全国山城サミット益田大会に1500人、火縄銃演武も盛況
島根県益田市で開催された「第31回全国山城サミット」に1500人が集結、火縄銃演武なども盛況で幕を閉じた。
しまね観光ナビの告知記事によれば、11月16・17日の両日、島根県益田市で「第31回全国山城サミット益田大会」が開催されたという。中国新聞デジタルの記事では、開幕にあたって石原良純さんらによる対談も行われ、1500人が集まったと伝えられている。全国から山城好きがこれだけ集まるというのは、なかなかの熱気やろう。 先月号のかわら版で触れた、益田市の中学生による巨大絵画も、このサミットを盛り上げる企画の一環やった。komei.or.jpに掲載された朝来市議会議員のブログでは、参加者目線での大会レポートが綴られており、地元だけでなく他の山城サミット参加自治体の議員まで足を運んでいることがうかがえる。 山陰中央新報デジタルの記事によれば、閉幕にあたっては火縄銃演武や舞台も披露され、盛況のうちに幕を閉じたという。石原良純さんという著名人まで対談に招くあたり、単なる自治体同士の交流会に留まらず、一般の観光客も呼び込もうという工夫がうかがえる。 山城というのは、天守閣を構える平山城や平城とは違い、地形そのものを活かした要塞であることが多い。そのぶん見た目の派手さには欠けるが、実際に登ってみると当時の縄張りの妙が肌で分かる。こうしたサミットが呼び水になって、埋もれた山城にも新たに光が当たっていくことを期待したい。
全国山城サミット益田大会に1500人、火縄銃演武も盛況
島根県益田市で開催された「第31回全国山城サミット」に1500人が集結、火縄銃演武なども盛況で幕を閉じた。
しまね観光ナビの告知記事によれば、11月16・17日の両日、島根県益田市で「第31回全国山城サミット益田大会」が開催されたという。中国新聞デジタルの記事では、開幕にあたって石原良純さんらによる対談も行われ、1500人が集まったと伝えられている。全国から山城好きがこれだけ集まるというのは、なかなかの熱気やろう。 先月号のかわら版で触れた、益田市の中学生による巨大絵画も、このサミットを盛り上げる企画の一環やった。komei.or.jpに掲載された朝来市議会議員のブログでは、参加者目線での大会レポートが綴られており、地元だけでなく他の山城サミット参加自治体の議員まで足を運んでいることがうかがえる。 山陰中央新報デジタルの記事によれば、閉幕にあたっては火縄銃演武や舞台も披露され、盛況のうちに幕を閉じたという。石原良純さんという著名人まで対談に招くあたり、単なる自治体同士の交流会に留まらず、一般の観光客も呼び込もうという工夫がうかがえる。 山城というのは、天守閣を構える平山城や平城とは違い、地形そのものを活かした要塞であることが多い。そのぶん見た目の派手さには欠けるが、実際に登ってみると当時の縄張りの妙が肌で分かる。こうしたサミットが呼び水になって、埋もれた山城にも新たに光が当たっていくことを期待したい。
AI搭載ロボットが描いたチューリングの肖像画、約2億円で落札
「AIの父」アラン・チューリングの肖像画を、AI搭載のヒューマノイドロボット「Ai-Da」が描き、約2億円で落札された。
Ledge.aiの記事によれば、“AIの父”と称されるアラン・チューリングの肖像画が約2億円で落札されたという。しかもその作者は人間ではなく、ヒューマノイド・ロボット「Ai-Da」やというから、二重の意味で話題性のある一件である。BBCの記事でも「AIロボットが描いた『AIの父』の肖像画」として大きく報じられていた。 GIGAZINEの記事によれば、落札額は日本円で約1億6600万円(記事によって表記に幅がある)にのぼるという。以前かわら版で触れたチューリングテストやチューリング賞と合わせて考えると、この一年でチューリングという名前がやたらとAI関連の話題に登場する巡り合わせになっとる。 AIが「AIの父」を描くという構図、正直なところ出来すぎたパフォーマンスのようにも見える。チューリング本人が存命なら、この肖像画をどう評したか、聞いてみたいところや。とはいえ、機械が人間と見分けがつくかを問うたチューリングテストの発想が、今こうして機械自身による芸術表現の話題へと繋がっているのは、皮肉というよりむしろ理にかなった発展のようにも思える。 約2億円という落札額の是非はさておき、AIが歴史上の人物を「敬う」ような振る舞いを見せる時代が来たというのは、チューリングが生きた時代からは想像もつかなかった話やろう。真偽はともかく、話題としてはよくできた一件やった。
