立ち食いそばを頬張る米兵、銀座の露天商——カラー写真で蘇る「占領下のリアル」
文春オンラインが公開した貴重カラー写真。皇居前を行進する米軍戦車からマッカーサーを待つ女性軍人まで、占領期の空気感を追う。
敗戦の焼け野原からわずか数年、世の移り変わりというものは恐ろしくも早いが、人間が生きるための商魂と食い気はそれ以上に逞しい。文春オンラインが公開した「占領下の日本」の貴重なカラー写真の数々を眺めながら、思わずそう膝を打った。終戦直後、進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の将兵たちが自前のカメラでフィルムに焼き付けた昭和二十年代初頭の街並み。白黒の記録映像では伝わらなかった、泥臭くも鮮やかな人間の息遣いが、七十年以上の時を越えて生々しく立ち上がってくる。 ひときわ目を引くのは、屋台の立ち食いそばを珍しそうに、しかもうまそうに頬張る大柄な米兵の姿だ。箸の使い方もおぼつかない占領軍の兵士に、熱いどんぶりを差し出して手早く小銭を巻き上げる屋台の親父。銀座の往来にはいまの華やかなビル街からは想像もつかない露天商がずらりと並び、生きるために何でも売り捌こうとする凄まじい熱気に満ちている。「勝った負けた」の軍事劇の足元で、逞しくそろばんを弾き、米兵相手の商売で日々の糧を稼ぎ出そうとする町衆の生命力は、浮世草子を書いてきた西鶴から見ても見事というほかない。 むろん、皇居前にずらりと並んだ米軍の戦車や装甲車が地響きを立てる「占領軍パレード」、第一生命館の前でマッカーサー元帥の車を待ちわびる女性軍人の姿など、国の主権を他国に握られていた冷酷な現実はカラーの画面からも強烈に匂い立つ。だが、その軍靴の響きのすぐ隣で、民衆は腹を満たし、商いを開き、明日を生きようとしていた。白黒の公文書が語る歴史の陰に隠れた「生きるための算盤勘定」。カラーフィルムに刻まれた雑踏のざわめきこそが、敗戦から復興へと這い上がった庶民の本当の底力を物語っている。
立ち食いそばを頬張る米兵、銀座の露天商——カラー写真で蘇る「占領下のリアル」
文春オンラインが公開した貴重カラー写真。皇居前を行進する米軍戦車からマッカーサーを待つ女性軍人まで、占領期の空気感を追う。
敗戦の焼け野原からわずか数年、世の移り変わりというものは恐ろしくも早いが、人間が生きるための商魂と食い気はそれ以上に逞しい。文春オンラインが公開した「占領下の日本」の貴重なカラー写真の数々を眺めながら、思わずそう膝を打った。終戦直後、進駐してきたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の将兵たちが自前のカメラでフィルムに焼き付けた昭和二十年代初頭の街並み。白黒の記録映像では伝わらなかった、泥臭くも鮮やかな人間の息遣いが、七十年以上の時を越えて生々しく立ち上がってくる。 ひときわ目を引くのは、屋台の立ち食いそばを珍しそうに、しかもうまそうに頬張る大柄な米兵の姿だ。箸の使い方もおぼつかない占領軍の兵士に、熱いどんぶりを差し出して手早く小銭を巻き上げる屋台の親父。銀座の往来にはいまの華やかなビル街からは想像もつかない露天商がずらりと並び、生きるために何でも売り捌こうとする凄まじい熱気に満ちている。「勝った負けた」の軍事劇の足元で、逞しくそろばんを弾き、米兵相手の商売で日々の糧を稼ぎ出そうとする町衆の生命力は、浮世草子を書いてきた西鶴から見ても見事というほかない。 むろん、皇居前にずらりと並んだ米軍の戦車や装甲車が地響きを立てる「占領軍パレード」、第一生命館の前でマッカーサー元帥の車を待ちわびる女性軍人の姿など、国の主権を他国に握られていた冷酷な現実はカラーの画面からも強烈に匂い立つ。だが、その軍靴の響きのすぐ隣で、民衆は腹を満たし、商いを開き、明日を生きようとしていた。白黒の公文書が語る歴史の陰に隠れた「生きるための算盤勘定」。カラーフィルムに刻まれた雑踏のざわめきこそが、敗戦から復興へと這い上がった庶民の本当の底力を物語っている。
