高松で「世界が絶賛した浮世絵師 北斎展」、あべのハルカスでは北斎や狩野山雪の江戸絵画展。秋の美術館めぐり
高松市美術館で、北斎とその弟子たち、そして北斎に学んだ西洋の画家までをたどる特別展が開幕した。大阪のあべのハルカス美術館では、北斎や狩野山雪らの江戸絵画の展覧会が開かれている。
美術館にも、ようやく秋の人出が戻ってきた。coolkagawa.jpによれば、高松市美術館で9月12日から特別展「世界が絶賛した浮世絵師 北斎展 師とその弟子たち=北斎からアンリ・リヴィエールまで」が開かれた。「冨嶽三十六景」を間近に見られる展示だという。美術手帖も、この展覧会を紹介している。 展覧会の副題にあるアンリ・リヴィエールは、北斎の「冨嶽三十六景」に倣って「エッフェル塔三十六景」を描いたフランスの版画家である。北斎の絵が海を渡り、パリの画家の筆を動かした。浮世絵が西洋の美術に与えた影響の大きさを、一つの展覧会でたどれる趣向だ。 大阪でも江戸絵画が見られる。あべの経済新聞によれば、あべのハルカス美術館では、葛飾北斎や狩野山雪らの江戸絵画の展覧会が開かれている。山雪は、京狩野の絵師で、奇抜な構図や細密な描写で知られる。近年は「奇想の画家」の一人として人気が高まっている。 北斎が生まれたのは宝暦10年(1760年)。わたしが二十代の半ばのころで、京や大坂では若冲や大雅、蕭白が腕をふるっていた。江戸の北斎の名が上方にまで届くようになるのは、もう少し後のことである。同じ時代の空気を吸った絵師たちの作品が、今は同じ季節に、高松と大阪で見られる。なんとも贅沢な秋ではないか。 遠出を控えがちな年だが、近くの美術館でゆっくり絵と向き合うのも、また良い過ごし方である。北斎の波と富士を眺めながら、秋の一日をのんびり過ごしたい。
高松で「世界が絶賛した浮世絵師 北斎展」、あべのハルカスでは北斎や狩野山雪の江戸絵画展。秋の美術館めぐり
高松市美術館で、北斎とその弟子たち、そして北斎に学んだ西洋の画家までをたどる特別展が開幕した。大阪のあべのハルカス美術館では、北斎や狩野山雪らの江戸絵画の展覧会が開かれている。
美術館にも、ようやく秋の人出が戻ってきた。coolkagawa.jpによれば、高松市美術館で9月12日から特別展「世界が絶賛した浮世絵師 北斎展 師とその弟子たち=北斎からアンリ・リヴィエールまで」が開かれた。「冨嶽三十六景」を間近に見られる展示だという。美術手帖も、この展覧会を紹介している。 展覧会の副題にあるアンリ・リヴィエールは、北斎の「冨嶽三十六景」に倣って「エッフェル塔三十六景」を描いたフランスの版画家である。北斎の絵が海を渡り、パリの画家の筆を動かした。浮世絵が西洋の美術に与えた影響の大きさを、一つの展覧会でたどれる趣向だ。 大阪でも江戸絵画が見られる。あべの経済新聞によれば、あべのハルカス美術館では、葛飾北斎や狩野山雪らの江戸絵画の展覧会が開かれている。山雪は、京狩野の絵師で、奇抜な構図や細密な描写で知られる。近年は「奇想の画家」の一人として人気が高まっている。 北斎が生まれたのは宝暦10年(1760年)。わたしが二十代の半ばのころで、京や大坂では若冲や大雅、蕭白が腕をふるっていた。江戸の北斎の名が上方にまで届くようになるのは、もう少し後のことである。同じ時代の空気を吸った絵師たちの作品が、今は同じ季節に、高松と大阪で見られる。なんとも贅沢な秋ではないか。 遠出を控えがちな年だが、近くの美術館でゆっくり絵と向き合うのも、また良い過ごし方である。北斎の波と富士を眺めながら、秋の一日をのんびり過ごしたい。
「建築は芸術か」。日本初の近代建築運動「分離派建築会」の結成から100年、足跡をたどる展覧会
大正9年(1920年)に東京帝国大学を卒業した若い建築家たちが結成した「分離派建築会」。日本で初めての近代建築運動とされるこの会の結成から100年を記念し、その足跡をたどる展覧会が開かれる。
