倉敷の「受胎告知」が66年ぶりの修復へ。プラド美術館の修復家が後世の加筆を取り除き、エル・グレコ本来の色彩がよみがえる
倉敷の大原美術館が、所蔵の目玉であるエル・グレコ「受胎告知」を66年ぶりに修復している。スペインのプラド美術館から修復家を招き、汚れや後世の加筆を取り除いて、10月21日に再び公開する予定だという。
名画も、年をとる。朝日新聞や日本経済新聞、TBS NEWS DIGによれば、大原芸術財団は、大原美術館が所蔵するエル・グレコの「受胎告知」を66年ぶりに修復すると発表した。スペイン・マドリードのプラド美術館から修復家を招き、7月14日から作業に入ったという。日本経済新聞によれば、修復はクラレが支援している。山陽新聞によれば、作品は7月8日から公開を止めていた。 「受胎告知」は、大原美術館のいわば顔や。倉敷の実業家・大原孫三郎の支援を受けた画家の児島虎次郎が、大正時代にパリで買い付けたと伝わる。西洋の名画を日本の地方都市で見られる、それ自体が奇跡のような一枚やった。 朝日新聞によれば、今回の修復では、後の時代に描き加えられた部分も取り除くという。山陽新聞は7月末、修復作業を報道陣に説明し、汚れを除いて色が鮮やかになってきた様子を伝えた。そして再公開は10月21日に決まったとのこと。 修復というのは、ただ綺麗にすることやない。どこまでが画家の筆で、どこからが後の人の手か。それを見分けて、後の人の手だけをそっと外す。わたしも古い絵を手に入れるたびに、どこぞで誰ぞが手を入れとらんか、ずいぶん目を凝らしてきた。せやから、四百年前の画家の筆を、四百年後の修復家が探り当てる仕事には、ほんまに頭が下がる。 エル・グレコといえば、天に向かって伸び上がるような人物と、青や黄の鮮烈な色。後の人の手がとれた「受胎告知」は、どんな色で私らを迎えてくれるのか。秋の倉敷が、今から待ち遠しいわ。
倉敷の「受胎告知」が66年ぶりの修復へ。プラド美術館の修復家が後世の加筆を取り除き、エル・グレコ本来の色彩がよみがえる
倉敷の大原美術館が、所蔵の目玉であるエル・グレコ「受胎告知」を66年ぶりに修復している。スペインのプラド美術館から修復家を招き、汚れや後世の加筆を取り除いて、10月21日に再び公開する予定だという。
名画も、年をとる。朝日新聞や日本経済新聞、TBS NEWS DIGによれば、大原芸術財団は、大原美術館が所蔵するエル・グレコの「受胎告知」を66年ぶりに修復すると発表した。スペイン・マドリードのプラド美術館から修復家を招き、7月14日から作業に入ったという。日本経済新聞によれば、修復はクラレが支援している。山陽新聞によれば、作品は7月8日から公開を止めていた。 「受胎告知」は、大原美術館のいわば顔や。倉敷の実業家・大原孫三郎の支援を受けた画家の児島虎次郎が、大正時代にパリで買い付けたと伝わる。西洋の名画を日本の地方都市で見られる、それ自体が奇跡のような一枚やった。 朝日新聞によれば、今回の修復では、後の時代に描き加えられた部分も取り除くという。山陽新聞は7月末、修復作業を報道陣に説明し、汚れを除いて色が鮮やかになってきた様子を伝えた。そして再公開は10月21日に決まったとのこと。 修復というのは、ただ綺麗にすることやない。どこまでが画家の筆で、どこからが後の人の手か。それを見分けて、後の人の手だけをそっと外す。わたしも古い絵を手に入れるたびに、どこぞで誰ぞが手を入れとらんか、ずいぶん目を凝らしてきた。せやから、四百年前の画家の筆を、四百年後の修復家が探り当てる仕事には、ほんまに頭が下がる。 エル・グレコといえば、天に向かって伸び上がるような人物と、青や黄の鮮烈な色。後の人の手がとれた「受胎告知」は、どんな色で私らを迎えてくれるのか。秋の倉敷が、今から待ち遠しいわ。
雪の峠を越えて種痘を運んだ福井の町医者・笠原良策が、蘭学サミットの主役に。津山でも幕末の藩医2人の史料展
福井県で8月に開かれる蘭学サミットで、天然痘と闘った福井藩の町医者・笠原良策が取り上げられる。蘭学の里・津山でも、幕末・維新期に活躍した藩医2人をしのぶ史料展が開かれている。
