一万年の定住と精神文化が世界に認められた日——「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録決定
三内丸山遺跡をはじめとする17遺跡が一括登録。自然と共生し一万年以上続いた狩猟採集社会の普遍的価値をユネスコが承認。
2021年7月27日、ユネスコ第44回世界遺産委員会において、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録が正式に決定した。青森県の三内丸山遺跡や小牧野遺跡、秋田県の大湯環状列石、岩手県の御所野遺跡、北海道の北黄金貝塚など、津軽海峡を挟む4道県・17の遺跡群で構成される。 農耕以前の採集・狩猟・漁労を基盤としながら、定住生活を確立し、一万年以上にわたって持続可能な社会と高度な精神文化を築き上げた点が「顕著な普遍的価値」として高く評価された。巨大な掘立柱建物跡や精巧な土偶、環状列石(ストーンサークル)など、各遺跡が伝える豊かな造形と祭祀の痕跡は、人類史における定住化の多様な道筋を示すものとして世界的な関心を集めている。 登録を待つあいだにも、地元では縄文を身近に感じてもらう工夫が重ねられてきた。NHKによれば、秋田県の秋田内陸縦貫鉄道には今年2月、縄文時代をコンセプトにした「秋田縄文号」が走りはじめた。岩手日報によれば、一戸町の御所野縄文博物館では、パリを拠点に活動する建築家が御所野遺跡の魅力を六つの箱で紹介する展示が開かれている。 縄文の人々は、けっして閉じた暮らしをしていたわけではない。中日新聞によれば、滋賀県長浜市の浅井歴史民俗資料館では、長浜・米原両市の縄文時代の三つの遺跡に関する展示が開かれ、関東や関西から運ばれたとみられる土器片など113点から、数千年前にも広い交易があったことを紹介している。北の遺跡群の登録を機に、各地の縄文にも目を向けてみたい。 長年にわたり保存と発掘調査に携わってきた地元関係者や研究者からは歓喜の声が上がり、北の地に息づく一万年の記憶が、いま改めて世界の歴史地図の上に刻み込まれた。
一万年の定住と精神文化が世界に認められた日——「北海道・北東北の縄文遺跡群」世界遺産登録決定
三内丸山遺跡をはじめとする17遺跡が一括登録。自然と共生し一万年以上続いた狩猟採集社会の普遍的価値をユネスコが承認。
2021年7月27日、ユネスコ第44回世界遺産委員会において、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産登録が正式に決定した。青森県の三内丸山遺跡や小牧野遺跡、秋田県の大湯環状列石、岩手県の御所野遺跡、北海道の北黄金貝塚など、津軽海峡を挟む4道県・17の遺跡群で構成される。 農耕以前の採集・狩猟・漁労を基盤としながら、定住生活を確立し、一万年以上にわたって持続可能な社会と高度な精神文化を築き上げた点が「顕著な普遍的価値」として高く評価された。巨大な掘立柱建物跡や精巧な土偶、環状列石(ストーンサークル)など、各遺跡が伝える豊かな造形と祭祀の痕跡は、人類史における定住化の多様な道筋を示すものとして世界的な関心を集めている。 登録を待つあいだにも、地元では縄文を身近に感じてもらう工夫が重ねられてきた。NHKによれば、秋田県の秋田内陸縦貫鉄道には今年2月、縄文時代をコンセプトにした「秋田縄文号」が走りはじめた。岩手日報によれば、一戸町の御所野縄文博物館では、パリを拠点に活動する建築家が御所野遺跡の魅力を六つの箱で紹介する展示が開かれている。 縄文の人々は、けっして閉じた暮らしをしていたわけではない。中日新聞によれば、滋賀県長浜市の浅井歴史民俗資料館では、長浜・米原両市の縄文時代の三つの遺跡に関する展示が開かれ、関東や関西から運ばれたとみられる土器片など113点から、数千年前にも広い交易があったことを紹介している。北の遺跡群の登録を機に、各地の縄文にも目を向けてみたい。 長年にわたり保存と発掘調査に携わってきた地元関係者や研究者からは歓喜の声が上がり、北の地に息づく一万年の記憶が、いま改めて世界の歴史地図の上に刻み込まれた。
