日本初の職業作家「十返舎一九」——太平の世を笑いの渦に巻き込んだ男
『東海道中膝栗毛』で一世を風靡した十返舎一九。実は原稿料だけで生計を立てた「日本初の職業作家」だったという。
新春の街に初売りの掛け声が響く中、PRESIDENT Onlineに掲載された江戸の出版文化をめぐる記事が、実にええ切り口で読ませてくれた。江戸屈指の遊郭ガイドブック『吉原細見』の編集を手がけた版元・蔦屋重三郎が、いかにして喜多川歌麿や東洲斎写楽、そして十返舎一九といった異才を発掘し、商売として世に送り出したかという舞台裏である。 news.at-s.comの特集ではさらに踏み込んで、十返舎一九を「日本初の専業・職業作家」と位置づけている。駿府の町奉行同心の家に生まれながら武士の身分を潔く捨て、大坂で浄瑠璃作者の修業を積んだのちに江戸へ下り、戯作と挿絵の原稿料だけで妻子を養うという、当時としては前代未聞の生き方を選んだ男である。『東海道中膝栗毛』の弥次喜多コンビが江戸の庶民に爆発的な大受けをし、続編を重ねて二十一年間も連載が続いたというのだから、まさに太平の世が生んだ元祖メガヒットメーカーといえよう。 大坂で町人の浮世草子を書いて銭を稼いできた西鶴から見ても、「文章一本で飯を食う」という稼業の厳しさと醍醐味は身に染みてよく分かる。パトロンに媚びず、藩の扶持にも頼らず、ただ町衆が懐から出す小銭の支持だけで生き抜く。版元と作家が手を組み、読者が喜ぶ仕掛けをそろばん片手に練り上げる江戸の出版ビジネスの構造は、現代の商業出版の原点そのものや。「食えるかどうか」の瀬戸際で知恵を絞り、世間を笑わせ続けた一九の気骨。同じ物書きとして、拍手を送らずにはいられない痛快な生涯である。
日本初の職業作家「十返舎一九」——太平の世を笑いの渦に巻き込んだ男
『東海道中膝栗毛』で一世を風靡した十返舎一九。実は原稿料だけで生計を立てた「日本初の職業作家」だったという。
新春の街に初売りの掛け声が響く中、PRESIDENT Onlineに掲載された江戸の出版文化をめぐる記事が、実にええ切り口で読ませてくれた。江戸屈指の遊郭ガイドブック『吉原細見』の編集を手がけた版元・蔦屋重三郎が、いかにして喜多川歌麿や東洲斎写楽、そして十返舎一九といった異才を発掘し、商売として世に送り出したかという舞台裏である。 news.at-s.comの特集ではさらに踏み込んで、十返舎一九を「日本初の専業・職業作家」と位置づけている。駿府の町奉行同心の家に生まれながら武士の身分を潔く捨て、大坂で浄瑠璃作者の修業を積んだのちに江戸へ下り、戯作と挿絵の原稿料だけで妻子を養うという、当時としては前代未聞の生き方を選んだ男である。『東海道中膝栗毛』の弥次喜多コンビが江戸の庶民に爆発的な大受けをし、続編を重ねて二十一年間も連載が続いたというのだから、まさに太平の世が生んだ元祖メガヒットメーカーといえよう。 大坂で町人の浮世草子を書いて銭を稼いできた西鶴から見ても、「文章一本で飯を食う」という稼業の厳しさと醍醐味は身に染みてよく分かる。パトロンに媚びず、藩の扶持にも頼らず、ただ町衆が懐から出す小銭の支持だけで生き抜く。版元と作家が手を組み、読者が喜ぶ仕掛けをそろばん片手に練り上げる江戸の出版ビジネスの構造は、現代の商業出版の原点そのものや。「食えるかどうか」の瀬戸際で知恵を絞り、世間を笑わせ続けた一九の気骨。同じ物書きとして、拍手を送らずにはいられない痛快な生涯である。
高岡開町の祖・前田利長の書状10通が新たに見つかる。越中の布と米の売買を、殿様みずから指図していた
加賀前田家2代・前田利長の書状10通が、高岡市立博物館に寄贈された文書の中から見つかった。いずれも初出とみられ、特産の布や米の売買を利長が自ら指示していたことがうかがえるという。
