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2023年5月号

バックナンバー
編集長: 木村蒹葭堂(大坂)

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【特集】三方ヶ原の惨敗と忠臣の落涙 ・ 初出: 2023年5月

身代わりとなった老臣の微笑み——『どうする家康』三方ヶ原の戦いと夏目広次の義

阿部寛演じる武田信玄の赤備えに蹴散らされた徳川軍。家康を救うため甲冑を奪って敵陣へ突撃した夏目広次の号泣回。

大河ドラマ『どうする家康』の第17回・第18回は、全編を通じて最大の感情の奔流となった。元亀3年(1572)、西上作戦を敢行した武田信玄の圧倒的な赤備えの前に、三方ヶ原の台地で完膚なきまでに叩きのめされた徳川軍。魚鱗の陣に突撃した三河武士団は粉砕され、本多忠真が殿となって討死、逃げ場を失い自害を覚悟した家康の前に現れたのは、いつも名前を「夏目吉信」と呼び間違えられていた地味な事務方武将・夏目広次(甲本雅裕)であった。 かつて三河一向一揆で家康を裏切りながらも命を救われた過去を持つ広次。彼は家康を気絶させて無理やり馬に乗せて落ち延びさせると、自ら主君の兜をかぶり「徳川家康ここにあり!」と叫んで武田の騎馬軍団の中へ単身突入していった。討ち死にの瞬間、幼き日の竹千代との思い出が走馬灯のように巡る演出に、涙を禁じ得なかった視聴者も多かろう。わが大久保一族の忠世や忠佐も犀ヶ崖で決死の夜襲を敢行して武田軍を足止めしたが、夏目殿の身代わりがなければ徳川の命脈は間違いなく尽きていた。 命からがら浜松城へ逃げ戻り、恐怖に失禁しながらも自らの敗戦の惨めな姿を絵師に描かせたという「しかみ像」の逸話。この骨身に染みる痛恨の敗北があったからこそ、家康公は信玄の軍法と組織力を貪欲に学び、軽挙妄動を慎む天下の名将へと変貌を遂げたのだ。三河武士の愚直な自己犠牲と、敗北を糧にする強靭なリアリズムが凝縮された、近年の大河でも屈指の名場面であった。

#どうする家康#三方ヶ原の戦い#夏目広次#武田信玄#しかみ像
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【特集】G7広島サミットと歴史の重み ・ 初出: 2023年5月

平和の祈りと安芸の宮島——G7サミット首脳陣が歩んだ歴史的空間

原爆ドームから世界遺産・厳島神社へ。世界各国の首脳が被爆の実相に触れ、瀬戸内の歴史と祈りの景観を巡った五月。

青葉若葉の眩しい5月、世界中の視線が安芸の国・広島へと注がれた。先進七カ国首脳会議(G7広島サミット)の開催に伴い、各国首脳が平和記念資料館を訪れ、原爆死没者慰霊碑に厳粛な面持ちで献花を行った光景は、戦後史の新たな一頁として深く記憶されることだろう。 さらに首脳一行は瀬戸内の穏やかな海を渡り、平清盛ゆかりの日本三景・宮島(厳島神社)へと足を運んだ。海上に浮かぶ朱塗りの大鳥居は、約三年半に及ぶ令和の大改修を終えて鮮やかな丹塗りの姿を取り戻したばかり。平安の末期、平清盛が海陸交通の安全と一門の繁栄を祈願して海上社殿を造営し、国宝『平家納経』を奉納して以来、この地は神と人と自然が調和する祈りの聖域として守り継がれてきた。潮の満ち引きによって表情を変える舞台を歩み、大鳥居を背に並び立つ元首たちの姿には、悠久の歴史が持つ包容力と、時代を超えて受け継がれた文化の底力が確かに宿っていた。 軍事と破壊の生々しい爪痕を残す被爆の街と、平安王朝の美意識を今に伝える信仰の社殿。二つの歴史的空間が鮮やかに交差した今回のサミットは、単なる政治外交の枠を超えて、人類が過ちから何を学び、未来へ向けいかなる美と調和を紡ぐべきかを静かに問いかける契機となった。

#G7サミット#広島#厳島神社#平清盛#世界遺産
かわら版
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歴史かわら版 ・ 2023年05月

