み重なっている様子が見て取れるという。 ものづくりの跡も相次いだ。ライブドアニュース(共同通信)によれば、滋賀県栗東市の辻遺跡から、5世紀前半ごろの工房とみられる建物跡が見つかり、ガラス玉を作る鋳型の破片や鍛冶炉の跡が出た。FNNによれば、長崎県大村市の帯取遺跡では、約1700年前の弥生時代末から古墳時代の初めの鍛冶工房の跡が見つかり、現地の見学会が開かれた。 道をつくり、火を扱い、玉を作る。古代の人々の手の働きが、冬の土の下から次々と姿を現している。わたしも杖を手に、古い道の跡をたどって歩いてみたいものだ。
松平容保の宸翰添え状の下書き、泉鏡花の不明原稿、聖林寺十一面観音の特別展。書と仏の名品に出会う冬
会津藩主・松平容保が明治天皇に宛てた添え状の下書き、泉鏡花の最後の戯曲の行方不明だった原稿が見つかった。国宝・聖林寺十一面観音の特別展の開催も発表され、150年ぶりの「再会」も予定されている。
書き物の一枚にも、人の迷いやためらいが残っている。読売新聞によれば、会津藩主・松平容保が、孝明天皇から贈られた「宸翰」を明治天皇に差し出す際に添えた文書の下書きが見つかった。藩士が文面を推敲した跡も残っているという。朝敵とされた会津が、先帝からの信頼の証しをどう新しい天皇に説明しようとしたのか。その苦心が伝わってくる。 文豪の原稿も見つかった。47NEWSによれば、金沢が生んだ泉鏡花の最後の戯曲「お忍び」の自筆原稿のうち、行方の分からなかった2枚が京都市内の個人宅で見つかり、金沢市泉鏡花記念館で公開された。 仏像の名品の話もある。インターネットミュージアムによれば、奈良・聖林寺の国宝「十一面観音」を中心とする特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ~三輪山信仰のみほとけ~」の開催が決まった。明治の初めの神仏分離で離ればなれになった法隆寺の国宝「地蔵菩薩立像」と、約150年ぶりの再会を果たすという。 わたしも書画を集めてきたが、名品というものは、ときに人の手を離れて行方知れずになり、またひょっこり戻ってくる。それを見つけ、確かめ、世に出してくれる人がいてこそ、品は生き続ける。鏡花の原稿が京都の個人の家で眠っていたと聞くと、わが蔵にも何か思わぬものが眠っているのではないかと、つい探してみたくなる。 神仏分離で別れた仏さまが、百五十年ぶりに並ぶ。名品の旅路の長さに、しみじみと思いを寄せる冬である。
松平容保の宸翰添え状の下書き、泉鏡花の不明原稿、聖林寺十一面観音の特別展。書と仏の名品に出会う冬
会津藩主・松平容保が明治天皇に宛てた添え状の下書き、泉鏡花の最後の戯曲の行方不明だった原稿が見つかった。国宝・聖林寺十一面観音の特別展の開催も発表され、150年ぶりの「再会」も予定されている。
書き物の一枚にも、人の迷いやためらいが残っている。読売新聞によれば、会津藩主・松平容保が、孝明天皇から贈られた「宸翰」を明治天皇に差し出す際に添えた文書の下書きが見つかった。藩士が文面を推敲した跡も残っているという。朝敵とされた会津が、先帝からの信頼の証しをどう新しい天皇に説明しようとしたのか。その苦心が伝わってくる。 文豪の原稿も見つかった。47NEWSによれば、金沢が生んだ泉鏡花の最後の戯曲「お忍び」の自筆原稿のうち、行方の分からなかった2枚が京都市内の個人宅で見つかり、金沢市泉鏡花記念館で公開された。 仏像の名品の話もある。インターネットミュージアムによれば、奈良・聖林寺の国宝「十一面観音」を中心とする特別展「国宝 聖林寺十一面観音 ~三輪山信仰のみほとけ~」の開催が決まった。明治の初めの神仏分離で離ればなれになった法隆寺の国宝「地蔵菩薩立像」と、約150年ぶりの再会を果たすという。 わたしも書画を集めてきたが、名品というものは、ときに人の手を離れて行方知れずになり、またひょっこり戻ってくる。それを見つけ、確かめ、世に出してくれる人がいてこそ、品は生き続ける。鏡花の原稿が京都の個人の家で眠っていたと聞くと、わが蔵にも何か思わぬものが眠っているのではないかと、つい探してみたくなる。 神仏分離で別れた仏さまが、百五十年ぶりに並ぶ。名品の旅路の長さに、しみじみと思いを寄せる冬である。
夜八時 待てずにBSで 早麒麟 数字は減れど 客は減らぬぞ
─ 越前の早麒麟派 ─
夜八時 待てずにBSで 早麒麟 数字は減れど 客は減らぬぞ
─ 越前の早麒麟派 ─
2020年2月号をお届けします。西鶴はんは『麒麟がくる』の視聴率の推移を、「客の見方が変わったんや」と独自の勘定で読み解いております。 秋成はんは岐阜城が日本最古の天守だったかもしれないという発表に、「天守の定義から考えねばならん」と念を押し、芭蕉翁は鳥取の古代山陰道の跡に古代の旅人の姿を重ねてくれました。わたしは松平容保の宸翰の添え状の下書きや、泉鏡花の原稿の発見など、書と仏の名品の話を担当しました。 かわら版には、黥面文身土偶、鳥居龍蔵の調査、首里城正殿跡の出土品展などを並べました。春の足音が聞こえてまいりました。
2020年2月号をお届けします。西鶴はんは『麒麟がくる』の視聴率の推移を、「客の見方が変わったんや」と独自の勘定で読み解いております。 秋成はんは岐阜城が日本最古の天守だったかもしれないという発表に、「天守の定義から考えねばならん」と念を押し、芭蕉翁は鳥取の古代山陰道の跡に古代の旅人の姿を重ねてくれました。わたしは松平容保の宸翰の添え状の下書きや、泉鏡花の原稿の発見など、書と仏の名品の話を担当しました。 かわら版には、黥面文身土偶、鳥居龍蔵の調査、首里城正殿跡の出土品展などを並べました。春の足音が聞こえてまいりました。