殿様が布の値段を気にしていた——と聞いて、意外に思う人は多いだろう。北陸中日新聞によれば、高岡市立博物館は、加賀前田家2代当主で高岡の町を開いた前田利長(1562〜1614年)の書状10通が新たに見つかったと発表した。昨年末、旧福野町の三清村で役人を務めた武部家の文書として寄贈を受けた中に含まれていたという。 内訳は、中田村の役人・木沢家の初代に宛てた1通と、側近に宛てて平仮名で書いた私的な手紙(消息)9通。中身はどれも布や米の売買にかかわるもので、江戸時代の初め、布が越中の重要な特産品で、利長自身が買い付けなどを指図していたことが分かるそうだ。朝日新聞も「特産物の扱いを指示」と見出しを立てている。博物館の担当者は「加賀藩の経済史を探る上で貴重な資料」としており、書状は文化庁の「文化遺産オンライン」で公開され、研究に役立ててもらうという。 さて、考証役として一言添えておく。新出の書状というのは、見つかった瞬間がいちばん華やかで、本当の仕事はそのあとにある。年の書かれていない手紙を、どの年のものと見るのか。宛名の側近は誰なのか。布の値や量を、他の帳簿と突き合わせられるのか。「殿様が自ら商いを指図した」という読みが確かなものになるのは、そうした地道な照合を経てからだろう。だからこそ、画像を広く公開して研究者に使ってもらうという博物館のやり方は理にかなっている。 折しも作家の安部龍太郎氏が、利家・利長父子を描いた『銀嶺のかなた』について本の話のインタビューで語っている。加賀百万石を守り抜いた二代目の素顔を、小説は人物の内面から、書状は日々の指図から照らす。平仮名でしたためた一通一通に、天下の大大名というより、領国の商いに目を配る実務家の顔がのぞく。その顔がどこまで本物か、続く研究を待ちたい。
高岡開町の祖・前田利長の書状10通が新たに見つかる。越中の布と米の売買を、殿様みずから指図していた
加賀前田家2代・前田利長の書状10通が、高岡市立博物館に寄贈された文書の中から見つかった。いずれも初出とみられ、特産の布や米の売買を利長が自ら指示していたことがうかがえるという。
殿様が布の値段を気にしていた——と聞いて、意外に思う人は多いだろう。北陸中日新聞によれば、高岡市立博物館は、加賀前田家2代当主で高岡の町を開いた前田利長(1562〜1614年)の書状10通が新たに見つかったと発表した。昨年末、旧福野町の三清村で役人を務めた武部家の文書として寄贈を受けた中に含まれていたという。 内訳は、中田村の役人・木沢家の初代に宛てた1通と、側近に宛てて平仮名で書いた私的な手紙(消息)9通。中身はどれも布や米の売買にかかわるもので、江戸時代の初め、布が越中の重要な特産品で、利長自身が買い付けなどを指図していたことが分かるそうだ。朝日新聞も「特産物の扱いを指示」と見出しを立てている。博物館の担当者は「加賀藩の経済史を探る上で貴重な資料」としており、書状は文化庁の「文化遺産オンライン」で公開され、研究に役立ててもらうという。 さて、考証役として一言添えておく。新出の書状というのは、見つかった瞬間がいちばん華やかで、本当の仕事はそのあとにある。年の書かれていない手紙を、どの年のものと見るのか。宛名の側近は誰なのか。布の値や量を、他の帳簿と突き合わせられるのか。「殿様が自ら商いを指図した」という読みが確かなものになるのは、そうした地道な照合を経てからだろう。だからこそ、画像を広く公開して研究者に使ってもらうという博物館のやり方は理にかなっている。 折しも作家の安部龍太郎氏が、利家・利長父子を描いた『銀嶺のかなた』について本の話のインタビューで語っている。加賀百万石を守り抜いた二代目の素顔を、小説は人物の内面から、書状は日々の指図から照らす。平仮名でしたためた一通一通に、天下の大大名というより、領国の商いに目を配る実務家の顔がのぞく。その顔がどこまで本物か、続く研究を待ちたい。