60年前の冗談がもう一度電波に乗る——ニッポン放送、三木鶏郎『トリロー・サンドイッチ』の音源を発見
冗談音楽とCMソングで昭和の放送を切り拓いた三木鶏郎。その冗談工房が手がけた番組の音源がニッポン放送で見つかり、7月20日、高田文夫氏の特番で放送される。
昭和も平成も素通りして、令和になってようやく出てきた音源がある。ニッポン放送が7月14日、1956年から61年までの5年間にわたって放送していたラジオ番組『トリロー・サンドイッチ』の音源を見つけたと発表した。1954年開局の同局にとっては、開局わずか2年目に始まった草創期の番組だったりする。 作ったのは、三木鶏郎が主宰した制作集団「冗談工房」。三木鶏郎(本名・繁田裕司、1914〜1994)といえば、戦後まもないNHK『日曜娯楽版』で、時事ネタを歌とコントで斬る「冗談音楽」を大当たりさせた人である。政治家を皮肉りすぎて1954年に番組ごと打ち切られた、という武勇伝まで持っている。その後は民放に軸足を移し、1951年の「僕はアマチュア・カメラマン」をはじめとするCMソングを次々に世に出した。周りには永六輔、野坂昭如、いずみたくといった、のちに昭和の放送と歌謡界を背負う面々が集まっていた。 で、わしが気になるのはやっぱり銭の話。流行り歌は当たるも外れるも運次第だが、CMソングはスポンサーの注文があって初めて作る歌で、売り先は最初から決まっている。芸をきっちり商品にして換金する仕組みを、ラジオの草創期に組み上げてしまったわけで、商人の目で見れば、ここが三木鶏郎いちばんの発明なのではないか、と思ったりする。 音源は、開局67周年と冗談工房結成65周年を記念した特別番組『キリン一番搾り presents 三木鶏郎とニッポン放送』で、7月20日18時30分から2時間にわたって放送される。パーソナリティーは『ラジオビバリー昼ズ』の高田文夫氏。ゲストには評伝『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』の著者でコラムニストの泉麻人氏と、トリローイズムを受け継ぐミュージシャンの鈴木慶一氏が顔をそろえる。さらに、大瀧詠一さんが1984年に三木鶏郎本人にインタビューした音源も初めて披露され、CMソングをめぐる二人の会話が聞けるという。 60年前の冗談が、もう一度電波に乗る。昭和のポップカルチャーの源流を耳で確かめられる、またとない2時間なわけで、ラジオの前に座って待つとしよう。
60年前の冗談がもう一度電波に乗る——ニッポン放送、三木鶏郎『トリロー・サンドイッチ』の音源を発見
冗談音楽とCMソングで昭和の放送を切り拓いた三木鶏郎。その冗談工房が手がけた番組の音源がニッポン放送で見つかり、7月20日、高田文夫氏の特番で放送される。
昭和も平成も素通りして、令和になってようやく出てきた音源がある。ニッポン放送が7月14日、1956年から61年までの5年間にわたって放送していたラジオ番組『トリロー・サンドイッチ』の音源を見つけたと発表した。1954年開局の同局にとっては、開局わずか2年目に始まった草創期の番組だったりする。 作ったのは、三木鶏郎が主宰した制作集団「冗談工房」。三木鶏郎(本名・繁田裕司、1914〜1994)といえば、戦後まもないNHK『日曜娯楽版』で、時事ネタを歌とコントで斬る「冗談音楽」を大当たりさせた人である。政治家を皮肉りすぎて1954年に番組ごと打ち切られた、という武勇伝まで持っている。その後は民放に軸足を移し、1951年の「僕はアマチュア・カメラマン」をはじめとするCMソングを次々に世に出した。周りには永六輔、野坂昭如、いずみたくといった、のちに昭和の放送と歌謡界を背負う面々が集まっていた。 で、わしが気になるのはやっぱり銭の話。