医者の手柄話は、たいてい美談として語られる。だが、美談の陰には、たいてい泥臭い苦労がある。日テレNEWSによれば、福井県で8月に開かれる蘭学サミットの今年の主役は、幕末の福井藩の町医者・笠原良策だという。天然痘の撲滅に奮闘した人物で、医師で作家の海堂尊さんが来場を呼びかけている。 笠原良策は、牛痘による種痘を福井に広めた人として知られる。種痘の苗は、人から人へ植え継がなければ絶えてしまう。良策は京都で手に入れた苗を、子どもたちの腕に植え継ぎながら、冬の峠を越えて福井へ運んだと伝えられる。その苦闘は、2025年の初めに公開された映画「雪の花 ―ともに在りて―」でも描かれた。 ただ、ここで一つ言っておきたい。種痘は、はじめから歓迎されたわけではない。牛の病を人に植えるなど、と恐れられ、町の人々の疑いを解くのに、良策は相当な苦労をしたとされる。新しい医術が「正しい」ことと、それが人に「受け入れられる」ことは、別の話である。今の世にも通じる教訓だろう。 岡山・津山からも便りがある。朝日新聞によれば、幕末・維新期に功績を残した津山藩医2人をしのび、ペリー来航などゆかりの史料を展示しているという。津山は宇田川玄随・玄真・榕菴の三代や箕作阮甫を出した「洋学の里」で、阮甫はペリーが持ってきた国書の翻訳にも加わった。7月末には、榕菴の化学実験を再現する催しも津山洋学資料館で開かれる。 蘭学は、書物の上の学問ではなかった。異国の言葉を読み、新しい医術を試し、人々の疑いと向き合う。その一つひとつが、命がけの実践だった。美談として語る前に、その泥臭さをこそ、記憶しておきたい。
雪の峠を越えて種痘を運んだ福井の町医者・笠原良策が、蘭学サミットの主役に。津山でも幕末の藩医2人の史料展
福井県で8月に開かれる蘭学サミットで、天然痘と闘った福井藩の町医者・笠原良策が取り上げられる。蘭学の里・津山でも、幕末・維新期に活躍した藩医2人をしのぶ史料展が開かれている。
医者の手柄話は、たいてい美談として語られる。だが、美談の陰には、たいてい泥臭い苦労がある。日テレNEWSによれば、福井県で8月に開かれる蘭学サミットの今年の主役は、幕末の福井藩の町医者・笠原良策だという。天然痘の撲滅に奮闘した人物で、医師で作家の海堂尊さんが来場を呼びかけている。 笠原良策は、牛痘による種痘を福井に広めた人として知られる。種痘の苗は、人から人へ植え継がなければ絶えてしまう。良策は京都で手に入れた苗を、子どもたちの腕に植え継ぎながら、冬の峠を越えて福井へ運んだと伝えられる。その苦闘は、2025年の初めに公開された映画「雪の花 ―ともに在りて―」でも描かれた。 ただ、ここで一つ言っておきたい。種痘は、はじめから歓迎されたわけではない。牛の病を人に植えるなど、と恐れられ、町の人々の疑いを解くのに、良策は相当な苦労をしたとされる。新しい医術が「正しい」ことと、それが人に「受け入れられる」ことは、別の話である。今の世にも通じる教訓だろう。 岡山・津山からも便りがある。朝日新聞によれば、幕末・維新期に功績を残した津山藩医2人をしのび、ペリー来航などゆかりの史料を展示しているという。津山は宇田川玄随・玄真・榕菴の三代や箕作阮甫を出した「洋学の里」で、阮甫はペリーが持ってきた国書の翻訳にも加わった。7月末には、榕菴の化学実験を再現する催しも津山洋学資料館で開かれる。 蘭学は、書物の上の学問ではなかった。異国の言葉を読み、新しい医術を試し、人々の疑いと向き合う。その一つひとつが、命がけの実践だった。美談として語る前に、その泥臭さをこそ、記憶しておきたい。
米の値は上がり、人は飢える。『べらぼう』7月は天明の大飢饉と田沼意知の刃傷、そして白河の名君・松平定信の影が差す
大河『べらぼう』は7月、天明の大飢饉の惨状を描き、江戸城での田沼意知刺殺へと進んだ。飢饉の実態や田沼家の出自、白河藩で名君とうたわれた松平定信の姿を、各紙が掘り下げている。
