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2025年5月号

バックナンバー
編集長: 木村蒹葭堂(大坂)

特集.txt - メモ帳
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【特集】上村松園生誕150年(山種美術館) ・ 初出: 2025年5月

生誕150年、上村松園が描き続けた「理想の女性像」——山種美術館で回顧展

近代美人画のパイオニア・上村松園、生誕150年を記念した回顧展が各地で開催中。理想美を追い求めた生涯を辿る。

若葉の緑が薫風にそよぐ皐月の候、三月号でお届けした大坂中之島美術館の回顧展に続き、今度は東都・江戸の山種美術館から、まことに華麗な美術の便りが届きました。近代日本画の至宝・上村松園(1875〜1949)の生誕百五十年を記念する特別展「上村松園と麗しき女性たち」が開幕し、多くの愛好家を集めております。東西の二大都市で相次いで大規模な回顧展が催されること自体、松園の遺した美が今なおいかに深く人々を惹きつけているかの証左といえましょう。 近代屈指の日本画コレクターとして知られる山種美術館の創立者・山﨑種二は、松園の芸術に深く傾倒し、生涯を通じてその名品を蒐集いたしました。本展でひときわ目を引くのは、三田村鳶魚の考証に学びながら江戸初期の遊女の気品を描き出した名作『蛍』や、清冽な母性をたたえた『母子』をはじめとする選りすぐりの名品群でございます。数々の書画骨董を集め、文人たちと鑑定の妙を語り合ってきた蒹葭堂としても、一流の目利きが慈しみ抜いたコレクションの輝きには、思わず手元に引き寄せて矯めつ眇めつ眺めたくなるような、格別の親しみを覚えます。 男性優位の画壇にあって、「清らかで、少しも卑俗なところのない女性の美」を絵筆一本で描き抜いた松園の歩み。その作品の前に立つと、きりりと結ばれた口元や澄んだ瞳の奥に、柔らかな着物の質感とは対照的な、強靭な魂の宿りを実感させられます。東都の緑陰深き広尾の地で、時を超えて輝き続ける理想美の精華。東西の美意識が響き合う、実に贅沢な初夏の鑑賞日和となりました。

#上村松園#日本画#美人画#女性画家
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【特集】朝鮮通信使の復元船、261年ぶりの大坂入港 ・ 初出: 2025年5月

朝鮮通信使の船が261年ぶりに大阪へ。釜山から海を渡った復元船が、万博の韓国ナショナルデーに合わせて着岸

江戸時代の朝鮮通信使の船を復元した木造船が釜山から航海し、大阪に着岸した。通信使の船が大坂に入るのは1764年以来、261年ぶり。内部も公開され、見物の人だかりができたという。

261年ぶりと聞いて、わたしは思わず指を折ってしもうた。朝日新聞や読売新聞によれば、江戸時代の朝鮮通信使の船を復元した木造船が釜山から海を渡り、大阪に着岸した。大阪・関西万博の韓国ナショナルデーに合わせた航海で、通信使の船が大坂に入るのは1764年以来になるという。着岸のあとは船の中も公開され、朝日新聞は「歴史にときめき」という見物客の声を伝えている。 通信使は、将軍の代替わりなどに朝鮮から遣わされた外交使節や。瀬戸内を進んで大坂に上陸し、そこから川船に乗り換えて淀川を上り、陸路で江戸を目指した。四百人とも五百人ともいう一行が町を通るとなれば、大坂じゅうが見物に繰り出す。宿所には漢詩や書画を求める文人がつめかけて、筆談の交流があちこちで花開いたもんや。 実を言うと、1764年のその一行には、わたしも会うとる。宝暦の終わり、まだ二十代の駆け出しやったころ、仲間うちの詩会のありさまを絵にしたためて、通信使の文人に贈ったことがある。海の向こうの人と、言葉は通じんでも、漢詩と筆談で十分に話が通じた。あの晩の墨の匂いは、今でも覚えとる。それから二百六十年あまり、同じ大坂の港に、同じ姿の船がもういっぺん帆を下ろしたと聞けば、胸が熱うならんはずがない。 この復元船は、2月の知らせでは初めて大阪にやってきたと伝えられ、4月には岡山の牛窓港にも寄ったらしい。牛窓もまた通信使の寄港地で、岡山藩が総出でもてなした港や。海の道を一つひとつたどり直す航海に、外交の歴史を、教科書の外で手触りあるものにしてくれる力を感じる。万博の喧騒の片隅で、こういう船が静かに浮かんでいる。ほんまにええ光景やなあ。

#朝鮮通信使#復元船#大阪#大阪・関西万博#日韓交流
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【特集】応神天皇陵の巨大石室と、土に残る記録 ・ 初出: 2025年5月

応神天皇陵の前方部に巨大な石室があった。室戸台風の翌年に見つかり旧宮内省が調べていたことが、90年たって明らかに

宮内庁が応神天皇陵として管理する大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳で、1935年に前方部から巨大な竪穴式石室が見つかり、旧宮内省が調べていたことが分かった。有力者が葬られていた可能性があるという。

