「生誕150年記念 上村松園」——大阪中之島美術館で辿る、近代美人画パイオニアの全貌
近代美人画の巨匠・上村松園の生誕百五十年。大阪中之島美術館で初期から晩年まで百十点を集めた大規模回顧展の開幕を、大坂文人の木村蒹葭堂が寿ぐ。
春風が堂島川と土佐堀川の水面を渡る弥生の候、わが地元である大坂の中之島美術館から、まことに喜ばしい美術の便りが届きました。近代日本画壇に不滅の足跡を刻んだ孤高の女性画家・上村松園(1875〜1949)の生誕百五十年を記念する特別展が、堂々たる規模で開幕したのです。初期の初々しい習作から、気品と風格を極めた円熟期の代表作まで、画業の全貌を伝える約百十点の名品が一堂に集結いたしました。 京都の下町に生まれ、女性が絵筆を執って生きていくことすら偏見に晒された明治の世。その逆風のなかで松園が目指したのは、単なる媚態や感傷に流れる「うわべの美人画」ではありませんでした。古典文学や能楽の深い教養に裏打ちされた凛とした精神性、そして一点の曇りもない清澄な筆線によって、「一点の卑俗なところもなく、清澄な気品のかがやぐ絵」を生涯にわたり追い求め続けたのです。女性の着物の細やかな文様や髪の生え際に至るまで、驚くべき緻密さで描き込まれた筆の冴えは、大坂の地で数々の古書画を愛でてきたわが身としても、思わず息を呑んで見惚れるばかりでございます。 Tokyo Art Beatや美術手帖のレポートが伝えるように、女性初の文化勲章受章者となった松園の足跡を、ゆかり深い上方の地でこれほど網羅的に見渡せる機会はめったにございません。水辺の風光明媚な中之島で、厳しい精進の果てに結実した「真の気品」に出会う歓び。春の散策がてら、ぜひともその清らかな画境に触れていただきたいと願っております。
「生誕150年記念 上村松園」——大阪中之島美術館で辿る、近代美人画パイオニアの全貌
近代美人画の巨匠・上村松園の生誕百五十年。大阪中之島美術館で初期から晩年まで百十点を集めた大規模回顧展の開幕を、大坂文人の木村蒹葭堂が寿ぐ。
春風が堂島川と土佐堀川の水面を渡る弥生の候、わが地元である大坂の中之島美術館から、まことに喜ばしい美術の便りが届きました。近代日本画壇に不滅の足跡を刻んだ孤高の女性画家・上村松園(1875〜1949)の生誕百五十年を記念する特別展が、堂々たる規模で開幕したのです。初期の初々しい習作から、気品と風格を極めた円熟期の代表作まで、画業の全貌を伝える約百十点の名品が一堂に集結いたしました。 京都の下町に生まれ、女性が絵筆を執って生きていくことすら偏見に晒された明治の世。その逆風のなかで松園が目指したのは、単なる媚態や感傷に流れる「うわべの美人画」ではありませんでした。古典文学や能楽の深い教養に裏打ちされた凛とした精神性、そして一点の曇りもない清澄な筆線によって、「一点の卑俗なところもなく、清澄な気品のかがやぐ絵」を生涯にわたり追い求め続けたのです。女性の着物の細やかな文様や髪の生え際に至るまで、驚くべき緻密さで描き込まれた筆の冴えは、大坂の地で数々の古書画を愛でてきたわが身としても、思わず息を呑んで見惚れるばかりでございます。 Tokyo Art Beatや美術手帖のレポートが伝えるように、女性初の文化勲章受章者となった松園の足跡を、ゆかり深い上方の地でこれほど網羅的に見渡せる機会はめったにございません。水辺の風光明媚な中之島で、厳しい精進の果てに結実した「真の気品」に出会う歓び。春の散策がてら、ぜひともその清らかな画境に触れていただきたいと願っております。
