地下浪人から一代で財閥へ——『青天を衝け』に岩崎弥太郎、三菱の「下克上」をそろばんで読む
大河ドラマ『青天を衝け』に、中村芝翫さん演じる岩崎弥太郎が登場した。土佐藩の地下浪人の家から身を起こし、一代で三菱を築いた男。その「下克上」と、スリーダイヤの由来を、商人の目で追ってみる。
いよいよ、この男が出てきた。10月、大河ドラマ『青天を衝け』に、三菱の創業者・岩崎弥太郎が登場したのである。演じるのは中村芝翫さん。放送を見た人からは「ラスボスが来た」「めっちゃ似てる」との声が上がり、芝翫さん自身も「思いっきり時代を動かす気迫で挑みます」と意気込みを語っていた。 弥太郎(1835〜1885)は土佐藩の地下浪人の家に生まれた。地下浪人とは、郷士の株を売ってしまい、武士の身分から外れかけた家のことだ。いわば土佐の身分の序列の、いちばん下のほうにいた人である。その男が、藩の商いを任されたのをきっかけに海運で頭角を現し、一代で三菱財閥の礎を築いた。ダイヤモンド・オンラインはこれを、まさに「下克上」だと書いている。 三菱の社章「スリーダイヤ」の由来も面白い。岩崎家の家紋「三階菱」と、土佐藩主・山内家の家紋「三つ柏」を組み合わせたものといわれる。藩の商いから出発した会社らしく、主家への義理と、自分の家の看板を、一つの印に同居させたわけや。 さて、ドラマでは渋沢栄一とこの弥太郎が、明治の経済の行く末をめぐってぶつかることになる。大勢から資本を集めて事業を起こす「合本」を唱えた渋沢に対し、弥太郎は有能な一人が全体を率いるべきだと考えた。どちらが正しいかは、今でも経営の本で論じられるほどの大問題である。 わしに言わせれば、どちらも一理ある。大坂の商人も、みなで銭を出し合う仲間もあれば、一代で身代を築く才覚者もおった。けれど、「政府のいうことを聞く」と評された弥太郎が、お上と手を組みながら海の商いを一手に握っていった手際は、なかなか真似のできるもんやない。母・ゑいの最期の言葉まで描かれた回を見れば、そのしたたかさの根っこに、地下浪人の家の悔しさがあったことも伝わってくる。 千両箱の重さを知る男の出番は、まだまだ続く。そろばん片手に、渋沢との勝負を見届けたい。
地下浪人から一代で財閥へ——『青天を衝け』に岩崎弥太郎、三菱の「下克上」をそろばんで読む
大河ドラマ『青天を衝け』に、中村芝翫さん演じる岩崎弥太郎が登場した。土佐藩の地下浪人の家から身を起こし、一代で三菱を築いた男。その「下克上」と、スリーダイヤの由来を、商人の目で追ってみる。
いよいよ、この男が出てきた。10月、大河ドラマ『青天を衝け』に、三菱の創業者・岩崎弥太郎が登場したのである。演じるのは中村芝翫さん。放送を見た人からは「ラスボスが来た」「めっちゃ似てる」との声が上がり、芝翫さん自身も「思いっきり時代を動かす気迫で挑みます」と意気込みを語っていた。 弥太郎(1835〜1885)は土佐藩の地下浪人の家に生まれた。地下浪人とは、郷士の株を売ってしまい、武士の身分から外れかけた家のことだ。いわば土佐の身分の序列の、いちばん下のほうにいた人である。その男が、藩の商いを任されたのをきっかけに海運で頭角を現し、一代で三菱財閥の礎を築いた。ダイヤモンド・オンラインはこれを、まさに「下克上」だと書いている。 三菱の社章「スリーダイヤ」の由来も面白い。岩崎家の家紋「三階菱」と、土佐藩主・山内家の家紋「三つ柏」を組み合わせたものといわれる。藩の商いから出発した会社らしく、主家への義理と、自分の家の看板を、一つの印に同居させたわけや。 さて、ドラマでは渋沢栄一とこの弥太郎が、明治の経済の行く末をめぐってぶつかることになる。大勢から資本を集めて事業を起こす「合本」を唱えた渋沢に対し、弥太郎は有能な一人が全体を率いるべきだと考えた。どちらが正しいかは、今でも経営の本で論じられるほどの大問題である。 わしに言わせれば、どちらも一理ある。大坂の商人も、みなで銭を出し合う仲間もあれば、一代で身代を築く才覚者もおった。けれど、「政府のいうことを聞く」と評された弥太郎が、お上と手を組みながら海の商いを一手に握っていった手際は、なかなか真似のできるもんやない。母・ゑいの最期の言葉まで描かれた回を見れば、そのしたたかさの根っこに、地下浪人の家の悔しさがあったことも伝わってくる。 千両箱の重さを知る男の出番は、まだまだ続く。そろばん片手に、渋沢との勝負を見届けたい。
千二百年分の宝が上野に——特別展「最澄と天台宗のすべて」と、マンガ『阿・吽』
