大河『べらぼう』杉田玄白役・山中聡、玄白ゆかりの小浜市を訪問——「この風土が生んだ誠実な人柄」
『解体新書』を世に問うた蘭学者・杉田玄白。大河『べらぼう』で演じる山中聡が訪ねた若狭小浜の風土と偉人の足跡を、旅人の松尾芭蕉が辿る。
若狭湾の潮風が春の霞を吹き払う卯月の頃、美術情報サイトartexhibition.jpに掲載された旅の報せに、ふと足を止めた。大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で蘭方医・杉田玄白役を演じる俳優・山中聡さんが、玄白のルーツである福井県小浜市を訪ねたという。玄白の生家である小浜藩酒井家の屋敷跡やゆかりの旧跡を巡り、「日本海に面したこの穏やかで実直な風土こそが、玄白の誠実な探求心を育んだのだと感じる」と語る言葉には、土地の空気に触れた者ならではの実感がこもっている。 杉田玄白といえば、前野良沢や中川淳庵らとともにオランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』を訳出、『解体新書』全五巻を刊行して日本の近代医学の扉をこじ開けた不世出の碩学である。小浜藩の江戸詰医師として育ちながらも、その精神の根底には若狭の質実剛健な気風が息づいていた。サライ.jpの人物伝でも触れられているように、盟友・平賀源内との刺激的な知の交流を楽しみつつ、晩年にはあの波瀾万丈の翻訳苦心を活き活きと回想した『蘭学事始』を著すなど、学問の悦びと誠実さを生涯失わなかった。 かつて『おくのほそ道』の道行きで越前の敦賀に立ち寄り、名月の夜に気比の松原を眺めた旅の記憶が胸に蘇る。古くから大陸や畿内を結ぶ日本海の要衝として栄えた若狭の地。異国の知恵を柔軟に受け入れ、自らの血肉へと変えていった先人の息吹が、いまもこの潮騒の町には色濃く漂っている。若狭の街道に杖を立て、未知の真理へと立ち向かった玄白のまなざしを追想する、心洗われる春の道行きとなった。
大河『べらぼう』杉田玄白役・山中聡、玄白ゆかりの小浜市を訪問——「この風土が生んだ誠実な人柄」
『解体新書』を世に問うた蘭学者・杉田玄白。大河『べらぼう』で演じる山中聡が訪ねた若狭小浜の風土と偉人の足跡を、旅人の松尾芭蕉が辿る。
若狭湾の潮風が春の霞を吹き払う卯月の頃、美術情報サイトartexhibition.jpに掲載された旅の報せに、ふと足を止めた。大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で蘭方医・杉田玄白役を演じる俳優・山中聡さんが、玄白のルーツである福井県小浜市を訪ねたという。玄白の生家である小浜藩酒井家の屋敷跡やゆかりの旧跡を巡り、「日本海に面したこの穏やかで実直な風土こそが、玄白の誠実な探求心を育んだのだと感じる」と語る言葉には、土地の空気に触れた者ならではの実感がこもっている。 杉田玄白といえば、前野良沢や中川淳庵らとともにオランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』を訳出、『解体新書』全五巻を刊行して日本の近代医学の扉をこじ開けた不世出の碩学である。小浜藩の江戸詰医師として育ちながらも、その精神の根底には若狭の質実剛健な気風が息づいていた。サライ.jpの人物伝でも触れられているように、盟友・平賀源内との刺激的な知の交流を楽しみつつ、晩年にはあの波瀾万丈の翻訳苦心を活き活きと回想した『蘭学事始』を著すなど、学問の悦びと誠実さを生涯失わなかった。 かつて『おくのほそ道』の道行きで越前の敦賀に立ち寄り、名月の夜に気比の松原を眺めた旅の記憶が胸に蘇る。古くから大陸や畿内を結ぶ日本海の要衝として栄えた若狭の地。異国の知恵を柔軟に受け入れ、自らの血肉へと変えていった先人の息吹が、いまもこの潮騒の町には色濃く漂っている。若狭の街道に杖を立て、未知の真理へと立ち向かった玄白のまなざしを追想する、心洗われる春の道行きとなった。
若冲を見いだした寺の名品が上野に。「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」、金閣の大書院障壁画から雪舟、等伯、応挙まで
京都・相国寺の承天閣美術館の開館40周年を記念し、相国寺と金閣・銀閣に伝わる名品を集めた展覧会が東京藝術大学大学美術館で開かれている。国宝・重要文化財は40件を超える。
