52年ぶりに響いた汽笛——「SL大樹」、会津若松への特別運行
鬼怒川から会津へ、SL大樹「土津」が福島DCの目玉として特別運行。日光と会津を結ぶ観光連携も本格化した一ヶ月。
6月最大の目玉はこれだろう。TBS NEWS DIGが伝えたところによると、東武鉄道のSL大樹「土津」が52年ぶりに汽笛を響かせながら会津若松まで特別運行を行ったという。ふくしまデスティネーションキャンペーンの目玉企画で、6月30日に運行終了したとのこと。トラベルWatchの試乗レポートによれば、鬼怒川から会津へのルートには温泉やモグラ駅、ダム湖まであるそうで、乗り鉄的な魅力もかなり高い区間らしい。秋田魁新報の記事では、東武・JRなど4社が三セクと連携し「SLで日光と会津を結ぶ」誘客策を進めていると報じられており、単発イベントで終わらせない構えが見える。 会津がらみでは他にも、日本遺産に認定されている「会津の三十三観音めぐり」が地域の文化財案内でも紹介されていた。巡礼を通して往時の会津の文化を観る、という切り口は地味だけど奥が深い。52年前といえば1974年、当時この路線を蒸気機関車が走っていた記憶を持つ人もまだ現役世代にいるはずで、そう考えると「52年ぶり」という数字の重みがまた違って見えてくる。鉄道と歴史、地域振興がきれいに交差した好例だったと思う。
52年ぶりに響いた汽笛——「SL大樹」、会津若松への特別運行
鬼怒川から会津へ、SL大樹「土津」が福島DCの目玉として特別運行。日光と会津を結ぶ観光連携も本格化した一ヶ月。
6月最大の目玉はこれだろう。TBS NEWS DIGが伝えたところによると、東武鉄道のSL大樹「土津」が52年ぶりに汽笛を響かせながら会津若松まで特別運行を行ったという。ふくしまデスティネーションキャンペーンの目玉企画で、6月30日に運行終了したとのこと。トラベルWatchの試乗レポートによれば、鬼怒川から会津へのルートには温泉やモグラ駅、ダム湖まであるそうで、乗り鉄的な魅力もかなり高い区間らしい。秋田魁新報の記事では、東武・JRなど4社が三セクと連携し「SLで日光と会津を結ぶ」誘客策を進めていると報じられており、単発イベントで終わらせない構えが見える。 会津がらみでは他にも、日本遺産に認定されている「会津の三十三観音めぐり」が地域の文化財案内でも紹介されていた。巡礼を通して往時の会津の文化を観る、という切り口は地味だけど奥が深い。52年前といえば1974年、当時この路線を蒸気機関車が走っていた記憶を持つ人もまだ現役世代にいるはずで、そう考えると「52年ぶり」という数字の重みがまた違って見えてくる。鉄道と歴史、地域振興がきれいに交差した好例だったと思う。
検閲対策の黒塗り辞典から根岸接収地返還まで、まだ終わらぬGHQ清算
福岡の平和祈念資料展、GHQ焚書シリーズの復刻、そして横浜・根岸の米軍住宅地区が79年ぶりに返還。占領の記憶は今も現在進行形だった。
6月もGHQがらみの話題は途切れなかった。毎日新聞は福岡で開催された平和祈念資料展で、GHQの検閲対策として黒塗りにされた学習百科辞典が展示されたと報じている。当時の人々が検閲をかいくぐりながら知を守ろうとした痕跡というのは、何度見ても胸に来るものがある。valuepressの新刊案内では「GHQ焚書シリーズ」の現代語訳として『菊池寛の明治史』が刊行されたという告知もあり、こうした復刻の動きは地道に続いているようだ。 そして月末の大きな話題が、横浜・根岸住宅地区の返還である。産経ニュースと東京新聞はそろって、戦後GHQに接収されてから79年ぶりに米軍「根岸住宅地区」が返還されたと報道。山中竹春横浜市長は「長年の悲願」だったとコメントしており、79年という数字に占領の記憶がいかに長く尾を引いてきたかが表れている。あわせて朝日新聞は、旧宮家の男系男子養子案の背景にGHQの圧力論があり、それが戦後改革の否定につながっているという皇室典範改正がらみの論考も掲載していた。GHQという存在が、いまだに現在進行形の政治課題と結びついているというのは、あらためて重く受け止めたい話である。
検閲対策の黒塗り辞典から根岸接収地返還まで、まだ終わらぬGHQ清算
福岡の平和祈念資料展、GHQ焚書シリーズの復刻、そして横浜・根岸の米軍住宅地区が79年ぶりに返還。占領の記憶は今も現在進行形だった。
