『麒麟がくる』が8月30日に放送再開。後半「京〜伏魔殿編」の正親町天皇に、テレビドラマ初出演の坂東玉三郎
新型コロナの影響で6月から休止していた大河ドラマ『麒麟がくる』が、8月30日に放送を再開する。NHKは後半の新キャスト10人を発表し、歌舞伎の女形・坂東玉三郎が正親町天皇役でテレビドラマに初めて出演する。
まあ聞いてほしい。二か月半も待たされた麒麟が、ようやく戻ってくる。スポニチによれば、NHKは14日、30日に放送を再開する大河ドラマ『麒麟がくる』の後半「京〜伏魔殿編」の新キャスト10人を発表した。目玉は、歌舞伎界きっての女形・坂東玉三郎(70)が演じる第106代の正親町天皇である。 玉三郎がテレビドラマに出るのは、これが初めてだという。産経新聞や毎日新聞も、玉三郎らの初出演を大きく伝えた。中日新聞の見出しによれば、片岡鶴太郎は「一番の悪役」を演じるそうや。舞台の千両役者に、テレビの芸達者。ようこれだけ集めたもんやで。 正親町天皇は、戦国の世の終わりに在位した天皇で、信長とも秀吉とも渡り合った人物として知られる。朝廷は財政が苦しく、即位の儀式すら、毛利元就の献金を待ってようやく行えたと伝わる。それでいて、天下人たちが官位や権威を求めて頭を下げに来る相手でもあった。金はないが格はある。商人の目から見ると、なんとも不思議な「大店」や。 後半の舞台は京になる。都の公家や寺社、幕府の役人たちが入り乱れる「伏魔殿」で、光秀がどう立ち回るのか。休みのあいだに、こっちの期待はすっかり膨らんでしもうた。 わしに言わせれば、長い休みは悪いことばかりやない。客を待たせて、焦らして、そのぶん幕が上がったときの拍手が大きなる。芝居小屋の呼び込みと同じや。30日の日曜の夜は、そろばんを置いてテレビの前に座らせてもらうで。
『麒麟がくる』が8月30日に放送再開。後半「京〜伏魔殿編」の正親町天皇に、テレビドラマ初出演の坂東玉三郎
新型コロナの影響で6月から休止していた大河ドラマ『麒麟がくる』が、8月30日に放送を再開する。NHKは後半の新キャスト10人を発表し、歌舞伎の女形・坂東玉三郎が正親町天皇役でテレビドラマに初めて出演する。
まあ聞いてほしい。二か月半も待たされた麒麟が、ようやく戻ってくる。スポニチによれば、NHKは14日、30日に放送を再開する大河ドラマ『麒麟がくる』の後半「京〜伏魔殿編」の新キャスト10人を発表した。目玉は、歌舞伎界きっての女形・坂東玉三郎(70)が演じる第106代の正親町天皇である。 玉三郎がテレビドラマに出るのは、これが初めてだという。産経新聞や毎日新聞も、玉三郎らの初出演を大きく伝えた。中日新聞の見出しによれば、片岡鶴太郎は「一番の悪役」を演じるそうや。舞台の千両役者に、テレビの芸達者。ようこれだけ集めたもんやで。 正親町天皇は、戦国の世の終わりに在位した天皇で、信長とも秀吉とも渡り合った人物として知られる。朝廷は財政が苦しく、即位の儀式すら、毛利元就の献金を待ってようやく行えたと伝わる。それでいて、天下人たちが官位や権威を求めて頭を下げに来る相手でもあった。金はないが格はある。商人の目から見ると、なんとも不思議な「大店」や。 後半の舞台は京になる。都の公家や寺社、幕府の役人たちが入り乱れる「伏魔殿」で、光秀がどう立ち回るのか。休みのあいだに、こっちの期待はすっかり膨らんでしもうた。 わしに言わせれば、長い休みは悪いことばかりやない。客を待たせて、焦らして、そのぶん幕が上がったときの拍手が大きなる。芝居小屋の呼び込みと同じや。30日の日曜の夜は、そろばんを置いてテレビの前に座らせてもらうで。
百年前のスペイン風邪を、文人はどう見たか。政府の対策を批判した与謝野晶子、小説「マスク」の菊池寛、乗員48人を失った軍艦矢矧
新型コロナの流行で、百年前のスペイン風邪に改めて目が向いている。政府の対策を批判した与謝野晶子の文章、菊池寛の小説「マスク」、そして呉の軍艦矢矧で起きた集団感染の悲劇を調べ直す動きが各地で出ている。