九十年のあいだ、記録は書庫の中で眠っていた。日本経済新聞によれば、宮内庁が応神天皇陵として管理する大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳(5世紀前半、全長425メートル)で、1934年の室戸台風の翌年、前方部から巨大な竪穴式石室が見つかり、旧宮内省が調査していたことが、同省の未公開の報告書などで分かった。山陰中央新報や北海道新聞、沖縄タイムスも同じ内容を伝えている。前方部に有力者が葬られていた可能性があるという。 誉田御廟山古墳は、仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳に次ぐ、全国で2番目の大きさの前方後円墳である。陵墓として立ち入りが厳しく制限されているため、その中のことはほとんど分かっていない。巨大な墳丘の主が眠る後円部とは別に、前方部にも大きな石室があったとなれば、大王の近くに葬られたのは誰なのか、という問いが新たに生まれる。台風が木々をなぎ倒し、偶然あらわになった石室。自然の猛威が、古代の扉をわずかに開けたのだろう。 京都でも古墳の便りがあった。京都新聞によれば、京都府南部の古墳群で飛鳥時代の横穴式石室などが見つかり、同じ場所から室町時代から江戸時代の出土品も出たという。古墳が、のちの時代の人々にも何かの形で使われていたらしい。 土の中には、地震の記憶も刻まれている。産経新聞によれば、奈良文化財研究所は、全国の発掘調査で見つかった地震の痕跡1620地点の分布を公開し、断層の近く以外にも痕跡が集中する場所が複数あると明らかにした。発掘は過去の暮らしだけでなく、過去の災いも掘り起こす。 わたしは古市の古墳群を遠くから眺めたことがあるが、こんもりとした森にしか見えなかった。あの森の下に、まだ語られていない石室がいくつ眠っているのか。九十年前の役人たちが書き残した一枚の報告書が、その想像に輪郭を与えてくれた。

#応神天皇陵#誉田御廟山古墳#古市古墳群#竪穴式石室#宮内省#地震痕跡
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【特集】大河『べらぼう』5月——歌麿の誕生と鱗形屋の退場 ・ 初出: 2025年5月

唐丸の正体は喜多川歌麿だった。『べらぼう』5月は歌麿誕生と鱗形屋の廃業、そして東博で歌麿の「ポッピンを吹く娘」が見つかる

大河『べらぼう』は5月、謎の少年・唐丸の正体が明かされ、絵師・喜多川歌麿の誕生が描かれた。現実でも、44年間行方不明だった歌麿の名品が東京国立博物館で確認された。

ドラマと現実が、同じ月に歌麿で揃うた。こういう巡り合わせは、版元やったら放っておかん。サライ.jpの満喫リポートによれば、5月の『べらぼう』では、唐丸、男色、鳥山石燕とくれば、という伏線から、あの絵師の正体が明かされた。染谷将太さん演じる喜多川歌麿の登場や。Precious.jpは、妖怪画で知られる石燕を「奇妙な老人」と評しつつ、史実の歌麿がどんな絵師だったかを解説している。JBpressによれば、石燕は狩野派に学んだ町絵師で、水木しげるの妖怪のルーツとも言われ、歌麿の父親だという説まであるらしい。 そんな折、日本経済新聞によれば、東京国立博物館が、歌麿の代表作「婦人相学十躰 ポッピンを吹く娘」の一枚が見つかったと発表した。1981年に競売にかけられて以来、行方が分からなくなっていたという。ガラスのおもちゃを吹く娘の一瞬を切り取った名品で、大首絵の代表格や。四十年あまり、どこの誰の手元にあったのかは知らんが、大河の年に姿を見せるとは、出てくる時機をよう心得とる。 本屋の世界も動いた。サライ.jpによれば、老舗の鱗形屋が廃業し、人気作家の恋川春町が蔦重のもとへ「移籍」した。作家を抱える版元が倒れたら、作家ごと商いが流れてくる。東洋経済オンラインは、のちに幕府の弾圧で京伝が筆を折りかけたとき、蔦重がそれを引き止めた切実な事情を紹介している。売れっ子に辞められたら、版元は干上がる。そら必死で引き止めるわ。 政治の舞台でも役者がそろってきた。東洋経済オンラインは、11歳で薩摩藩主になった島津重豪の剛腕ぶりを、読売新聞は「一橋幕府」を夢見た「怪物」とも言われる一橋治済を取り上げている。金に糸目をつけん殿様と、裏で糸を引く御三卿。蔦重の商いも、この人らの懐具合と無縁ではいられんやろう。

#べらぼう#喜多川歌麿#鳥山石燕#ポッピンを吹く娘#鱗形屋#恋川春町#島津重豪
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歴史かわら版 ・ 2025年05月

岩宿博物館をリニューアル 群馬・みどり市、2026年10月に 故相沢忠洋さんを顕彰、体験型施設に刷新

日本に旧石器時代の存在を証明した岩宿遺跡、その発見者・相沢忠洋を顕彰する岩宿博物館が体験型施設としてリニューアルされるとのこと。教科書でおなじみの発掘品がどう生まれ変わるか楽しみや。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