飛鳥宮跡に「想定外」の総柱建物、石神遺跡には宮殿外の官庁か。佐紀古墳群では全長200メートルの古墳が見つかる
奈良県明日香村の飛鳥宮跡で、計画的に並んだ大型建物群が姿を見せた。近くの石神遺跡や甘樫丘でも天武・持統朝や蘇我氏の時代の跡が出土し、奈良市では平城京の下に消えた巨大古墳が見つかった。
春の飛鳥は、土の下からも芽吹く。産経新聞や朝日新聞によれば、奈良県立橿原考古学研究所は、明日香村の飛鳥宮跡で、床を支える柱を格子状に並べた大規模な「総柱建物」の跡を見つけた。先に見つかっていた大型の掘立柱建物と柱筋がそろい、さらに南にも同じ並びの建物があって、3棟が計画的に配置されていたことが分かったという。天皇の宴の舞台か、皇后の宮か。研究者にとっても「想定外」の発見で、天武・持統朝の天皇にかかわる施設とみる声が出ている。 飛鳥寺の北西にある石神遺跡でも、朝日新聞によれば天武・持統朝の大規模な区画の跡が確認され、宮殿の外に官庁が造られていた可能性が出てきた。宮の内と外で、役人たちが行き来していた光景が目に浮かぶ。 飛鳥川の西、甘樫丘でも成果があった。朝日新聞や四国新聞によれば、明日香村教育委員会は、7世紀前半以降とみられる建物跡や井戸跡を確認した。蘇我蝦夷・入鹿の親子が邸を構えたと伝わる丘で、文献の記録が少ないなか、飛鳥時代を通じて土地の開発が活発に続いていたとみている。 天理市では、朝日新聞によれば、天理大学が東乗鞍古墳を調べ、物部氏の武人の墓ではないかとの見方や、儀式の痕跡が報告された。そして日本経済新聞によれば、奈良市教育委員会が、大型の前方後円墳が集まる佐紀古墳群で、全長約200メートルと推定される前方後円墳の跡を見つけたと発表した。奈良時代、平城京を造る際に削られたとみられ、これほどの大型古墳の新発見は全国的にも初めてだという。 都を造るために古墳を崩し、その都もまた土に埋もれた。わたしは丘に立つたびに、古人の営みが幾重にも折り重なっていることを思う。石を据え、柱を立て、それを崩してまた建てる。飛鳥と奈良の土は、そのすべてを黙って抱えてきたのだ。
飛鳥宮跡に「想定外」の総柱建物、石神遺跡には宮殿外の官庁か。佐紀古墳群では全長200メートルの古墳が見つかる
奈良県明日香村の飛鳥宮跡で、計画的に並んだ大型建物群が姿を見せた。近くの石神遺跡や甘樫丘でも天武・持統朝や蘇我氏の時代の跡が出土し、奈良市では平城京の下に消えた巨大古墳が見つかった。
春の飛鳥は、土の下からも芽吹く。産経新聞や朝日新聞によれば、奈良県立橿原考古学研究所は、明日香村の飛鳥宮跡で、床を支える柱を格子状に並べた大規模な「総柱建物」の跡を見つけた。先に見つかっていた大型の掘立柱建物と柱筋がそろい、さらに南にも同じ並びの建物があって、3棟が計画的に配置されていたことが分かったという。天皇の宴の舞台か、皇后の宮か。研究者にとっても「想定外」の発見で、天武・持統朝の天皇にかかわる施設とみる声が出ている。 飛鳥寺の北西にある石神遺跡でも、朝日新聞によれば天武・持統朝の大規模な区画の跡が確認され、宮殿の外に官庁が造られていた可能性が出てきた。宮の内と外で、役人たちが行き来していた光景が目に浮かぶ。 飛鳥川の西、甘樫丘でも成果があった。朝日新聞や四国新聞によれば、明日香村教育委員会は、7世紀前半以降とみられる建物跡や井戸跡を確認した。蘇我蝦夷・入鹿の親子が邸を構えたと伝わる丘で、文献の記録が少ないなか、飛鳥時代を通じて土地の開発が活発に続いていたとみている。 天理市では、朝日新聞によれば、天理大学が東乗鞍古墳を調べ、物部氏の武人の墓ではないかとの見方や、儀式の痕跡が報告された。