6月もGHQがらみの話題は途切れなかった。毎日新聞は福岡で開催された平和祈念資料展で、GHQの検閲対策として黒塗りにされた学習百科辞典が展示されたと報じている。当時の人々が検閲をかいくぐりながら知を守ろうとした痕跡というのは、何度見ても胸に来るものがある。valuepressの新刊案内では「GHQ焚書シリーズ」の現代語訳として『菊池寛の明治史』が刊行されたという告知もあり、こうした復刻の動きは地道に続いているようだ。 そして月末の大きな話題が、横浜・根岸住宅地区の返還である。産経ニュースと東京新聞はそろって、戦後GHQに接収されてから79年ぶりに米軍「根岸住宅地区」が返還されたと報道。山中竹春横浜市長は「長年の悲願」だったとコメントしており、79年という数字に占領の記憶がいかに長く尾を引いてきたかが表れている。あわせて朝日新聞は、旧宮家の男系男子養子案の背景にGHQの圧力論があり、それが戦後改革の否定につながっているという皇室典範改正がらみの論考も掲載していた。GHQという存在が、いまだに現在進行形の政治課題と結びついているというのは、あらためて重く受け止めたい話である。
儒者から漢学者、そして「季語」の俳人へ——郡山・安積艮斎記念館で三代の学びをたどる
昌平坂学問所の教授で、門人二千人といわれた安積艮斎。その教えを受けた漢学者・大須賀筠軒と、子で「季語」を定着させた俳人・乙字。安積の地で開かれた企画展を、芭蕉が訪ねる。
郡山と聞くと、つい杖を止めたくなる。『おくのほそ道』の道行きで、わたしは安積山のあたりで花かつみを探して、ついに見つけられなかった。その安積の地で、儒者と漢学者と俳人、三代にわたる学びの糸をたどる企画展が6月1日に始まった。会場は安積国造神社の境内にある安積艮斎記念館、主催は地元の安積歴史塾である。 主役の一人、安積艮斎(1791〜1861)は、この神社の宮司の家に生まれた。江戸に出て佐藤一斎や林述斎に学び、神田駿河台に私塾「見山楼」を開く。のちに60歳で昌平坂学問所の教授となり、ペリー来航の折には米国国書の翻訳にも関わった。門人は2000人を超えたといわれ、吉田松陰、岩崎弥太郎、高杉晋作、小栗忠順らの名が並ぶ。見山楼は旗本小栗家の屋敷内にあったというから、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』で小栗忠順が主人公になれば、師の艮斎にも出番が回ってくるわけだ。 その艮斎に学んだのが、いわきの漢学者・大須賀筠軒。そして筠軒の子が、俳人の大須賀乙字(1881〜1920)である。乙字は、いまでは誰もが使う「季語」という言葉を定着させた人とされる。わたしたちの頃は「季の詞」などと呼んでいたものに、すっきりした名前がついたのは明治の終わりのことだ。句を詠む者として、ありがたいやら面はゆいやら。 儒学の師から漢学者へ、漢学者から俳人へ。学んだものは形を変えながら、父から子へ、師から弟子へと受け渡されていく。企画展は乙字の俳句と筠軒・艮斎の史料を並べ、その流れを「東洋文学の系譜」として見せる趣向らしい。会期中には関連の講演会も開かれ、艮斎らの功績を学ぶ場になったと聞く。 安積の野に吹く初夏の風は、三百年余り前とさほど変わるまい。花かつみの代わりに、今度は三人の文人の足跡を探しに行きたいものである。
儒者から漢学者、そして「季語」の俳人へ——郡山・安積艮斎記念館で三代の学びをたどる
昌平坂学問所の教授で、門人二千人といわれた安積艮斎。その教えを受けた漢学者・大須賀筠軒と、子で「季語」を定着させた俳人・乙字。安積の地で開かれた企画展を、芭蕉が訪ねる。