流行り歌は当たるも外れるも運次第だが、CMソングはスポンサーの注文があって初めて作る歌で、売り先は最初から決まっている。芸をきっちり商品にして換金する仕組みを、ラジオの草創期に組み上げてしまったわけで、商人の目で見れば、ここが三木鶏郎いちばんの発明なのではないか、と思ったりする。 音源は、開局67周年と冗談工房結成65周年を記念した特別番組『キリン一番搾り presents 三木鶏郎とニッポン放送』で、7月20日18時30分から2時間にわたって放送される。パーソナリティーは『ラジオビバリー昼ズ』の高田文夫氏。ゲストには評伝『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』の著者でコラムニストの泉麻人氏と、トリローイズムを受け継ぐミュージシャンの鈴木慶一氏が顔をそろえる。さらに、大瀧詠一さんが1984年に三木鶏郎本人にインタビューした音源も初めて披露され、CMソングをめぐる二人の会話が聞けるという。 60年前の冗談が、もう一度電波に乗る。昭和のポップカルチャーの源流を耳で確かめられる、またとない2時間なわけで、ラジオの前に座って待つとしよう。
清水寺の書庫から古文書194点、天皇11人の綸旨や尊氏・信長・秀吉の書状の原本。80年ぶりに見つかった承久の乱の絵巻は高野山へ
京都の清水寺は、塔頭・成就院の書庫から、室町から江戸時代の天皇11人の命令文書や、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉らの書状の原本が見つかったと発表した。高野山には、80年ぶりに再発見された「承久記絵巻」が戻った。
古い寺の書庫は、まだまだ宝の山である。NHKによれば、京都の世界遺産・清水寺の塔頭の書庫から、新たに194点の古文書が見つかった。その中には、戦国時代から江戸時代にかけての11人の天皇の命令を記した文書も含まれ、専門家は寺と当時の天皇との関係を示す貴重な発見だとしている。 47NEWSによれば、見つかったのは境内の成就院の書庫で、足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉らの書状の原本もあった。いずれもこれまで写しが知られていたが、原本が見つかったのは初めてだという。産経新聞は、秀吉が有馬温泉で浴衣を受け取り、そのお礼を述べた書状もあったと伝えている。 さて、ここで大事なのは「写しはあったが原本はなかった」という点だ。写しは、写す者の手が入る。書き間違いもあれば、都合よく書き換えることもある。原本が出てきて初めて、写しがどこまで信用できたのかを確かめられる。毎日放送によれば、応仁の乱で焼けた清水寺の再建のため、民衆に寄付を募ることを天皇が認めた文書の原本もあった。京都新聞は、願阿弥ら寄付を募った僧が荒れた境内を復興させた経緯が、これらの文書から分かると伝えている。 寺から出た宝は、もう一つある。毎日新聞によれば、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久の乱(1221年)を描いた「承久記絵巻」が、かつて持っていた高野山の塔頭・龍光院に寄贈された。2020年に約80年ぶりに再発見されたことを京都文化博物館が明らかにしていたものである。承久の乱から、今年でちょうど800年になる。 書状も絵巻も、誰かが守り、あるいはどこかへ流れ、そしてまた出てきた。紙一枚が何百年も残るのは、それだけで一つの奇跡である。その奇跡を、読み違えずに読むのが、わたしらの仕事だと思う。
清水寺の書庫から古文書194点、天皇11人の綸旨や尊氏・信長・秀吉の書状の原本。80年ぶりに見つかった承久の乱の絵巻は高野山へ
京都の清水寺は、塔頭・成就院の書庫から、室町から江戸時代の天皇11人の命令文書や、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉らの書状の原本が見つかったと発表した。高野山には、80年ぶりに再発見された「承久記絵巻」が戻った。
