アマビエが大流行、疱瘡神社には参拝者。新型コロナの春に、江戸の人々と同じ「疫病退散」の願い
新型コロナウイルスの感染が広がるなか、江戸時代に疫病よけとして描かれた妖怪「アマビエ」の絵が大流行している。疱瘡神社には参拝者が増え、百年前のスペイン風邪の記録も読み返されている。
流行り病の世には、流行り物が生まれる。時事通信によれば、新型コロナウイルスの感染が広がるなか、江戸時代に流行し、疫病退散に御利益があると信じられた妖怪「アマビエ」が人気を集めている。ツイッターなどに自作のイラストを投稿する動きが広がり、専門家は、江戸時代の人々と心理は同じではないかとみているという。中日スポーツによれば、文化放送のアナウンサーたちもアマビエの絵を描いて、励ましの言葉を添えた。 わしに言わせれば、これは江戸の商いそのものや。アマビエは、肥後の海に現れて「疫病が流行ったら自分の姿を描いて人に見せよ」と言うたと、瓦版に刷られて売られた。つまり、絵を刷って売るための「売り文句」でもあったわけやな。それが百七十年あまりたって、今度はネットで広まっとる。売り物が瓦版からスマホに替わっただけで、人の気持ちはちっとも変わっとらん。 神仏への願いも戻ってきた。タウンニュースによれば、疫病退散の御利益があるとされる疱瘡神社に、コロナ禍で参拝者が増えている。祭られているのは源為朝で、保元の乱に敗れて伊豆大島に流された為朝の逸話が起こりだという。ライブドアニュースによれば、新潟県上越市の妙国寺では、荒行を終えた日蓮宗の僧侶7人が疫病退散の祈祷を行った。 疫病の記憶は、もっと古くまでさかのぼる。BLOGOSの記事は、古代の人々が長屋王の「祟り」と疫病を結びつけて恐れた話を紹介している。西日本新聞は、百年前のスペイン風邪の猛威を伝えた当時の記事を読み返し、新型コロナと比べている。 疫病よけの絵が売れ、祈祷に人が集まる。時代は変わっても、見えない病を前にした人の心は同じ。せめて、アマビエの絵を一枚刷って売るくらいの、したたかさと明るさは忘れずにいたいもんや。
アマビエが大流行、疱瘡神社には参拝者。新型コロナの春に、江戸の人々と同じ「疫病退散」の願い
新型コロナウイルスの感染が広がるなか、江戸時代に疫病よけとして描かれた妖怪「アマビエ」の絵が大流行している。疱瘡神社には参拝者が増え、百年前のスペイン風邪の記録も読み返されている。
流行り病の世には、流行り物が生まれる。時事通信によれば、新型コロナウイルスの感染が広がるなか、江戸時代に流行し、疫病退散に御利益があると信じられた妖怪「アマビエ」が人気を集めている。ツイッターなどに自作のイラストを投稿する動きが広がり、専門家は、江戸時代の人々と心理は同じではないかとみているという。中日スポーツによれば、文化放送のアナウンサーたちもアマビエの絵を描いて、励ましの言葉を添えた。 わしに言わせれば、これは江戸の商いそのものや。アマビエは、肥後の海に現れて「疫病が流行ったら自分の姿を描いて人に見せよ」と言うたと、瓦版に刷られて売られた。つまり、絵を刷って売るための「売り文句」でもあったわけやな。それが百七十年あまりたって、今度はネットで広まっとる。売り物が瓦版からスマホに替わっただけで、人の気持ちはちっとも変わっとらん。 神仏への願いも戻ってきた。タウンニュースによれば、疫病退散の御利益があるとされる疱瘡神社に、コロナ禍で参拝者が増えている。祭られているのは源為朝で、保元の乱に敗れて伊豆大島に流された為朝の逸話が起こりだという。ライブドアニュースによれば、新潟県上越市の妙国寺では、荒行を終えた日蓮宗の僧侶7人が疫病退散の祈祷を行った。 疫病の記憶は、もっと古くまでさかのぼる。BLOGOSの記事は、古代の人々が長屋王の「祟り」と疫病を結びつけて恐れた話を紹介している。西日本新聞は、百年前のスペイン風邪の猛威を伝えた当時の記事を読み返し、新型コロナと比べている。 疫病よけの絵が売れ、祈祷に人が集まる。時代は変わっても、見えない病を前にした人の心は同じ。せめて、アマビエの絵を一枚刷って売るくらいの、したたかさと明るさは忘れずにいたいもんや。
「梟雄」松永久秀の肖像画が見つかる。出っ歯に赤い瞳、悪人のイメージは覆るのか
