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2024年9月号

バックナンバー
編集長: 木村蒹葭堂(大坂)

特集.txt - メモ帳
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【特集】細江英公さんの死去 ・ 初出: 2024年9月

写真家・細江英公さん死去、91歳——三島由紀夫を撮った『薔薇刑』の巨匠

戦後日本を代表する写真家、細江英公さんが91歳で亡くなった。三島由紀夫を撮った『薔薇刑』などで、独自の肉体美学を切り拓いた巨匠である。

戦後日本を代表する写真家、細江英公さんが91歳で亡くなったという報せが、あちこちの新聞・メディアから続けて入ってきた。朝日新聞や読売新聞の記事によれば、代表作は三島由紀夫を撮影した写真集『薔薇刑』。独自の美学で人間の肉体を捉えた仕事は、戦後日本の写真表現を語るうえで欠かせない存在やったという。 Tokyo Art Beatの記事では、その仕事ぶりが「独自の美学で人間の肉体をとらえた」と評されている。三島由紀夫という、それ自体が濃密な存在感を持つ文学者を撮るというのは、並の写真家では手に余る仕事やろう。日本経済新聞の記事によれば、その独創性は国内外の写真表現に長く影響を与え続けてきたとのこと。新潟日報の記事によれば、新潟県美術展覧会(県展)の審査員も務めていたとのことで、地方の美術振興にも力を注いでいた様子がうかがえる。 日本写真家協会(jps.gr.jp)からも訃報が出ており、名誉会員として業界内でも重んじられていた人物やったことが分かる。写真という記録の技術を使って、人間の内面や肉体そのものをどう表現するか、その一つの答えを長年提示し続けてきた仕事人やったんやろう。 『薔薇刑』のような作品は、見る者に強烈な印象を残す一方で、モデルとなった三島由紀夫という人物の記憶をも今に伝える役割を果たしている。写真家という仕事の重みを、改めて思い知らされる訃報であった。謹んでお悔やみを申し上げたい。

#細江英公#薔薇刑#三島由紀夫#写真家#訃報
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【特集】大河ドラマ「光る君へ」関連 ・ 初出: 2024年9月

赤染衛門の“大人の対応”がネットで絶賛、紫式部の娘の生涯も注目

大河『光る君へ』、赤染衛門が「大人の対応」を見せる場面がネットで絶賛される一方、紫式部の娘の生涯も改めて注目されている。

大河ドラマ『光る君へ』、赤染衛門の存在感がいよいよ本領を発揮してきたようや。赤染衛門は、道長の正妻・倫子とその娘の彰子に仕えた女房で、宮仕えの場では紫式部の先輩格にあたる歌人だ。Mantan Webとサンスポの記事では、左衛門の内侍役の菅野莉央が「気づいて!」と赤染衛門に告げ口する場面が話題になっており、周辺の女房たちの人間関係が細かく描かれていることがうかがえる。 スポニチの記事によれば、まひろにクギを刺すだけの「大人の対応」を見せた赤染衛門にネットが絶賛の声を上げたという。一方で、道長の正妻・倫子が「能面化」し、「全部道長のせい」という反応も出ているというから、視聴者の感情の振れ幅も相当なものやろう。 サライ.jpの記事では、『紫式部日記』を出典に、道長との関係を忠告される藤式部(紫式部)の様子や、大晦日の引き剥ぎ事件まで紹介されていた。東洋経済オンラインの記事では、男性遍歴の多かった紫式部の娘が、母親とはまるで正反対の性格の伴侶を最後に選び、長寿を全うしたという生涯が辿られている。母娘で対照的な人生を送ったというのも、なかなか含みのある話や。 赤染衛門の大人の対応から紫式部の娘の生涯まで、平安貴族の女性たちの生き方が多角的に描かれる大河、見応えのある回が続いているようや。

#光る君へ#赤染衛門#紫式部#大河ドラマ#紫式部日記
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【特集】映画「画家ボナール ピエールとマルト」 ・ 初出: 2024年9月

映画『画家ボナール ピエールとマルト』全国公開、夫婦の“謎めいた生涯”に評が集まる

映画『画家ボナール ピエールとマルト』が全国公開され、画家とモデル妻の“謎めいた生涯”を巡る評が各メディアで一斉に出ている。

映画『画家ボナール ピエールとマルト』が全国公開されたという報せが、各メディアから続けて入ってきた。ナビ派を代表する人気画家ピエール・ボナールと、そのミューズとされる妻マルトの関係を描いた作品やが、アートアジェンダの記事が評するように、この夫婦の生涯は「謎めいた」の一言で括られることが多いようや。 文春オンラインの記事では、「妻の入浴姿に自殺した愛人を重ねた」という、なかなか穿った解釈が紹介されていた。ボナールの作品にはしばしば“ふたり目の女性”が登場するというが、この手の伝記的解釈は、絵そのものの魅力とは別に、いくらでも深読みできてしまうものやから、どこまでが史実でどこからが演出上の脚色か、正直なところは慎重に見ておきたい。 映画.comのインタビューでは、マルタン・プロヴォ監督とヴァンサン・マケーニュが「有名画家とその妻の知られざる物語」について語っている。伝記映画である以上、脚本家や監督の解釈が入り込むのは避けられんが、それを差し引いても、ボナールという画家の作品自体が持つ光と色彩の魅力は疑いようがない。 zakⅡの記事は「伝記映画というには悲しすぎる謎」と評していたが、悲しさというのはあくまで映画的な演出の色合いであって、画家本人の実像がどうであったかは、また別の検証が必要やろう。とはいえ、こうして一人の画家の生涯が改めて掘り起こされ、話題になるのは悪いことではない。

