1949年4月23日、GHQが単一為替レート1ドル=360円に決定——戦後日本経済の起点
トウシルや日刊ゲンダイが振り返る昭和経済史。単一為替レートの導入とGHQ検閲下での元軍人たちの本音。
大坂の北浜や堂島の昔を思えば、米相場や金銀の引替レート一つで天下の景気が一喜一憂したものでございます。昭和経済史を振り返るうえで、まさに天下の命運を定めた決定的一瞬として語り継がれるのが、1949年(昭和24年)4月23日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が発令した「単一為替レート1ドル=360円」の決定でございましょう。トウシルが伝える経済史の記事を読みながら、戦後復興の分水嶺となったあの春の緊張感に思いを馳せました。 敗戦直後の日本は、物資の窮乏と悪性インフレの嵐に見舞われ、品目ごとに数十から数百種類もの複雑怪奇な複数為替レートが乱立する有様でした。それをデトロイト銀行頭取ジョゼフ・ドッジが打ち出した緊縮策(ドッジ・ライン)のもと、円の価値を一刀両断に「一ドル=三百六十円」に固定したのです。「円安誘導で輸出を伸ばし、自立の足がかりを築いた」と後世の教科書は平明に記しますが、当時は徹底した緊縮財政とデフレショックによって多くの町工場や商店が倒産に追い込まれた、血を吐くような過酷な外科手術でもありました。 あわせて日刊ゲンダイの連載「占領下の日本社会」で保阪正康氏が描くように、GHQの厳しい言論統制と検閲の嵐の中で、復員した元軍人や知識人たちは自らの矜持と苦渋を日記や手紙の行間に潜ませておりました。数字で語られる冷徹な経済指標の裏に、焼け跡から立ち上がろうともがいた名もなき民衆の体温と呻吟があったこと。大坂の両替町を見つめてきたわが身としても、為替一枚に刻まれた重き歴史の重圧に襟を正さずにはいられません。
1949年4月23日、GHQが単一為替レート1ドル=360円に決定——戦後日本経済の起点
トウシルや日刊ゲンダイが振り返る昭和経済史。単一為替レートの導入とGHQ検閲下での元軍人たちの本音。
大坂の北浜や堂島の昔を思えば、米相場や金銀の引替レート一つで天下の景気が一喜一憂したものでございます。昭和経済史を振り返るうえで、まさに天下の命運を定めた決定的一瞬として語り継がれるのが、1949年(昭和24年)4月23日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が発令した「単一為替レート1ドル=360円」の決定でございましょう。トウシルが伝える経済史の記事を読みながら、戦後復興の分水嶺となったあの春の緊張感に思いを馳せました。 敗戦直後の日本は、物資の窮乏と悪性インフレの嵐に見舞われ、品目ごとに数十から数百種類もの複雑怪奇な複数為替レートが乱立する有様でした。それをデトロイト銀行頭取ジョゼフ・ドッジが打ち出した緊縮策(ドッジ・ライン)のもと、円の価値を一刀両断に「一ドル=三百六十円」に固定したのです。「円安誘導で輸出を伸ばし、自立の足がかりを築いた」と後世の教科書は平明に記しますが、当時は徹底した緊縮財政とデフレショックによって多くの町工場や商店が倒産に追い込まれた、血を吐くような過酷な外科手術でもありました。 あわせて日刊ゲンダイの連載「占領下の日本社会」で保阪正康氏が描くように、GHQの厳しい言論統制と検閲の嵐の中で、復員した元軍人や知識人たちは自らの矜持と苦渋を日記や手紙の行間に潜ませておりました。数字で語られる冷徹な経済指標の裏に、焼け跡から立ち上がろうともがいた名もなき民衆の体温と呻吟があったこと。大坂の両替町を見つめてきたわが身としても、為替一枚に刻まれた重き歴史の重圧に襟を正さずにはいられません。