古い寺の書庫は、まだまだ宝の山である。NHKによれば、京都の世界遺産・清水寺の塔頭の書庫から、新たに194点の古文書が見つかった。その中には、戦国時代から江戸時代にかけての11人の天皇の命令を記した文書も含まれ、専門家は寺と当時の天皇との関係を示す貴重な発見だとしている。 47NEWSによれば、見つかったのは境内の成就院の書庫で、足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉らの書状の原本もあった。いずれもこれまで写しが知られていたが、原本が見つかったのは初めてだという。産経新聞は、秀吉が有馬温泉で浴衣を受け取り、そのお礼を述べた書状もあったと伝えている。 さて、ここで大事なのは「写しはあったが原本はなかった」という点だ。写しは、写す者の手が入る。書き間違いもあれば、都合よく書き換えることもある。原本が出てきて初めて、写しがどこまで信用できたのかを確かめられる。毎日放送によれば、応仁の乱で焼けた清水寺の再建のため、民衆に寄付を募ることを天皇が認めた文書の原本もあった。京都新聞は、願阿弥ら寄付を募った僧が荒れた境内を復興させた経緯が、これらの文書から分かると伝えている。 寺から出た宝は、もう一つある。毎日新聞によれば、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久の乱(1221年)を描いた「承久記絵巻」が、かつて持っていた高野山の塔頭・龍光院に寄贈された。2020年に約80年ぶりに再発見されたことを京都文化博物館が明らかにしていたものである。承久の乱から、今年でちょうど800年になる。 書状も絵巻も、誰かが守り、あるいはどこかへ流れ、そしてまた出てきた。紙一枚が何百年も残るのは、それだけで一つの奇跡である。その奇跡を、読み違えずに読むのが、わたしらの仕事だと思う。
新旧1万円札がついに対面。『青天を衝け』はパリ編へ、渋沢を見いだした平岡円四郎の墓も東京で確認
大河ドラマ『青天を衝け』で、新1万円札の顔となる渋沢栄一と、今の1万円札の福沢諭吉が対面し、ネットが沸いた。放送は「パリ編」に入る。渋沢を見いだした一橋家の平岡円四郎の墓も、東京で見つかった。
まあ聞いてほしい。今年の大河は、お札が主役や。スポニチによれば、4日に放送された『青天を衝け』第21話で、新1万円札の肖像になる渋沢篤太夫(栄一)と、今の1万円札の福沢諭吉が初めて顔を合わせ、ネット上が盛り上がった。J-CASTニュースも、この「新旧一万円札」の共演に大きな反響があったと伝えている。 物語はいよいよ海を渡る。朝日新聞によれば、11日からは「パリ編」が始まる。演出の田中健二氏は、パリで成長していく篤太夫に注目してほしいと語っている。慶応3年(1867年)、渋沢は将軍慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万博に向かった。そこで見た株式会社や銀行の仕組みが、のちの五百ほどの会社づくりにつながっていくわけや。 その渋沢を見いだしたのが、一橋慶喜の側近・平岡円四郎である。中日新聞によれば、平岡の墓が、東京都墨田区の日蓮宗本久寺に残っていることが分かった。墓は関東大震災と東京大空襲という2度の災いをくぐり抜けてきたという。攘夷を叫んでいた農家の息子を召し抱えた眼力がなければ、新1万円札の顔もなかったかもしれん。 商売のほうも抜かりはない。日本経済新聞によれば、渋沢が初代会頭を務めた東京商工会議所は、渋沢ゆかりの地域の名産品を集めた物産展を開く。渋沢が北海道開拓の拠点を置いた十勝の清水町など、8つの自治体・団体がアイスクリームや野菜を売るそうや。 わしに言わせれば、渋沢ほど「人に稼がせる」のがうまい商人はおらん。自分の財閥をこしらえず、会社をようけ興して、人に任せた。百五十年たっても、ゆかりの町の物産を売らせとるんやから、大したもんやで。