そして日本経済新聞によれば、奈良市教育委員会が、大型の前方後円墳が集まる佐紀古墳群で、全長約200メートルと推定される前方後円墳の跡を見つけたと発表した。奈良時代、平城京を造る際に削られたとみられ、これほどの大型古墳の新発見は全国的にも初めてだという。 都を造るために古墳を崩し、その都もまた土に埋もれた。わたしは丘に立つたびに、古人の営みが幾重にも折り重なっていることを思う。石を据え、柱を立て、それを崩してまた建てる。飛鳥と奈良の土は、そのすべてを黙って抱えてきたのだ。
細川家文書9346点が重要文化財に追加へ、岡山藩の池田家文庫は約1万コマをネットで公開。大名家の蔵が開く春
熊本大学に預けられている永青文庫の細川家文書9346点が、国の重要文化財に追加指定される見通しとなった。岡山大学の池田家文庫も、岡山藩の政治の史料をネットで公開し始めた。
蔵の中身を人に見せるのは、収集家にとっていちばん楽しい瞬間や。読売新聞によれば、国の文化審議会は、公益財団法人永青文庫が持ち、熊本大学附属図書館に預けている細川家の古文書9346点を、重要文化財「細川家文書」に追加指定するよう答申した。熊本大学の発表によれば、これで重文「細川家文書」は9612点になる。 中身がまた豪華や。戦国武将の細川忠興(三斎)や、寛永の名君と呼ばれた忠利らが出した文書、忠利から光尚への代替わりの際に家臣たちが次々に差し出した血判の起請文、二人の相談役だった沢庵和尚の書状。19世紀に家臣が藩主に差し出した意見書をまとめた「上書」65冊や、熊本城の天守にしまわれていた歴代当主の甲冑が、廃藩置県の折にどこへ行ったかを示す証文まであるという。読売新聞の見出しには、忠興が伝えた大坂の陣の様子や、熊本城に入った忠利の「第一声」とある。こういう生の声が残っとるのが、大名家文書の面白いところやなあ。 折しも北九州では、西日本新聞によれば、小倉城の桜まつりに合わせて、小倉城の初代城主でもある忠興の生涯を描いた武将隊の新作舞台が披露された。紙の上の忠興と、舞台の上の忠興。見比べてみるのも一興や。 岡山からも知らせが届いた。東京大学の発表によれば、東京大学史料編纂所と岡山大学附属図書館が連携し、池田家文庫の岡山藩政史料の画像約1万コマを、史料編纂所のウェブサイトで公開し始めた。池田家文庫は、池田光政が1632年に岡山城に入ってから、1871年の廃藩置県までおよそ240年分の藩政の記録で、2025年度にかけて織豊期の史料など約4千コマを追加する予定だという。 わたしの時代やったら、こういう文書を一目見るのに、つてを頼って手紙を何通書いたか分からん。それが今では、家にいながら画面で読める。ほんまにありがたい世の中になったもんや。
細川家文書9346点が重要文化財に追加へ、岡山藩の池田家文庫は約1万コマをネットで公開。大名家の蔵が開く春
熊本大学に預けられている永青文庫の細川家文書9346点が、国の重要文化財に追加指定される見通しとなった。岡山大学の池田家文庫も、岡山藩の政治の史料をネットで公開し始めた。
