高さ96メートル、東大寺の幻の七重塔に復元案2つ。信長の焼き打ちを逃れた延暦寺の瑠璃堂は初の内部公開
奈良文化財研究所は、かつて東大寺にあった七重の東塔について、鎌倉時代の再建時の姿を描いた復元案2案を発表した。比叡山延暦寺では、織田信長の焼き打ちを唯一逃れたとされる瑠璃堂の内部が初めて公開される。
奈良の大仏殿の南東には、かつて途方もなく高い塔が立っていた。朝日新聞によれば、奈良文化財研究所は、東大寺にあった東塔(七重塔)がどんな姿だったのかに迫る復元案を作り、発表した。高さ100メートルとも言われる塔で、復元案は二つある。イザ!によれば、案の高さは96メートル。東大寺から受けた研究で、最終的には創建時の姿の案を作ることを目指しているという。 東塔は奈良時代に建てられ、平氏による南都焼き討ちで焼けた。鎌倉時代に再建されたものの、雷火でふたたび焼けたとされる。今回の案は、この鎌倉時代の再建時の姿である。 焼けずに残った建物もある。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、比叡山延暦寺で、織田信長による焼き打ちを唯一逃れたとされる重要文化財の瑠璃堂の内部が、初めて公開される。元亀2年(1571年)の焼き打ちで、延暦寺の堂塔の多くは灰になった。山の奥まった場所にあったこの堂が、なぜ残ったのか。それだけでも興味は尽きない。 さて、復元案というものは、読み手の側が気をつけねばならぬ。記録や発掘の成果をもとに、足りないところは同じ時代の建物から推し量って描く。二つの案が出たということは、決め手がまだないということだ。見事な図面ほど、それが確かな姿だと思い込みやすい。図面は答えではなく、問いの形だと心得ておきたい。 焼き討ちで失われた塔と、焼き討ちを逃れた堂。どちらも、権力と信仰がぶつかった跡である。その跡を、想像で埋めるのではなく、確かめながら読み解いていきたい。
高さ96メートル、東大寺の幻の七重塔に復元案2つ。信長の焼き打ちを逃れた延暦寺の瑠璃堂は初の内部公開
奈良文化財研究所は、かつて東大寺にあった七重の東塔について、鎌倉時代の再建時の姿を描いた復元案2案を発表した。比叡山延暦寺では、織田信長の焼き打ちを唯一逃れたとされる瑠璃堂の内部が初めて公開される。
奈良の大仏殿の南東には、かつて途方もなく高い塔が立っていた。朝日新聞によれば、奈良文化財研究所は、東大寺にあった東塔(七重塔)がどんな姿だったのかに迫る復元案を作り、発表した。高さ100メートルとも言われる塔で、復元案は二つある。イザ!によれば、案の高さは96メートル。東大寺から受けた研究で、最終的には創建時の姿の案を作ることを目指しているという。 東塔は奈良時代に建てられ、平氏による南都焼き討ちで焼けた。鎌倉時代に再建されたものの、雷火でふたたび焼けたとされる。今回の案は、この鎌倉時代の再建時の姿である。 焼けずに残った建物もある。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、比叡山延暦寺で、織田信長による焼き打ちを唯一逃れたとされる重要文化財の瑠璃堂の内部が、初めて公開される。元亀2年(1571年)の焼き打ちで、延暦寺の堂塔の多くは灰になった。山の奥まった場所にあったこの堂が、なぜ残ったのか。それだけでも興味は尽きない。 さて、復元案というものは、読み手の側が気をつけねばならぬ。記録や発掘の成果をもとに、足りないところは同じ時代の建物から推し量って描く。二つの案が出たということは、決め手がまだないということだ。見事な図面ほど、それが確かな姿だと思い込みやすい。図面は答えではなく、問いの形だと心得ておきたい。 焼き討ちで失われた塔と、焼き討ちを逃れた堂。どちらも、権力と信仰がぶつかった跡である。その跡を、想像で埋めるのではなく、確かめながら読み解いていきたい。
群馬の綿貫観音山古墳の出土品3346点が国宝に。富士の浅間古墳はドローンのレーザー測量で姿くっきり、造山古墳の発掘も
群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から出た装身具や埴輪など3346点が国宝に指定された。静岡県富士市の浅間古墳ではドローンによるレーザー測量で墳丘の形が明らかになり、岡山の造山古墳でも今年の発掘調査が始まった。