新旧1万円札がついに対面。『青天を衝け』はパリ編へ、渋沢を見いだした平岡円四郎の墓も東京で確認
大河ドラマ『青天を衝け』で、新1万円札の顔となる渋沢栄一と、今の1万円札の福沢諭吉が対面し、ネットが沸いた。放送は「パリ編」に入る。渋沢を見いだした一橋家の平岡円四郎の墓も、東京で見つかった。
まあ聞いてほしい。今年の大河は、お札が主役や。スポニチによれば、4日に放送された『青天を衝け』第21話で、新1万円札の肖像になる渋沢篤太夫(栄一)と、今の1万円札の福沢諭吉が初めて顔を合わせ、ネット上が盛り上がった。J-CASTニュースも、この「新旧一万円札」の共演に大きな反響があったと伝えている。 物語はいよいよ海を渡る。朝日新聞によれば、11日からは「パリ編」が始まる。演出の田中健二氏は、パリで成長していく篤太夫に注目してほしいと語っている。慶応3年(1867年)、渋沢は将軍慶喜の弟・徳川昭武に随行してパリ万博に向かった。そこで見た株式会社や銀行の仕組みが、のちの五百ほどの会社づくりにつながっていくわけや。 その渋沢を見いだしたのが、一橋慶喜の側近・平岡円四郎である。中日新聞によれば、平岡の墓が、東京都墨田区の日蓮宗本久寺に残っていることが分かった。墓は関東大震災と東京大空襲という2度の災いをくぐり抜けてきたという。攘夷を叫んでいた農家の息子を召し抱えた眼力がなければ、新1万円札の顔もなかったかもしれん。 商売のほうも抜かりはない。日本経済新聞によれば、渋沢が初代会頭を務めた東京商工会議所は、渋沢ゆかりの地域の名産品を集めた物産展を開く。渋沢が北海道開拓の拠点を置いた十勝の清水町など、8つの自治体・団体がアイスクリームや野菜を売るそうや。 わしに言わせれば、渋沢ほど「人に稼がせる」のがうまい商人はおらん。自分の財閥をこしらえず、会社をようけ興して、人に任せた。百五十年たっても、ゆかりの町の物産を売らせとるんやから、大したもんやで。
福井の古墳の堀から完全な形の木製の鋤、佐賀の弥生の墓から中国製の鏡4面。夏の発掘だより
福井県若狭町の西塚古墳では、周濠の跡から完全な形の木製の鋤が出土した。佐賀市の七ケ瀬遺跡では弥生時代後期の墓から中国製の鏡4面、福島県郡山市では東北最大規模の古墳時代中期の集落の出土品が展示されている。
暑い盛りの発掘現場から、便りが相次いでいる。毎日新聞によれば、福井県若狭町の国史跡・西塚古墳の周濠の跡から、完全な形の鋤など木製品5点が出土した。儀礼などのために意図してそこに置かれたと考えられ、当時の古墳と人々の考え方を知る糸口になると期待されているという。FNNによれば、原型をとどめた木製の農具は全国でも珍しい。木は土の中で朽ちやすく、水に浸かった堀の中だったからこそ残ったのだろう。 九州では鏡が出た。毎日新聞によれば、佐賀市教委は、七ケ瀬遺跡(佐賀市大和町)の弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)の集団墓地から、副葬品として中国製の鏡4面が出土したと発表した。海を渡ってきた鏡を墓に納められたのは、それなりの力を持った人々だったにちがいない。 福岡県朝倉市でも、古墳の出土品が並んでいる。産経新聞の記事によれば、甘木歴史資料館の企画展「朝倉の古墳」では、三角縁神獣鏡や甲冑、馬具など、市内の古墳から出た品々が展示されている。 東北にも目を向けたい。FNNによれば、福島県郡山市の大安場史跡公園では、清水内遺跡の企画展が開かれている。5世紀のものとしては東北地方最大規模の集落の跡で、多くの土器が出土しているのが特徴だという。 鋤も鏡も土器も、それを使った人の手の跡である。わたしは旅の途中で、田を耕す人の姿を何度も句に詠んだが、千五百年前の人も、同じように土に向き合っていたのだろう。いつか現地説明会の人垣に交じって、掘り出されたばかりの土の匂いをかいでみたいものだ。
福井の古墳の堀から完全な形の木製の鋤、佐賀の弥生の墓から中国製の鏡4面。夏の発掘だより