蔵の中身を人に見せるのは、収集家にとっていちばん楽しい瞬間や。読売新聞によれば、国の文化審議会は、公益財団法人永青文庫が持ち、熊本大学附属図書館に預けている細川家の古文書9346点を、重要文化財「細川家文書」に追加指定するよう答申した。熊本大学の発表によれば、これで重文「細川家文書」は9612点になる。 中身がまた豪華や。戦国武将の細川忠興(三斎)や、寛永の名君と呼ばれた忠利らが出した文書、忠利から光尚への代替わりの際に家臣たちが次々に差し出した血判の起請文、二人の相談役だった沢庵和尚の書状。19世紀に家臣が藩主に差し出した意見書をまとめた「上書」65冊や、熊本城の天守にしまわれていた歴代当主の甲冑が、廃藩置県の折にどこへ行ったかを示す証文まであるという。読売新聞の見出しには、忠興が伝えた大坂の陣の様子や、熊本城に入った忠利の「第一声」とある。こういう生の声が残っとるのが、大名家文書の面白いところやなあ。 折しも北九州では、西日本新聞によれば、小倉城の桜まつりに合わせて、小倉城の初代城主でもある忠興の生涯を描いた武将隊の新作舞台が披露された。紙の上の忠興と、舞台の上の忠興。見比べてみるのも一興や。 岡山からも知らせが届いた。東京大学の発表によれば、東京大学史料編纂所と岡山大学附属図書館が連携し、池田家文庫の岡山藩政史料の画像約1万コマを、史料編纂所のウェブサイトで公開し始めた。池田家文庫は、池田光政が1632年に岡山城に入ってから、1871年の廃藩置県までおよそ240年分の藩政の記録で、2025年度にかけて織豊期の史料など約4千コマを追加する予定だという。 わたしの時代やったら、こういう文書を一目見るのに、つてを頼って手紙を何通書いたか分からん。それが今では、家にいながら画面で読める。ほんまにありがたい世の中になったもんや。
秋田藩の留守居役が人気作家・朋誠堂喜三二だった。座頭金の取り締まりと鱗形屋の偽板、『べらぼう』3月は江戸の出版界の裏側へ
大河『べらぼう』は3月、秋田藩の重役が戯作者・喜三二として蔦重の前に現れ、鳥山検校の座頭金が江戸を揺るがした。書物問屋と地本問屋の違いまで、各紙の解説から江戸の本の商いをのぞく。
昼は藩のお役人、夜は人気作家。こら二足の草鞋どころか、二足とも上等の草鞋や。サライ.jpの満喫リポートによれば、3月の『べらぼう』では、秋田藩の江戸留守居役・平沢常富が、戯作者の朋誠堂喜三二だと明かされて蔦重を仰天させた。留守居役は藩の外交係で、他藩の役人との付き合いで吉原にも出入りした。遊里に通じた武士が筆をとれば、そら面白い黄表紙ができるわけや。経費で遊んで、そのネタで原稿料も稼ぐ。うまいことできとる。 一方、江戸を揺るがしたのが座頭金や。美術展ナビの第13回の回想によれば、目の見えない人たちが幕府の後ろ盾、いわば「神君」家康以来の威光を背に高利で金を貸し、体制のきしみが浮き彫りになったという。よろず〜ニュースでは、識者が、鳥山検校が大富豪になった裏の「エグい」事実を語っている。Lmaga.jpは、検校と芸能の意外な関係を取り上げた。琵琶や三味線、箏の芸で身を立てた盲人の組織が、金貸しでも力を持っていたのである。借りた側から見れば、利息の取り立ては地獄やったやろう。 本の商いの仕組みも押さえておきたい。JBpressによれば、学問の本を扱う書物問屋の須原屋市兵衛と、娯楽の本を扱う地本問屋の鶴屋喜右衛門は、同じ本屋でも格が違った。記事は須原屋が没落した理由にも触れている。須原屋は林子平の本を出して幕府に咎められた版元としても知られる。売れる本を出せば儲かるが、出してはいかん本を出せば身代が傾く。出版はいつの世も博打や。 美術展ナビによれば、鱗形屋はふたたび偽板(海賊版)に手を出して沈んだという。他人の版木で儲けようとしたら、結局は自分の店を潰す。蔦重はその隙に、どう身代を大きくしていくのか。銭の流れを追いながら、続きを見たい。
秋田藩の留守居役が人気作家・朋誠堂喜三二だった。座頭金の取り締まりと鱗形屋の偽板、『べらぼう』3月は江戸の出版界の裏側へ