秋は古墳めぐりによい季節である。47NEWSによれば、文部科学相は9月30日付の官報で、群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から出た金属製の装身具や埴輪など3346点を国宝に指定すると告示した。一つの古墳から出た三千点を超す品が、そろって国宝になったわけである。 空から古墳を測る試みも進む。アットエスによれば、静岡県富士市は、国指定史跡の浅間古墳を小型無人機(ドローン)で空中レーザー測量し、その3次元データから作った陰影図などを公表した。海から大きく見えるように築かれたことが明確になったという。今後は、さまざまな方角から見た鳥瞰図をウェブなどで公開する予定だ。 木々に覆われた古墳は、下から見上げても形がよく分からない。わたしも旅の途中で、これが古墳だと言われて山に登り、どこが前でどこが後ろなのか首をひねったことがある。レーザーで木々を透かし、土の形だけを取り出せるのなら、昔の人が海の上からどう眺めたのかまで見えてくる。ありがたい時代になったものだ。 岡山でも調査が続く。日本テレビ系のNews24によれば、岡山市と総社市の境にある造山古墳の発掘調査が今年も始まった。5世紀前半に築かれた全長350メートルの前方後円墳で、全国で4番目の規模を誇り、墳丘に登れる古墳としては日本一だという。 国宝の輝き、レーザーの陰影図、そして登れる巨大古墳。古墳の楽しみ方も、ずいぶん幅が広がった。秋晴れの日に、どこかの墳丘の上で弁当を広げてみたいものだ。
群馬の綿貫観音山古墳の出土品3346点が国宝に。富士の浅間古墳はドローンのレーザー測量で姿くっきり、造山古墳の発掘も
群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から出た装身具や埴輪など3346点が国宝に指定された。静岡県富士市の浅間古墳ではドローンによるレーザー測量で墳丘の形が明らかになり、岡山の造山古墳でも今年の発掘調査が始まった。
秋は古墳めぐりによい季節である。47NEWSによれば、文部科学相は9月30日付の官報で、群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から出た金属製の装身具や埴輪など3346点を国宝に指定すると告示した。一つの古墳から出た三千点を超す品が、そろって国宝になったわけである。 空から古墳を測る試みも進む。アットエスによれば、静岡県富士市は、国指定史跡の浅間古墳を小型無人機(ドローン)で空中レーザー測量し、その3次元データから作った陰影図などを公表した。海から大きく見えるように築かれたことが明確になったという。今後は、さまざまな方角から見た鳥瞰図をウェブなどで公開する予定だ。 木々に覆われた古墳は、下から見上げても形がよく分からない。わたしも旅の途中で、これが古墳だと言われて山に登り、どこが前でどこが後ろなのか首をひねったことがある。レーザーで木々を透かし、土の形だけを取り出せるのなら、昔の人が海の上からどう眺めたのかまで見えてくる。ありがたい時代になったものだ。 岡山でも調査が続く。日本テレビ系のNews24によれば、岡山市と総社市の境にある造山古墳の発掘調査が今年も始まった。5世紀前半に築かれた全長350メートルの前方後円墳で、全国で4番目の規模を誇り、墳丘に登れる古墳としては日本一だという。 国宝の輝き、レーザーの陰影図、そして登れる巨大古墳。古墳の楽しみ方も、ずいぶん幅が広がった。秋晴れの日に、どこかの墳丘の上で弁当を広げてみたいものだ。
御朱印の次は「御城印」、発行は全国460城超え。三木城は別所家の家紋、杵築城は復元50年、武将の食事は缶詰に
寺社の御朱印に続いて、城を訪ねた記念の「御城印」が人気を集めている。発行する城は全国で460を超えた。戦国武将の食事を再現した缶詰まで登場し、城と武将はますます商売の種になっている。
まあ聞いてほしい。今、城で一番売れとるのは天守の入場券やない、紙一枚の「御城印」や。中日新聞によれば、寺社参拝の証しの「御朱印」に続いて、お城を訪ねた記念の「御城印」が人気で、発行する城郭・城跡は全国で460城を超えた。岐阜県内でも約20の城で出しており、このブームは岐阜から火がついて、ここ数年で全国に広まったのだという。 城ごとに工夫を凝らす。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、兵庫県三木市の三木城の御城印は、城主だった別所家の家紋をあしらって人気だ。三木城といえば、羽柴秀吉に兵糧攻めにされた「三木の干殺し」で知られる城である。