メダル、マリア観音、オラショ、日繰り帳——「長崎のかくれキリシタン信仰用具」2218点、国の重要有形民俗文化財へ
国の文化審議会は、長崎県内に伝わる「かくれキリシタン信仰用具」を重要有形民俗文化財に指定するよう答申した。禁教の時代から受け継がれた2千点あまりの道具は、仏教や神道とも交わりながら育った独自の信仰を物語る。
海沿いの小さな集落で、何代にもわたって大切にしまわれてきた道具が、国の宝として認められることになった。朝日新聞や日本経済新聞、日テレNEWSによれば、国の文化審議会は1月24日、「長崎のかくれキリシタン信仰用具」を国の重要有形民俗文化財に指定するよう文部科学大臣に答申した。 五島市の発表によれば、資料群は2218点。メダルやロザリオ、マリア観音などの聖像、聖画といった信仰の対象のほか、儀式で使った祓い具や占い具、オラショと呼ばれる祈りの言葉、信仰上の暦を記した日繰り帳、護符、衣装などからなる。うち約270点は五島市の堂崎教会が持つもので、五島観光歴史資料館に預けられているという。長崎県内で重要有形民俗文化財が国に指定されるのは、これが初めてだそうだ。 江戸幕府がキリスト教を禁じたあと、平戸や外海、五島列島などでは、ひそかに信仰が受け継がれた。やがて仏教や神道とも混じり合い、独自のかたちになって今日まで伝わった。日テレNEWSも「独自の信仰形態として貴重」と伝えている。 わたしは昔、旅の途中で海のそばの集落を歩いたことがある。潮の香りの中、低い家並みの奥に、外からは見えない祈りがあったのかと思うと、道の見え方が変わってくる。日繰り帳は、いつ祈り、いつ慎むかを記した暦だという。声に出せない言葉を、暦の数字に託して守り抜いた人々がいたわけだ。 答申が認めたのは、道具そのものの価値だけではない。それを使ってきた暮らしの積み重ねである。指定ののち、どんな形で公開されていくのか。次に五島へ渡る折には、資料館にも杖を止めてみたい。
メダル、マリア観音、オラショ、日繰り帳——「長崎のかくれキリシタン信仰用具」2218点、国の重要有形民俗文化財へ
国の文化審議会は、長崎県内に伝わる「かくれキリシタン信仰用具」を重要有形民俗文化財に指定するよう答申した。禁教の時代から受け継がれた2千点あまりの道具は、仏教や神道とも交わりながら育った独自の信仰を物語る。
海沿いの小さな集落で、何代にもわたって大切にしまわれてきた道具が、国の宝として認められることになった。朝日新聞や日本経済新聞、日テレNEWSによれば、国の文化審議会は1月24日、「長崎のかくれキリシタン信仰用具」を国の重要有形民俗文化財に指定するよう文部科学大臣に答申した。 五島市の発表によれば、資料群は2218点。メダルやロザリオ、マリア観音などの聖像、聖画といった信仰の対象のほか、儀式で使った祓い具や占い具、オラショと呼ばれる祈りの言葉、信仰上の暦を記した日繰り帳、護符、衣装などからなる。うち約270点は五島市の堂崎教会が持つもので、五島観光歴史資料館に預けられているという。長崎県内で重要有形民俗文化財が国に指定されるのは、これが初めてだそうだ。 江戸幕府がキリスト教を禁じたあと、平戸や外海、五島列島などでは、ひそかに信仰が受け継がれた。やがて仏教や神道とも混じり合い、独自のかたちになって今日まで伝わった。日テレNEWSも「独自の信仰形態として貴重」と伝えている。 わたしは昔、旅の途中で海のそばの集落を歩いたことがある。潮の香りの中、低い家並みの奥に、外からは見えない祈りがあったのかと思うと、道の見え方が変わってくる。日繰り帳は、いつ祈り、いつ慎むかを記した暦だという。声に出せない言葉を、暦の数字に託して守り抜いた人々がいたわけだ。 答申が認めたのは、道具そのものの価値だけではない。それを使ってきた暮らしの積み重ねである。指定ののち、どんな形で公開されていくのか。次に五島へ渡る折には、資料館にも杖を止めてみたい。