AI搭載ロボットが描いたチューリングの肖像画、約2億円で落札
「AIの父」アラン・チューリングの肖像画を、AI搭載のヒューマノイドロボット「Ai-Da」が描き、約2億円で落札された。
Ledge.aiの記事によれば、“AIの父”と称されるアラン・チューリングの肖像画が約2億円で落札されたという。しかもその作者は人間ではなく、ヒューマノイド・ロボット「Ai-Da」やというから、二重の意味で話題性のある一件である。BBCの記事でも「AIロボットが描いた『AIの父』の肖像画」として大きく報じられていた。 GIGAZINEの記事によれば、落札額は日本円で約1億6600万円(記事によって表記に幅がある)にのぼるという。以前かわら版で触れたチューリングテストやチューリング賞と合わせて考えると、この一年でチューリングという名前がやたらとAI関連の話題に登場する巡り合わせになっとる。 AIが「AIの父」を描くという構図、正直なところ出来すぎたパフォーマンスのようにも見える。チューリング本人が存命なら、この肖像画をどう評したか、聞いてみたいところや。とはいえ、機械が人間と見分けがつくかを問うたチューリングテストの発想が、今こうして機械自身による芸術表現の話題へと繋がっているのは、皮肉というよりむしろ理にかなった発展のようにも思える。 約2億円という落札額の是非はさておき、AIが歴史上の人物を「敬う」ような振る舞いを見せる時代が来たというのは、チューリングが生きた時代からは想像もつかなかった話やろう。真偽はともかく、話題としてはよくできた一件やった。
南蛮船の来た港で巡察師と対面 ― 口之津のヴァリニャーノ像を訪ねて
スペイン・ポルトガル両派がしのぎを削るイエズス会にあって、非主流のイタリア人が説いた多元主義。潮風の中で巡察師と対面してきた。

長崎の南島原、口之津港まで足を延ばしてみた。夕暮れ時、港を見下ろす緑地公園に立つと、潮風の中に一体の胸像が佇んでいる。天正七年(1579年)、南蛮船でこの港に降り立ったイエズス会巡察師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノその人である。 当時のイエズス会の日本布教は、ポルトガル・スペイン両国が競い合う布教保護権に色濃く縛られていた。ヴァリニャーノがどちらにも属さぬイタリア人であったのは、むしろ両派の調停役として巡察師に抜擢される決め手になったという。加えてこの人、ヨーロッパの型を日本人に押し付けるのではなく、宣教師の側こそ現地の作法に合わせよと説いた『日本の習俗と流儀に関する注意と助言』を著しており、当時としてはかなり型破りな多元主義の先駆けであったらしい。 彼はここ口之津や有馬にセミナリヨ(神学校)を設け、日本布教の方針を定める全国会議まで開いた。天正十年(1582年)には四人の少年をローマ教皇のもとへ送り出す「天正遣欧少年使節」を仕組んだのも、この人の発案というから只事やない。 2012年、彼の故郷イタリア・キエティ市から寄贈されたというこの像、遠く海を渡ってきた縁が二重に重なっているのがなんとも面白い。日暮れの光に浮かぶ横顔をしばし見上げ、四百年余り前にこの港から始まった東西交流の物語に、杖を止めてしばし思いを馳せた次第である。
南蛮船の来た港で巡察師と対面 ― 口之津のヴァリニャーノ像を訪ねて
スペイン・ポルトガル両派がしのぎを削るイエズス会にあって、非主流のイタリア人が説いた多元主義。潮風の中で巡察師と対面してきた。

