「呼んでくれて、ありがとなし」——綾瀬はるかさん、今年も会津藩公行列へ
会津若松が誇る秋の一大絵巻「会津まつり」。綾瀬はるかさんの継続参加と松平家ゆかりの掛け軸寄贈が重なり、熱気に包まれた一ヶ月。
秋風が心地よい九月、陸奥の会津若松がひときわの熱気に包まれた。会津まつり最大の呼び物「会津藩公行列」において、NHK大河ドラマ『八重の桜』で主演を務めた綾瀬はるかさんが、今年もまた特別ゲストとして城下の沿道に姿を現したのだ。「雨降らず良かった。呼んでくれてありがとうなし」と、とびきりの笑顔で会津弁を口にする姿に、沿道を幾重にも埋め尽くした数万の観衆から割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。 大坂の町人たる西鶴のそろばん勘定から眺めても、当代きっての看板女優が十年以上もの長きにわたり、手弁当同然の温かさで毎年地方の祭礼に通い続けるなどというのは、並大抵の興行論では説明がつかん奇跡的な義理堅さである。観光客が全国津々浦々から押し寄せ、宿屋も飲食店も土産物屋も大入り満員、城下全体に落ちる銭の額も莫大やが、この行列の熱気は単なる客寄せや経済効果の数字をはるかに超えている。 さらに今秋の会津は、会津松平家十四代当主・松平保久氏より、江戸時代のお抱え絵師が描いた貴重な掛け軸が市役所新庁舎完成を祝して寄贈されるという嬉しい知らせも重なった。戊辰戦争の敗戦という過酷な悲劇を乗り越え、先祖の誇りと忠義の心を町衆総出で守り抜いてきた会津の人々。その誠実な情理に惹かれ、女優も、旧藩主の末裔も、そして旅人も、引き寄せられるように城下へと集まってくるのだ。「義理と人情に勝る金看板なし」。秋空の下に響く武者行列の鬨の声を聞きながら、人間の絆の温かさに深く感じ入るばかりである。
「呼んでくれて、ありがとなし」——綾瀬はるかさん、今年も会津藩公行列へ
会津若松が誇る秋の一大絵巻「会津まつり」。綾瀬はるかさんの継続参加と松平家ゆかりの掛け軸寄贈が重なり、熱気に包まれた一ヶ月。
秋風が心地よい九月、陸奥の会津若松がひときわの熱気に包まれた。会津まつり最大の呼び物「会津藩公行列」において、NHK大河ドラマ『八重の桜』で主演を務めた綾瀬はるかさんが、今年もまた特別ゲストとして城下の沿道に姿を現したのだ。「雨降らず良かった。呼んでくれてありがとうなし」と、とびきりの笑顔で会津弁を口にする姿に、沿道を幾重にも埋め尽くした数万の観衆から割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こった。 大坂の町人たる西鶴のそろばん勘定から眺めても、当代きっての看板女優が十年以上もの長きにわたり、手弁当同然の温かさで毎年地方の祭礼に通い続けるなどというのは、並大抵の興行論では説明がつかん奇跡的な義理堅さである。観光客が全国津々浦々から押し寄せ、宿屋も飲食店も土産物屋も大入り満員、城下全体に落ちる銭の額も莫大やが、この行列の熱気は単なる客寄せや経済効果の数字をはるかに超えている。 さらに今秋の会津は、会津松平家十四代当主・松平保久氏より、江戸時代のお抱え絵師が描いた貴重な掛け軸が市役所新庁舎完成を祝して寄贈されるという嬉しい知らせも重なった。戊辰戦争の敗戦という過酷な悲劇を乗り越え、先祖の誇りと忠義の心を町衆総出で守り抜いてきた会津の人々。その誠実な情理に惹かれ、女優も、旧藩主の末裔も、そして旅人も、引き寄せられるように城下へと集まってくるのだ。「義理と人情に勝る金看板なし」。秋空の下に響く武者行列の鬨の声を聞きながら、人間の絆の温かさに深く感じ入るばかりである。
反戦歌「いぬふぐり」広がり70年——うたごえ運動が刻んだ平和の歌声
戦後日本の平和願望を歌に乗せて広がった「うたごえ運動」。代表的反戦歌のモデルを辿る報道と、信州・松本で歌い継がれる現代の息吹。