百年前にも、世界中の人がマスクをしていた時代があった。大正7年(1918年)から数年にわたって流行したスペイン風邪である。日本経済新聞によれば、この時代の与謝野晶子を「思想家」として見直す動きがあり、晶子が当時の政府のスペイン風邪対策を批判していたことに光が当たっている。晶子は、人の集まる場所を一時休ませるといった手立てを、政府がなぜもっと早く打たないのかと、新聞に厳しく書いたと伝わる。 小説家の目もあった。日本経済新聞によれば、菊池寛がスペイン風邪を描いた小説「マスク」がウェブで公開された。心臓が弱く、病を恐れてマスクを手放せない主人公の心の揺れを描いた短編である。流行がおさまりかけたころ、まだマスクをしている自分をどう思うか。百年後の今読むと、身につまされる話だ。 海の上でも悲劇があった。中国新聞によれば、呉の軍艦「矢矧」ではスペイン風邪で乗員48人が亡くなっており、その悲劇を調べ直して、コロナと闘うためのヒントを探る動きがある。狭い艦内で、人が寄り集まって暮らす。感染が広がりやすいのは、今の客船や寮と同じだろう。 もっと昔にも、病と闘った人々がいる。日本経済新聞によれば、栃木県の壬生では、蘭学の先進地として疫病を防いだ偉人を掘り起こす取り組みが進んでいる。 わたしは書物を集めることを楽しみにしてきたが、はやり病の年に書かれた文章ほど、読み手の暮らしに近いものはない。晶子の怒りも、菊池寛の主人公のためらいも、百年たってようやく、わがことのように読めるようになった。古い文章は、こういうときのために残っているのかもしれない。
百年前のスペイン風邪を、文人はどう見たか。政府の対策を批判した与謝野晶子、小説「マスク」の菊池寛、乗員48人を失った軍艦矢矧
新型コロナの流行で、百年前のスペイン風邪に改めて目が向いている。政府の対策を批判した与謝野晶子の文章、菊池寛の小説「マスク」、そして呉の軍艦矢矧で起きた集団感染の悲劇を調べ直す動きが各地で出ている。
百年前にも、世界中の人がマスクをしていた時代があった。大正7年(1918年)から数年にわたって流行したスペイン風邪である。日本経済新聞によれば、この時代の与謝野晶子を「思想家」として見直す動きがあり、晶子が当時の政府のスペイン風邪対策を批判していたことに光が当たっている。晶子は、人の集まる場所を一時休ませるといった手立てを、政府がなぜもっと早く打たないのかと、新聞に厳しく書いたと伝わる。 小説家の目もあった。日本経済新聞によれば、菊池寛がスペイン風邪を描いた小説「マスク」がウェブで公開された。心臓が弱く、病を恐れてマスクを手放せない主人公の心の揺れを描いた短編である。流行がおさまりかけたころ、まだマスクをしている自分をどう思うか。百年後の今読むと、身につまされる話だ。 海の上でも悲劇があった。中国新聞によれば、呉の軍艦「矢矧」ではスペイン風邪で乗員48人が亡くなっており、その悲劇を調べ直して、コロナと闘うためのヒントを探る動きがある。狭い艦内で、人が寄り集まって暮らす。感染が広がりやすいのは、今の客船や寮と同じだろう。 もっと昔にも、病と闘った人々がいる。日本経済新聞によれば、栃木県の壬生では、蘭学の先進地として疫病を防いだ偉人を掘り起こす取り組みが進んでいる。 わたしは書物を集めることを楽しみにしてきたが、はやり病の年に書かれた文章ほど、読み手の暮らしに近いものはない。晶子の怒りも、菊池寛の主人公のためらいも、百年たってようやく、わがことのように読めるようになった。古い文章は、こういうときのために残っているのかもしれない。
戦後75年、作家が残した記録が故郷へ。下村湖人の終戦間際の手帳、島尾敏雄の海軍時代のアルバム
終戦から75年の夏、作家たちが残した戦時中の記録が相次いで寄贈された。『次郎物語』の下村湖人が終戦間際の暮らしを記した手帳は佐賀の生家へ、特攻艇の部隊を率いた島尾敏雄の海軍時代のアルバムは鹿児島の文学館へ届いた。