長崎の南島原、口之津港まで足を延ばしてみた。夕暮れ時、港を見下ろす緑地公園に立つと、潮風の中に一体の胸像が佇んでいる。天正七年(1579年)、南蛮船でこの港に降り立ったイエズス会巡察師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノその人である。 当時のイエズス会の日本布教は、ポルトガル・スペイン両国が競い合う布教保護権に色濃く縛られていた。ヴァリニャーノがどちらにも属さぬイタリア人であったのは、むしろ両派の調停役として巡察師に抜擢される決め手になったという。加えてこの人、ヨーロッパの型を日本人に押し付けるのではなく、宣教師の側こそ現地の作法に合わせよと説いた『日本の習俗と流儀に関する注意と助言』を著しており、当時としてはかなり型破りな多元主義の先駆けであったらしい。 彼はここ口之津や有馬にセミナリヨ(神学校)を設け、日本布教の方針を定める全国会議まで開いた。天正十年(1582年)には四人の少年をローマ教皇のもとへ送り出す「天正遣欧少年使節」を仕組んだのも、この人の発案というから只事やない。 2012年、彼の故郷イタリア・キエティ市から寄贈されたというこの像、遠く海を渡ってきた縁が二重に重なっているのがなんとも面白い。日暮れの光に浮かぶ横顔をしばし見上げ、四百年余り前にこの港から始まった東西交流の物語に、杖を止めてしばし思いを馳せた次第である。
鉄川与助
五島の大工棟梁から身を起こし、九州一円に教会堂を建て続けた建築家
五島列島の小島に、切り出した石を一つずつ積み上げた天主堂が建っている。1919年竣工の頭ヶ島天主堂で、手がけたのは鉄川与助(1879〜1976)。取材コーナーで南蛮船の港・口之津の話が出たついでに、その三百年あとに長崎の教会を建てた棟梁を紹介しておきたい。 与助は五島・中通島の大工の家に生まれ、1901年、ペルー神父が設計した旧曽根教会の建設を手伝ったのが教会建築との出会いやった。1873年にキリシタン禁制の高札が下ろされ、各地の信徒がようやく自分たちの教会を持ち始めた時代である。1906年に家業を継いで鉄川組を組織すると、ド・ロ神父らから西洋の技法を吸収し、青砂ヶ浦・田平の煉瓦造、江上の木造、頭ヶ島の石造と、素材を使い分けながら九州一円に教会を建てていった。1925年には旧浦上天主堂の双塔も完成させている。 頭ヶ島・江上・崎津の教会が建つ集落は、2018年に世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になった。本人は生涯仏教徒やったと伝わるのもおもろいところ。図面の一枚でも手元に置いて眺めてみたい御仁である。
鉄川与助
五島の大工棟梁から身を起こし、九州一円に教会堂を建て続けた建築家
五島列島の小島に、切り出した石を一つずつ積み上げた天主堂が建っている。1919年竣工の頭ヶ島天主堂で、手がけたのは鉄川与助(1879〜1976)。取材コーナーで南蛮船の港・口之津の話が出たついでに、その三百年あとに長崎の教会を建てた棟梁を紹介しておきたい。 与助は五島・中通島の大工の家に生まれ、1901年、ペルー神父が設計した旧曽根教会の建設を手伝ったのが教会建築との出会いやった。1873年にキリシタン禁制の高札が下ろされ、各地の信徒がようやく自分たちの教会を持ち始めた時代である。1906年に家業を継いで鉄川組を組織すると、ド・ロ神父らから西洋の技法を吸収し、青砂ヶ浦・田平の煉瓦造、江上の木造、頭ヶ島の石造と、素材を使い分けながら九州一円に教会を建てていった。1925年には旧浦上天主堂の双塔も完成させている。 頭ヶ島・江上・崎津の教会が建つ集落は、2018年に世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になった。本人は生涯仏教徒やったと伝わるのもおもろいところ。図面の一枚でも手元に置いて眺めてみたい御仁である。
五島の教会を一冊で巡る——『鉄川与助の教会建築──五島列島を訪ねて』
今号の「こんな人」で紹介した鉄川与助の教会を、写真と寄稿でたどるLIXIL出版のBOOKLET。旅の予習にも、机の上の巡礼にもなる一冊。