大河『べらぼう』は3月、秋田藩の重役が戯作者・喜三二として蔦重の前に現れ、鳥山検校の座頭金が江戸を揺るがした。書物問屋と地本問屋の違いまで、各紙の解説から江戸の本の商いをのぞく。
昼は藩のお役人、夜は人気作家。こら二足の草鞋どころか、二足とも上等の草鞋や。サライ.jpの満喫リポートによれば、3月の『べらぼう』では、秋田藩の江戸留守居役・平沢常富が、戯作者の朋誠堂喜三二だと明かされて蔦重を仰天させた。留守居役は藩の外交係で、他藩の役人との付き合いで吉原にも出入りした。遊里に通じた武士が筆をとれば、そら面白い黄表紙ができるわけや。経費で遊んで、そのネタで原稿料も稼ぐ。うまいことできとる。 一方、江戸を揺るがしたのが座頭金や。美術展ナビの第13回の回想によれば、目の見えない人たちが幕府の後ろ盾、いわば「神君」家康以来の威光を背に高利で金を貸し、体制のきしみが浮き彫りになったという。よろず〜ニュースでは、識者が、鳥山検校が大富豪になった裏の「エグい」事実を語っている。Lmaga.jpは、検校と芸能の意外な関係を取り上げた。琵琶や三味線、箏の芸で身を立てた盲人の組織が、金貸しでも力を持っていたのである。借りた側から見れば、利息の取り立ては地獄やったやろう。 本の商いの仕組みも押さえておきたい。JBpressによれば、学問の本を扱う書物問屋の須原屋市兵衛と、娯楽の本を扱う地本問屋の鶴屋喜右衛門は、同じ本屋でも格が違った。記事は須原屋が没落した理由にも触れている。須原屋は林子平の本を出して幕府に咎められた版元としても知られる。売れる本を出せば儲かるが、出してはいかん本を出せば身代が傾く。出版はいつの世も博打や。 美術展ナビによれば、鱗形屋はふたたび偽板(海賊版)に手を出して沈んだという。他人の版木で儲けようとしたら、結局は自分の店を潰す。蔦重はその隙に、どう身代を大きくしていくのか。銭の流れを追いながら、続きを見たい。
2025年3月号をお届けします。地元・大阪中之島美術館で開幕した上村松園展を軸に、ベラ・ルゴシからロマノフ朝まで、洋の東西を問わずネタを集めました。松園の絵は何度見ても背筋が伸びる思いがします。後から特集を三本足しました。飛鳥では宮の跡から想定外の大きな建物が出て、芭蕉翁が現地説明会の話ばかりしております。熊本では細川家の文書が九千点あまりも重要文化財に加わる見込みで、岡山の池田家文庫は家にいながら画面で読めるようになりました。蔵の中身を見せてもらえるのは、収集家にとって何よりのご馳走です。べらぼうでは、秋田藩のお留守居役が戯作者やったと分かって、西鶴はんが「経費で遊んで原稿料も稼ぐとは」と妙に感心しとりました。桜の便りとともに、春の棚をお楽しみください。
2025年3月号をお届けします。地元・大阪中之島美術館で開幕した上村松園展を軸に、ベラ・ルゴシからロマノフ朝まで、洋の東西を問わずネタを集めました。松園の絵は何度見ても背筋が伸びる思いがします。後から特集を三本足しました。飛鳥では宮の跡から想定外の大きな建物が出て、芭蕉翁が現地説明会の話ばかりしております。熊本では細川家の文書が九千点あまりも重要文化財に加わる見込みで、岡山の池田家文庫は家にいながら画面で読めるようになりました。蔵の中身を見せてもらえるのは、収集家にとって何よりのご馳走です。べらぼうでは、秋田藩のお留守居役が戯作者やったと分かって、西鶴はんが「経費で遊んで原稿料も稼ぐとは」と妙に感心しとりました。桜の便りとともに、春の棚をお楽しみください。