飢饉は天災やけど、値上がりは人災や。デイリースポーツによれば、『べらぼう』第26回では、田沼意次の時代に起きた天明の大飢饉(1782〜1787年)が描かれた。冷害に浅間山の大噴火が重なって凶作となり、とりわけ奥羽や関東で餓死者や病死者が相次いだ。シネマトゥデイは、その場面を「まるで今の日本」と伝えている。米の値が跳ね上がり、庶民の暮らしが追い詰められる。物の値段の話は、いつの世も他人事やない。 ダイヤモンド・オンラインは、ドラマでは描かれない飢饉の「恐ろしすぎる実態」に踏み込んでいる。テレビで映せることには限りがある。帳簿に載らん死者の数こそ、飢饉の本当の勘定書きやろう。 そんな中、江戸城で事件が起きる。サライ.jpによれば、田沼意次の息子・意知が城中で斬りつけられて命を落とした。記事は、江戸城ではこれだけでなく、いくつもの刃傷事件があったと振り返っている。米の値が上がって世の中がざわつくと、恨みの矛先は時の権力者に向かう。意知の死を、庶民が喜んだとまで伝えられるのは、そういうことや。 東洋経済オンラインは、渡辺謙さん演じる意次を悩ませた田沼家の系譜を取り上げ、出世の背景に「父の人脈」があったと解説している。由緒のない家から成り上がった者は、どうしても妬まれる。 そして次の主役の影が差してきた。JBpressによれば、松平定信は白河藩で倹約を徹底し、名君と呼ばれた。飢饉の中でも領民を守ったとされる手腕が、やがて田沼に代わる政治を求める声につながっていく。倹約の人が天下を取ったら、江戸の本屋はどうなるか。蔦重にとっては、ここからが正念場やで。
米の値は上がり、人は飢える。『べらぼう』7月は天明の大飢饉と田沼意知の刃傷、そして白河の名君・松平定信の影が差す
大河『べらぼう』は7月、天明の大飢饉の惨状を描き、江戸城での田沼意知刺殺へと進んだ。飢饉の実態や田沼家の出自、白河藩で名君とうたわれた松平定信の姿を、各紙が掘り下げている。
飢饉は天災やけど、値上がりは人災や。デイリースポーツによれば、『べらぼう』第26回では、田沼意次の時代に起きた天明の大飢饉(1782〜1787年)が描かれた。冷害に浅間山の大噴火が重なって凶作となり、とりわけ奥羽や関東で餓死者や病死者が相次いだ。シネマトゥデイは、その場面を「まるで今の日本」と伝えている。米の値が跳ね上がり、庶民の暮らしが追い詰められる。物の値段の話は、いつの世も他人事やない。 ダイヤモンド・オンラインは、ドラマでは描かれない飢饉の「恐ろしすぎる実態」に踏み込んでいる。テレビで映せることには限りがある。帳簿に載らん死者の数こそ、飢饉の本当の勘定書きやろう。 そんな中、江戸城で事件が起きる。サライ.jpによれば、田沼意次の息子・意知が城中で斬りつけられて命を落とした。記事は、江戸城ではこれだけでなく、いくつもの刃傷事件があったと振り返っている。米の値が上がって世の中がざわつくと、恨みの矛先は時の権力者に向かう。意知の死を、庶民が喜んだとまで伝えられるのは、そういうことや。 東洋経済オンラインは、渡辺謙さん演じる意次を悩ませた田沼家の系譜を取り上げ、出世の背景に「父の人脈」があったと解説している。由緒のない家から成り上がった者は、どうしても妬まれる。 そして次の主役の影が差してきた。JBpressによれば、松平定信は白河藩で倹約を徹底し、名君と呼ばれた。飢饉の中でも領民を守ったとされる手腕が、やがて田沼に代わる政治を求める声につながっていく。倹約の人が天下を取ったら、江戸の本屋はどうなるか。蔦重にとっては、ここからが正念場やで。
醤油の家に流れる南画の筆——ミュゼ浜口陽三で「新しい南画の世界」
銅版画家・浜口陽三の作品の根っこに、江戸の南画を見る展覧会。浜口家に伝わる南画の系譜をたどりつつ、日本画・銅版画・現代美術・書・詩の現代作家5人が「新しい南画」を探る。
カラーメゾチントの浜口陽三と、江戸の南画。一見つながりそうにない取り合わせだが、美術評論家の洲之内徹は「浜口陽三の仕事の根底には宋元写生画の構図が横たわっている」と書いたという。しかも浜口家は、もともと南画と縁の深い家だった。陽三の父・十代目儀兵衛は小室翠雲に南画を学び、さらに数代さかのぼる浜口灌圃は、紀州の南画家・野呂介石の弟子だったそうだ。 この展覧会は、陽三の銅版画と並べて、南画の精神と響きあう現代の作家たちを紹介するもの。日本画の西久松綾、銅版画の重野克明、現代美術の染谷悠子、詩人で書家の後藤理絵、そして詩人の吉増剛造。詩と書と画の三つをこなしてこそ正統の文人画家、というかつての物差しを、いまの表現にそっと当ててみる試みらしい。会期中には、作家たちのトークに煎茶を添えた「文人風茶会」も企画されたとのこと。江戸の文人の集まりに煎茶は欠かせなかったから、なかなか心憎い趣向だ。 わしも若い頃、柳沢淇園や池大雅に絵の手ほどきを受けた身。野呂介石も大雅に学んだ人やから、浜口家の筆をたどっていくと、上方の文人仲間の輪に行き着くことになる。醤油の家に代々南画の筆が伝わり、それが銅版の黒のなかにまで息づいているとしたら、ほんまに面白い話や。