足利義満が建てた禅寺の蔵が、そっくり上野にお引っ越ししてきた。ぴあやJBpress、東京新聞によれば、相国寺承天閣美術館の開館40周年を記念する「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が、東京藝術大学大学美術館で3月29日から5月25日まで開かれている。相国寺と、その山外塔頭である鹿苑寺(金閣)、慈照寺(銀閣)に伝わる品々から、国宝・重要文化財40件以上が並ぶという。 相国寺といえば、まず若冲や。JBpressの見出しにもあるとおり、伊藤若冲を見いだしたのはこの寺で、目玉の一つが若冲の筆になる鹿苑寺大書院の障壁画。金閣の書院の襖に、若冲が墨で描いた葡萄や芭蕉が広がる。極彩色の動植綵絵とはまた違う、墨一色の若冲もええもんや。若冲の才を見抜いた相国寺の大典禅師は、詩僧として上方の文人仲間にもよう知られたお人やった。 ほかにも雪舟、狩野探幽、長谷川等伯、円山応挙と、名前を並べるだけで目が回る。室町の水墨から江戸の写生まで、一つの寺に集まった美が、禅寺と絵師たちの長い付き合いを物語っている。ぴあのレポートは、名刹と芸術家たちの物語をたどる構成やと伝えている。 わたしも書画を集めてきた身やけど、これだけの品を一寺で抱えてきたというのは、ほんまに頭が下がる。応仁の乱や幾度もの火災をくぐり抜けて、六百年あまり守ってきたわけやから。前期と後期で展示替えがあるそうなので、欲張りな向きは二度通うてもええかもしれん。わたしなら、まちがいなく二度行く。
若冲を見いだした寺の名品が上野に。「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」、金閣の大書院障壁画から雪舟、等伯、応挙まで
京都・相国寺の承天閣美術館の開館40周年を記念し、相国寺と金閣・銀閣に伝わる名品を集めた展覧会が東京藝術大学大学美術館で開かれている。国宝・重要文化財は40件を超える。
足利義満が建てた禅寺の蔵が、そっくり上野にお引っ越ししてきた。ぴあやJBpress、東京新聞によれば、相国寺承天閣美術館の開館40周年を記念する「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が、東京藝術大学大学美術館で3月29日から5月25日まで開かれている。相国寺と、その山外塔頭である鹿苑寺(金閣)、慈照寺(銀閣)に伝わる品々から、国宝・重要文化財40件以上が並ぶという。 相国寺といえば、まず若冲や。JBpressの見出しにもあるとおり、伊藤若冲を見いだしたのはこの寺で、目玉の一つが若冲の筆になる鹿苑寺大書院の障壁画。金閣の書院の襖に、若冲が墨で描いた葡萄や芭蕉が広がる。極彩色の動植綵絵とはまた違う、墨一色の若冲もええもんや。若冲の才を見抜いた相国寺の大典禅師は、詩僧として上方の文人仲間にもよう知られたお人やった。 ほかにも雪舟、狩野探幽、長谷川等伯、円山応挙と、名前を並べるだけで目が回る。室町の水墨から江戸の写生まで、一つの寺に集まった美が、禅寺と絵師たちの長い付き合いを物語っている。ぴあのレポートは、名刹と芸術家たちの物語をたどる構成やと伝えている。 わたしも書画を集めてきた身やけど、これだけの品を一寺で抱えてきたというのは、ほんまに頭が下がる。応仁の乱や幾度もの火災をくぐり抜けて、六百年あまり守ってきたわけやから。前期と後期で展示替えがあるそうなので、欲張りな向きは二度通うてもええかもしれん。わたしなら、まちがいなく二度行く。
北原白秋の『邪宗門』構想メモが見つかり、小林一茶の句日記も新たに発見。詩人と俳人の自筆が相次いで現れる
北原白秋の第一詩集『邪宗門』の構想を記したメモが見つかり、生誕140年の記念展で公開された。長野では小林一茶の句日記が新たに見つかり、40代の一茶の足取りを伝える句も含まれているという。