秋の気配が深まる頃、昭和の民衆運動と音楽史の地層を静かに掘り起こす重厚な報道に出会い、深く心を揺さぶられました。朝日新聞が報じたところによれば、戦後日本の平和への祈りを歌に乗せて列島を駆け巡った「うたごえ運動」のなかで、名高い反戦歌「いぬふぐり」が広く歌われ始めてから今年で七十年を迎えたとのことでございます。過酷な戦争の記憶が生々しく残る時代、路傍にひっそりと咲く青い小花に平和の願いを託した歌の誕生の陰に、実在した二人の青年の過酷な運命と友情の足跡があったことが、丹念な取材によって明かされました。 また長野県松本市では、秋の「うたごえの祭典」に向けて中信地区の市民たちが練習会を重ね、世代や地域を超えて歌声を響かせ合っているというニュースも届いております。終戦直後の混乱と廃墟のなか、中央合唱団をはじめとする名もなき人々が職場で、広場で、互いの肩を組み合って歌い始めた「うたごえ」。それは、言論の統制や生活の困窮に抗い、生きる歓びと連帯を確かめ合うための、民衆による魂の叫びでもありました。 歴史といえば、とかく天下人や武将たちの合戦劇、あるいは政治の中枢ばかりに目が向きがちでございます。しかし、名もなき市井の人々が何を願い、どんな歌を口ずさみながら時代を生き抜いてきたのかという「心の歴史」もまた、決して忘れ去られてはならない掛け替えのない文化遺産でございましょう。七十年の時を越えて信州の山河にこだまする歌声に、人間の生の逞しさをしみじみと感じた次第です。
反戦歌「いぬふぐり」広がり70年——うたごえ運動が刻んだ平和の歌声
戦後日本の平和願望を歌に乗せて広がった「うたごえ運動」。代表的反戦歌のモデルを辿る報道と、信州・松本で歌い継がれる現代の息吹。
秋の気配が深まる頃、昭和の民衆運動と音楽史の地層を静かに掘り起こす重厚な報道に出会い、深く心を揺さぶられました。朝日新聞が報じたところによれば、戦後日本の平和への祈りを歌に乗せて列島を駆け巡った「うたごえ運動」のなかで、名高い反戦歌「いぬふぐり」が広く歌われ始めてから今年で七十年を迎えたとのことでございます。過酷な戦争の記憶が生々しく残る時代、路傍にひっそりと咲く青い小花に平和の願いを託した歌の誕生の陰に、実在した二人の青年の過酷な運命と友情の足跡があったことが、丹念な取材によって明かされました。 また長野県松本市では、秋の「うたごえの祭典」に向けて中信地区の市民たちが練習会を重ね、世代や地域を超えて歌声を響かせ合っているというニュースも届いております。終戦直後の混乱と廃墟のなか、中央合唱団をはじめとする名もなき人々が職場で、広場で、互いの肩を組み合って歌い始めた「うたごえ」。それは、言論の統制や生活の困窮に抗い、生きる歓びと連帯を確かめ合うための、民衆による魂の叫びでもありました。 歴史といえば、とかく天下人や武将たちの合戦劇、あるいは政治の中枢ばかりに目が向きがちでございます。しかし、名もなき市井の人々が何を願い、どんな歌を口ずさみながら時代を生き抜いてきたのかという「心の歴史」もまた、決して忘れ去られてはならない掛け替えのない文化遺産でございましょう。七十年の時を越えて信州の山河にこだまする歌声に、人間の生の逞しさをしみじみと感じた次第です。
「道路を制する者が世界を制す」——アケメネス朝ペルシアのインフラ戦略と壮麗なる廃墟
「王の道」が結んだ広大な世界帝国。ダイヤモンド・オンラインが解き明かすアケメネス朝のインフラ戦略と都ペルセポリスの盛衰を、松尾芭蕉が旅のまなざしで辿る。