#ピエール・ボナール#画家ボナール#映画#ナビ派
かわら版
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歴史かわら版 ・ 2024年09月

坂本龍馬の写真の撮影技術が 長崎で復活!「湿板写真」の魅力 デジタル全盛時代に 膨大な手間をかけたチャレンジ

坂本龍馬の写真を撮った幕末の写真師・上野彦馬の技法「湿板写真」が長崎で復活したとのこと。デジタル全盛の今、あえて手間のかかる旧技法に挑む心意気には頭が下がる。

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歴史かわら版 ・ 2024年09月

黎明館で26日から「没後100年 松方正義」展 鹿児島市

薩摩の郷士から総理大臣まで上り詰めた松方正義、没後100年展がゆかりの品々を集めて開催されているとのこと。松方デフレでお馴染みの名前やが、こうして人物としての足跡を辿る機会は貴重や。

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歴史かわら版 ・ 2024年09月

綾瀬はるかさん、土砂降りに「さすけねえでしょうか」 今年も会津に

綾瀬はるかさん、今年も会津まつりの藩公行列に参加。土砂降りの中で会津弁の「さすけねえ」を口にしたとのことで、年々土地の言葉が板についてきているようや。

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歴史かわら版 ・ 2024年09月

「端正な姿の裏には何が隠されているのか」 映画「PERFECT DAYS」で再注目された作家・幸田文を語る

映画『PERFECT DAYS』の劇中に登場したことで、作家・幸田文が再注目されているとのこと。端正な文体の裏に何が隠されているのか、という問いかけが、また新しい読者を呼び込みそうや。

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取材コーナー ・ 鳥取城跡・久松公園(鳥取県鳥取市)

飢え殺しの城将、久松山に立つ ― 吉川経家の銅像を訪ねて

鳥取城の飢え殺しで散った城将の像は、実は子孫の顔立ちを借りて起こされたものだという。久松山を背に佇む姿に手を合わせてきた。

久松山を背に立つ吉川経家の銅像。
久松山を背に立つ吉川経家の銅像。

鳥取城跡・久松公園まで足を延ばし、本丸へと向かう道すがら吉川経家の銅像に対面してきた。松の枝越しに見上げる甲冑姿は、久松山を背負って実に凛々しい。 この人、毛利方の将としてこの鳥取城に入り、天正九年(1581年)の羽柴秀吉による兵糧攻め、いわゆる「鳥取の渇え殺し」に直面した城将である。城内の兵糧が尽き、餓死者が相次ぐという凄惨極まる籠城戦の末、経家は自らの切腹と引き換えに城兵と町人の助命を秀吉に願い出て、その願いを果たして自刃したと伝わる。享年三十五という若さであった。 面白いのは、経家の肖像は一枚も見つかっていないため、平成五年(1993年)の建立に際して、生きた子孫の写真をもとに彫刻家が顔立ちを起こしたという逸話だ。姿かたちは推測でも、飢えに苦しむ者たちを救うため己の命を差し出したという事跡だけは、四百年余りを経てなお揺るがない。木陰から見上げる横顔に、しばし杖を止めて深々と手を合わせた次第である。

#吉川経家#鳥取城#久松公園#羽柴秀吉
今月のこんな人.txt - メモ帳
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今月のこんな人、知っていますか?

ジェームズ・アンソール

仮面と骸骨で人間の滑稽さを描き、表現主義の先駆けとされるベルギーの画家

仮面、仮面、また仮面。そこへ骸骨まで混じって、群衆がひしめき合う——そんな絵を描き続けたのが、ベルギーの画家ジェームズ・アンソール(1860〜1949)である。特集で取り上げた映画のボナールとほぼ同じ世代の画家やけど、描いたものはずいぶん違う。 北海に面した港町オステンドに生まれ、17歳でブリュッセルの王立美術アカデミーへ。1883年には前衛グループ「20人会」の創立に加わった。初めはくすんだ色で身近な題材を写実的に描いていたが、1887年頃から一転して強烈な色を使い、仮面や骸骨に託して人間の滑稽さや生と死を描くようになる。代表作《1889年のキリストのブリュッセル入城》に取りかかったのは1888年のこと。ただ、その痛烈な風刺はなかなか受け入れられなかった。 評価が追いついたのは後半生で、1920年代に入ると各地で大回顧展が開かれ、1929年には男爵に叙された。《キリストのブリュッセル入城》が初めて公開されたのもこの年というから、描き始めてから40年余りが経っていた計算になる。これだけ仮面を並べられると、どれか一枚ぐらい手元に置いて眺めてみたくなるもんやなあ。

#ジェームズ・アンソール#ベルギー#仮面#表現主義
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長月の夜風が涼しさを運ぶ頃となりました。今号は戦後日本の写真界を牽引し、光と影の魔術で世界を魅了した写真家・細江英公さんの偉大な足跡をはじめ、幕末長崎で湿板写真の技を拓いた上野彦馬の技術復活、大河ドラマ『光る君へ』で描かれた紫式部ら女房たちの複雑な人間模様、さらにはベルギーの異才アンソールの仮面絵画まで、光と形象にまつわる重厚な特集をお届けいたしました。一枚の写真や絵画の奥底から、時代を駆け抜けた表現者たちの魂の叫びが立ち現れてくる瞬間は、いつの世も胸を打たれるものでございます。秋の夜長、虫の音に耳を傾けながら、じっくりと歴史の余情を味わっていただければ幸いです。(木村蒹葭堂)