詩集は、刷り上がる前にどんな姿をしていたのか。朝日新聞や日本経済新聞によれば、北原白秋の生誕140年を記念する展覧会「白秋万華鏡」が東京・目黒の日本近代文学館で開かれ、第一詩集『邪宗門』の構想を記したメモが新たな資料として公開されている。報道によれば、メモは同館に寄贈された詩人・河井酔茗の遺品の中から見つかったもので、白秋の全集にも入っていない。具体的な目次の案や、自筆の絵まで書き込まれているという。 『邪宗門』は1909年の刊行で、南蛮趣味と異国の言葉をちりばめた官能的な詩集として知られる。若い白秋が、思いつくまま書き散らしたのではなく、目次から扉の絵まで綿密に組み立てていたとすれば、詩集の読み方も少し変わってくる。もっとも、構想は構想であって、刊行された本がそのとおりになったとは限らない。メモと実際の詩集のどこが同じで、どこが違うのか。そこにこそ詩人の迷いが表れているのではないか。 長野からも知らせが届いた。信濃毎日新聞によれば、信濃町出身の俳人・小林一茶の句日記が新たに見つかった。40代の一茶の動きを伝える句も含まれているという。見出しには「切断、売却された?」とあり、もとは一続きだったものが切り分けられて人手に渡った可能性があるらしい。名家の手を離れた書物が、切られ、売られ、散っていくのは、骨董の世界ではよくある話だ。散ったものをつなぎ直す作業は、根気が要る。 高知では、高知新聞によれば、寺田寅彦記念館で寅彦の手紙や書籍を展示している。詩人の構想メモ、俳人の日記、科学者の手紙。どれも、作品として世に出る前の、生の言葉である。完成品だけを見て人を論じるのは、どうにも危うい。こうした下書きや私信が一つ見つかるたびに、通り一遍の作家像は書き換えを迫られるのである。
北原白秋の『邪宗門』構想メモが見つかり、小林一茶の句日記も新たに発見。詩人と俳人の自筆が相次いで現れる
北原白秋の第一詩集『邪宗門』の構想を記したメモが見つかり、生誕140年の記念展で公開された。長野では小林一茶の句日記が新たに見つかり、40代の一茶の足取りを伝える句も含まれているという。
詩集は、刷り上がる前にどんな姿をしていたのか。朝日新聞や日本経済新聞によれば、北原白秋の生誕140年を記念する展覧会「白秋万華鏡」が東京・目黒の日本近代文学館で開かれ、第一詩集『邪宗門』の構想を記したメモが新たな資料として公開されている。報道によれば、メモは同館に寄贈された詩人・河井酔茗の遺品の中から見つかったもので、白秋の全集にも入っていない。具体的な目次の案や、自筆の絵まで書き込まれているという。 『邪宗門』は1909年の刊行で、南蛮趣味と異国の言葉をちりばめた官能的な詩集として知られる。若い白秋が、思いつくまま書き散らしたのではなく、目次から扉の絵まで綿密に組み立てていたとすれば、詩集の読み方も少し変わってくる。もっとも、構想は構想であって、刊行された本がそのとおりになったとは限らない。メモと実際の詩集のどこが同じで、どこが違うのか。そこにこそ詩人の迷いが表れているのではないか。 長野からも知らせが届いた。信濃毎日新聞によれば、信濃町出身の俳人・小林一茶の句日記が新たに見つかった。40代の一茶の動きを伝える句も含まれているという。見出しには「切断、売却された?」とあり、もとは一続きだったものが切り分けられて人手に渡った可能性があるらしい。名家の手を離れた書物が、切られ、売られ、散っていくのは、骨董の世界ではよくある話だ。散ったものをつなぎ直す作業は、根気が要る。 高知では、高知新聞によれば、寺田寅彦記念館で寅彦の手紙や書籍を展示している。詩人の構想メモ、俳人の日記、科学者の手紙。どれも、作品として世に出る前の、生の言葉である。完成品だけを見て人を論じるのは、どうにも危うい。こうした下書きや私信が一つ見つかるたびに、通り一遍の作家像は書き換えを迫られるのである。
当道座の取り締まりで瀬川は吉原を去り、源内は獄死。『べらぼう』4月は別れの月、そして山東京伝と家斉の登場へ
大河『べらぼう』は4月、幕府の当道座取り締まりで鳥山検校と瀬川が捕らえられ、平賀源内が壮絶な最期を迎えた。入れ替わるように、山東京伝や十一代将軍家斉が物語に加わる。
金の切れ目が縁の切れ目、とはよう言うたもんや。毎日キレイによれば、『べらぼう』第14回では、幕府が当道座の取り締まりに乗り出し、検校と妻の瀬以(瀬川)が捕らえられ、蔦重まで連行された。当道座は目の見えない人たちの組織で、座頭金と呼ばれる高利貸しで財をなした者もいた。Precious.jpのレビューによれば、瀬川は愛のために去っていき、「蔦重瀬川夫婦道中」に涙した視聴者も多かったという。大金で身請けされた花魁が、結局は銭のもつれで居場所を失う。吉原の勘定は、いつもどこかで帳尻が合わん。 続いて平賀源内や。イザ!によれば、安田顕さんが演じた源内の壮絶な最期に、SNSでは悲痛な声が相次いだ。源内は人を斬って獄に入り、そこで命を落とした。鉱山に陶器にエレキテルと、儲け話にはいくらでも手を出したお人やったが、どれも長続きせんかった。