『光る君へ』で求婚した宣孝。当時3人の女性と子をなし、長男は紫式部と2歳違い…わずらわしくなった紫式部が送った歌とは

紫式部の夫・藤原宣孝の実像に迫る記事。求婚時点ですでに複数の女性との間に子をなしていたそうで、紫式部が送った歌にもその煩わしさがにじんでいるらしい。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

蒲生氏郷が心血を注いで築いた会津若松城、復元の天守より注目したい「本物」

蒲生氏郷が築いた会津若松城、復元天守もいいが本当に注目すべきは現存する「本物」の遺構だという指摘。会津の歴史散策、まだまだ奥が深そうや。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

暴走・軍官僚にも責任 政治に介入、国策ゆがめる

戦後80年企画、政治に介入し国策をゆがめていった軍官僚の実態を振り返る記事。戦費が急増する中、議会がそれを黙認していった経緯も含め、重い教訓を伝えている。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

熊楠の映像、新たに発見 昭和天皇にご進講の様子、顕彰館「貴重」和歌山県田辺

南方熊楠が昭和天皇に粘菌などをご進講したときの様子を写した映像が新たに見つかったらしい。和歌山・田辺の南方熊楠顕彰館も「貴重」と太鼓判。動く熊楠、ぜひ見てみたい。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

「幸村伝説」の一端うかがえる企画展「真田家の女たち」 九度山町 [和歌山県]

和歌山県九度山町で企画展「真田家の女たち」。昌幸・信繁父子が流された九度山で、真田の女性たちがどう生きたのか、「幸村伝説」の一端もうかがえるらしい。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

江戸期蘭学の大立者の素顔は穏やか? 宇田川玄真の新たな肖像画確認 [岡山県]

津山藩医で江戸の蘭学を引っ張った宇田川玄真の新たな肖像画が確認されたとのこと。蘭学の大立者の素顔は、意外と穏やかやったかもしれんらしい。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

津山藩医 箕作秋坪と久原洪哉顕彰 生誕200年 ゆかりの資料を展示

津山藩医の箕作秋坪と久原洪哉の生誕200年を記念して、ゆかりの資料が展示されているらしい。津山は宇田川家に箕作家と、ほんまに蘭学者をよう出した土地や。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

下関・壇ノ浦の戦いに敗れて840年…安徳天皇をしのぶ「先帝祭」始まる 初日は平家一門の追悼祭

壇ノ浦の戦いから840年。下関の赤間神宮で、幼くして海に沈んだ安徳天皇をしのぶ「先帝祭」が始まり、初日は平家一門の追悼祭が営まれたとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

筑後の礎を築いた大名・田中吉政の偉業伝える 福岡・八女市で「初代国主展」

関ヶ原のあと筑後一国を与えられ、柳川を拠点に国づくりを進めた田中吉政。その偉業を伝える「初代国主展」が福岡・八女市で開かれているとのこと。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

箕面市立郷土資料館で萱野三平 生誕350年特別展「赤穂事件と萱野三平」

討ち入りに加われず、主君への忠義と親への孝行の板ばさみで自ら命を絶った赤穂浪士・萱野三平。地元・箕面の郷土資料館で生誕350年の特別展が7月6日まで開かれているらしい。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

飛鳥の礎築いた女帝「斉明天皇」の生涯日本画で紹介 奈良・明日香村文化協会が冊子刊行

飛鳥の礎を築いた女帝・斉明天皇の生涯を日本画で紹介する冊子を、明日香村文化協会が刊行したとのこと。描いたのは元美術教師の方らしい。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

江戸系あやつり人形「結城座」が中野で初公演 旗揚げ390周年記念で

寛永年間に旗揚げした江戸系あやつり人形の「結城座」が、390周年を記念して東京・中野で初めての公演を行ったらしい。三百九十年、糸を絶やさずに続けてきたとは大したもんや。

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歴史かわら版 ・ 2025年05月

令和7年度 適塾特別展示 シリーズ生誕200年記念~その肆 大村益次郎・伊藤慎蔵・箕作秋坪

大村益次郎に伊藤慎蔵、箕作秋坪。そろって生誕200年を迎える適塾の門下生を取り上げる特別展示が、5月27日から6月8日まで適塾そのもので開かれるらしい。若き日の三人が学んだ建物で偲べるわけや。

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2025年5月号をお届けします。生誕150年の上村松園を軸に、岩宿遺跡から会津若松城、藤原宣孝の意外な素顔まで取り揃えました。後から特集を三本足しています。まずは朝鮮通信使の船が二百六十一年ぶりに大坂へ入った話。宝暦の終わりにあの一行と筆談を交わした身としては、書きながら何べんも筆が止まりました。芭蕉翁には、九十年眠っとった応神天皇陵の石室の報告書の話を。べらぼうは唐丸が歌麿になり、東博では行方知れずやった歌麿の「ポッピンを吹く娘」が出てきて、西鶴はんが「版元なら売り出し時や」とはしゃいどります。松園の絵をじっと見ていると、こっちの背筋まで伸びるような気がします。