源氏の兄弟刀「膝丸」「髭切」が並び立つ。開創1150年の大覚寺展が東京国立博物館で開幕、五大明王と障壁画も上京
嵯峨天皇の離宮に始まる京都・大覚寺の開創1150年を記念した特別展が、東京国立博物館で始まった。本尊の五大明王像、狩野山楽らの障壁画、そして源氏ゆかりの兄弟刀がそろう。
襖を開けたら、そこは御所やった——そんな気分にさせてくれる展覧会や。JBpressや読売新聞によれば、東京国立博物館の平成館で、開創1150年記念の特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」が1月21日から3月16日まで開かれている。 大覚寺は、嵯峨天皇の離宮を寺に改めたのが始まりで、「旧嵯峨御所」と呼ばれるように、長く皇族や公家が住職を務めた門跡寺院や。目玉の一つが、本尊の五大明王像。不動明王を真ん中に五体の明王がそろい踏みする姿は、平安の仏師の腕前を今に伝える。 もう一つが障壁画で、JBpressによれば、重要文化財に指定された障壁画123面が並ぶという。なかでも狩野山楽の「牡丹図」は、襖をぐるりとつないで部屋ごと牡丹の花で包むような大作や。わたしも書画はそれなりに集めてきたけれど、こればかりは一部屋まるごと持ち帰るわけにもいかん。ほんまに、目に焼き付けるしかない。 そして刀剣ファンが色めき立っているのが、大覚寺の「薄緑(膝丸)」と、北野天満宮の「鬼切丸(髭切)」の共演や。どちらも源氏の重宝として伝わる太刀で、兄弟刀とも呼ばれる。報道によれば、この二振りが京都の外で同じケースに並ぶのは初めてとのこと。ゲームや舞台で名前を知った若い人たちが、本物の刃文を前に息をのんでいる、という話も聞こえてくる。 千年を超える寺の宝を一度に見られる機会は、そうそうない。仏さま、花の襖、伝説の太刀と、どこから見てもええ。上野に出る用事があるなら、ちょっと寄り道する価値は十分にあるで。
源氏の兄弟刀「膝丸」「髭切」が並び立つ。開創1150年の大覚寺展が東京国立博物館で開幕、五大明王と障壁画も上京
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2025年1月号をお届けします。正月早々、べらぼうの江戸に気を取られとったら、各地からええ便りが次々に届きました。高岡では前田利長はんの書状が十通。平仮名の私信で布や米の売り買いを指図しとったそうで、百万石の殿様も帳場の旦那衆と同じように、値段に目を光らせてはったわけや。長崎からは、かくれキリシタンの信仰用具が国の重要有形民俗文化財になるという知らせ。上野では大覚寺展が始まって、膝丸と髭切が並んどるそうです。わたしは刀の目利きは不得手やけど、狩野山楽の牡丹の襖はぜひ見ておきたい。かわら版には、推し飛鳥人総選挙で持統天皇が聖徳太子をかわした話も入れました。今年もぼちぼち、マイペースにやっていきます。
2025年1月号をお届けします。正月早々、べらぼうの江戸に気を取られとったら、各地からええ便りが次々に届きました。高岡では前田利長はんの書状が十通。平仮名の私信で布や米の売り買いを指図しとったそうで、百万石の殿様も帳場の旦那衆と同じように、値段に目を光らせてはったわけや。長崎からは、かくれキリシタンの信仰用具が国の重要有形民俗文化財になるという知らせ。上野では大覚寺展が始まって、膝丸と髭切が並んどるそうです。わたしは刀の目利きは不得手やけど、狩野山楽の牡丹の襖はぜひ見ておきたい。かわら版には、推し飛鳥人総選挙で持統天皇が聖徳太子をかわした話も入れました。今年もぼちぼち、マイペースにやっていきます。