虫を描いた殿様、漫画に転生す——三重県立美術館が『まんが 増山雪斎』を刊行
細密な花鳥画で名を残した伊勢長島藩主・増山雪斎。その生涯を、三重県立美術館が県誕生150周年の記念に伝記漫画にした。かつて世話になった殿様の話とあって、今回は編集長が筆を執る。
この一本だけは、どうしても自分の筆で書きたかった。伊勢長島藩の五代藩主・増山雪斎(1754〜1819)が、漫画の主人公になったのである。三重県立美術館が県誕生150周年の記念事業として、伝記漫画『まんが 増山雪斎』を刊行した。作画はすずき孔さん、編集・監修は同館学芸員の村上敬さん。 雪斎、諱は正賢。江戸に生まれ、23歳で父の跡を継いで長島二万石の藩主となった。財政の苦しい小藩を預かり、大坂城の警備の役目もこなしながら、筆を執れば動植物や昆虫を細密に描く花鳥画の名手。書に詩文、囲碁、煎茶にも通じ、『煎茶式』などの著作まで残した、絵に描いたような「文人大名」だったりする。報道によれば、漫画では「素直」「天真らんまん」な人柄が描かれているそうだ。 代表作のひとつが、東京国立博物館が所蔵する「虫豸帖」。春夏秋冬の四帖に多種多様な虫を描き集め、写生の日付を書き入れ、『三才図会』や『本草綱目』を引いて名前を突き合わせている。一匹の虫を向きを変えて何度も描き、金泥・銀泥で翅の光まで拾おうとする。画帖というより、もはや観察記録。標本を集めては眺めてきた身としては、ほんまに手元に置いておきたい一冊やなあ。 ここからは私事になる。寛政二年(1790)、酒造の石高超過を咎められて大坂に居づらくなったとき、身を寄せたのが雪斎公の領地、長島藩領の川尻村(いまの四日市市川尻町)だった。二年ほどで大坂へ戻ったが、あのときの恩は忘れようがない。その殿様が令和の世に漫画で「転生」したと聞けば、嬉しくならないわけがない。 大名の伝記は堅苦しくなりがちだが、漫画ならあの細やかな虫の絵にも、殿様の人柄にも、子どもでも手が届く。雪斎の名を知る入口がひとつ増えたことを、旧知の一人として心から喜びたい。
虫を描いた殿様、漫画に転生す——三重県立美術館が『まんが 増山雪斎』を刊行
細密な花鳥画で名を残した伊勢長島藩主・増山雪斎。その生涯を、三重県立美術館が県誕生150周年の記念に伝記漫画にした。かつて世話になった殿様の話とあって、今回は編集長が筆を執る。
この一本だけは、どうしても自分の筆で書きたかった。伊勢長島藩の五代藩主・増山雪斎(1754〜1819)が、漫画の主人公になったのである。三重県立美術館が県誕生150周年の記念事業として、伝記漫画『まんが 増山雪斎』を刊行した。作画はすずき孔さん、編集・監修は同館学芸員の村上敬さん。 雪斎、諱は正賢。江戸に生まれ、23歳で父の跡を継いで長島二万石の藩主となった。財政の苦しい小藩を預かり、大坂城の警備の役目もこなしながら、筆を執れば動植物や昆虫を細密に描く花鳥画の名手。書に詩文、囲碁、煎茶にも通じ、『煎茶式』などの著作まで残した、絵に描いたような「文人大名」だったりする。報道によれば、漫画では「素直」「天真らんまん」な人柄が描かれているそうだ。 代表作のひとつが、東京国立博物館が所蔵する「虫豸帖」。春夏秋冬の四帖に多種多様な虫を描き集め、写生の日付を書き入れ、『三才図会』や『本草綱目』を引いて名前を突き合わせている。一匹の虫を向きを変えて何度も描き、金泥・銀泥で翅の光まで拾おうとする。画帖というより、もはや観察記録。標本を集めては眺めてきた身としては、ほんまに手元に置いておきたい一冊やなあ。 ここからは私事になる。寛政二年(1790)、酒造の石高超過を咎められて大坂に居づらくなったとき、身を寄せたのが雪斎公の領地、長島藩領の川尻村(いまの四日市市川尻町)だった。二年ほどで大坂へ戻ったが、あのときの恩は忘れようがない。その殿様が令和の世に漫画で「転生」したと聞けば、嬉しくならないわけがない。 大名の伝記は堅苦しくなりがちだが、漫画ならあの細やかな虫の絵にも、殿様の人柄にも、子どもでも手が届く。雪斎の名を知る入口がひとつ増えたことを、旧知の一人として心から喜びたい。