戦国の下克上を代表する武将・松永久秀の、実像に近いとみられる肖像画が初めて見つかった。前歯が出て、瞳は赤く描かれている。主君殺しや大仏殿焼き討ちの悪名で語られてきた武将の、素顔に迫る手がかりになりそうだ。
悪人の顔とは、どんな顔か。毎日新聞によれば、大阪府高槻市の市立しろあと歴史館は3月4日、戦国武将・松永久秀(1508〜77)の実像に近いとみられる肖像画が初めて見つかったと発表した。前歯が出ていて、瞳は赤く描かれているという。産経新聞は「出っ歯だった? 悪人イメージ覆すか」と伝えている。 ライブドアニュース(共同通信)によれば、見つかったのは18世紀後半ごろ、江戸時代に描かれた肖像画である。毎日新聞によれば、久秀の没後まもなく描かれた原画をもとに、江戸時代に写したものとみられる。 久秀といえば、主君の三好家を乗っ取り、将軍足利義輝の殺害に関わり、東大寺の大仏殿を焼いたとされる「梟雄」の代表である。だが、近年の研究では、そうした悪名の多くが後の世に誇張されたものではないかという見方が強まっている。見出しが「悪人じゃなかった?」と問うのも、その流れにある。 さて、ここは一歩引いておきたい。肖像画は、顔の特徴を伝えても、心の中までは描けない。出っ歯で瞳が赤いからといって、善人とも悪人とも決められないのは言うまでもない。しかもこれは江戸時代の写しである。原画がどれほど忠実に写されたのか、写す過程で絵師の想像がどれほど加わったのか。そこを確かめてこそ、「実像に近い」という言葉に重みが出る。 悪名とは、ときに勝った側がこしらえた物語でもある。肖像画一枚で評価をひっくり返すのではなく、史料を一つずつ読み直していく。その地道な作業の先に、ようやく久秀の素顔が見えてくるのだろう。
「梟雄」松永久秀の肖像画が見つかる。出っ歯に赤い瞳、悪人のイメージは覆るのか
戦国の下克上を代表する武将・松永久秀の、実像に近いとみられる肖像画が初めて見つかった。前歯が出て、瞳は赤く描かれている。主君殺しや大仏殿焼き討ちの悪名で語られてきた武将の、素顔に迫る手がかりになりそうだ。
悪人の顔とは、どんな顔か。毎日新聞によれば、大阪府高槻市の市立しろあと歴史館は3月4日、戦国武将・松永久秀(1508〜77)の実像に近いとみられる肖像画が初めて見つかったと発表した。前歯が出ていて、瞳は赤く描かれているという。産経新聞は「出っ歯だった? 悪人イメージ覆すか」と伝えている。 ライブドアニュース(共同通信)によれば、見つかったのは18世紀後半ごろ、江戸時代に描かれた肖像画である。毎日新聞によれば、久秀の没後まもなく描かれた原画をもとに、江戸時代に写したものとみられる。 久秀といえば、主君の三好家を乗っ取り、将軍足利義輝の殺害に関わり、東大寺の大仏殿を焼いたとされる「梟雄」の代表である。だが、近年の研究では、そうした悪名の多くが後の世に誇張されたものではないかという見方が強まっている。見出しが「悪人じゃなかった?」と問うのも、その流れにある。 さて、ここは一歩引いておきたい。肖像画は、顔の特徴を伝えても、心の中までは描けない。出っ歯で瞳が赤いからといって、善人とも悪人とも決められないのは言うまでもない。しかもこれは江戸時代の写しである。原画がどれほど忠実に写されたのか、写す過程で絵師の想像がどれほど加わったのか。そこを確かめてこそ、「実像に近い」という言葉に重みが出る。 悪名とは、ときに勝った側がこしらえた物語でもある。肖像画一枚で評価をひっくり返すのではなく、史料を一つずつ読み直していく。その地道な作業の先に、ようやく久秀の素顔が見えてくるのだろう。
沖ノ島の国宝ガラスは古代イラク生まれ。シルクロードを渡った器と、群馬・綿貫観音山古墳の国宝答申
世界遺産「神宿る島」沖ノ島から出た国宝のガラス製品が、ササン朝ペルシャ(今のイラク周辺)で作られたものだと理化学的に確かめられた。群馬では、綿貫観音山古墳の出土品を国宝に指定するよう答申された。