首都の変遷で理解するペルシャ4000年——ペルセポリスからテヘランまでの足跡
アゴラ言論プラットフォームが解き明かすイランの地政学と歴史的誇り。古代アケメネス朝から現代に至る国家の神髄。
現代の国際政治において中東イランが報じられるとき、多くの言説は「革命防衛隊」や「核開発」、あるいは欧米諸国との鋭い対立といった近視眼的な枠組みに終始しがちである。だが、そうした皮相な現代的視座だけでは、かの国の底流にある強烈な自負と行動原理の本質を見誤るほかない。言論プラットフォーム・アゴラが投げかけた「首都の変遷から理解するペルシャ四千年の歴史」という論考は、歴史の地層を巨視的に掘り起こすことの重要性を痛感させる好論であった。 紀元前六世紀、キュロス二世やダレイオス一世が築いたアケメネス朝ペルシアの儀式首都ペルセポリス。広大なオリエントを束ね、多様な民族と宗教を巧みに統御した大帝国の威容は、いまなお壮麗な石柱の遺跡に刻まれている。その後、パルティアやササン朝を経てイスラム化が進み、セルジューク朝やサファヴィー朝、そして近代ガージャール朝に至るまで、ペルシャの地では王朝の興亡とともに首都が移り変わり、十八世紀末に現在のテヘランへと定着した。都の位置が北へ南へと動く背後には、ユーラシア大陸を東西に走るシルクロードの交易路と、遊牧民や列強の侵略に抗い続けた過酷な地政学的条件が存在したのである。 歴史をひもとけば、彼らはギリシャ、ローマ、モンゴル、そして近代西欧といった幾多の異民族の侵略に晒されながらも、その都度、侵略者の文化を呑み込み、自らのペルシャ文明の枠内へと同化・昇華させてきた不屈の記憶を持つ。現代のテヘランが放つ強硬な姿勢の根底にも、四千年にわたる帝国文明の記憶と、大国としての誇りが脈打っているのだ。通俗的なニュースの表層に踊らされることなく、長い時間の軸に照らして歴史の実相を見極めること。これこそが、古文書や古典を読む考証の道に通じる眼目である。
首都の変遷で理解するペルシャ4000年——ペルセポリスからテヘランまでの足跡
アゴラ言論プラットフォームが解き明かすイランの地政学と歴史的誇り。古代アケメネス朝から現代に至る国家の神髄。
現代の国際政治において中東イランが報じられるとき、多くの言説は「革命防衛隊」や「核開発」、あるいは欧米諸国との鋭い対立といった近視眼的な枠組みに終始しがちである。だが、そうした皮相な現代的視座だけでは、かの国の底流にある強烈な自負と行動原理の本質を見誤るほかない。言論プラットフォーム・アゴラが投げかけた「首都の変遷から理解するペルシャ四千年の歴史」という論考は、歴史の地層を巨視的に掘り起こすことの重要性を痛感させる好論であった。 紀元前六世紀、キュロス二世やダレイオス一世が築いたアケメネス朝ペルシアの儀式首都ペルセポリス。広大なオリエントを束ね、多様な民族と宗教を巧みに統御した大帝国の威容は、いまなお壮麗な石柱の遺跡に刻まれている。その後、パルティアやササン朝を経てイスラム化が進み、セルジューク朝やサファヴィー朝、そして近代ガージャール朝に至るまで、ペルシャの地では王朝の興亡とともに首都が移り変わり、十八世紀末に現在のテヘランへと定着した。都の位置が北へ南へと動く背後には、ユーラシア大陸を東西に走るシルクロードの交易路と、遊牧民や列強の侵略に抗い続けた過酷な地政学的条件が存在したのである。 歴史をひもとけば、彼らはギリシャ、ローマ、モンゴル、そして近代西欧といった幾多の異民族の侵略に晒されながらも、その都度、侵略者の文化を呑み込み、自らのペルシャ文明の枠内へと同化・昇華させてきた不屈の記憶を持つ。現代のテヘランが放つ強硬な姿勢の根底にも、四千年にわたる帝国文明の記憶と、大国としての誇りが脈打っているのだ。通俗的なニュースの表層に踊らされることなく、長い時間の軸に照らして歴史の実相を見極めること。これこそが、古文書や古典を読む考証の道に通じる眼目である。
187枚に写った幕末の長崎——「日本初のプロカメラマン」上野彦馬の写真帖、重要文化財へ