郡山と聞くと、つい杖を止めたくなる。『おくのほそ道』の道行きで、わたしは安積山のあたりで花かつみを探して、ついに見つけられなかった。その安積の地で、儒者と漢学者と俳人、三代にわたる学びの糸をたどる企画展が6月1日に始まった。会場は安積国造神社の境内にある安積艮斎記念館、主催は地元の安積歴史塾である。 主役の一人、安積艮斎(1791〜1861)は、この神社の宮司の家に生まれた。江戸に出て佐藤一斎や林述斎に学び、神田駿河台に私塾「見山楼」を開く。のちに60歳で昌平坂学問所の教授となり、ペリー来航の折には米国国書の翻訳にも関わった。門人は2000人を超えたといわれ、吉田松陰、岩崎弥太郎、高杉晋作、小栗忠順らの名が並ぶ。見山楼は旗本小栗家の屋敷内にあったというから、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』で小栗忠順が主人公になれば、師の艮斎にも出番が回ってくるわけだ。 その艮斎に学んだのが、いわきの漢学者・大須賀筠軒。そして筠軒の子が、俳人の大須賀乙字(1881〜1920)である。乙字は、いまでは誰もが使う「季語」という言葉を定着させた人とされる。わたしたちの頃は「季の詞」などと呼んでいたものに、すっきりした名前がついたのは明治の終わりのことだ。句を詠む者として、ありがたいやら面はゆいやら。 儒学の師から漢学者へ、漢学者から俳人へ。学んだものは形を変えながら、父から子へ、師から弟子へと受け渡されていく。企画展は乙字の俳句と筠軒・艮斎の史料を並べ、その流れを「東洋文学の系譜」として見せる趣向らしい。会期中には関連の講演会も開かれ、艮斎らの功績を学ぶ場になったと聞く。 安積の野に吹く初夏の風は、三百年余り前とさほど変わるまい。花かつみの代わりに、今度は三人の文人の足跡を探しに行きたいものである。
ジョン万次郎(中濱万次郎)
土佐の漁師からアメリカへ漂流、幕末の開国を陰から導いた日米架け橋の先駆者
6月号の「こんな人」は、波乱万丈という言葉すら生ぬるい生涯を送ったジョン万次郎(1827〜1898)。土佐の貧しい漁師の子として海に出て遭難、鳥島で生き延びたところをアメリカの捕鯨船に救助された運命の少年や。 アメリカで英語、数学、測量、航海術を猛勉強して首席級の成績を収め、ゴールドラッシュで自ら資金を稼いで鎖国下の日本へ決死の帰国を果たした。ペリー来航時にはその正確な英語力とアメリカ事情の知識を買われ、幕府の旗本(中濱姓)に取り立てられて日米和親条約の交渉や軍艦奉行・勝海舟らの渡米(咸臨丸)を技術指導した。異文化への偏見を知識と誠実さで乗り越えた万次郎の足跡は、今なお国際人の手本やと思う。
ジョン万次郎(中濱万次郎)
土佐の漁師からアメリカへ漂流、幕末の開国を陰から導いた日米架け橋の先駆者
6月号の「こんな人」は、波乱万丈という言葉すら生ぬるい生涯を送ったジョン万次郎(1827〜1898)。土佐の貧しい漁師の子として海に出て遭難、鳥島で生き延びたところをアメリカの捕鯨船に救助された運命の少年や。 アメリカで英語、数学、測量、航海術を猛勉強して首席級の成績を収め、ゴールドラッシュで自ら資金を稼いで鎖国下の日本へ決死の帰国を果たした。ペリー来航時にはその正確な英語力とアメリカ事情の知識を買われ、幕府の旗本(中濱姓)に取り立てられて日米和親条約の交渉や軍艦奉行・勝海舟らの渡米(咸臨丸)を技術指導した。異文化への偏見を知識と誠実さで乗り越えた万次郎の足跡は、今なお国際人の手本やと思う。
半世紀 眠りし汽笛 山彦に 応えて走る 会津路の夏
─ 鉄路の友 ─
半世紀 眠りし汽笛 山彦に 応えて走る 会津路の夏
─ 鉄路の友 ─
6月はSL大樹の会津特別運行にすっかりやられてしまった。52年ぶりという数字を聞くと、鉄道と地域の歴史がいかに分かちがたく結びついているかを実感する。GHQと根岸住宅地区の話も、79年という長さにあらためて占領の記憶の重さを考えさせられた。芭蕉翁は郡山の安積艮斎記念館を訪ね、儒者から俳人へと受け継がれた学びの糸をたどってくれはった。「季語」いう言葉がまだ百年ちょっとの新顔やとは、ほんまに知らなんだ。島原大変の古絵図の話も、災いの記憶を絵にして残した先人の執念に頭が下がる。万次郎の気骨に思いを馳せつつ、来月もぼちぼち掘っていきます。
6月はSL大樹の会津特別運行にすっかりやられてしまった。52年ぶりという数字を聞くと、鉄道と地域の歴史がいかに分かちがたく結びついているかを実感する。GHQと根岸住宅地区の話も、79年という長さにあらためて占領の記憶の重さを考えさせられた。芭蕉翁は郡山の安積艮斎記念館を訪ね、儒者から俳人へと受け継がれた学びの糸をたどってくれはった。「季語」いう言葉がまだ百年ちょっとの新顔やとは、ほんまに知らなんだ。島原大変の古絵図の話も、災いの記憶を絵にして残した先人の執念に頭が下がる。万次郎の気骨に思いを馳せつつ、来月もぼちぼち掘っていきます。