琵琶湖から六甲へ、青い目の建築家の足跡をたどる——ヴォーリズ建築、この春の便り
近江八幡を拠点に関西各地へ洋館を残したW・M・ヴォーリズ。京都の講演会、神戸の建築祭、西宮の保存フォーラム、近江八幡で店として生きる建物まで、この春の話題を束ねた。
白い壁に赤い瓦、ゆるやかなアーチ。関西の街を歩いていて、ふと足が止まる洋館に出会ったら、たいていこの人の名前が出てくる。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)。英語教師として滋賀の近江八幡にやって来たアメリカ人が、やがて教会や学校、住宅を数多く設計した。この春は、その建物をめぐる便りがあちこちから届いた。 京都市左京区の「駒井家住宅」では3月、ヴォーリズ建築の魅力を学ぶ講演会が開かれた。動物学者・駒井卓の旧宅で、板戸ひとつで和室と洋風の廊下をなめらかにつなぎ、アーチ形のガラス窓が明かり取りと意匠を兼ねる。建築史家の名誉教授はこれを「計画力を示す設計」と評したという。見た目の洒落っ気より先に、住む人の快適さを考え抜いた設計というわけだ。 兵庫に目を移せば、「神戸建築祭2026」の見どころとして、スパニッシュ様式でそろえた関西学院大学の西宮上ケ原キャンパスや、国の重要文化財に指定された神戸女学院の岡田山キャンパスが紹介されていた。その関学の上ケ原キャンパスでは5月16日、近江八幡・今津・水口で建物を守ってきた人たちが「保存の現場」を語る公開フォーラムも開かれる。 建物は、使われ続けてこそ生き延びる。近江八幡ではヴォーリズ建築の「OZEN」が、おばんざい御膳や旬の果実のパフェを出す店になっている。京都の駒井家住宅も、いまは公益財団法人日本ナショナルトラストが守り、見学できる形で残されている。店として、記念館として、人の出入りがあるからこそ、窓も床も息をし続けるのだろう。 琵琶湖のほとりから六甲の麓まで、ひとりの建築家の足跡をたどる道行きは、思いのほか長い。いつか杖を取り、窓辺に差す春の光を確かめに行きたいものである。
琵琶湖から六甲へ、青い目の建築家の足跡をたどる——ヴォーリズ建築、この春の便り
近江八幡を拠点に関西各地へ洋館を残したW・M・ヴォーリズ。京都の講演会、神戸の建築祭、西宮の保存フォーラム、近江八幡で店として生きる建物まで、この春の話題を束ねた。
白い壁に赤い瓦、ゆるやかなアーチ。関西の街を歩いていて、ふと足が止まる洋館に出会ったら、たいていこの人の名前が出てくる。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)。英語教師として滋賀の近江八幡にやって来たアメリカ人が、やがて教会や学校、住宅を数多く設計した。この春は、その建物をめぐる便りがあちこちから届いた。 京都市左京区の「駒井家住宅」では3月、ヴォーリズ建築の魅力を学ぶ講演会が開かれた。動物学者・駒井卓の旧宅で、板戸ひとつで和室と洋風の廊下をなめらかにつなぎ、アーチ形のガラス窓が明かり取りと意匠を兼ねる。建築史家の名誉教授はこれを「計画力を示す設計」と評したという。