幕末の長崎で写真館を開いた上野彦馬。その写真館が撮った187枚を収めた「上野撮影局写真帖」が、国の重要文化財に指定されることになった。武士や民衆、外国人、居留地の風景が、160年前の長崎をいまに伝える。
最後の旅で、わたしは長崎をめざしていたと言われる。その道は大坂で尽きたが、もしあの町にたどり着いていたら、どんな景色を句に留めただろう。その長崎の160年前の姿を、句ではなく光で留めた一冊が、国の宝になろうとしている。 文化審議会は3月26日、「上野撮影局写真帖」を国の重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。上野撮影局は、上野彦馬(1838〜1904)が1862年に長崎の中島川沿いで開いた、日本でもごく早い時期の写真館だ。 写真帖は縦26.7センチ、横32.4センチ。48枚の台紙に、名刺判やキャビネ判、大判の写真あわせて187枚が貼られている。撮影は主に1864年から67年ごろとされ、写真館で撮られた武士や民衆、外国人の肖像が大半を占める。外国人居留地や大浦天主堂など、長崎の風景写真も収められている。長崎市の個人が所有しており、文化審議会は「写真史上、科学技術史上のみならず、幕末の長崎の景観が記録されていて価値が高い」と評価した。指定されれば、県内の国の重要文化財(美術工芸品)は37件になるという。 彦馬は長崎の蘭学者・上野俊之丞の子として生まれた。1858年ごろから舎密(化学)を学び、オランダの書物や、写真家ピエール・ロシエの手ほどきで湿板写真の技を身につけた。写真は、光を写し取る化学でもあったわけだ。坂本龍馬や高杉晋作ら、幕末の志士の肖像を撮ったことでも知られ、1877年には西南戦争の戦跡も撮影している。 句は、目に映った一瞬を十七音に閉じ込める。写真もまた、光の一瞬を板に閉じ込める術だ。ただ、句が詠み手の心を通してしか景色を残せないのに対し、写真には、撮った者も気づかなかった路地の影や、名もない人の着物の柄までが写り込む。187枚に並ぶ民衆の顔は、どんな旅日記よりも正直に、あの時代の空気を伝えているのだろう。 同じ号で西鶴さんが占領下のカラー写真を取り上げているが、写真が歴史の証人になるという点では、160年前の一冊も変わらない。いつか長崎の坂を上り下りしながら、写真帖に写った町角を探して歩いてみたい。
187枚に写った幕末の長崎——「日本初のプロカメラマン」上野彦馬の写真帖、重要文化財へ
幕末の長崎で写真館を開いた上野彦馬。その写真館が撮った187枚を収めた「上野撮影局写真帖」が、国の重要文化財に指定されることになった。武士や民衆、外国人、居留地の風景が、160年前の長崎をいまに伝える。
最後の旅で、わたしは長崎をめざしていたと言われる。その道は大坂で尽きたが、もしあの町にたどり着いていたら、どんな景色を句に留めただろう。その長崎の160年前の姿を、句ではなく光で留めた一冊が、国の宝になろうとしている。 文化審議会は3月26日、「上野撮影局写真帖」を国の重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。上野撮影局は、上野彦馬(1838〜1904)が1862年に長崎の中島川沿いで開いた、日本でもごく早い時期の写真館だ。 写真帖は縦26.7センチ、横32.4センチ。48枚の台紙に、名刺判やキャビネ判、大判の写真あわせて187枚が貼られている。撮影は主に1864年から67年ごろとされ、写真館で撮られた武士や民衆、外国人の肖像が大半を占める。外国人居留地や大浦天主堂など、長崎の風景写真も収められている。長崎市の個人が所有しており、文化審議会は「写真史上、科学技術史上のみならず、幕末の長崎の景観が記録されていて価値が高い」と評価した。指定されれば、県内の国の重要文化財(美術工芸品)は37件になるという。 彦馬は長崎の蘭学者・上野俊之丞の子として生まれた。1858年ごろから舎密(化学)を学び、オランダの書物や、写真家ピエール・ロシエの手ほどきで湿板写真の技を身につけた。