伝教大師最澄の1200年大遠忌を記念した特別展「最澄と天台宗のすべて」が、東京国立博物館で開かれている。天台ゆかりの宝物が集まるなか、最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』の作者を招いたトークの動画も公開された。
6月に比叡山で営まれた最澄の1200年大遠忌。その記念の特別展「最澄と天台宗のすべて」が、東京・上野の東京国立博物館で開かれている。天台宗ゆかりの寺々から、宝物や秘仏が集まるという触れ込みで、蒐集を道楽とする身としては、聞いただけで胸が騒ぐ。 読売新聞は、最澄の魅力を「『時代』を見る力と変化を取り込む柔軟さ」と表していた。最澄は唐に渡って天台の教えを学んだが、それだけにとどまらず、密教や禅、戒律まで幅広く持ち帰った。比叡山がのちに、法然や親鸞、道元、日蓮といった人々を育てる「学びの山」になったのも、この欲張りなまでの間口の広さがあってこそだろう。一つの教えにこだわらず、良いと思うものは取り込んでみる。うちのような雑学の徒には、なんとも心強い先達である。 面白いのは、この展覧会がマンガとも手を組んでいることだ。最澄と空海という二人の天才を描いたおかざき真里さんのマンガ『阿・吽』。その作者と、東京国立博物館の研究員・皿井舞さんによるトークイベントが開かれ、ダイジェスト動画が公開された。会場の関連企画として、天台宗の僧侶らによる声明のライブも配信されたそうな。 最澄と空海は、同じ年の遣唐使船で唐に渡り、帰国後は親しく交わりながら、やがて袂を分かった。経典の貸し借りをめぐる行き違いがあったことはよく知られている。そんな二人の関係は、史料の上でも物語の上でも、まことに人を惹きつける。マンガから入って、展示室で本物の経典や仏像に出会う。そういう入り口があってもええ。 千二百年分の宝が一堂に会する機会は、そうあるものではない。上野の森が色づく頃、ゆっくり足を運んでみたい。
千二百年分の宝が上野に——特別展「最澄と天台宗のすべて」と、マンガ『阿・吽』
伝教大師最澄の1200年大遠忌を記念した特別展「最澄と天台宗のすべて」が、東京国立博物館で開かれている。天台ゆかりの宝物が集まるなか、最澄と空海を描いたマンガ『阿・吽』の作者を招いたトークの動画も公開された。
6月に比叡山で営まれた最澄の1200年大遠忌。その記念の特別展「最澄と天台宗のすべて」が、東京・上野の東京国立博物館で開かれている。天台宗ゆかりの寺々から、宝物や秘仏が集まるという触れ込みで、蒐集を道楽とする身としては、聞いただけで胸が騒ぐ。 読売新聞は、最澄の魅力を「『時代』を見る力と変化を取り込む柔軟さ」と表していた。最澄は唐に渡って天台の教えを学んだが、それだけにとどまらず、密教や禅、戒律まで幅広く持ち帰った。比叡山がのちに、法然や親鸞、道元、日蓮といった人々を育てる「学びの山」になったのも、この欲張りなまでの間口の広さがあってこそだろう。一つの教えにこだわらず、良いと思うものは取り込んでみる。うちのような雑学の徒には、なんとも心強い先達である。 面白いのは、この展覧会がマンガとも手を組んでいることだ。最澄と空海という二人の天才を描いたおかざき真里さんのマンガ『阿・吽』。その作者と、東京国立博物館の研究員・皿井舞さんによるトークイベントが開かれ、ダイジェスト動画が公開された。会場の関連企画として、天台宗の僧侶らによる声明のライブも配信されたそうな。 最澄と空海は、同じ年の遣唐使船で唐に渡り、帰国後は親しく交わりながら、やがて袂を分かった。経典の貸し借りをめぐる行き違いがあったことはよく知られている。そんな二人の関係は、史料の上でも物語の上でも、まことに人を惹きつける。マンガから入って、展示室で本物の経典や仏像に出会う。そういう入り口があってもええ。 千二百年分の宝が一堂に会する機会は、そうあるものではない。上野の森が色づく頃、ゆっくり足を運んでみたい。
八戸、盛岡、水戸、岡山——秋の博物館で「藩」の記憶をたどる
10月、各地の博物館で藩と城下町をテーマにした展示が相次いだ。最後の八戸藩主、水戸藩の初代・徳川頼房、岡山藩の武芸、盛岡城下の事件簿。北から西へ、秋の展示室を旅してみる。