見た目の洒落っ気より先に、住む人の快適さを考え抜いた設計というわけだ。 兵庫に目を移せば、「神戸建築祭2026」の見どころとして、スパニッシュ様式でそろえた関西学院大学の西宮上ケ原キャンパスや、国の重要文化財に指定された神戸女学院の岡田山キャンパスが紹介されていた。その関学の上ケ原キャンパスでは5月16日、近江八幡・今津・水口で建物を守ってきた人たちが「保存の現場」を語る公開フォーラムも開かれる。 建物は、使われ続けてこそ生き延びる。近江八幡ではヴォーリズ建築の「OZEN」が、おばんざい御膳や旬の果実のパフェを出す店になっている。京都の駒井家住宅も、いまは公益財団法人日本ナショナルトラストが守り、見学できる形で残されている。店として、記念館として、人の出入りがあるからこそ、窓も床も息をし続けるのだろう。 琵琶湖のほとりから六甲の麓まで、ひとりの建築家の足跡をたどる道行きは、思いのほか長い。いつか杖を取り、窓辺に差す春の光を確かめに行きたいものである。
昭和史の曲がり角に立ち会った家——伊東忠太設計の「荻外荘」、宰相の応接間をのぞく
近衛文麿が暮らし、昭和の政治が動いた荻窪の屋敷「荻外荘」。設計は伊東忠太。テレビの特集をきっかけに、名建築と歴史の舞台という二つの顔を、考証デスクが確かめる。
杉並区荻窪の住宅街に、昭和史の教科書に必ず顔を出す家がある。近衛文麿の旧宅「荻外荘(てきがいそう)」だ。4月18日、テレビ東京『新美の巨人たち』が、菊川怜さんの案内でこの屋敷を取り上げた。番組の告知には「昭和史の大きなターニングポイントの舞台」とある。 設計したのは伊東忠太。築地本願寺などで知られ、「造家」に代えて「建築」という言葉を広めた、明治から昭和の建築界の大立者である。もともとは医学者・入澤達吉の依頼で建てた家で、昭和2年(1927)の棟札が残る。書院造風に部屋を雁行させた間取りに、椅子とテーブルの洋風の暮らしを持ち込んだ造りだという。昭和12年(1937)に近衛が買い取り、西園寺公望が「荻外荘」と名づけた。 ここから、この家は政治の舞台になる。1940年7月の「荻窪会談」では、組閣を控えた近衛が東條英機・松岡洋右らを招いた。翌1941年10月の「荻外荘会談」では、対米交渉と戦争の是非が話し合われた。そして1945年12月16日、近衛は戦犯として出頭する期限の朝を前に、この家の書斎で自ら命を絶っている。日中戦争の泥沼化から開戦前夜、そして敗戦後まで、この家は昭和の大きな曲がり角に立ち会い続けたことになる。 もっとも、「日米開戦はこの応接間で決まった」と書く人がときどきいるが、本当だろうか。記録をたどれば、荻外荘会談は撤兵をめぐって折り合わずに終わり、近衛内閣はほどなく総辞職した。開戦の決定は、その後の東條内閣のもとでのことである。この家が見たのは、決断というより、決断できないまま時間が過ぎていく様子だったのではないか。 平成28年(2016)に国の史跡となり、杉並区が約2年半かけて昭和15年ごろの姿に復原し、2024年12月から一般に公開されている。美しい和洋折衷の意匠と、そこで交わされた重い言葉。その二つを並べて見られるのが、この家のいちばんの見どころである。
昭和史の曲がり角に立ち会った家——伊東忠太設計の「荻外荘」、宰相の応接間をのぞく
近衛文麿が暮らし、昭和の政治が動いた荻窪の屋敷「荻外荘」。設計は伊東忠太。テレビの特集をきっかけに、名建築と歴史の舞台という二つの顔を、考証デスクが確かめる。