果てしなき大地を貫く一本の道。旅に生き、道を友として歩んできたわたしにとって、古代オリエントの彼方に拓かれた「王の道」の物語は、ひときわ旅情を掻き立てるものがある。ダイヤモンド・オンラインの連載「地図で学ぶ世界史」が論じたアケメネス朝ペルシアのインフラ戦略は、「道路を制する者が世界を制す」という言葉とともに、古代帝国の知恵と壮大なスケール感をまざまざと甦らせてくれた。 紀元前五世紀、ダレイオス一世が築き上げた「王の道」は、小アジアのスサからサルディスに至る二千数百キロもの距離を、等間隔に配置された宿駅と早馬によってわずか一週間余りで結び抜いたという。砂漠や峻険な山脈を越えて街道を張り巡らせ、物流と軍事、そして情報の伝達を瞬時に統制したこの大動脈こそが、多様な民族と宗教を包摂した史上初のメガ帝国を支える大動脈であった。道を開き、宿場を整え、人を行き交わせることこそが、国家の命脈を保つ最大の力であったのだ。 そしてその道の先、荒涼たる岩山の麓に聳え立つのが、儀式の都ペルセポリスの大宮殿である。しかし、広大な世界を束ねたその栄華も永遠ではなかった。アレクサンドロス大王の遠征軍によって火を放たれ、豪奢を極めた宮殿は灰燼に帰し、いまはただ乾いた風のなかに巨大な石柱とレリーフが沈黙を守るばかりである。道を制して世界を呑み込んだ帝国も、時の移ろいの前には儚い夢の跡にすぎない。熱砂の彼方に佇むペルセポリスの残影に杖を止め、悠久の歴史の無常を思わずにはいられない。
「道路を制する者が世界を制す」——アケメネス朝ペルシアのインフラ戦略と壮麗なる廃墟
「王の道」が結んだ広大な世界帝国。ダイヤモンド・オンラインが解き明かすアケメネス朝のインフラ戦略と都ペルセポリスの盛衰を、松尾芭蕉が旅のまなざしで辿る。
果てしなき大地を貫く一本の道。旅に生き、道を友として歩んできたわたしにとって、古代オリエントの彼方に拓かれた「王の道」の物語は、ひときわ旅情を掻き立てるものがある。ダイヤモンド・オンラインの連載「地図で学ぶ世界史」が論じたアケメネス朝ペルシアのインフラ戦略は、「道路を制する者が世界を制す」という言葉とともに、古代帝国の知恵と壮大なスケール感をまざまざと甦らせてくれた。 紀元前五世紀、ダレイオス一世が築き上げた「王の道」は、小アジアのスサからサルディスに至る二千数百キロもの距離を、等間隔に配置された宿駅と早馬によってわずか一週間余りで結び抜いたという。砂漠や峻険な山脈を越えて街道を張り巡らせ、物流と軍事、そして情報の伝達を瞬時に統制したこの大動脈こそが、多様な民族と宗教を包摂した史上初のメガ帝国を支える大動脈であった。道を開き、宿場を整え、人を行き交わせることこそが、国家の命脈を保つ最大の力であったのだ。 そしてその道の先、荒涼たる岩山の麓に聳え立つのが、儀式の都ペルセポリスの大宮殿である。しかし、広大な世界を束ねたその栄華も永遠ではなかった。アレクサンドロス大王の遠征軍によって火を放たれ、豪奢を極めた宮殿は灰燼に帰し、いまはただ乾いた風のなかに巨大な石柱とレリーフが沈黙を守るばかりである。道を制して世界を呑み込んだ帝国も、時の移ろいの前には儚い夢の跡にすぎない。熱砂の彼方に佇むペルセポリスの残影に杖を止め、悠久の歴史の無常を思わずにはいられない。
十返舎一九に井上芳雄、北斎にくっきー!、馬琴に津田健次郎。『べらぼう』最終章の顔ぶれ決まる、9月は「地獄に京伝」と出版統制の嵐
大河『べらぼう』の最終章に登場する若き日の十返舎一九、葛飾北斎、曲亭馬琴の配役が発表された。本編では松平定信の締め付けが強まり、山東京伝が「善玉・悪玉」の新境地を切り開く。