「こんな人」の欄で鉄川与助を紹介してみたら、どうしても実物の教会を眺めたくなった。とはいえ五島列島は、思い立ってすぐ渡れる距離でもない。そこで探し当てたのが、LIXIL出版のBOOKLETシリーズの一冊『鉄川与助の教会建築──五島列島を訪ねて』(2012年)である。 A4判変型で76頁という薄手の本だが、中身は詰まっている。巻頭の「教会を訪ねて五島列島へ」に続いて、冷水教会、旧野首教会、青砂ヶ浦天主堂と、与助が手がけた教会が白石ちえこさんの写真で紹介されていく。煉瓦・木・石と素材を替えて建てられた堂の違いは、文章で読むより写真で並べて見るほうがよほど伝わるはずや。林一馬さん、川上秀人さん、土田充義さん、鉄川進さん、山田由香里さんの寄稿が添えられ、巻末には長崎県管内の地図と鉄川与助の略年譜まで付く。版元の紹介によれば、長崎には全国の教会の1割を超える約130もの教会があり、その多くは華やかな場所に建っているわけではないという。そうした堂の佇まいを、写真で一つずつ訪ねていく本と言えそうだ。 刊行と同じ2012年の春には、東京・京橋のLIXILギャラリーで同名の展覧会も開かれている。人物欄では「図面の一枚でも手元に置きたい」と書いたが、まずはこの一冊を棚に並べておくのが筋やろう。
五島の教会を一冊で巡る——『鉄川与助の教会建築──五島列島を訪ねて』
今号の「こんな人」で紹介した鉄川与助の教会を、写真と寄稿でたどるLIXIL出版のBOOKLET。旅の予習にも、机の上の巡礼にもなる一冊。
「こんな人」の欄で鉄川与助を紹介してみたら、どうしても実物の教会を眺めたくなった。とはいえ五島列島は、思い立ってすぐ渡れる距離でもない。そこで探し当てたのが、LIXIL出版のBOOKLETシリーズの一冊『鉄川与助の教会建築──五島列島を訪ねて』(2012年)である。 A4判変型で76頁という薄手の本だが、中身は詰まっている。巻頭の「教会を訪ねて五島列島へ」に続いて、冷水教会、旧野首教会、青砂ヶ浦天主堂と、与助が手がけた教会が白石ちえこさんの写真で紹介されていく。煉瓦・木・石と素材を替えて建てられた堂の違いは、文章で読むより写真で並べて見るほうがよほど伝わるはずや。林一馬さん、川上秀人さん、土田充義さん、鉄川進さん、山田由香里さんの寄稿が添えられ、巻末には長崎県管内の地図と鉄川与助の略年譜まで付く。版元の紹介によれば、長崎には全国の教会の1割を超える約130もの教会があり、その多くは華やかな場所に建っているわけではないという。そうした堂の佇まいを、写真で一つずつ訪ねていく本と言えそうだ。 刊行と同じ2012年の春には、東京・京橋のLIXILギャラリーで同名の展覧会も開かれている。人物欄では「図面の一枚でも手元に置きたい」と書いたが、まずはこの一冊を棚に並べておくのが筋やろう。
霜月の風が木枯らしとなり、冬の足音が間近に聞こえる時候となりました。今号は全国山城サミットに沸く山城ファンの熱狂をはじめ、南蛮船の港・口之津に遺された巡察師ヴァリニャーノの先駆的な足跡、五島列島の厳しい自然のなかに祈りの教会堂を築き続けた大工棟梁・鉄川与助の技術魂、さらには幸田文さんの端正な暮らしの美学まで、古今東西の多様な人間模様をお届けいたしました。険しい山嶺に築かれた石垣から、海を渡って祈りを捧げた異国の巡察師のまなざしに至るまで、困難な時代を切り拓いた先人たちの営みには、今を生きるわたくしたちの背筋を正す力強さがございます。初冬の折、皆様どうぞ暖かくして歴史の思索をお楽しみください。(木村蒹葭堂)
霜月の風が木枯らしとなり、冬の足音が間近に聞こえる時候となりました。今号は全国山城サミットに沸く山城ファンの熱狂をはじめ、南蛮船の港・口之津に遺された巡察師ヴァリニャーノの先駆的な足跡、五島列島の厳しい自然のなかに祈りの教会堂を築き続けた大工棟梁・鉄川与助の技術魂、さらには幸田文さんの端正な暮らしの美学まで、古今東西の多様な人間模様をお届けいたしました。険しい山嶺に築かれた石垣から、海を渡って祈りを捧げた異国の巡察師のまなざしに至るまで、困難な時代を切り拓いた先人たちの営みには、今を生きるわたくしたちの背筋を正す力強さがございます。初冬の折、皆様どうぞ暖かくして歴史の思索をお楽しみください。(木村蒹葭堂)