戦争を体験した人が年々少なくなるなかで、残された紙や写真の重みが増している。佐賀新聞によれば、『次郎物語』で知られる作家・下村湖人の手帳が、遺族から佐賀の生家に寄贈された。終戦間際の暮らしを記した手帳だという。 鹿児島にも記録が届いた。毎日新聞によれば、作家・島尾敏雄の海軍時代のアルバムが、遺族からかごしま近代文学館に寄贈された。南海日日新聞も、島尾の写真51点が寄贈されたと伝えている。島尾は戦争の末期、奄美の加計呂麻島で、ベニヤ板の特攻艇「震洋」の部隊を率いた。出撃の命令を待つうちに終戦を迎え、その体験はのちの小説に繰り返し描かれた。 さて、ここで一つ言っておきたい。作家の書いた小説は、どれほど体験に根ざしていても、あくまで作品である。記憶は年月とともに整えられ、ときに書き換えられる。だからこそ、その時その場で書かれた手帳や、撮られた写真が大切になる。小説と手帳を並べて読めば、作家が何を書き、何を書かなかったのかが見えてくるだろう。 もっとも、手帳もアルバムも、残した本人の目を通った記録であることに変わりはない。何を書き留め、何を撮ったのか。その選び方もまた、その人の戦争の見方を映している。読み手はそこまで含めて、慎重に読み解かねばならぬ。 75年がたっても、戦争の記録はまだ家々の押し入れに眠っている。それが捨てられる前に、しかるべき場所に届く。今年の寄贈の知らせは、そのための貴重な一歩である。
戦後75年、作家が残した記録が故郷へ。下村湖人の終戦間際の手帳、島尾敏雄の海軍時代のアルバム
終戦から75年の夏、作家たちが残した戦時中の記録が相次いで寄贈された。『次郎物語』の下村湖人が終戦間際の暮らしを記した手帳は佐賀の生家へ、特攻艇の部隊を率いた島尾敏雄の海軍時代のアルバムは鹿児島の文学館へ届いた。
戦争を体験した人が年々少なくなるなかで、残された紙や写真の重みが増している。佐賀新聞によれば、『次郎物語』で知られる作家・下村湖人の手帳が、遺族から佐賀の生家に寄贈された。終戦間際の暮らしを記した手帳だという。 鹿児島にも記録が届いた。毎日新聞によれば、作家・島尾敏雄の海軍時代のアルバムが、遺族からかごしま近代文学館に寄贈された。南海日日新聞も、島尾の写真51点が寄贈されたと伝えている。島尾は戦争の末期、奄美の加計呂麻島で、ベニヤ板の特攻艇「震洋」の部隊を率いた。出撃の命令を待つうちに終戦を迎え、その体験はのちの小説に繰り返し描かれた。 さて、ここで一つ言っておきたい。作家の書いた小説は、どれほど体験に根ざしていても、あくまで作品である。記憶は年月とともに整えられ、ときに書き換えられる。だからこそ、その時その場で書かれた手帳や、撮られた写真が大切になる。小説と手帳を並べて読めば、作家が何を書き、何を書かなかったのかが見えてくるだろう。 もっとも、手帳もアルバムも、残した本人の目を通った記録であることに変わりはない。何を書き留め、何を撮ったのか。その選び方もまた、その人の戦争の見方を映している。読み手はそこまで含めて、慎重に読み解かねばならぬ。 75年がたっても、戦争の記録はまだ家々の押し入れに眠っている。それが捨てられる前に、しかるべき場所に届く。今年の寄贈の知らせは、そのための貴重な一歩である。
銭はなし されど天下の 武将らが 頭を下げに 来る御所の門
─ 御所の奥の女官 ─
銭はなし されど天下の 武将らが 頭を下げに 来る御所の門
─ 御所の奥の女官 ─
2020年8月号をお届けします。終戦から75年、そして百年前のスペイン風邪を思い返す夏になりました。わたしは与謝野晶子や菊池寛が、はやり病の年に何を書いたかをたどりました。百年前の文章が、こんなに身近に読める日が来るとは思いませなんだ。 秋成はんは、下村湖人の手帳と島尾敏雄のアルバムが故郷へ届いた知らせに、「小説と記録は分けて読め」と念を押しております。西鶴はんは『麒麟がくる』の再開と、玉三郎さんの正親町天皇に今から浮き足立っておりますわ。 かわら版には、町割り400年の角館や、九鬼嘉隆の新しい文書などを並べました。今年の夏は例年にも増して暑うございます。どうぞお体を大事になさってください。
2020年8月号をお届けします。終戦から75年、そして百年前のスペイン風邪を思い返す夏になりました。わたしは与謝野晶子や菊池寛が、はやり病の年に何を書いたかをたどりました。百年前の文章が、こんなに身近に読める日が来るとは思いませなんだ。 秋成はんは、下村湖人の手帳と島尾敏雄のアルバムが故郷へ届いた知らせに、「小説と記録は分けて読め」と念を押しております。西鶴はんは『麒麟がくる』の再開と、玉三郎さんの正親町天皇に今から浮き足立っておりますわ。 かわら版には、町割り400年の角館や、九鬼嘉隆の新しい文書などを並べました。今年の夏は例年にも増して暑うございます。どうぞお体を大事になさってください。