役者がそろうと、芝居小屋の木戸銭は上がるもんや。ナタリーやシネマトゥデイによれば、『べらぼう』の最終章に、のちの十返舎一九役で井上芳雄さん、のちの曲亭馬琴役で津田健次郎さん、そして葛飾北斎役でお笑いの「野性爆弾」のくっきー!さんが出ることになった。ミュージカルの看板役者に、声の仕事で鳴らす人、それにお笑いの奇才。蔦重が最後に世に送り出す才人たちを、ずいぶん毛色の違う顔ぶれで固めたもんや。版元の目利きぶりを、配役でも見せようという趣向やろう。 本編のほうは、出版にとって冬の時代や。美術展ナビの第37回「地獄に京伝」の回想によれば、山東京伝が「善玉・悪玉」という新しい作品世界を生み出した一方で、恋川春町の死を無駄にできないと誓う蔦重と、松平定信の目指す方向は真逆だという。Wedge ONLINEは、手鎖の刑を受けた歌麿、狂歌を捨てた大田南畝と、出版統制にさらされた戯作者たちの運命をまとめている。売れるものを作るほど、お上ににらまれる。これほど商売しにくい時代もない。 その定信も、敵を増やしていた。東洋経済オンラインによれば、光格天皇が父の閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとした「尊号事件」で、定信は反感を買うのを承知で尊号宣下を拒んだ。筋は通すが、人の気持ちは勘定に入れん。定信という人は、そういうお人やったらしい。 Japaaanは、鳥山石燕が最期に見た「雷獣」の正体を、平賀源内の化身ではないかと読み解いている。源内の幻を見ながら石燕が逝き、その弟子の歌麿が美人画で天下をとる。銭勘定とは無縁の、こういう筋立てもまたええ。最終章の顔ぶれが出そろった今、蔦重の店の帳簿が最後にどう締まるのか、わしは最後まで見届けるつもりや。
十返舎一九に井上芳雄、北斎にくっきー!、馬琴に津田健次郎。『べらぼう』最終章の顔ぶれ決まる、9月は「地獄に京伝」と出版統制の嵐
大河『べらぼう』の最終章に登場する若き日の十返舎一九、葛飾北斎、曲亭馬琴の配役が発表された。本編では松平定信の締め付けが強まり、山東京伝が「善玉・悪玉」の新境地を切り開く。
役者がそろうと、芝居小屋の木戸銭は上がるもんや。ナタリーやシネマトゥデイによれば、『べらぼう』の最終章に、のちの十返舎一九役で井上芳雄さん、のちの曲亭馬琴役で津田健次郎さん、そして葛飾北斎役でお笑いの「野性爆弾」のくっきー!さんが出ることになった。ミュージカルの看板役者に、声の仕事で鳴らす人、それにお笑いの奇才。蔦重が最後に世に送り出す才人たちを、ずいぶん毛色の違う顔ぶれで固めたもんや。版元の目利きぶりを、配役でも見せようという趣向やろう。 本編のほうは、出版にとって冬の時代や。美術展ナビの第37回「地獄に京伝」の回想によれば、山東京伝が「善玉・悪玉」という新しい作品世界を生み出した一方で、恋川春町の死を無駄にできないと誓う蔦重と、松平定信の目指す方向は真逆だという。Wedge ONLINEは、手鎖の刑を受けた歌麿、狂歌を捨てた大田南畝と、出版統制にさらされた戯作者たちの運命をまとめている。売れるものを作るほど、お上ににらまれる。これほど商売しにくい時代もない。 その定信も、敵を増やしていた。東洋経済オンラインによれば、光格天皇が父の閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとした「尊号事件」で、定信は反感を買うのを承知で尊号宣下を拒んだ。筋は通すが、人の気持ちは勘定に入れん。定信という人は、そういうお人やったらしい。 Japaaanは、鳥山石燕が最期に見た「雷獣」の正体を、平賀源内の化身ではないかと読み解いている。源内の幻を見ながら石燕が逝き、その弟子の歌麿が美人画で天下をとる。銭勘定とは無縁の、こういう筋立てもまたええ。最終章の顔ぶれが出そろった今、蔦重の店の帳簿が最後にどう締まるのか、わしは最後まで見届けるつもりや。
モフモフの虎から国宝まで。「円山応挙―革新者から巨匠へ」が三井記念美術館で開幕、新発見の応挙・若冲の合作屏風も東京初公開
江戸時代の京都で写生画の一派を開いた円山応挙の展覧会が、東京・日本橋の三井記念美術館で始まった。重要文化財「遊虎図」や、新たに見つかった若冲との合作屏風が並ぶ。