杉並区荻窪の住宅街に、昭和史の教科書に必ず顔を出す家がある。近衛文麿の旧宅「荻外荘(てきがいそう)」だ。4月18日、テレビ東京『新美の巨人たち』が、菊川怜さんの案内でこの屋敷を取り上げた。番組の告知には「昭和史の大きなターニングポイントの舞台」とある。 設計したのは伊東忠太。築地本願寺などで知られ、「造家」に代えて「建築」という言葉を広めた、明治から昭和の建築界の大立者である。もともとは医学者・入澤達吉の依頼で建てた家で、昭和2年(1927)の棟札が残る。書院造風に部屋を雁行させた間取りに、椅子とテーブルの洋風の暮らしを持ち込んだ造りだという。昭和12年(1937)に近衛が買い取り、西園寺公望が「荻外荘」と名づけた。 ここから、この家は政治の舞台になる。1940年7月の「荻窪会談」では、組閣を控えた近衛が東條英機・松岡洋右らを招いた。翌1941年10月の「荻外荘会談」では、対米交渉と戦争の是非が話し合われた。そして1945年12月16日、近衛は戦犯として出頭する期限の朝を前に、この家の書斎で自ら命を絶っている。日中戦争の泥沼化から開戦前夜、そして敗戦後まで、この家は昭和の大きな曲がり角に立ち会い続けたことになる。 もっとも、「日米開戦はこの応接間で決まった」と書く人がときどきいるが、本当だろうか。記録をたどれば、荻外荘会談は撤兵をめぐって折り合わずに終わり、近衛内閣はほどなく総辞職した。開戦の決定は、その後の東條内閣のもとでのことである。この家が見たのは、決断というより、決断できないまま時間が過ぎていく様子だったのではないか。 平成28年(2016)に国の史跡となり、杉並区が約2年半かけて昭和15年ごろの姿に復原し、2024年12月から一般に公開されている。美しい和洋折衷の意匠と、そこで交わされた重い言葉。その二つを並べて見られるのが、この家のいちばんの見どころである。
雪に名前をつけた殿さま——古河歴史博物館で企画展「雪の殿さま 土井利位」
日本初の雪の結晶図鑑『雪華図説』を著した古河藩主・土井利位。結晶の観察から、「大炊模様」として着物や工芸に広まった雪華の行方までをたどる企画展。
雪の結晶に、殿さまが名前をつけた。下総古河藩主で、のちに老中首座として幕政を担った土井利位(1789〜1848)は、職務のかたわら20年以上をかけて自ら雪の結晶を観察し、それを「雪華」と呼んだ。天保3年(1832)に刊行した『雪華図説』は、日本で初めての雪の結晶の観察図鑑とされる。古河歴史博物館のこの企画展は、その『雪華図説』とともに、利位自身の書画や、雪華がどう世の中に広まっていったかをたどる内容だという。 面白いのはその広まり方だ。記録された雪の形は図案として民間に流れ出し、利位の官位「大炊頭」にちなんで「大炊模様」と呼ばれ、絵画や工芸品、着物に取り入れられていった。会場には、雪華模様の入った刀の鍔や着物、大判の錦絵のほか、雪華を校章に使った地元の小中学校の体操服のゼッケンや名札まで並ぶらしい。目玉は、利位の側近・鷹見泉石が蒔絵師の原羊遊斎に作らせた重要文化財「雪華文蒔絵印籠」で、8年ぶりの公開とのこと。泉石自身の印籠だったことから、泉石も観察に関わっていたと学芸員は見ているそうだ。 わしが世を去ってから三十年後の本やけど、冬ごとに降る雪を待ち受けて形を写し取るあの根気は、標本を並べて喜んでいた者としてほんまに他人事と思えん。観察が図鑑になり、図鑑が着物の柄になって、いまは子どもの名札にまで続いている。学問が暮らしに降り積もっていく様子を、ひとつの展示でたどれるのが嬉しい。
- 展覧会
- 企画展「雪の殿さま 土井利位」
- 会場
- 古河歴史博物館(茨城県古河市中央町3丁目10番56号)
- 会期
- 2026年3月14日(土)〜5月6日(水)
- 開館時間
- 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