写真は、光を写し取る化学でもあったわけだ。坂本龍馬や高杉晋作ら、幕末の志士の肖像を撮ったことでも知られ、1877年には西南戦争の戦跡も撮影している。 句は、目に映った一瞬を十七音に閉じ込める。写真もまた、光の一瞬を板に閉じ込める術だ。ただ、句が詠み手の心を通してしか景色を残せないのに対し、写真には、撮った者も気づかなかった路地の影や、名もない人の着物の柄までが写り込む。187枚に並ぶ民衆の顔は、どんな旅日記よりも正直に、あの時代の空気を伝えているのだろう。 同じ号で西鶴さんが占領下のカラー写真を取り上げているが、写真が歴史の証人になるという点では、160年前の一冊も変わらない。いつか長崎の坂を上り下りしながら、写真帖に写った町角を探して歩いてみたい。
前野良沢
『解体新書』を訳破しながら自らの名は伏せたストイックな蘭学者。「蘭学の化け物」の気骨
3月号の「こんな人」は、中津藩医にして『解体新書』の真の主幹翻訳者・前野良沢(1723〜1803)を取り上げたい。 杉田玄白らとともにオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を翻訳した大功労者だが、完成時に出版された『解体新書』の著者名に良沢の名はない。玄白が名声を一身に浴びたのに対し、良沢は「まだ不完全な訳本であり、天下に問うには恥ずかしい」として自ら署名を辞退したという。玄白が後に『蘭学事始』で「蘭学の化け物」と最大級の敬意をもって語ったように、語学への求道心と厳格な考証精神は鬼気迫るものがあった。流行や名声に背を向け、ただ学問の真実を追った孤高の学者の姿は、もっと知られていい。
前野良沢
『解体新書』を訳破しながら自らの名は伏せたストイックな蘭学者。「蘭学の化け物」の気骨
3月号の「こんな人」は、中津藩医にして『解体新書』の真の主幹翻訳者・前野良沢(1723〜1803)を取り上げたい。 杉田玄白らとともにオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を翻訳した大功労者だが、完成時に出版された『解体新書』の著者名に良沢の名はない。玄白が名声を一身に浴びたのに対し、良沢は「まだ不完全な訳本であり、天下に問うには恥ずかしい」として自ら署名を辞退したという。玄白が後に『蘭学事始』で「蘭学の化け物」と最大級の敬意をもって語ったように、語学への求道心と厳格な考証精神は鬼気迫るものがあった。流行や名声に背を向け、ただ学問の真実を追った孤高の学者の姿は、もっと知られていい。
立ち食いの そば啜る兵 モノクロの 記憶が色づく 春の陽だまり
─ 銀座のすずめ ─
立ち食いの そば啜る兵 モノクロの 記憶が色づく 春の陽だまり
─ 銀座のすずめ ─
弥生の風に梅の香りが漂い、ようやく春めいてまいりました。今号はGHQ占領下の生々しい熱気を伝える貴重なカラー写真をはじめ、四千年の興亡を首都の変遷から解き明かしたペルシャ史、さらには幕末の長崎を光で留めた上野彦馬の写真帖、そして名利を捨てて学問の真理を追った蘭学者・前野良沢の気骨まで、古今東西の知のドラマが凝縮された一冊となりました。写真一枚、古文書の一行から、時を隔てた人間の息遣いが鮮やかに立ち上がってくる瞬間は、いつの世も好奇心を刺激してやまないものでございます。花冷えの折、皆様どうぞ暖かくして歴史の思索をお楽しみください。(木村蒹葭堂)
弥生の風に梅の香りが漂い、ようやく春めいてまいりました。今号はGHQ占領下の生々しい熱気を伝える貴重なカラー写真をはじめ、四千年の興亡を首都の変遷から解き明かしたペルシャ史、さらには幕末の長崎を光で留めた上野彦馬の写真帖、そして名利を捨てて学問の真理を追った蘭学者・前野良沢の気骨まで、古今東西の知のドラマが凝縮された一冊となりました。写真一枚、古文書の一行から、時を隔てた人間の息遣いが鮮やかに立ち上がってくる瞬間は、いつの世も好奇心を刺激してやまないものでございます。花冷えの折、皆様どうぞ暖かくして歴史の思索をお楽しみください。(木村蒹葭堂)