西日本新聞によれば、大分県杵築市では、城下町のシンボルの杵築城模擬天守が復元から50周年を迎え、特別展や御城印の限定販売で節目を祝う。 わしに言わせれば、御城印ほどうまい商売はない。元手は紙と墨と判子だけ。それで客はわざわざ城まで足を運び、一枚ずつ集めて帳面を埋めていく。集める楽しみを売るのは、昔から一番もうかる商いや。寺の御朱印が何百年もかけて作った道を、城がちゃっかり歩いとる。 腹ごしらえもできる。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、国分とデアゴスティーニ・ジャパンが、有名武将の食事を缶詰で再現した「戦国武将メシ缶詰」を出した。食事にまつわる読み物まで付いていて、信長と光秀のどちらがうまいか、食べ比べる記事まである。 城で紙を集め、缶詰で武将の飯を食う。戦国の世の人が見たら、腰を抜かすやろな。けど、城も武将も、忘れられるよりはこうして商売の種になっとるほうが、なんぼか幸せやと思うで。
御朱印の次は「御城印」、発行は全国460城超え。三木城は別所家の家紋、杵築城は復元50年、武将の食事は缶詰に
寺社の御朱印に続いて、城を訪ねた記念の「御城印」が人気を集めている。発行する城は全国で460を超えた。戦国武将の食事を再現した缶詰まで登場し、城と武将はますます商売の種になっている。
まあ聞いてほしい。今、城で一番売れとるのは天守の入場券やない、紙一枚の「御城印」や。中日新聞によれば、寺社参拝の証しの「御朱印」に続いて、お城を訪ねた記念の「御城印」が人気で、発行する城郭・城跡は全国で460城を超えた。岐阜県内でも約20の城で出しており、このブームは岐阜から火がついて、ここ数年で全国に広まったのだという。 城ごとに工夫を凝らす。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、兵庫県三木市の三木城の御城印は、城主だった別所家の家紋をあしらって人気だ。三木城といえば、羽柴秀吉に兵糧攻めにされた「三木の干殺し」で知られる城である。西日本新聞によれば、大分県杵築市では、城下町のシンボルの杵築城模擬天守が復元から50周年を迎え、特別展や御城印の限定販売で節目を祝う。 わしに言わせれば、御城印ほどうまい商売はない。元手は紙と墨と判子だけ。それで客はわざわざ城まで足を運び、一枚ずつ集めて帳面を埋めていく。集める楽しみを売るのは、昔から一番もうかる商いや。寺の御朱印が何百年もかけて作った道を、城がちゃっかり歩いとる。 腹ごしらえもできる。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、国分とデアゴスティーニ・ジャパンが、有名武将の食事を缶詰で再現した「戦国武将メシ缶詰」を出した。食事にまつわる読み物まで付いていて、信長と光秀のどちらがうまいか、食べ比べる記事まである。 城で紙を集め、缶詰で武将の飯を食う。戦国の世の人が見たら、腰を抜かすやろな。けど、城も武将も、忘れられるよりはこうして商売の種になっとるほうが、なんぼか幸せやと思うで。
正倉院で1年ぶりの「開封の儀」、ザビエル肖像画は発見から100年で高精細複製、南方熊楠の植物標本は初公開
奈良の正倉院で、宝庫の封印を1年ぶりに解く「開封の儀」が行われた。大阪府茨木市ではザビエルの肖像画の発見から100年を記念して高精細の複製が公開され、和歌山では南方熊楠が海外で集めた植物標本が初めて公開されている。
秋は、宝物が蔵から顔を出す季節である。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、奈良の正倉院では2日朝、聖武天皇ゆかりの宝物を納めた宝庫の封印を1年ぶりに解く「開封の儀」が行われた。毎年この時期に、宝物の点検や防虫剤の入れ替えのために行われるもので、宮内庁の関係者らが内部の封印を次々と解いたという。千二百年以上も宝物を守ってきたのは、こうした毎年の地道な手入れである。 発見から100年を迎えた宝もある。日本経済新聞によれば、日本にキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルの肖像画が大阪府茨木市で見つかってから、今年で100年になる。これを記念して、発見の地に近い市立キリシタン遺物史料館で、本物そっくりの高精細の複製が初めて公開されている。禁教の時代に、この絵は隠れた信仰の中でひっそりと守られてきたのだろう。 