はるか西の国で吹かれたガラスが、玄界灘の孤島に眠っていた。毎日新聞によれば、世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を構成する福岡県の宗像大社は3月1日、沖ノ島から出土した国宝のガラス製品が、ササン朝ペルシャの起源であることが理化学的に確かめられたと発表した。 日本経済新聞によれば、ガラスは古代イラクで作られたもので、ササン朝ペルシャからシルクロードを通って運ばれ、大規模な祭祀の際にささげられたとみられる。今秋、宗像大社で一般に公開される予定だという。沖ノ島は、古代から国家の祭祀が行われた島で、今も神職以外はほとんど立ち入ることができない。 砂漠を越え、海を渡り、はるばる日本の島まで運ばれた器。旅に生きた身として、その道のりを思うと気が遠くなる。いったい何人の手を経て、幾つの国の港を過ぎてきたのだろうか。 群馬からも知らせが届いた。サンケイビズによれば、国の文化審議会は3月19日、6世紀後半の前方後円墳・綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)の副葬品など出土品を一括して国宝に指定するよう答申した。銅水瓶や埴輪などが含まれる。毎日新聞によれば、群馬県内の国宝は2例目となる。ORICONによれば、吉永小百合さんが出演したテレビCMの効果もあって、「古墳王国群馬」が熱い視線を集めているという。 海を渡ったガラスも、関東の古墳の副葬品も、古代の日本がいかに広い世界とつながっていたかを教えてくれる。いつか宗像の浜に立ち、沖ノ島の方角に手を合わせてみたいものだ。
沖ノ島の国宝ガラスは古代イラク生まれ。シルクロードを渡った器と、群馬・綿貫観音山古墳の国宝答申
世界遺産「神宿る島」沖ノ島から出た国宝のガラス製品が、ササン朝ペルシャ(今のイラク周辺)で作られたものだと理化学的に確かめられた。群馬では、綿貫観音山古墳の出土品を国宝に指定するよう答申された。
はるか西の国で吹かれたガラスが、玄界灘の孤島に眠っていた。毎日新聞によれば、世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を構成する福岡県の宗像大社は3月1日、沖ノ島から出土した国宝のガラス製品が、ササン朝ペルシャの起源であることが理化学的に確かめられたと発表した。 日本経済新聞によれば、ガラスは古代イラクで作られたもので、ササン朝ペルシャからシルクロードを通って運ばれ、大規模な祭祀の際にささげられたとみられる。今秋、宗像大社で一般に公開される予定だという。沖ノ島は、古代から国家の祭祀が行われた島で、今も神職以外はほとんど立ち入ることができない。 砂漠を越え、海を渡り、はるばる日本の島まで運ばれた器。旅に生きた身として、その道のりを思うと気が遠くなる。いったい何人の手を経て、幾つの国の港を過ぎてきたのだろうか。 群馬からも知らせが届いた。サンケイビズによれば、国の文化審議会は3月19日、6世紀後半の前方後円墳・綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)の副葬品など出土品を一括して国宝に指定するよう答申した。銅水瓶や埴輪などが含まれる。毎日新聞によれば、群馬県内の国宝は2例目となる。ORICONによれば、吉永小百合さんが出演したテレビCMの効果もあって、「古墳王国群馬」が熱い視線を集めているという。 海を渡ったガラスも、関東の古墳の副葬品も、古代の日本がいかに広い世界とつながっていたかを教えてくれる。いつか宗像の浜に立ち、沖ノ島の方角に手を合わせてみたいものだ。
雪舟は「拙宗」と同一人物とほぼ認定、生誕600年に実像へ迫る。若冲の「蕪に双鶏図」も初公開へ
水墨画の巨匠・雪舟の生誕600年にあたり、若いころの画号とみられる「拙宗」と同一人物だとする見方がほぼ固まった。京都では、伊藤若冲の「蕪に双鶏図」が初公開される。