- 展覧会
- 新しい南画の世界 ―― 浜口陽三と後藤理絵、重野克明、染谷悠子、西久松綾、吉増剛造 ――
- 会場
- ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(東京都中央区日本橋蛎殻町1-35-7)
- 会期
- 2025年7月12日(土)〜9月21日(日)
- 開館時間
- 11:00〜17:00(最終入館16:30) 土日祝は10:00〜17:00(最終入館16:30) 会期中の毎月第3金曜日(7月18日・8月15日・9月19日)は20:00まで開館(最終入館19:30)
- 休館日
- 月曜日(ただし7月21日・8月11日・9月15日は開館) 7月22日・8月12日・9月16日は振替休館 イベント開催のため7月13日午後・7月26日午後・8月2日終日は休館
- 料金
- 大人 600円 / 大学生・高校生 400円 / 中学生以下 無料
- 公式サイト
- https://www.yamasa.com/musee/exhibitions/20250712-0921/
※上記は2026年9月26日時点の情報です。会期・開館時間・料金などは変更される場合があります。お出かけの前に、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
醤油の家に流れる南画の筆——ミュゼ浜口陽三で「新しい南画の世界」
銅版画家・浜口陽三の作品の根っこに、江戸の南画を見る展覧会。浜口家に伝わる南画の系譜をたどりつつ、日本画・銅版画・現代美術・書・詩の現代作家5人が「新しい南画」を探る。
カラーメゾチントの浜口陽三と、江戸の南画。一見つながりそうにない取り合わせだが、美術評論家の洲之内徹は「浜口陽三の仕事の根底には宋元写生画の構図が横たわっている」と書いたという。しかも浜口家は、もともと南画と縁の深い家だった。陽三の父・十代目儀兵衛は小室翠雲に南画を学び、さらに数代さかのぼる浜口灌圃は、紀州の南画家・野呂介石の弟子だったそうだ。 この展覧会は、陽三の銅版画と並べて、南画の精神と響きあう現代の作家たちを紹介するもの。日本画の西久松綾、銅版画の重野克明、現代美術の染谷悠子、詩人で書家の後藤理絵、そして詩人の吉増剛造。詩と書と画の三つをこなしてこそ正統の文人画家、というかつての物差しを、いまの表現にそっと当ててみる試みらしい。会期中には、作家たちのトークに煎茶を添えた「文人風茶会」も企画されたとのこと。江戸の文人の集まりに煎茶は欠かせなかったから、なかなか心憎い趣向だ。 わしも若い頃、柳沢淇園や池大雅に絵の手ほどきを受けた身。野呂介石も大雅に学んだ人やから、浜口家の筆をたどっていくと、上方の文人仲間の輪に行き着くことになる。醤油の家に代々南画の筆が伝わり、それが銅版の黒のなかにまで息づいているとしたら、ほんまに面白い話や。
- 展覧会
- 新しい南画の世界 ―― 浜口陽三と後藤理絵、重野克明、染谷悠子、西久松綾、吉増剛造 ――
- 会場
- ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(東京都中央区日本橋蛎殻町1-35-7)
- 会期
- 2025年7月12日(土)〜9月21日(日)
- 開館時間
- 11:00〜17:00(最終入館16:30) 土日祝は10:00〜17:00(最終入館16:30) 会期中の毎月第3金曜日(7月18日・8月15日・9月19日)は20:00まで開館(最終入館19:30)
- 休館日