福井県若狭町の西塚古墳では、周濠の跡から完全な形の木製の鋤が出土した。佐賀市の七ケ瀬遺跡では弥生時代後期の墓から中国製の鏡4面、福島県郡山市では東北最大規模の古墳時代中期の集落の出土品が展示されている。
暑い盛りの発掘現場から、便りが相次いでいる。毎日新聞によれば、福井県若狭町の国史跡・西塚古墳の周濠の跡から、完全な形の鋤など木製品5点が出土した。儀礼などのために意図してそこに置かれたと考えられ、当時の古墳と人々の考え方を知る糸口になると期待されているという。FNNによれば、原型をとどめた木製の農具は全国でも珍しい。木は土の中で朽ちやすく、水に浸かった堀の中だったからこそ残ったのだろう。 九州では鏡が出た。毎日新聞によれば、佐賀市教委は、七ケ瀬遺跡(佐賀市大和町)の弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)の集団墓地から、副葬品として中国製の鏡4面が出土したと発表した。海を渡ってきた鏡を墓に納められたのは、それなりの力を持った人々だったにちがいない。 福岡県朝倉市でも、古墳の出土品が並んでいる。産経新聞の記事によれば、甘木歴史資料館の企画展「朝倉の古墳」では、三角縁神獣鏡や甲冑、馬具など、市内の古墳から出た品々が展示されている。 東北にも目を向けたい。FNNによれば、福島県郡山市の大安場史跡公園では、清水内遺跡の企画展が開かれている。5世紀のものとしては東北地方最大規模の集落の跡で、多くの土器が出土しているのが特徴だという。 鋤も鏡も土器も、それを使った人の手の跡である。わたしは旅の途中で、田を耕す人の姿を何度も句に詠んだが、千五百年前の人も、同じように土に向き合っていたのだろう。いつか現地説明会の人垣に交じって、掘り出されたばかりの土の匂いをかいでみたいものだ。
生誕260年の「北斎づくし」、奈良博の「仏像三昧」、東京都美術館の「イサム・ノグチ 発見の道」。夏の展覧会めぐり
葛飾北斎の生誕260年を記念した「北斎づくし」展が東京ミッドタウンで始まり、奈良国立博物館では特別展「仏像三昧」が開かれている。東西のはざまで模索した彫刻家イサム・ノグチの展覧会も話題を集めている。
暑さを避けて、美術館で涼むのも夏の楽しみである。日本経済新聞によれば、葛飾北斎の生誕260年を記念した「北斎づくし」展が、7月22日から東京・六本木の東京ミッドタウン・ホールで開かれている。会期は9月17日まで。北斎は20歳のころから70年にわたって描き続けた絵師である。 北斎は、生涯に九十回を超える引っ越しを重ね、画号も三十ほど変えたと伝わる。一つところに落ち着かず、名前にもこだわらず、ただ描くことだけは手放さなかった。わたしのように物を集めて抱え込む者からすると、その身軽さがうらやましゅうもある。 仏像好きには奈良がよい。朝日新聞によれば、奈良国立博物館では特別展「仏像三昧」が始まった。高さ約50センチの国宝「薬師如来坐像」(平安時代)は、抑揚のある顔立ちや衣のひだの鋭い彫りが見どころだという。同館は、若い人になじみの薄い仏教美術を、身近に感じてもらう工夫を凝らしている。 近代の彫刻もある。毎日新聞によれば、彫刻家イサム・ノグチ(1904〜88年)の展覧会「イサム・ノグチ 発見の道」が開かれている。日本人の父とアメリカ人の母のあいだに生まれ、西洋と東洋のはざまで葛藤した人である。自我がそびえ立つ西洋と、自分が世界と一つになる東洋とのあいだで模索を続け、「発見の道」にいたる、というのが展示の筋立てだ。NHKの日曜美術館のブログは、日本各地に残るノグチの作品を紹介している。 江戸の浮世絵、平安の仏像、昭和の石の彫刻。時代も素材もばらばらやけど、どれも人の手が形にしたものには違いない。この夏は、そういう寄り道を存分に楽しみたいと思う。
生誕260年の「北斎づくし」、奈良博の「仏像三昧」、東京都美術館の「イサム・ノグチ 発見の道」。夏の展覧会めぐり