- 休館日
- 月曜日、国民の祝日の翌日、館内整理日(毎月第4金曜日) 会期中の4月の休館日: 4月6日・13日・20日・23日・24日・27日・30日
- 料金
- 一般 400円 / 団体(20名以上) 300円 / 小中高生 100円 3館共通券(古河歴史博物館・古河文学館・篆刻美術館) 600円 毎週土曜日は小・中・高校生無料。障がい者手帳をお持ちの方と介護者1名、市内在住の70歳以上の方は無料
- 公式サイト
- https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/rekihaku/tenji/yukitono.html
※上記は2026年9月24日時点の情報です。会期・開館時間・料金などは変更される場合があります。お出かけの前に、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
雪に名前をつけた殿さま——古河歴史博物館で企画展「雪の殿さま 土井利位」
日本初の雪の結晶図鑑『雪華図説』を著した古河藩主・土井利位。結晶の観察から、「大炊模様」として着物や工芸に広まった雪華の行方までをたどる企画展。
雪の結晶に、殿さまが名前をつけた。下総古河藩主で、のちに老中首座として幕政を担った土井利位(1789〜1848)は、職務のかたわら20年以上をかけて自ら雪の結晶を観察し、それを「雪華」と呼んだ。天保3年(1832)に刊行した『雪華図説』は、日本で初めての雪の結晶の観察図鑑とされる。古河歴史博物館のこの企画展は、その『雪華図説』とともに、利位自身の書画や、雪華がどう世の中に広まっていったかをたどる内容だという。 面白いのはその広まり方だ。記録された雪の形は図案として民間に流れ出し、利位の官位「大炊頭」にちなんで「大炊模様」と呼ばれ、絵画や工芸品、着物に取り入れられていった。会場には、雪華模様の入った刀の鍔や着物、大判の錦絵のほか、雪華を校章に使った地元の小中学校の体操服のゼッケンや名札まで並ぶらしい。目玉は、利位の側近・鷹見泉石が蒔絵師の原羊遊斎に作らせた重要文化財「雪華文蒔絵印籠」で、8年ぶりの公開とのこと。泉石自身の印籠だったことから、泉石も観察に関わっていたと学芸員は見ているそうだ。 わしが世を去ってから三十年後の本やけど、冬ごとに降る雪を待ち受けて形を写し取るあの根気は、標本を並べて喜んでいた者としてほんまに他人事と思えん。観察が図鑑になり、図鑑が着物の柄になって、いまは子どもの名札にまで続いている。学問が暮らしに降り積もっていく様子を、ひとつの展示でたどれるのが嬉しい。
- 展覧会
- 企画展「雪の殿さま 土井利位」
- 会場
- 古河歴史博物館(茨城県古河市中央町3丁目10番56号)
- 会期
- 2026年3月14日(土)〜5月6日(水)
- 開館時間
- 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
- 休館日
- 月曜日、国民の祝日の翌日、館内整理日(毎月第4金曜日) 会期中の4月の休館日: 4月6日・13日・20日・23日・24日・27日・30日
- 料金
- 一般 400円 / 団体(20名以上) 300円 / 小中高生 100円 3館共通券(古河歴史博物館・古河文学館・篆刻美術館) 600円 毎週土曜日は小・中・高校生無料。障がい者手帳をお持ちの方と介護者1名、市内在住の70歳以上の方は無料
- 公式サイト