応挙の描く子犬を見て、頬がゆるまん人はおらんやろう。美術展ナビによれば、三井記念美術館の開館20周年を記念する特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」が、9月26日から11月24日まで開かれている。見出しには「モフモフの虎や子犬から国宝まで」とある。 サライ.jpによれば、目玉の一つは重要文化財の「遊虎図」。応挙は本物の虎を見たことがなかったと言われるけれど、毛皮を手がかりに描いた虎は、毛並みの一本一本まで迫ってくる。どこか猫のような愛嬌があるのも、応挙の虎の面白いところや。見出しにある「国宝」は、三井記念美術館が誇る「雪松図屏風」のことやろう。紙の白をそのまま雪に見立てた、あの松の屏風や。 話題をさらっているのが、美術展ナビのプレビューが伝える、新たに見つかった応挙と伊藤若冲の合作屏風の東京初公開や。同じ京の町で、同じころに活躍した二人。写生の応挙と、奇想の若冲。片や見たとおりに描き、片や見たこともない世界を描く。その二人が一つの屏風に並ぶというのは、ほんまに夢のような取り合わせやで。 Precious.jpは、日本美術ブームのいま、応挙の「真価を問う」展覧会と位置づけている。応挙は、あまりにうまいがゆえに、若冲や蕭白のような奇想の画家に比べて「優等生」と軽く見られがちやった。けれど、写生という当たり前を最初に当たり前にしたのは応挙や。展覧会の副題「革新者から巨匠へ」は、その順番をちゃんと思い出させてくれる。 わたしと同じ時代、すぐ隣の京の町で、こういう絵師が筆をふるっとった。そう思うと、なんや誇らしいような、悔しいような気持ちになる。手元に一幅あったらと思うのは、収集家の悪い癖や。
モフモフの虎から国宝まで。「円山応挙―革新者から巨匠へ」が三井記念美術館で開幕、新発見の応挙・若冲の合作屏風も東京初公開
江戸時代の京都で写生画の一派を開いた円山応挙の展覧会が、東京・日本橋の三井記念美術館で始まった。重要文化財「遊虎図」や、新たに見つかった若冲との合作屏風が並ぶ。
応挙の描く子犬を見て、頬がゆるまん人はおらんやろう。美術展ナビによれば、三井記念美術館の開館20周年を記念する特別展「円山応挙―革新者から巨匠へ」が、9月26日から11月24日まで開かれている。見出しには「モフモフの虎や子犬から国宝まで」とある。 サライ.jpによれば、目玉の一つは重要文化財の「遊虎図」。応挙は本物の虎を見たことがなかったと言われるけれど、毛皮を手がかりに描いた虎は、毛並みの一本一本まで迫ってくる。どこか猫のような愛嬌があるのも、応挙の虎の面白いところや。見出しにある「国宝」は、三井記念美術館が誇る「雪松図屏風」のことやろう。紙の白をそのまま雪に見立てた、あの松の屏風や。 話題をさらっているのが、美術展ナビのプレビューが伝える、新たに見つかった応挙と伊藤若冲の合作屏風の東京初公開や。同じ京の町で、同じころに活躍した二人。写生の応挙と、奇想の若冲。片や見たとおりに描き、片や見たこともない世界を描く。その二人が一つの屏風に並ぶというのは、ほんまに夢のような取り合わせやで。 Precious.jpは、日本美術ブームのいま、応挙の「真価を問う」展覧会と位置づけている。応挙は、あまりにうまいがゆえに、若冲や蕭白のような奇想の画家に比べて「優等生」と軽く見られがちやった。けれど、写生という当たり前を最初に当たり前にしたのは応挙や。展覧会の副題「革新者から巨匠へ」は、その順番をちゃんと思い出させてくれる。 わたしと同じ時代、すぐ隣の京の町で、こういう絵師が筆をふるっとった。そう思うと、なんや誇らしいような、悔しいような気持ちになる。手元に一幅あったらと思うのは、収集家の悪い癖や。
岩宿の発見者・相沢忠洋が映画に、主演は藤原季節さん。相沢さんが掘った前橋の枡形遺跡でも、半世紀ぶりの発掘が行われた