集めた人の執念がにじむ標本もある。東京新聞によれば、博物学者で民俗学者の南方熊楠(1867〜1941年)が、渡航先の米国とキューバで採集し、特注のトランクに詰めて持ち帰った植物標本のうち約40点を、初めて公開する特別展が和歌山県白浜町の南方熊楠記念館で始まった。 わたしも本草の標本や珍しい品を集めてきた身として、熊楠さんの気持ちはよく分かる。旅先で見つけたものを、壊さぬように包み、特注の箱に詰めて持ち帰る。その手間を惜しまぬ者だけが、後の世に物を残せる。正倉院の封印も、ザビエルの肖像画を隠した人の工夫も、根っこは同じだと思う。 集めることは、守ることの始まりにすぎない。収め、手入れをし、次の世に伝える。その長い手渡しのおかげで、わたしたちは今も千年前や百年前の物に出会えるのである。
正倉院で1年ぶりの「開封の儀」、ザビエル肖像画は発見から100年で高精細複製、南方熊楠の植物標本は初公開
奈良の正倉院で、宝庫の封印を1年ぶりに解く「開封の儀」が行われた。大阪府茨木市ではザビエルの肖像画の発見から100年を記念して高精細の複製が公開され、和歌山では南方熊楠が海外で集めた植物標本が初めて公開されている。
秋は、宝物が蔵から顔を出す季節である。Yahoo!ニュースに載った記事によれば、奈良の正倉院では2日朝、聖武天皇ゆかりの宝物を納めた宝庫の封印を1年ぶりに解く「開封の儀」が行われた。毎年この時期に、宝物の点検や防虫剤の入れ替えのために行われるもので、宮内庁の関係者らが内部の封印を次々と解いたという。千二百年以上も宝物を守ってきたのは、こうした毎年の地道な手入れである。 発見から100年を迎えた宝もある。日本経済新聞によれば、日本にキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルの肖像画が大阪府茨木市で見つかってから、今年で100年になる。これを記念して、発見の地に近い市立キリシタン遺物史料館で、本物そっくりの高精細の複製が初めて公開されている。禁教の時代に、この絵は隠れた信仰の中でひっそりと守られてきたのだろう。 集めた人の執念がにじむ標本もある。東京新聞によれば、博物学者で民俗学者の南方熊楠(1867〜1941年)が、渡航先の米国とキューバで採集し、特注のトランクに詰めて持ち帰った植物標本のうち約40点を、初めて公開する特別展が和歌山県白浜町の南方熊楠記念館で始まった。 わたしも本草の標本や珍しい品を集めてきた身として、熊楠さんの気持ちはよく分かる。旅先で見つけたものを、壊さぬように包み、特注の箱に詰めて持ち帰る。その手間を惜しまぬ者だけが、後の世に物を残せる。正倉院の封印も、ザビエルの肖像画を隠した人の工夫も、根っこは同じだと思う。 集めることは、守ることの始まりにすぎない。収め、手入れをし、次の世に伝える。その長い手渡しのおかげで、わたしたちは今も千年前や百年前の物に出会えるのである。
兵糧を 断たれた城も 今はただ 紙一枚で 客を集める
─ 三木の城下の紙屋 ─
兵糧を 断たれた城も 今はただ 紙一枚で 客を集める
─ 三木の城下の紙屋 ─
2020年10月号をお届けします。秋が深まり、ようやく博物館や寺にも人の姿が戻ってきました。わたしは正倉院の開封の儀や、発見100年のザビエルの肖像画、南方熊楠の標本と、物を収めて守る人々の話をまとめました。 秋成はんは東大寺の幻の七重塔の復元案に「図面は答えやなく問いの形や」と念を押し、芭蕉翁は国宝になった綿貫観音山古墳やレーザーで測った浅間古墳をたずねております。西鶴はんは御城印ブームと武将メシ缶の勘定に余念がありません。 かわら版には、生誕200年の清水次郎長や58年ぶりに復活した氷室神社の御渡りなどを並べました。行楽の秋、どうぞ気をつけてお出かけください。
2020年10月号をお届けします。秋が深まり、ようやく博物館や寺にも人の姿が戻ってきました。わたしは正倉院の開封の儀や、発見100年のザビエルの肖像画、南方熊楠の標本と、物を収めて守る人々の話をまとめました。 秋成はんは東大寺の幻の七重塔の復元案に「図面は答えやなく問いの形や」と念を押し、芭蕉翁は国宝になった綿貫観音山古墳やレーザーで測った浅間古墳をたずねております。西鶴はんは御城印ブームと武将メシ缶の勘定に余念がありません。 かわら版には、生誕200年の清水次郎長や58年ぶりに復活した氷室神社の御渡りなどを並べました。行楽の秋、どうぞ気をつけてお出かけください。