建物は、ただ雨露をしのぐための箱なのか、それとも芸術なのか。美術手帖によれば、「分離派建築会」とは何かを、結成から100年を機に再検証する展覧会が、東京のパナソニック汐留美術館で開かれる。Time Out Tokyoは、この展覧会を「建築は芸術か」という問いとともに紹介している。建設通信新聞によれば、会期は10月10日から始まる。 分離派建築会は、大正9年(1920年)、東京帝国大学の建築学科を卒業したばかりの堀口捨己、石本喜久治、山田守らが結成した。ウィーンの芸術家たちが古い様式からの「分離」を掲げた運動にならい、過去の建築様式にとらわれない、新しい建築の表現を求めた。日本で初めての近代建築運動と言われる。 彼らは、建築を単なる技術ではなく、芸術として打ち出そうとした。展覧会を開き、図面や模型を並べて、自分たちの考えを世に問うた。その若々しい意気込みは、百年後の今も、図面や写真から伝わってくるにちがいない。 旅の道すがら、古い建物の前で足を止めることがある。大正の建物には、西洋の新しさと日本の手仕事とがせめぎ合う、独特の空気がある。分離派の若者たちも、その時代の中で、自分たちの形を探していたのだろう。 旅の身にとって、建物は道すがらの道しるべでもある。百年前の若者たちが夢見た建築の姿を、今度はぜひ会場で確かめてみたい。
「建築は芸術か」。日本初の近代建築運動「分離派建築会」の結成から100年、足跡をたどる展覧会
大正9年(1920年)に東京帝国大学を卒業した若い建築家たちが結成した「分離派建築会」。日本で初めての近代建築運動とされるこの会の結成から100年を記念し、その足跡をたどる展覧会が開かれる。
建物は、ただ雨露をしのぐための箱なのか、それとも芸術なのか。美術手帖によれば、「分離派建築会」とは何かを、結成から100年を機に再検証する展覧会が、東京のパナソニック汐留美術館で開かれる。Time Out Tokyoは、この展覧会を「建築は芸術か」という問いとともに紹介している。建設通信新聞によれば、会期は10月10日から始まる。 分離派建築会は、大正9年(1920年)、東京帝国大学の建築学科を卒業したばかりの堀口捨己、石本喜久治、山田守らが結成した。ウィーンの芸術家たちが古い様式からの「分離」を掲げた運動にならい、過去の建築様式にとらわれない、新しい建築の表現を求めた。日本で初めての近代建築運動と言われる。 彼らは、建築を単なる技術ではなく、芸術として打ち出そうとした。展覧会を開き、図面や模型を並べて、自分たちの考えを世に問うた。その若々しい意気込みは、百年後の今も、図面や写真から伝わってくるにちがいない。 旅の道すがら、古い建物の前で足を止めることがある。大正の建物には、西洋の新しさと日本の手仕事とがせめぎ合う、独特の空気がある。分離派の若者たちも、その時代の中で、自分たちの形を探していたのだろう。 旅の身にとって、建物は道すがらの道しるべでもある。百年前の若者たちが夢見た建築の姿を、今度はぜひ会場で確かめてみたい。
明智光秀は連歌の達人だったのか。島左近の兜、唐津に残る信長の書状と、戦国の史料が秋に並ぶ
大河『麒麟がくる』の主人公・明智光秀が、実は連歌の達人だったのではないかというコラムが話題になった。久能山東照宮では島左近の兜が特別に展示され、佐賀県唐津市では織田信長の書状などが公開されている。