ライブドアニュースは、源内は本当に「男ひとすじ」で歌舞伎役者が恋人だったのか、という問いも取り上げている。発明家で戯作者で山師。才能の割に財布はいつも軽かった。 入れ替わりに現れるのが、山東京伝(北尾政演)や。サライ.jpによれば、京伝は黄表紙や洒落本で人気を集め、のちに「手鎖50日」の刑を受けながらも、江戸のベストセラー作家になった。Yahoo!ニュースの記事は、売れっ子の京伝が版元を破産に追い込んだのか、という切り口で、今とは違う江戸の作家の仕事ぶりを解説している。京伝は煙草入れの店も構えた商売上手で、筆一本に頼らん生き方を選んだ。わしは、こういう作家が好きや。 サライ.jpによれば、十一代将軍家斉の登場で、大河ドラマ64年の歴史で初めて、徳川将軍15人がすべて登場することになるという。大河の帳簿も、ようやく十五代そろって締まるわけや。
当道座の取り締まりで瀬川は吉原を去り、源内は獄死。『べらぼう』4月は別れの月、そして山東京伝と家斉の登場へ
大河『べらぼう』は4月、幕府の当道座取り締まりで鳥山検校と瀬川が捕らえられ、平賀源内が壮絶な最期を迎えた。入れ替わるように、山東京伝や十一代将軍家斉が物語に加わる。
金の切れ目が縁の切れ目、とはよう言うたもんや。毎日キレイによれば、『べらぼう』第14回では、幕府が当道座の取り締まりに乗り出し、検校と妻の瀬以(瀬川)が捕らえられ、蔦重まで連行された。当道座は目の見えない人たちの組織で、座頭金と呼ばれる高利貸しで財をなした者もいた。Precious.jpのレビューによれば、瀬川は愛のために去っていき、「蔦重瀬川夫婦道中」に涙した視聴者も多かったという。大金で身請けされた花魁が、結局は銭のもつれで居場所を失う。吉原の勘定は、いつもどこかで帳尻が合わん。 続いて平賀源内や。イザ!によれば、安田顕さんが演じた源内の壮絶な最期に、SNSでは悲痛な声が相次いだ。源内は人を斬って獄に入り、そこで命を落とした。鉱山に陶器にエレキテルと、儲け話にはいくらでも手を出したお人やったが、どれも長続きせんかった。ライブドアニュースは、源内は本当に「男ひとすじ」で歌舞伎役者が恋人だったのか、という問いも取り上げている。発明家で戯作者で山師。才能の割に財布はいつも軽かった。 入れ替わりに現れるのが、山東京伝(北尾政演)や。サライ.jpによれば、京伝は黄表紙や洒落本で人気を集め、のちに「手鎖50日」の刑を受けながらも、江戸のベストセラー作家になった。Yahoo!ニュースの記事は、売れっ子の京伝が版元を破産に追い込んだのか、という切り口で、今とは違う江戸の作家の仕事ぶりを解説している。京伝は煙草入れの店も構えた商売上手で、筆一本に頼らん生き方を選んだ。わしは、こういう作家が好きや。 サライ.jpによれば、十一代将軍家斉の登場で、大河ドラマ64年の歴史で初めて、徳川将軍15人がすべて登場することになるという。大河の帳簿も、ようやく十五代そろって締まるわけや。
2025年4月号をお届けします。大河『べらぼう』にちなんで杉田玄白ゆかりの小浜を訪ねる話を軸に、ヴォーリズ建築の明暗、日蘭425年の縁など取り揃えました。後から特集を三本足しています。上野の相国寺展は、若冲の墨の葡萄に雪舟、等伯、応挙と、目の保養どころか目の毒になりそうな顔ぶれ。秋成はんには白秋の邪宗門のメモと一茶の句日記の話を頼んだら、「下書きを読まずに作家を語るな」と、いつもの調子で釘を刺してきました。べらぼうは瀬川が去り、源内先生が逝き、入れ替わりに京伝が現れて、西鶴はんは別れの話もそこそこに京伝の煙草入れの売り上げを気にしとります。桜の便りと一緒に、なんとなく気の長い話ばかり集まった号になりました。
2025年4月号をお届けします。大河『べらぼう』にちなんで杉田玄白ゆかりの小浜を訪ねる話を軸に、ヴォーリズ建築の明暗、日蘭425年の縁など取り揃えました。後から特集を三本足しています。上野の相国寺展は、若冲の墨の葡萄に雪舟、等伯、応挙と、目の保養どころか目の毒になりそうな顔ぶれ。秋成はんには白秋の邪宗門のメモと一茶の句日記の話を頼んだら、「下書きを読まずに作家を語るな」と、いつもの調子で釘を刺してきました。べらぼうは瀬川が去り、源内先生が逝き、入れ替わりに京伝が現れて、西鶴はんは別れの話もそこそこに京伝の煙草入れの売り上げを気にしとります。桜の便りと一緒に、なんとなく気の長い話ばかり集まった号になりました。