- 月曜日(ただし7月21日・8月11日・9月15日は開館) 7月22日・8月12日・9月16日は振替休館 イベント開催のため7月13日午後・7月26日午後・8月2日終日は休館
- 料金
- 大人 600円 / 大学生・高校生 400円 / 中学生以下 無料
- 公式サイト
- https://www.yamasa.com/musee/exhibitions/20250712-0921/
※上記は2026年9月26日時点の情報です。会期・開館時間・料金などは変更される場合があります。お出かけの前に、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
江馬細香
頼山陽に詩を学び、墨竹を得意とした大垣の女流漢詩人・画家。蘭方医・江馬蘭斎の長女
細い竹の葉を、墨一色ですっと描く。江馬細香(1787〜1861)は、墨竹を得意とした幕末の女流漢詩人であり、画家である。生まれは美濃の大垣。父は大垣藩の医師で、江戸で杉田玄白・前野良沢に蘭学を学んだ江馬蘭斎だった。 少女の頃に京都・永観堂の僧玉潾から墨竹を学び、文化10年(1813年)、大垣を訪れた頼山陽と浦上春琴に出会う。以後、詩は山陽に、画は春琴に学んだ。山陽は細香を妻に望んだが、父の蘭斎が断ったと伝わる。細香は生涯独身を通し、山陽が亡くなるまでの18年間に7度、京都の山陽を訪ねて教えを受けた。のちには梁川星巌・紅蘭の夫妻らと詩社「白鴎社」も結んでいる。 繊細で艶のある詩は、死後の1871年に『湘夢遺稿』にまとめられた。展覧会案内で「詩と書と画をこなしてこそ文人画家」という物差しの話が出たが、細香はまさにそれを地で行った人。大垣は蘭学と縁の深い町で、かわら版に出てくる宇田川榕菴も大垣藩医の家の生まれや。細香の墨竹なら、ぜひ一幅、手元に置いてみたいもんやなあ。
江馬細香
頼山陽に詩を学び、墨竹を得意とした大垣の女流漢詩人・画家。蘭方医・江馬蘭斎の長女
細い竹の葉を、墨一色ですっと描く。江馬細香(1787〜1861)は、墨竹を得意とした幕末の女流漢詩人であり、画家である。生まれは美濃の大垣。父は大垣藩の医師で、江戸で杉田玄白・前野良沢に蘭学を学んだ江馬蘭斎だった。 少女の頃に京都・永観堂の僧玉潾から墨竹を学び、文化10年(1813年)、大垣を訪れた頼山陽と浦上春琴に出会う。以後、詩は山陽に、画は春琴に学んだ。山陽は細香を妻に望んだが、父の蘭斎が断ったと伝わる。細香は生涯独身を通し、山陽が亡くなるまでの18年間に7度、京都の山陽を訪ねて教えを受けた。のちには梁川星巌・紅蘭の夫妻らと詩社「白鴎社」も結んでいる。 繊細で艶のある詩は、死後の1871年に『湘夢遺稿』にまとめられた。展覧会案内で「詩と書と画をこなしてこそ文人画家」という物差しの話が出たが、細香はまさにそれを地で行った人。大垣は蘭学と縁の深い町で、かわら版に出てくる宇田川榕菴も大垣藩医の家の生まれや。細香の墨竹なら、ぜひ一幅、手元に置いてみたいもんやなあ。
2025年7月号をお届けします。十返舎一九と蔦屋重三郎の名コンビに光を当てた企画展、宇田川榕庵の化学実験の再現、スウェーデン国立美術館の素描コレクションと、文化と学問の足跡をたどる号になりました。後から特集を三本足しています。倉敷の「受胎告知」が六十六年ぶりに修復に入ったと聞いて、わたしは秋の再公開の日を指折り数えとります。秋成はんには福井の笠原良策を頼んだら、「美談にする前に泥臭さを書け」と、いつもの調子でした。べらぼうは天明の飢饉で米の値が上がり、西鶴はんの筆も心なしか重たそうです。夏本番、知的好奇心を刺激する話題をお楽しみください。
2025年7月号をお届けします。十返舎一九と蔦屋重三郎の名コンビに光を当てた企画展、宇田川榕庵の化学実験の再現、スウェーデン国立美術館の素描コレクションと、文化と学問の足跡をたどる号になりました。後から特集を三本足しています。倉敷の「受胎告知」が六十六年ぶりに修復に入ったと聞いて、わたしは秋の再公開の日を指折り数えとります。秋成はんには福井の笠原良策を頼んだら、「美談にする前に泥臭さを書け」と、いつもの調子でした。べらぼうは天明の飢饉で米の値が上がり、西鶴はんの筆も心なしか重たそうです。夏本番、知的好奇心を刺激する話題をお楽しみください。