戦国武将は、刀だけでなく筆も使った。Yahoo!ニュースに載った渡邊大門氏のコラムは、明智光秀が連歌の達人だったのではないかと、その連歌の経歴に迫っている。光秀といえば、本能寺の変の直前に京都の愛宕山で連歌の会を開き、「時は今 あめが下しる 五月かな」と詠んだとされる話が名高い。 さて、ここは少し立ち止まりたい。この発句は、「土岐氏が天下を取る」という謀反の決意を込めたものだと、後の世ではよく語られてきた。だが、それは本能寺の変という結果を知る者の読み方ではないか。連歌の会で詠まれた句を、そのまま心の中の決意の表明と読むのは、少々出来すぎた話である。連歌の達人だったかどうかも、残された記録を一つずつ確かめてからにしたい。 戦国の史料は、ほかの土地でも公開されている。静岡新聞によれば、静岡市の久能山東照宮では、石田三成の重臣として知られる島左近が着用したとされる兜が、特別に展示されている。サガテレビによれば、佐賀県唐津市では、市内に残る織田信長の書状など、歴史的に貴重な史料が展示されている。 兜も書状も、「着用したとされる」「残る」という言葉に、長い年月の伝来が込められている。誰の手を経て、どう伝わってきたのか。その道のりを確かめることもまた、史料を読む楽しみの一つである。 大河の光秀も、いよいよ物語の山場へ向かう。史実と物語の境目を見極めながら、残りの放送を見届けたい。
明智光秀は連歌の達人だったのか。島左近の兜、唐津に残る信長の書状と、戦国の史料が秋に並ぶ
大河『麒麟がくる』の主人公・明智光秀が、実は連歌の達人だったのではないかというコラムが話題になった。久能山東照宮では島左近の兜が特別に展示され、佐賀県唐津市では織田信長の書状などが公開されている。
戦国武将は、刀だけでなく筆も使った。Yahoo!ニュースに載った渡邊大門氏のコラムは、明智光秀が連歌の達人だったのではないかと、その連歌の経歴に迫っている。光秀といえば、本能寺の変の直前に京都の愛宕山で連歌の会を開き、「時は今 あめが下しる 五月かな」と詠んだとされる話が名高い。 さて、ここは少し立ち止まりたい。この発句は、「土岐氏が天下を取る」という謀反の決意を込めたものだと、後の世ではよく語られてきた。だが、それは本能寺の変という結果を知る者の読み方ではないか。連歌の会で詠まれた句を、そのまま心の中の決意の表明と読むのは、少々出来すぎた話である。連歌の達人だったかどうかも、残された記録を一つずつ確かめてからにしたい。 戦国の史料は、ほかの土地でも公開されている。静岡新聞によれば、静岡市の久能山東照宮では、石田三成の重臣として知られる島左近が着用したとされる兜が、特別に展示されている。サガテレビによれば、佐賀県唐津市では、市内に残る織田信長の書状など、歴史的に貴重な史料が展示されている。 兜も書状も、「着用したとされる」「残る」という言葉に、長い年月の伝来が込められている。誰の手を経て、どう伝わってきたのか。その道のりを確かめることもまた、史料を読む楽しみの一つである。 大河の光秀も、いよいよ物語の山場へ向かう。史実と物語の境目を見極めながら、残りの放送を見届けたい。
時は今 詠んだ一句に 四百年 勝手な読みを 付けられにけり
─ 愛宕山の句会帰り ─
時は今 詠んだ一句に 四百年 勝手な読みを 付けられにけり
─ 愛宕山の句会帰り ─
2020年9月号をお届けします。朝夕に秋の気配が漂うころとなりました。わたしは高松と大阪で開かれている北斎や江戸絵画の展覧会を担当し、同じ時代を生きた絵師たちを懐かしく思い出しました。 芭蕉翁は分離派建築会の100年に、建物を味わう旅の楽しさを重ね、秋成はんは光秀の「時は今」の句を「出来すぎた話」と、いつもの慎重さで読み解いております。 かわら版には、池田家文庫の絵図展、ウマンテラさま、武寧王生誕の記念碑などを並べました。芸術の秋、どうぞ近くの美術館へお出かけくださいませ。
2020年9月号をお届けします。朝夕に秋の気配が漂うころとなりました。わたしは高松と大阪で開かれている北斎や江戸絵画の展覧会を担当し、同じ時代を生きた絵師たちを懐かしく思い出しました。 芭蕉翁は分離派建築会の100年に、建物を味わう旅の楽しさを重ね、秋成はんは光秀の「時は今」の句を「出来すぎた話」と、いつもの慎重さで読み解いております。 かわら版には、池田家文庫の絵図展、ウマンテラさま、武寧王生誕の記念碑などを並べました。芸術の秋、どうぞ近くの美術館へお出かけくださいませ。