日本に旧石器時代があったことを明らかにした相沢忠洋を描く映画「赤土に眠る」の制作が決まった。前橋市の枡形遺跡では、相沢さんを慕う研究者が半世紀ぶりに発掘を行い、成果を伝えた。
関東ローム層の赤い土は、長いあいだ、人の暮らしとは無縁の火山灰だと思われていた。その思い込みを覆したのが、行商をしながら石器を拾い集めた一人の青年、相沢忠洋である。上毛新聞や東京新聞によれば、群馬県みどり市の市制20周年を記念して、相沢さんを題材にした映画「赤土に眠る」が作られることになった。相沢さんを演じるのは俳優の藤原季節さんで、岩宿で槍先形尖頭器を見つけるまでを描くという。劇場公開は2027年3月の予定だそうだ。日刊スポーツによれば、藤原さんは役づくりのために自転車で群馬へ向かったという。自転車で各地を回って石器を探した相沢さんの足取りを、身をもってたどろうとしたのだろう。 映画の知らせと前後して、もう一つの便りがあった。上毛新聞によれば、相沢さんが発掘した前橋市の枡形遺跡を、愛知学院大学の長井准教授が半世紀ぶりに調査し、9月7日に現地説明会を開いた。「考古学の聖地」とも呼ばれる場所で、相沢さんを慕って旧石器の調査に取り組んでいるという。調査の成果は、地元に向けて伝えられた。 相沢さんが岩宿で石器を見つけたのは、終戦からまもない1940年代のことである。学歴も肩書きもない青年の発見は、はじめは十分に認められなかった。それでも、赤土の崖に通い続けた。わたしも旅の途中で関東の台地を歩いたことがあるが、畑の向こうに赤い切り通しが見えるたび、あの土の中に何万年も前の人の手の跡が眠っているのかと、足を止めずにはいられない。 映画のタイトルにある「赤土」は、相沢さんの人生そのものだ。誰にも見向きもされなかった土の中から、日本列島の歴史を一気に何万年もさかのぼらせた。半世紀ぶりに鍬が入った枡形遺跡の土もまた、その志を受け継ぐ人の手で、新しい言葉を語り始めている。
岩宿の発見者・相沢忠洋が映画に、主演は藤原季節さん。相沢さんが掘った前橋の枡形遺跡でも、半世紀ぶりの発掘が行われた
日本に旧石器時代があったことを明らかにした相沢忠洋を描く映画「赤土に眠る」の制作が決まった。前橋市の枡形遺跡では、相沢さんを慕う研究者が半世紀ぶりに発掘を行い、成果を伝えた。
関東ローム層の赤い土は、長いあいだ、人の暮らしとは無縁の火山灰だと思われていた。その思い込みを覆したのが、行商をしながら石器を拾い集めた一人の青年、相沢忠洋である。上毛新聞や東京新聞によれば、群馬県みどり市の市制20周年を記念して、相沢さんを題材にした映画「赤土に眠る」が作られることになった。相沢さんを演じるのは俳優の藤原季節さんで、岩宿で槍先形尖頭器を見つけるまでを描くという。劇場公開は2027年3月の予定だそうだ。日刊スポーツによれば、藤原さんは役づくりのために自転車で群馬へ向かったという。自転車で各地を回って石器を探した相沢さんの足取りを、身をもってたどろうとしたのだろう。 映画の知らせと前後して、もう一つの便りがあった。上毛新聞によれば、相沢さんが発掘した前橋市の枡形遺跡を、愛知学院大学の長井准教授が半世紀ぶりに調査し、9月7日に現地説明会を開いた。「考古学の聖地」とも呼ばれる場所で、相沢さんを慕って旧石器の調査に取り組んでいるという。調査の成果は、地元に向けて伝えられた。 相沢さんが岩宿で石器を見つけたのは、終戦からまもない1940年代のことである。学歴も肩書きもない青年の発見は、はじめは十分に認められなかった。それでも、赤土の崖に通い続けた。わたしも旅の途中で関東の台地を歩いたことがあるが、畑の向こうに赤い切り通しが見えるたび、あの土の中に何万年も前の人の手の跡が眠っているのかと、足を止めずにはいられない。 映画のタイトルにある「赤土」は、相沢さんの人生そのものだ。誰にも見向きもされなかった土の中から、日本列島の歴史を一気に何万年もさかのぼらせた。半世紀ぶりに鍬が入った枡形遺跡の土もまた、その志を受け継ぐ人の手で、新しい言葉を語り始めている。