葛飾北斎の生誕260年を記念した「北斎づくし」展が東京ミッドタウンで始まり、奈良国立博物館では特別展「仏像三昧」が開かれている。東西のはざまで模索した彫刻家イサム・ノグチの展覧会も話題を集めている。
暑さを避けて、美術館で涼むのも夏の楽しみである。日本経済新聞によれば、葛飾北斎の生誕260年を記念した「北斎づくし」展が、7月22日から東京・六本木の東京ミッドタウン・ホールで開かれている。会期は9月17日まで。北斎は20歳のころから70年にわたって描き続けた絵師である。 北斎は、生涯に九十回を超える引っ越しを重ね、画号も三十ほど変えたと伝わる。一つところに落ち着かず、名前にもこだわらず、ただ描くことだけは手放さなかった。わたしのように物を集めて抱え込む者からすると、その身軽さがうらやましゅうもある。 仏像好きには奈良がよい。朝日新聞によれば、奈良国立博物館では特別展「仏像三昧」が始まった。高さ約50センチの国宝「薬師如来坐像」(平安時代)は、抑揚のある顔立ちや衣のひだの鋭い彫りが見どころだという。同館は、若い人になじみの薄い仏教美術を、身近に感じてもらう工夫を凝らしている。 近代の彫刻もある。毎日新聞によれば、彫刻家イサム・ノグチ(1904〜88年)の展覧会「イサム・ノグチ 発見の道」が開かれている。日本人の父とアメリカ人の母のあいだに生まれ、西洋と東洋のはざまで葛藤した人である。自我がそびえ立つ西洋と、自分が世界と一つになる東洋とのあいだで模索を続け、「発見の道」にいたる、というのが展示の筋立てだ。NHKの日曜美術館のブログは、日本各地に残るノグチの作品を紹介している。 江戸の浮世絵、平安の仏像、昭和の石の彫刻。時代も素材もばらばらやけど、どれも人の手が形にしたものには違いない。この夏は、そういう寄り道を存分に楽しみたいと思う。
写しには 書いてあったが 本物は 書庫の奥にて 昼寝しとった
─ 成就院の虫干し係 ─
写しには 書いてあったが 本物は 書庫の奥にて 昼寝しとった
─ 成就院の虫干し係 ─
2021年7月号をお届けします。北の大地に一万年の息づかいを伝える「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録という快報を中心に、六十年ぶりに見つかった三木鶏郎のラジオ音源まで、並べてみれば時代も素材もばらばらの号になりました。 秋成はんは清水寺の書庫から出た尊氏や秀吉の書状の原本と、80年ぶりに高野山へ戻った承久の乱の絵巻を読み解き、西鶴はんは新旧1万円札の対面にはしゃいでおります。芭蕉翁は福井の木製の鋤や佐賀の鏡と、夏の発掘だよりを集め、わたしは北斎づくしや仏像三昧など夏の展覧会を担当しました。 かわら版には、一茶が妻に宛てた手紙、龍馬と福井藩の縁、琉球舞踊の人間国宝などを並べました。縄文の土偶から昭和のCMソングまで、どれも人が暮らしの中で拵えて、後の世まで残ったもんには違いない。夏本番、どうぞ体に気をつけてお過ごしください。
2021年7月号をお届けします。北の大地に一万年の息づかいを伝える「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録という快報を中心に、六十年ぶりに見つかった三木鶏郎のラジオ音源まで、並べてみれば時代も素材もばらばらの号になりました。 秋成はんは清水寺の書庫から出た尊氏や秀吉の書状の原本と、80年ぶりに高野山へ戻った承久の乱の絵巻を読み解き、西鶴はんは新旧1万円札の対面にはしゃいでおります。芭蕉翁は福井の木製の鋤や佐賀の鏡と、夏の発掘だよりを集め、わたしは北斎づくしや仏像三昧など夏の展覧会を担当しました。 かわら版には、一茶が妻に宛てた手紙、龍馬と福井藩の縁、琉球舞踊の人間国宝などを並べました。縄文の土偶から昭和のCMソングまで、どれも人が暮らしの中で拵えて、後の世まで残ったもんには違いない。夏本番、どうぞ体に気をつけてお過ごしください。