名前が違えば、別人とは限らない。読売新聞によれば、水墨画の巨匠・雪舟の生誕600年にあたり、実像を解き明かす研究が進み、若いころの画号とみられる「拙宗」と同一人物だとする見方がほぼ認められたという。「拙宗」の名で描かれた絵と雪舟の絵とが、同じ人の手になるものかどうかは、長く議論されてきた。 京都では、若冲の名品が公開される。京都新聞によれば、京都・嵯峨嵐山の福田美術館で、伊藤若冲の「蕪に双鶏図」が初めて公開される。円山応挙、曽我蕭白、池大雅ら、同じ時代に互いに影響を与え合った画家たちの作品もあわせて並ぶそうだ。Casa BRUTUSによれば、同館では若冲の最初期の作品も初公開されている。 若冲、応挙、蕭白、大雅。まさにわたしが生きた時代の京の絵師たちである。とりわけ大雅は、わたしが若いころ絵を学んだ師でもある。二百数十年たって、同じ部屋に並ぶ姿を思い浮かべると、胸が熱くなる。 失われた姿を伝える発見もあった。ライブドアニュース(共同通信)によれば、1949年の火災で焼けた法隆寺金堂の壁画の、焼ける前の姿を写した大正期の写真の乾板が見つかった。縦約30センチ、横約25センチの乾板が数十枚ずつ、木箱三つに入っていたという。明治のころから壁画の保存の方法が議論され、岡倉天心らも関わっていた。 名品は、描かれたときだけでなく、守られ、写され、語り継がれて、はじめて後の世に届く。そうした人々の働きに、心から感謝したい。
雪舟は「拙宗」と同一人物とほぼ認定、生誕600年に実像へ迫る。若冲の「蕪に双鶏図」も初公開へ
水墨画の巨匠・雪舟の生誕600年にあたり、若いころの画号とみられる「拙宗」と同一人物だとする見方がほぼ固まった。京都では、伊藤若冲の「蕪に双鶏図」が初公開される。
名前が違えば、別人とは限らない。読売新聞によれば、水墨画の巨匠・雪舟の生誕600年にあたり、実像を解き明かす研究が進み、若いころの画号とみられる「拙宗」と同一人物だとする見方がほぼ認められたという。「拙宗」の名で描かれた絵と雪舟の絵とが、同じ人の手になるものかどうかは、長く議論されてきた。 京都では、若冲の名品が公開される。京都新聞によれば、京都・嵯峨嵐山の福田美術館で、伊藤若冲の「蕪に双鶏図」が初めて公開される。円山応挙、曽我蕭白、池大雅ら、同じ時代に互いに影響を与え合った画家たちの作品もあわせて並ぶそうだ。Casa BRUTUSによれば、同館では若冲の最初期の作品も初公開されている。 若冲、応挙、蕭白、大雅。まさにわたしが生きた時代の京の絵師たちである。とりわけ大雅は、わたしが若いころ絵を学んだ師でもある。二百数十年たって、同じ部屋に並ぶ姿を思い浮かべると、胸が熱くなる。 失われた姿を伝える発見もあった。ライブドアニュース(共同通信)によれば、1949年の火災で焼けた法隆寺金堂の壁画の、焼ける前の姿を写した大正期の写真の乾板が見つかった。縦約30センチ、横約25センチの乾板が数十枚ずつ、木箱三つに入っていたという。明治のころから壁画の保存の方法が議論され、岡倉天心らも関わっていた。 名品は、描かれたときだけでなく、守られ、写され、語り継がれて、はじめて後の世に届く。そうした人々の働きに、心から感謝したい。
描いても 描いてもまだ 収まらぬ アマビエさまも 過労でお休み
─ アマビエ描き三百枚目 ─
描いても 描いてもまだ 収まらぬ アマビエさまも 過労でお休み
─ アマビエ描き三百枚目 ─
2020年3月号をお届けします。新型コロナウイルスの広がりで、世の中が不安に包まれた月でした。西鶴はんは、江戸の瓦版の妖怪アマビエが今また流行っていることを、「人の気持ちはちっとも変わっとらん」と書いてくれました。 秋成はんは松永久秀の肖像画に「顔で善悪は決まらん」と釘を刺し、芭蕉翁はササン朝ペルシャから沖ノ島に渡ったガラスの長い旅路に思いを馳せております。わたしは雪舟の生誕600年と若冲の初公開を担当しましたが、師の大雅の名が並ぶと聞いて、胸が熱くなりました。 かわら版には、銀閣寺の当初の予定地、西郷の真筆、琉球王国の正史の重文指定などを並べました。皆さま、どうぞお体を大切に。
2020年3月号をお届けします。新型コロナウイルスの広がりで、世の中が不安に包まれた月でした。西鶴はんは、江戸の瓦版の妖怪アマビエが今また流行っていることを、「人の気持ちはちっとも変わっとらん」と書いてくれました。 秋成はんは松永久秀の肖像画に「顔で善悪は決まらん」と釘を刺し、芭蕉翁はササン朝ペルシャから沖ノ島に渡ったガラスの長い旅路に思いを馳せております。わたしは雪舟の生誕600年と若冲の初公開を担当しましたが、師の大雅の名が並ぶと聞いて、胸が熱くなりました。 かわら版には、銀閣寺の当初の予定地、西郷の真筆、琉球王国の正史の重文指定などを並べました。皆さま、どうぞお体を大切に。