井上青龍
大阪・釜ヶ崎の路地と人々を撮り続け、奄美群島で撮影中に世を去った写真家
通天閣にほど近い、日雇いの労働者が暮らす簡易宿所の町・釜ヶ崎。その路地と人々を撮り続けた写真家がいる。井上青龍(1931〜1988)である。かわら版で清里の写真美術館が20世紀の写真史をたどる展示を開くと聞いたので、日本の写真史から一人紹介しておきたい。 高知県土佐市の生まれで、1951年から大阪の写真家・岩宮武二に師事した。のちに名を上げる森山大道は、同じ岩宮門下の弟弟子にあたる。釜ヶ崎に通い詰めて撮った「人間百景—釜ヶ崎」で、1961年に日本写真批評家協会の新人賞とカメラ芸術新人賞を受けた。高度成長のただ中で、光の当たりにくい町の暮らしを正面から見つめた仕事である。 1976年からは大阪芸術大学の写真学科で教え、1987年には教授となったが、翌1988年、奄美群島での撮影中に波にさらわれて亡くなった。57歳やった。大坂に暮らす身としては、あの町の昔の顔を写真で見られるのはありがたい話で、写真集の一冊ぐらいは棚に並べておきたいもんやなあ。
井上青龍
大阪・釜ヶ崎の路地と人々を撮り続け、奄美群島で撮影中に世を去った写真家
通天閣にほど近い、日雇いの労働者が暮らす簡易宿所の町・釜ヶ崎。その路地と人々を撮り続けた写真家がいる。井上青龍(1931〜1988)である。かわら版で清里の写真美術館が20世紀の写真史をたどる展示を開くと聞いたので、日本の写真史から一人紹介しておきたい。 高知県土佐市の生まれで、1951年から大阪の写真家・岩宮武二に師事した。のちに名を上げる森山大道は、同じ岩宮門下の弟弟子にあたる。釜ヶ崎に通い詰めて撮った「人間百景—釜ヶ崎」で、1961年に日本写真批評家協会の新人賞とカメラ芸術新人賞を受けた。高度成長のただ中で、光の当たりにくい町の暮らしを正面から見つめた仕事である。 1976年からは大阪芸術大学の写真学科で教え、1987年には教授となったが、翌1988年、奄美群島での撮影中に波にさらわれて亡くなった。57歳やった。大坂に暮らす身としては、あの町の昔の顔を写真で見られるのはありがたい話で、写真集の一冊ぐらいは棚に並べておきたいもんやなあ。
2025年9月号をお届けします。秋の会津を彩る藩公行列と綾瀬はるかさん、昭和の平和を歌に乗せた「うたごえ運動」、遠くアケメネス朝ペルシアの道と都と、時代も土地も大きくまたぐ号になりました。後から特集を三本足しています。日本橋の応挙展は、子犬の絵の前で頬がゆるむのを止められず、隣の京にこんな絵師がおったことが今さらながら誇らしい。芭蕉翁は岩宿の相沢さんの映画の話を書きながら、「赤土の崖を見ると足が止まる」と言うて、ほんまに筆まで止まっとりました。べらぼうは最終章の顔ぶれが出そろって、西鶴はんは一九に北斎に馬琴と聞いただけで、もう原稿料の勘定を始めとります。秋の夜長のお供にどうぞ。
2025年9月号をお届けします。秋の会津を彩る藩公行列と綾瀬はるかさん、昭和の平和を歌に乗せた「うたごえ運動」、遠くアケメネス朝ペルシアの道と都と、時代も土地も大きくまたぐ号になりました。後から特集を三本足しています。日本橋の応挙展は、子犬の絵の前で頬がゆるむのを止められず、隣の京にこんな絵師がおったことが今さらながら誇らしい。芭蕉翁は岩宿の相沢さんの映画の話を書きながら、「赤土の崖を見ると足が止まる」と言うて、ほんまに筆まで止まっとりました。べらぼうは最終章の顔ぶれが出そろって、西鶴はんは一九に北斎に馬琴と聞いただけで、もう原稿料の勘定を始めとります。秋の夜長のお供にどうぞ。