藩がなくなって、ちょうど150年。そのせいか、この秋は各地の博物館で「藩」をテーマにした展示が目についた。わたしの旅の道筋からは外れる土地も多いが、展示室から展示室へと渡り歩く旅も、また乙なものである。 まずは北から。青森県の八戸市博物館では、最後の八戸藩主に光を当てる特別展示が開かれている。明治の大きな変わり目を、藩主として迎えた人物である。藩の最後を見届けた殿様がどんな決断を下したのか、城下の人々はそれをどう受け止めたのか。終わりの姿から、その藩の成り立ちが見えてくることもある。 岩手県のもりおか歴史文化館では、テーマ展「罪と罰」の第2弾が始まった。今回は盛岡の城下町で起きた事件が主役だという。いつの世も、人の暮らしがあるところには争いごとや罪がある。お裁きの記録ほど、当時の庶民の息づかいを生々しく伝えるものはない。 茨城県の水戸市立博物館では、水戸藩の初代藩主・徳川頼房の展示が11月21日まで開かれている。頼房は徳川家康の子で、御三家の一つ水戸徳川家の祖にあたる。のちに『大日本史』の編纂を始めた水戸光圀の父といえば、分かりやすいだろうか。 西へ下って、岡山シティミュージアムでは、池田家文庫の絵図で岡山藩の武芸をたどる企画展「岡山藩と武芸」。藩士たちがどんな武芸を修め、どこで稽古に励んだのか。古い絵図は、城下の地図であると同時に、武士の日々の暮らしを映す鏡でもある。 北の果ての城下町から、瀬戸内の城下町まで。どの展示にも共通するのは、藩がただの行政の区切りではなく、そこに生きた人々の暮らしの器だったということだ。秋風に誘われて、近くの博物館の扉を叩いてみてはいかがだろう。
八戸、盛岡、水戸、岡山——秋の博物館で「藩」の記憶をたどる
10月、各地の博物館で藩と城下町をテーマにした展示が相次いだ。最後の八戸藩主、水戸藩の初代・徳川頼房、岡山藩の武芸、盛岡城下の事件簿。北から西へ、秋の展示室を旅してみる。
藩がなくなって、ちょうど150年。そのせいか、この秋は各地の博物館で「藩」をテーマにした展示が目についた。わたしの旅の道筋からは外れる土地も多いが、展示室から展示室へと渡り歩く旅も、また乙なものである。 まずは北から。青森県の八戸市博物館では、最後の八戸藩主に光を当てる特別展示が開かれている。明治の大きな変わり目を、藩主として迎えた人物である。藩の最後を見届けた殿様がどんな決断を下したのか、城下の人々はそれをどう受け止めたのか。終わりの姿から、その藩の成り立ちが見えてくることもある。 岩手県のもりおか歴史文化館では、テーマ展「罪と罰」の第2弾が始まった。今回は盛岡の城下町で起きた事件が主役だという。いつの世も、人の暮らしがあるところには争いごとや罪がある。お裁きの記録ほど、当時の庶民の息づかいを生々しく伝えるものはない。 茨城県の水戸市立博物館では、水戸藩の初代藩主・徳川頼房の展示が11月21日まで開かれている。頼房は徳川家康の子で、御三家の一つ水戸徳川家の祖にあたる。のちに『大日本史』の編纂を始めた水戸光圀の父といえば、分かりやすいだろうか。 西へ下って、岡山シティミュージアムでは、池田家文庫の絵図で岡山藩の武芸をたどる企画展「岡山藩と武芸」。藩士たちがどんな武芸を修め、どこで稽古に励んだのか。古い絵図は、城下の地図であると同時に、武士の日々の暮らしを映す鏡でもある。 北の果ての城下町から、瀬戸内の城下町まで。どの展示にも共通するのは、藩がただの行政の区切りではなく、そこに生きた人々の暮らしの器だったということだ。秋風に誘われて、近くの博物館の扉を叩いてみてはいかがだろう。
三つ柏 三階菱と 寄せ合えば ダイヤ三つの 身代となる
─ 三つ柏の末裔 ─
三つ柏 三階菱と 寄せ合えば ダイヤ三つの 身代となる
─ 三つ柏の末裔 ─
2021年10月号をお届けします。今月は、西鶴はんに『青天を衝け』に登場した岩崎弥太郎を、うちは上野の特別展「最澄と天台宗のすべて」を、芭蕉翁には八戸から岡山まで、各地の藩の展示めぐりをお願いしました。地下浪人から財閥を興した男、千二百年続く教え、そして150年前に消えた藩。どれも「始まり」と「終わり」を考えさせる話になりました。かわら版には、オスロの新ムンク美術館、嵐山の木島櫻谷展、朗読劇『智恵子抄』まで。うちの蔵にも三つ柏ならぬ古い家紋入りの品がいくつかあって、眺めていたら一日が過ぎてしまいました。秋の行楽のついでに、どこかの展示室へ立ち寄っていただければ幸いです。
2021年10月号をお届けします。今月は、西鶴はんに『青天を衝け』に登場した岩崎弥太郎を、うちは上野の特別展「最澄と天台宗のすべて」を、芭蕉翁には八戸から岡山まで、各地の藩の展示めぐりをお願いしました。地下浪人から財閥を興した男、千二百年続く教え、そして150年前に消えた藩。どれも「始まり」と「終わり」を考えさせる話になりました。かわら版には、オスロの新ムンク美術館、嵐山の木島櫻谷展、朗読劇『智恵子抄』まで。うちの蔵にも三つ柏ならぬ古い家紋入りの品がいくつかあって、眺めていたら一日が過ぎてしまいました。秋の行楽のついでに、どこかの展示室へ立ち寄っていただければ幸いです。