浜松市・犀ヶ崖資料館で特別展示、三方ヶ原合戦の夜襲劇を追体験

家康が敗走後に武田軍を崖へ突き落としたとされる「犀ヶ崖の夜襲」の現場。大河ドラマの三方ヶ原回を受け、全国から歴史ファンが現地資料館へ殺到しているとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2023年05月

奈良・平城宮跡で「平城京天平祭」開幕、天平貴族の行列が朱雀門を行く

初夏の青空の下、華やかな天平衣装をまとった女帝や貴族たちの行列が復元された朱雀門前を練り歩いた。古代王朝の優雅な息吹に訪れた観光客も見惚れていたそうだ。

今月のこんな人.txt - メモ帳
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今月のこんな人、知っていますか?

夏目吉信(広次)

三河一向一揆の悔恨を胸に、三方ヶ原で主君の身代わりとなった三河武士

三河松平家の古参の臣。永禄6年の三河一向一揆では信仰ゆえに一揆側につき野場城に立て籠もったが、降伏後に家康から寛大な赦免を受け、深く恩義を感じて死身の忠節を誓った。元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いにおいて徳川軍が総崩れとなった際、家康を救うため馬から引きずり下ろして退却させ、自ら主君の甲冑を身に着けて「我こそは徳川家康なり」と名乗り敵陣へ突撃、壮絶な戦死を遂げた。 家康はその忠節を終生忘れず、江戸開府後に夏目家の遺児を手厚く取り立てて要職に据えた。なお、近代の文豪・夏目漱石の夏目家もこの広次の血筋を引いているとされる。不器用ながら義理に生きた、三河武士団の精神を体現する人物である。

#夏目広次#夏目吉信#三方ヶ原の戦い#忠臣
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書籍紹介 ・ 『新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く』平山優著

神君はなぜ無謀な出撃を選んだのか——平山優『新説 家康と三方原合戦』

浜松城を素通りする信玄をなぜ追撃したのか。血気にはやった若気の至りという通説を最新史料で覆し、領主としての軍事・政治的必然を抉り出した決定版新書。

NHK出版新書より刊行された平山優氏の『新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く』は、大河ドラマ『どうする家康』の時代考証を務めた気鋭の歴史学者が、家康最大の危機であった三方ヶ原の敗戦を最新の史料研究から鮮やかに再構築した白眉の書である。 長年、通説では「信玄に城を素通りされてプライドを傷つけられた若き家康が、家臣の制止を振り切って無謀にも突撃した」と語られてきた。しかし著者は、当時の遠江・三河の在地領主たちの動向や街道・補給線の関係を緻密に分析し、武田軍を見過ごせば領内の国衆が雪崩を打って武田に寝返るという極限状態の中で、家康が決死の覚悟で打って出ざるを得なかった政治的・軍事的必然を解き明かす。 考証デスクの上田秋成としても、「武将の軽挙妄動」という安易な心理劇に回収することなく、織豊政権の成立期における足利義昭の思惑や信玄の上洛戦略という大局的な構造から合戦を位置づけ直した本書の筆致には、深く首肯せざるを得ない。 夏目広次の身代わり死や犀ヶ崖の夜襲といった劇的な伝承の実相に迫りつつ、敗北を糧に成長していった家康の実像に迫る好著である。

#三方ヶ原の戦い#徳川家康#武田信玄#平山優#NHK出版新書#戦国史
投稿狂歌.txt - メモ帳
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投稿狂歌コーナー ・ お題「夏目広次の身代わり」

わが名をば 家康と呼び 敵陣へ 駆け行く背中 涙で見えず

─ 浜松の古狸 ─

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投稿狂歌コーナー ・ お題「平城京天平祭を見て」

朱雀門 くぐる衣の 裾引きて 天平の春 今に蘇る

─ 三笠山の人麻呂 ─

編集後記.txt - メモ帳
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五月晴れの空の下、三方ヶ原合戦のドラマ回には編集部一同、画面の前で正座して涙を拭いました。負け戦の泥臭さと身代わりの壮烈さを真正面から描いてこそ、武将の真価が浮き彫りになるというものです。また広島でのサミット風景を眺めつつ、宮島の大鳥居が伝える平安の美と、被爆地が背負う祈りの記憶が現代の国際舞台と地続きであることを深く実感させられました。歴史の痛哭と希望を胸に、初夏の風に吹かれながら知的な歩みを続けてまいりましょう。