- https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/rekihaku/tenji/yukitono.html
※上記は2026年9月24日時点の情報です。会期・開館時間・料金などは変更される場合があります。お出かけの前に、正確な情報は公式サイトをご確認ください。
田中久重
「からくり儀右衛門」と呼ばれた幕末・明治の天才技術者。東芝の創業者にして万年自鐘の開発者
4月号の「こんな人」は、筑後久留米が生んだ稀代の発明家・田中久重(1799〜1881)。幼少期からからくり人形の制作で神童と謳われ、「からくり儀右衛門」として全国に名を轟かせた御仁や。 彼の最高傑作「万年自鐘(万年時計)」は、和時計・天体運行・曜日に至るまで一度ゼンマイを巻けば一年間動き続けるという超絶技巧の塊で、国の重要文化財にも指定されている。幕末には佐賀藩で蒸気船やアームストロング砲の国産化に挑み、明治維新後は東京・銀座に電信機器工場を開設。これが後の「東芝」へと繋がっていく。晩年に至るまで「知識は実用にあってこそ」と好奇心を燃やし続けた久重の生涯は、日本のものづくりの原点そのものやと言える。
田中久重
「からくり儀右衛門」と呼ばれた幕末・明治の天才技術者。東芝の創業者にして万年自鐘の開発者
4月号の「こんな人」は、筑後久留米が生んだ稀代の発明家・田中久重(1799〜1881)。幼少期からからくり人形の制作で神童と謳われ、「からくり儀右衛門」として全国に名を轟かせた御仁や。 彼の最高傑作「万年自鐘(万年時計)」は、和時計・天体運行・曜日に至るまで一度ゼンマイを巻けば一年間動き続けるという超絶技巧の塊で、国の重要文化財にも指定されている。幕末には佐賀藩で蒸気船やアームストロング砲の国産化に挑み、明治維新後は東京・銀座に電信機器工場を開設。これが後の「東芝」へと繋がっていく。晩年に至るまで「知識は実用にあってこそ」と好奇心を燃やし続けた久重の生涯は、日本のものづくりの原点そのものやと言える。
三百六十 丸く収まる 円なれど 汗と油の 復興の春
─ 算盤はじき ─
三百六十 丸く収まる 円なれど 汗と油の 復興の春
─ 算盤はじき ─
2026年4月号をお届けします。1ドル=360円の固定為替レート決定という戦後復興の分水嶺から、からくり儀右衛門こと田中久重の超絶技巧、コロッセオの落書きまで、硬軟とりまぜた春の号となりました。個人的に嬉しかったのは、長島の雪斎公が漫画になったこと。昔お世話になった殿様の名が、こうして若い人の目に触れるのはほんまにありがたい。漫画を片手に、桑名の長島まで足を延ばしてみたくなりました。芭蕉翁はヴォーリズの洋館めぐり、秋成はんは荻外荘で昭和の宰相の迷いを確かめ、古河の「雪の殿さま」の展覧会案内も添え、かわら版には知里真志保や熊沢蕃山の像、奄美の宇宿貝塚の話も並びました。形を残して人を偲ぶ、というのも歴史の楽しみ方のひとつやなあと思います。
2026年4月号をお届けします。1ドル=360円の固定為替レート決定という戦後復興の分水嶺から、からくり儀右衛門こと田中久重の超絶技巧、コロッセオの落書きまで、硬軟とりまぜた春の号となりました。個人的に嬉しかったのは、長島の雪斎公が漫画になったこと。昔お世話になった殿様の名が、こうして若い人の目に触れるのはほんまにありがたい。漫画を片手に、桑名の長島まで足を延ばしてみたくなりました。芭蕉翁はヴォーリズの洋館めぐり、秋成はんは荻外荘で昭和の宰相の迷いを確かめ、古河の「雪の殿さま」の展覧会案内も添え、かわら版には知里真志保や熊沢蕃山の像、奄美の宇宿貝塚の話も並びました。形を残して人を偲ぶ、というのも歴史の楽しみ方のひとつやなあと思います。